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86話 決戦(4)

 ――目を開けると白塗りの天井が見えました。

 商隊の天幕の中……ではないですね。

 何かの建物の一室です。


 ぼんやりしながら視線を動かすと、壁の窓から空と家々の屋根が見えました。

 ずいぶんと高い場所にあるお部屋のようです。

 大きなお屋敷の三階か四階というところでしょうか。


「おや、気が付かれましたかな?」


 そのとき、聞き覚えのある声がしました。


「私が監禁されている部屋ですよ。外出ができないことを除けば、居心地は悪くありませんがね。マイヤ様は少し前に運び込まれてきました」

「……ゲルト様!?」


 マイヤはがばっと体を起こします。


「ご、ご無事だったですか!?」

「まあ、肉体的な意味では何とか」


 数日ぶりに見るゲルト様は、少し疲れたように笑いました。


「さらわれて閉じ込められている以上、心まで安らかというわけにはいきませんがね。しかし、どうしてマイヤ様がこんなところに? まさか私などのために、無茶を――」

「『私など』なんて言ってはいけないのですよ、ゲルト様。イレーネ様がどれだけ心配しておられるとお思いです? ゲルト様は商隊に戻られるべきなのです」


 そのためにみんな、必死に頑張っているのですから。

 ……いえ、まあ、偉そうなことを言っても、マイヤは捕まってしまったのですけど。


 記憶がよみがえってきました。

 他の兵士さんたちを逃がすべくマイヤは敵に挑んだのですが、爆発――おそらくは魔術によるもの――に巻き込まれて気を失ってしまったのですね。

 みなさん、ちゃんと脱出できたでしょうか?


 マイヤは立ち上がって、自分の状態を確認します。

 倒れたとき頭にたんこぶが出来たくらいで、大怪我はなし。

 持っていた短剣は取り上げられてしまったようですが、手足はしっかり動くので十分戦えるでしょう。


「そういえば、ここ、どこなのです? もしご一緒に脱出できそうなら――」


 と、そこでマイヤは気付きました。

 部屋の片隅からじっとこちらを見ているローブ姿の人影があることに。


 ぞっとしたのは、気配が全く感じられなかったことです。

 こうして視界に捉えていても、輪郭がぼやけて煙のように消えるのではないかと錯覚しそうになるほど。


「争う気はない。少なくとも、今は」


 ローブ姿さんは両手を上げました。

 ……確かに殺気はないようですね。


「あなたをここに連れてきたのは、気絶した人を寝かせるベッドがあって、しかも落ち着いて話せる場所が、他に思いつかなかったから」

「あの、つまり、マイヤとお話がしたかったと?」


 彼女はこくんとうなずきます。


 これはもしかして……ジンモンとか、あるいは、ゴウモンとかいうやつが行われるということなのでしょうか?

 マイヤはごくりと唾を飲み込みました。

 緊張のあまり胸の奥がきゅっとよじれたような感じがします。


「まず最初に訊くけど――」


 こちらをじっと見据えながら、ローブ姿さんは口を開きました。


「な、何でしょうか。言っておきますが、マイヤ、リーン様や他の皆さんに迷惑が掛かりそうなことは、喋らないですからね!」

「お腹、空かない?」

「だからぜったいに喋らないって…………はえ?」


 マイヤはぱちりと目を瞬かせました。


 ――しばらく後。

 ローブ姿さんは、下働きの女の人に持って来てもらったパンとチーズをむしゃむしゃとほおばっていました。

 ちょうどお昼時だったのでマイヤたちも分けてもらい、床に座っていただきます。


「ふむ、このチーズはイスカーチェ東部山岳地帯の産ですな。繊細さには欠けるが、野生を感じさせる独特の臭みがある。これはこれで悪くないものです」


 とはゲルト様の解説。

 ええ、アデリナさんのお店やゲルト様の商隊で出てくるものには及びませんが、マイヤも十分おいしいと思いましたです。


「お待たせ」


 最後まで食べていたローブ姿さん(さほど大きな体ではないのに、驚くほどたくさん召し上がります)は、やがて、げふ、と息をもらしてこちらに向き直りました。


 食べるために口元を覆っていた布を外してしまったので、今は素顔が見えています。

 きれいな顔をした、若い女の人。

 ファリンさんより少し年上で、多分、イレーネさんと同じくらい。

 右目が茶色で左目が金色。左目の瞳は縦に割れた不思議な形をしています。


 牢屋の前で対面したときのような怖さは、今は感じません。

 どこかのんびりぼんやりとした、捉えどころのない表情です。


蛇族(セルペンス)のミルシュカ」


 あ、えっと、ローブ姿さんのお名前ですか。

 蛇族とは珍しいです。マイヤも初めてお会いしました。


「職業、傭兵。もう少し詳しく言うと、雇われの魔術師。エルラに雇われてたときは、竜殺しの英雄、〝炎獄の王〟なんて呼ばれてた」


 この辺りは、リーン様が予想しておられた通りですね。

 さすがリーン様なのです。

 ……いえ、できれば外れてくれた方がよかったのですけど。

 竜殺しの英雄ということは、つまりリーン様と並び評されるほどに強いということなのですから。


「今はイスカーチェに雇われているということなのです?」

「そう」


 ミルシュカさんは首を縦に振り、言葉を続けました。


「ここから、質問。あなた……えっと、マイヤ?」

「あ、はい、狼犬族カニスルプスのマイヤと申します」

「マイヤは、勁を使えるの?」


 意外な問いでした。

 珍しい東方の技法で、この辺りで知っている人はあまりいないのだと以前にリーン様からうかがったですけど。


「勁を、ご存じなのです?」

「ええ。飛び跳ねるときの脚の強化とか、あと、牢屋の扉を真っ二つにするときに使っていたように見えたのだけど」

「は、はい、勁功です」


 マイヤはうなずきました。


「まだ覚えたてなのですけど……」

「あなたの師は、〝千竜殺〟リーンハルト・イェリング?」

「そうです」

「彼は、あなたより強い?」

「ええ! それはもちろん!」


 思わず大声を上げます。


「マイヤより、ずっとずっとすごい方なのです!」

「なるほど。最後の質問。ミナヅキ、という人名を聞いたことは?」


 マイヤは一瞬言葉を失いました。


「……リ、リーン様に勁を教えた方だとうかがっています、けど」

「そう。わかった、ありがと」


 ミルシュカさんは話は終わったとばかりに立ち上がろうとします。


「あ、あの! マイヤからもお尋ねして、いいですか!?」


 マイヤは慌てて言いました。

 最後の質問は、マイヤにとっても無視できないものだったのです。


「その……ミルシュカさんはミナヅキ様のことを、ご存じなのですか? リーン様とマイヤ、今、その方の行方を探してるのです!」


 ん、と首をかしげ、ミルシュカさんは口を開きました。


「以前縁があって、人物は知ってる。現在の所在は知らない」

「そう、ですか……」


 マイヤは少なからず落胆しました。また振り出しからなのですね。


「このあたりで竜を殺していたのは、あなたなのですね?」

「そう。仕事」


 イスカーチェ軍が安全に山越えできるよう、竜退治を依頼されていたとのこと。


「では、獣人隊を襲ったのもお仕事です?」

「うん。戦闘や殺しに関しては、個別に別料金で契約」

「…………」


 マイヤは少しの間沈黙し、そしてふうと息を吐きました。

 ファリンさんたちをひどいめにあわせたことにいい感情は持てないですけど……獣人隊だって戦い殺し合うお仕事ですし、マイヤもその中で育ったのです。

 割り切らなければならないのでしょうね。


「失礼、私からも少しお尋ねしたいのですが」


 と、そのとき、軽く片手を挙げゲルト様が言葉を挟みました。


「傭兵なら、金銭次第で契約変更ってのはアリですかね? 私たちの側に寝返っていただけるなら、イスカーチェ軍が払う以上の額を用意させていただきますが」

「いいお話。だけど、それはナシ。信義に反する」

「信義? 傭兵としての?」

「いえ」


 ミルシュカさんは小さく首を横に振りました。


「一兵士としての。イスカーチェ軍の作戦は、わたしが味方であるということを前提に組み立てられてる。兵士はみな、そこに命を張っている。だから、ちゃんとお金が払われている限り、わたしは裏切るべきでない」

「では……リーン様と戦うのです?」


 マイヤは尋ねます。


「当然。すぐにでも」

「そ、それは、見過ごせ――」


 腰を浮かしかけたマイヤでしたが、その瞬間、ミルシュカさんに視線を向けられ動けなくなりました。


 魔術などではありません。これは、息が詰まりそうなほどの、殺意です。

 手も触れられていないのに、喉をつかまれたような圧迫感。

 奥歯がカチカチと鳴って、全身に冷や汗が流れます。


 ――と、不意に呼吸が楽になりました。

 ミルシュカさんは、先ほどまでのぼんやりとした顔に戻って口を開きます。


「人質の見張りは、契約外。あなたたちの行動に興味はないし、好きにするといい」


 そして静かな、しかし妥協を拒絶する口調で続けました。


「ただし、わたしの邪魔はしないで。手加減できないから」

次回は1/5の夜更新となります。

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