90話 〝英雄〟対〝英雄〟(4)
問題はミルシュカを倒す方法だ。
わずかでも勝率の高い道を見つけなければならない。
あの妙な感知能力がある以上、気取られず接近するのは難しいだろう。
かといって遠距離から白雷閃を放てば、俺の体が限界を超える。
その覚悟がないわけではないが、それは最後の手段だ。
さて、どうすればいい?
「……何発か攻撃を受けるのを覚悟で私が突進すれば、隙を作り出せるかもしれません。これでも人間族よりはかなり頑丈ですし」
ファリンは眉一つ動かさないまま、苛烈な案を提示した。
「その間にリーン様が止めを刺せば……」
「お前が死ぬから却下。さっきあいつの魔術見ただろうが。あんなの食らったら、どんな頑丈な獣人でも一撃でバラバラだっての」
「兵の犠牲はある程度織り込まないと、戦はできないかと」
「マイヤがゲルトを助け出してくれたから、戦はもうこっちの勝ちで終了だ。あとはどう追撃を振り切るかって問題でしかねえよ」
ため息をついて、髪を掻き回す。
「そもそもな、これは議論の余地なく俺の失態なんだ。俺はマイヤを救い出すことで頭がいっぱいになっていて、あいつが自分で脱出してくるという可能性をまったく考慮していなかった」
あいつのことを、無力だと無意識のうちに決め付けていた。
護って保護してやらなければならない存在だと、勝手に思い込んでいた。
――愚昧にもほどがある。
「弟子の力を正当に評価できない師匠ほど情けない存在が、この世にあるか? だから俺が自分でケツを拭くべきなんだよ。マイヤを連れ戻し、ミルシュカを倒す。マイヤやお前の犠牲なんかなくても、最悪、相討ちには持ち込める」
沈黙が降り、やがてぽつりとファリンの唇から言葉がもれた。
「うらやましいですね」
「あん?」
いえ、と小さく首を振り、ファリンは俺を見据えた。
「では、私も正直なところを申し上げます。以前、マイヤは私の妹も同然だとお話しましたよね? これ以上家族を失うのはごめんですし、彼女を守れるのなら私は私自身を犠牲にしても構いません。私と同じく家族を亡くしたリーン様なら、この感情を理解していただけると思うのですが」
俺は頭を掻きむしりたくなった。
なんでクソ頑固なうえ、揃いも揃っていらん自己犠牲方面に暴走するんだ、このガキどもは。
「理解していただけるわけねえだろ。お前は、俺とは違うんだよ」
ファリンは少し傷ついたような顔をしたが、俺は構わず続けた。
「偵察の帰り道だったか、なぜ俺がお前に力を貸すのかって話が途中になってたよな。――俺はカツィカが竜に襲われすべてを失った日の夢を見る」
「夢、ですか」
反応に困った口調でファリンは言った。
「夢の中の俺は、燃える街を見て自宅に駆け戻って……そして、今まさに俺の家を破壊しようとしている竜を、一刀で斬り倒すんだ。間一髪で家族を助けることに成功し、みんなの無事を喜び、よかったよかったと心から安堵する。――そこで目が覚める」
そして、現実はそうならなかったことを思い出す。
温厚だった父も、厳しく優しかった母も、利発だった弟も、器量よしに育った妹も、みんな灰になったという事実を突きつけられる。
いちいち慟哭したりはしない。そんな段階はとっくに通り過ぎた。
そういうとき、俺はただ小さく笑い小さくため息をついて、胸の中の荒れ狂う感情をやり過ごすのだ。
「俺が竜殺しをやっていたのは憎悪や怒りに取りつかれていたからだが……それ以外に何か理由があったのかな、と考えてみたことがある。そのときに浮かんだのが、この夢だった。俺は多分、夢を叶えたかったから竜を殺し続けていたと思う。――そう変な顔すんな。真面目な話だから」
ファリンに笑いかけ、続ける。
「もちろん、過去は変えられない。俺の家族はもう死んでる。だから……誰かに、俺の代理として、その幸運を味わってほしかったんだよ。外からでいい。俺はそんな光景を見たかった。いや、自分の目で見られなくても、俺が竜を殺し続ければそういうことが起こりうると、信じたかったんだ」
俺の家族は助からなかった。
でもな――間一髪助かった、命を拾ったって、手を取り合って喜ぶ家族がこの世のどこかにいてもいいだろ?
「そんなわけで、俺はゲルトを助けたいというイレーネに手を貸した。兄たちを助けたいというお前に手を貸した。体を張り命を懸けてお前たちの家族を取り戻し、必ず幸せな結末を迎えさせると誓った。他人のためじゃなく、家族を失った俺自身のために、だ」
誰かを思いやったわけではない。
善行だと主張するつもりもない。
これは俺の、ごくごく個人的な欲望だ。
「だから、私は死んではいけないと?」
「そう。お前はマイヤの家族なんだろ? それが失われるってのは、幸せな結末とは言えねえからな。もちろん、マイヤが死ぬのも同じ」
「…………」
ファリンは何を言えばいいのかわからないというように口を閉じた。
少し迷ったが、俺は最後に一言、伝えておくことにした。
「ご両親のこと、悪かったな。間に合わなくて」
「――――! い、いえ、それは私が勝手に、わだかまりをおぼえているだけで、客観的に見ればあなたに責任は……」
「だとしても、現実にお前が恨みを覚えて俺が責任を感じちまってるんだから、どうしようもねえだろうがよ。当事者同士、見解の一致ってやつだ」
俺は肩をすくめた。
「誰が何と言おうと、どんな事情だろうと、救えなかった人間がいるってのは心の底から悔しいさ。それが赦しになるとは思ってねえけどな」
「…………」
恨まれたいわけではない。でも、それを止める権利もない。
多分こいつは負の感情を乗り越えて真っ当に成長していける奴だと思うが、俺の口からわざわざ伝えるべきことでもないだろう。
「議論はここまでだ。俺が前に出て、ミルシュカの相手をする。お前は援護。マイヤを確保できたら撤退しろ。いいな?」
ファリンは、はいともいいえとも言わず、何か納得を得たような顔で俺を見た。
「そうですね、あなたという人間が、少し分かったような気がします」
「……何の話だよ」
「一点だけ、指摘させてください」
俺の言葉を無視して虎族の少女は言った。
「あなたも幸せな結末の内側に居るべきです。外ではなく。――リーン様は、ご自身もマイヤの家族であることをお忘れです」
「…………」
虚を突かれたような思いがした。
――家族? マイヤと俺が?
と、そのとき、ドンという低い音が聞こえた。
火炎弾が地面を叩いたようだ。
ミルシュカがマイヤを見つけたのだろうか。
「時間切れです。とにかく出て、マイヤを……リーン様?」
ファリンは怪訝そうな声で言った。
俺は考え込んでいた。少し引っ掛かるものを覚えたのだ。
(……なぜミルシュカは、もっとでかい魔術を使わない?)
森に入ってから大規模な魔術を行使したのは、矢の雨に襲われた自分の身を護ったときのみ。
それ以外はずっと、小さな火炎弾で標的を狙い打つような戦い方をしている。
もちろんそれはそれで軽視できる攻撃ではないが、隠れながら勝機をうかがう側としては、障害物ごと吹き飛ばして炙り出すようなやり方の方が困るものだ。
あいつにその能力がないわけではないだろう。
では、どんな理由が考えられる?
「…………」
俺は思考を整理し、そして一つ策を組み上げた。




