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89話 〝英雄〟対〝英雄〟(3)

 黒嵐襲(こくらんしゅう)

 白雷閃(びゃくらいせん)と対を成す奥義だ。


 あちらが勁を線として飛ばす斬撃なのに対し、こちらは勁を面にして放つ殴撃である。

 巨体と硬い鱗を持つ竜に対しては効果が薄いが、攻撃範囲が広いため今のように複数の人間を相手取ったときは役に立つ。


 俺は眉をひそめ、マイヤとゲルトの元に駆け寄った。

 そして、涙目になったマイヤが口を開こうとするのを制する。


「ああ――いや、説明はいい。大体わかる。自力で逃げ出して来たんだな」

「は、はい」


 マイヤはこくこくとうなずいた。

 二人とも目立った怪我はなさそうだ。

 ひとまず、事態は一つ前進した。


「イ、イレーネの、言うとおり、げ、減量、したほうが、よさそう、ですな」


 全力疾走がこたえたのか、ゲルトは息も絶え絶えな有様で言った。


「ま、万一のとき、身動きすら、とれないようでは、し、商売どころでは、ない」

「ああ、そうしてやると奥方も喜ぶだろう」


 そして俺は今マイヤたちが上ってきた勾配の、そのふもとに視線を向け、盛大にため息をつきたい気分で付け加えた。


「無事に帰れたら、な」


 フードを跳ね除け、素顔を晒したミルシュカがじっとこちらを見ていた。


「結局のところ、生きて家族のもとまで帰り着いてくれないと、救出に成功したとは言えねえわけだ。――ゲルトを連れて逃げろ、マイヤ」


 今のところ、あいつの狙いは俺だ。

 であれば、囮となって引き付けることができる。

 しかしマイヤはすぐに動こうとしなかった。


「で、でも、だんな様、お体の方は……」

「急げ! 巻き添えを食うぞ!」


 ミルシュカは詠唱に入っている。

 あいつの魔術はこの位置まで届くということだ。


 ゲルトはどうにか立ち上がり、おぼつかない足取りでよたよたと走り出した。

 マイヤはともかく、この商人はミルシュカの攻撃までに安全圏へ逃れることは可能か?


(……ムリだな)


 俺は一瞬のうちに思考を高速回転させた。

 術を止める手段はない。

 しかし、俺が飛び出せば、狙いは逸らすことができる。


 俺の方は今の状態で魔術をかわせるか?

 仮にかわせたとして、せめて相討ちにまでもっていくことができるだろうか?


 いや、できるかどうかじゃねえな。――やってみせる!

 俺は全力で地面を蹴った。


 そのときだった。


「撃てっ!」


 斜面の上から少女の声で鋭い号令が発せられた。

 同時に矢の雨がミルシュカに向かって降り注いだ。


「――――! 《力ある炎神の牙と顎は、一円を貪り喰らう》ッ!」


 自分を護るため、魔術師はとっさに詠唱を切り替えた。

 おそらくは俺を狙った破壊力重視の攻撃から、自らを中心に一定範囲を吹き飛ばす爆発系の術へ。


 空中で巨大な火炎球が連鎖して弾ける。

 炎は矢を呑み込み、熱風を周囲に撒き散らす。


「く――」


 ミルシュカに向かって突っ込んでいた俺は、その余波をまともに受けた。

 渦巻く風に体を持ち上げられもてあそばれ、平衡感覚を失って上も下もわからなくなる。


 気付いたとき、俺は倒木のすぐ隣に横たわり、空を見ていた。

 軽く身体を起こし、四肢の感覚を確かめる。

 気を失っていたのはほんの一瞬だったようだ。


 森の木々は根こそぎ倒され、ブスブスと音を立てて黒煙を上げていた。

 もわっとした熱気を肌に感じながら、慎重に周囲を探る。


 ミルシュカの姿は……見当たらない。

 再度の弓射を怖れて身を隠したか。


「だ、だんな様、大丈夫なのです?」

「大丈夫ですか?」


 ほぼ同時に、二つの人影が俺と同じ倒木の陰へと滑り込んできた。

 犬耳と虎耳。マイヤとファリンである。


「問題ねえよ。――ってか何しに来たんだ、お前ら。さっさと逃げろ」

「援護にきたのです」


 ファリンが言った。


「正門の方はほぼ片付きました。ゲルト様は魔術の効果範囲を外れたため、無事です。今、兵士たちに命じて後方に連れて行かせました。私は……その、あなたが倒れているのが見えたので、救出の必要があるかと」

「マ、マイヤもです! だんな様が心配で!」


 ぐっと身を乗り出し、そしてマイヤは泣くのをこらえる表情になった。


「そ、それに、あの、先ほどゲルト様とマイヤを助けるため、勁をたくさん使われたですよね? お体に変調は?」


 俺は思わず舌打ちした。

 なまじ勁功を学ばせてしまったため、余計なことに勘付かれる。


「全然まったく何ともねえよ。だから、さっさと自陣へ戻れ」


 強引にごまかそうとすると、マイヤの顔からすうっと表情が消えた。


「お体が危ないときは正直に言うって、約束したですよね?」

「…………」


 認めたくはないが、少しばかり気圧された。

 がしがしと頭を掻き、抵抗を諦めて口を開く。


「……ギリギリだが、限界は越えてねえ。まだ勁は使える」


 大技は無理だ。

 高熱の発作を覚悟しても、おそらくは飛身があと一、二回というところ。

 それ以上は死出の道行きになるが――逆に言えば、それまでは戦える。

 だが、マイヤは首を横に振った。


「ダメなのですよ。それってつまり、何かあったときに逃げる余力を残さないということではないですか」

「少なくとも、あっちに俺を逃がす気はねえよ。気配を消しても居場所を見つけちまう妙な力も持ってやがるし、ここで決着をつけるしかない」


 それが唯一の結論だ。


「だから、お前らもさっさと離脱しろ。慎重になってる今なら、ミルシュカも俺以外に手出しはしねえだろ」

「……いえ」


 そこでマイヤは小さな音に耳を澄ませる表情になった。


「もう、遅いかもです。ミルシュカさんらしき気配が、こちらに向かって来てますから」

「なら、なおさら早く――」


 苛立ちながら言おうとしたが、俺は最後まで口にすることができなかった。

 マイヤが俺の右脚を軽く蹴ったからだ。

 害意のない、本当に弱く弱くつま先を当てた程度の攻撃だったが、骨に響く痛みが脳天まで突き抜けた。


 顔をしかめる俺を見て、マイヤはやっぱり、と呟く。


「先ほどの爆発で、怪我されたのですね」

「どうしてわかったの?」


 ファリンが軽く目を見張って尋ねた。


「姿勢が、というか、重心の取り方が普段に比べて少しおかしかったので。――ファリンさん、リーン様を連れて退却してください」

「マイヤは?」

「囮になりますです」

「でも……」

「マイヤの身長と力では、リーン様を抱えて走るのは難しいのですよ。えっと、適材適所?というやつなのです」


 苦笑気味の表情を浮かべ、マイヤは続けた。


「それに、リーン様が勁を使ってしまったのは、マイヤがうっかりこんなところに現れてしまったからなので……失敗を取り戻さなければならないのです。では、よろしく」

「おい、待――」


 俺の声を無視し、小柄なメイド姿は飛び出していった。


「――あんのバカ!」


 俺は拳で手近な木の幹を叩いた。

 そもそもマイヤたちを奪還するのは今回の大目的。

 何を犠牲にしてでも果たすべき目標だ。

 切り札を切ったことにまったく後悔はないというのに。


「どうします? 退却しますか?」

「するわけねえだろ」


 俺は唸るような声で即答した。


 あいつの勘違いを正してやる。

 ミルシュカの相手をすべきなのは、未熟な弟子などではなく、この俺だ。

次回更新は1月9日か10日。

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