92話 虎耳の弟子(エピローグ)
その後、カツィカの街はあっさり正常化されたと聞く。
街に入り込んでいたイスカーチェ軍は、速やかに姿を消した。
そしてほどなく援軍を率いてやってきたレオがたちまちのうちに自警団を解体し、住人たちの住宅事情を改善したそうだ。
皇国の中央も今回の件はさすがにまずいと考えたらしく、この地方の復興に本腰を入れることが決定された。
併せてゲルトによる市場の再建事業も継続されるとのこと。
イスカーチェ国の干渉は公にはされず、表向きは単なる自警団の暴走ということで落ち着いたらしい。
両国間で何かネチネチとした交渉だの駆け引きだのがあったと思われるが、興味がないので詳しくは知らない。
このあたりを担当したのはレオの奴で、しばらく機嫌よさそうにしていたそうだから、まあエルラ皇国として損はしていないのだろう。
――と、ここまでほとんど伝聞形なのは、例によって俺がぶっ倒れていたからだ。
あの日、商隊の野営地に戻り、ゲルトとイレーネの涙の再会を見届けたあたりで血を吐いて昏倒したのである。
いうまでもなく、ミルシュカとの戦いで勁を使いすぎた影響だ。
一足先にペリファニアまで搬送されることになったが、高熱を発した俺はその間ずっと寝込んだままだった。
犬耳や虎耳にずっと着きっきりで看病されていたような気がするが……そのあたりの記憶は判然としない。
まともに起き上がれるようになったのは、ペリファニアの屋敷に戻り一月近くが経過してからのことである。
「――もう少しお休みになっていても、よろしいかと存じますが。お体に相当な負荷がかかっていたようですし」
慣れ親しんだ長イスの上で半身を起こした俺に、ファリンはそう言った。
相変わらず愛想のない口調だが、気遣ってくれているようだ。
「少しずつでも動いていかねえと、それだけ回復も遅れるんだよ。ゴロ寝してて完調に戻るんだったら、それが理想なんだがな」
言いながら、俺も勤勉になったもんだ、などと考える。
ま、呑気に惰眠をむさぼっていられないのは確かだ。
ミナヅキの行方を追うのはもちろん、寝込んでいるあいだ放ったらかしだったマイヤの稽古も見てやる必要があるしな。
「どうしてもとおっしゃるなら、止めはしませんが……くれぐれも、無理はなさいませんよう」
「わかってる」
しかし、マイヤとファリンの二人を見ていると、看病の仕方にも性格の違いが現れていて、なかなか面白いと思う。
マイヤの言動は幼く無邪気で、もちろんそれはあいつの本質でもあるのだが……俺に対しては妥協を許さず、割と容赦なく尻を叩いてくるようなところがある。
それだけ高く評価されていると考えればいいのだろうか。
一方、ファリンは冷徹そうな見た目に反し、意外に相手の意思を尊重する。
言い方を変えれば、実はわがままに対してかなり甘い。
独りでいるより、誰かの世話をさせたり面倒をみたりという役目に向いているのかもしれない。
まあ、それはさておき――
「ところでファリン」
「はい」
「その格好は何だ?」
暗色のロングドレスと白いエプロン。
頭にホワイトブリム。
擦り切れた皮鎧に巨大な槍斧という普段の装備とはかけ離れた姿である。
「メイド服です」
「それは見りゃわかる」
俺が答えると、ファリンは無表情のまま小さく首を傾げた。
「では、お気付きだったのですね? せっかく着てみたのに、このまま流されたらどうしようか思いましたが」
「いや、気付くに決まってんだろ。なんて反応するべきかわからなかったから、先送りにしてただけだ。――で、なんでそんなの着てる?」
「仕立屋に注文していたものが、仕上がりましたので」
俺は一つ息を吐き、長イスに座り直す。
何だか少々話し合う必要がありそうな気がした。
「とりあえず確認しとくが、お前、兵士であってメイドじゃないよな?」
「いえ」
ファリンは首を横に振る。
「現在の私は正規の兵士と言えないかもしれません。リーン様は寝込んでおられましたからご存じないと思いますが……私たちがカツィカの街の事後処理に追われていたとき、レオポルト殿下と前後してブラウヒッチ伯が駆け付けてきまして」
カスパル・ブラウヒッチ。
ファリンが所属する(していた?)辺境警備軍の主である。
エルラ皇国の一地方を預かる領主であるものの忠義に厚いとは言えず、何かときな臭い噂の多い人物だ。
皇国中枢の主流派とは犬猿の仲で、今回イスカーチェ軍がカツィカに潜入してきたことに関しても、一枚噛んでいるのではないかと思われる。
ちなみに大の獣人嫌いで、孤児のマイヤを奴隷商人に売り払った男でもあり、俺にとって好意を抱くべき理由はひとかけらもなかった。
「レオと揉めたか?」
「いいえ、揉めませんでした。……殿下とは」
むしろ恐縮した体でブラウヒッチは己の配下、つまりファリンたちの不始末を詫びた。
無能で無力な獣人どもで申し訳ないと。
そして隊を率いていたファリンを皆の前で面罵し、鞭で打ち据えたそうである。
「は、トカゲの尻尾切りか」
俺は鼻を鳴らした。
イスカーチェの動きについては知らぬ存ぜぬを通し、責任を現場に押しつけようとしたわけだ。
「災難だったな」
「そうでもありません。隊長だったのですから、責を問われるのは当然でしょう。人間族の力で振るわれる鞭の痛みなど知れたものですし」
ファリンは淡々とした口調で言い、ただ、と言葉を継いだ。
「『無意味に戦い、無意味に死人を出しおって』と言われましたから、それは許容できませんでした。私たちも、あなたも、マイヤも無意味な戦いに命を懸けたわけではありませんし、死んでいった者も無意味に死んだわけではありません」
……ああ、その通りだ。
「確かに命を落とすのも仕事のうちです。しかし、そのことを軽んじる発言は侮辱と解釈しました。なので――」
「抗議したのか」
「いえ、万感の思いを込めて、私の拳を贈呈いたしました。もちろん手加減はしましたから、鼻筋が折れ曲がった程度ですけど」
「ほお」
それは愉快な話だ。
根性が曲がっているんだから、むしろ内面に似つかわしいとも言える。
「で、そのまま出奔したわけか。しかし、兄貴たちが辺境軍にいるんだろ? そっちはよかったのか?」
「むしろ揉め事が起こると大喜びする性格ですから、あの人たちは。こっちはこっちで適当にやるから、気にすんな、好きに生きろと。それに……『死んだ親父やお袋への義理なら、もう十分果たしたんじゃねえか?』ってルアン兄さんが」
ああ、まあ、その点はあの粗暴な虎男に同意しておこう。
後悔や死者の記憶を背負って生きるには、ファリンは若すぎる。
他人の人生に口を出す資格があるわけもないが……少なくとも、こいつのようなガキが俺のようになってはいけないのだ。
「ちょうどあなた方がペリファニアへ戻るところでしたから合流し、マイヤを手伝ってリーン様の看病をしました。そして、今に至ります」
「それについては感謝しとく。経緯はわかった。んじゃ、本題だ。――なぜ、今ここで、そんな格好をしてる?」
「雇っていただきたいからです」
ファリンは短く、だがはっきりと答えた。
俺は眉をひそめた。
「だって、そもそもお前、俺のことを嫌ってんだろ? そんな男に雇われようとする理由は――って、ああ、ここにはマイヤが居るからか」
わかりきったことだった。
こいつの過保護っぷりはよく知っている。
「……単にそれだけではありませんよ。軍を抜けると決めたときに、その、真っ先にあなたの言葉が脳裏に浮かんだのです。『うちに来い』とおっしゃいましたよね」
「いや、確かにそんなことを口にしたがな」
カツィカへの偵察帰り、ミルシュカにズタボロにされてへこんでいたファリンを励ましたときのことだ。
とはいえ、また遊びに来ればいいくらいの意味合いだった。
もちろんファリンも承知の上で言っているのだろうが。
「私は、マイヤのように、あなたの側で、新たな強さを得たい」
「…………」
「この衣服は、決意の表れです。今の私は、行き場のない脱走兵。この体しか差し出すものがありません。すべてに従い、受け入れますので、どうかお仕えすることをお許しください。お願いいたします」
「……そういえば、以前にも似たような台詞を言ってメイド服で押しかけてきた犬娘がいたんだよなあ」
「ええ、彼女の助言を参考にしました」
やっぱりか。
俺は深刻な頭痛を覚え、こめかみを押さえる。
「マイヤには、あとで礼儀と常識についてがっつり講義してやらねえとな」
俺が言うと同時に、広間の扉の辺りからガタンと音がした。
固唾を呑んで見守っていた誰かが動揺したらしい。
ま、今は置いておこう。
問題は目の前のファリンだ。
もちろん決定権は俺にある。当然断ることはできる。
しかしファリンも簡単には諦めないだろうし、それに交渉が長引けば、おそらく犬耳娘が姿を現わし『お願い』に加わることになるだろう。
で、結局自分は根負けして前回と同じような結論を下す。そんな未来が見える。
……であれば、もう、無駄な手間は省いた方がいいのかもしれない。
マイヤの稽古相手にもなるだろうし、弟子もメイドも一人増えたところで何が変わるわけでもないからな。
俺は受容とあきらめのため息をつき、両手を挙げた。
「わかった、俺の負けだ。雇ってやる」
「…………」
しかしファリンは喜ばず、むしろ訝しがる顔で俺を見た。
「んだよ」
「これも何かの試験とかいうのではなく? 飛びついたら不合格とか」
「俺がそんな持って回ったやり方するような人間に見えるか?」
「いえ……。ただ、竜殺しの英雄があっさり負けを認めて引いたことに、少しばかり驚いたもので。私は本当に、どんなことでもするつもりだったのですが」
「英雄は竜と敵に負けなけりゃそれでいい。弟子は勝った負けたを競う相手じゃねえよ」
弟子、とファリンは口の中で味わうように小さく呟いた。
「どんなことでもするって覚悟があるんなら、それは今後の人生に備えて取っとけ」
俺を嫌っていたとしても、こいつは仕事や稽古の手を抜いたりする性格ではない。
さしあたっては、それで十分だ。
「んじゃ、これからよろしくたのむ」
「……はい、旦那様」
ファリンは短く答え、そしてなぜかふいと目をそらした。
少し頬が赤らんでいるような気がしたが、見間違いだったかもしれない。
第二部完。一区切りです。ありがとうございました。
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