85話 決戦(3)
「勁の気配がしたな」
敵のローブ姿を待ち構えつつ、俺は呟いた。
おそらくマイヤたちが牢に辿り着いたのだろう。
錠前をぶった切って獣人兵たちを解放すれば、街中に残っている自警団員程度は軽く蹴散らせるはずだ。
その後、ゲルトを助け出せるかどうかは、こちらの時間稼ぎ次第。
もっといえば、俺がどれだけローブ姿を引きつけていられるかに懸かっている。
と、そのとき、再度斥候から報告があった。
「あ、あの……ローブ姿、消失しました」
「…………は?」
俺は思わず間の抜けた声を上げた。
「さっきまで敵陣の先頭に居て、戦場に出てこようとしてたんじゃなかったのか?」
「は、はい、そうなのですが……突然、大きく飛んで、街の中へ戻ってしまったようなのです。自警団側も混乱に陥っています」
なぜだ?
普通に考えれば、ここがもっとも優先して戦力を集中させるべき場所のはず。
自警団側もそう判断したから、あのローブ姿を呼んできたのではないか?
では、マイヤたちの動きがばれた?
いや、だとしても、即座に最大戦力を向かわせる理由にはならないだろう。
そもそも敵陣も混乱しているということは、ローブ姿の勝手な判断だということか?
そこまで考えたとき――突如、街の真ん中に火柱が出現した。
そして続けざまに落雷のような轟音。
「あれこれ悩んでる暇はねえな。……俺が街中に向かう。お前はここを頼む」
「は、はい」
ファリンに言い置くと、俺は駆け出した。
無警戒の裏道から街中に侵入するのは容易だった。
そのまま足を緩めず、牢のあるあたりまで走り抜け、そして俺は立ち止まる。
すさまじい惨状だった。
あちこちから煙が立ち上り、柵は吹き飛び塀は崩れ、建物の壁には大穴が開いている。
牢へと続く扉は破壊されているが、獣人兵たちの姿はない。
ただ、くたりとしたメイド服の少女が兵士に抱えられ、連れていかれるのが見えた。
「――――!」
即座に全身が戦闘態勢に移行する。
敵の数、距離を把握。
マイヤを助けて離脱する最短経路を割り出し、斬り捨てるべき対象を認識。
しかし、マイヤ奪還のため踏み出そうとしたその瞬間、足元が爆発した。
飛びのいて事なきを得たが、反応が遅れていれば片足くらいは消し飛んでいただろう。
「……そうか、こっちにはてめぇが居たんだっけな」
くそ、と俺は小さく吐き捨てる。
ローブ姿がじっとこちらを見つめていた。
当然侮って良い相手ではなく、下手に動くことはできない。
注意を逸らせば、死ぬのはこちらだ。
その間にわらわらと集まってきた自警団員たちよって壁が構成され、マイヤの姿は見えなくなった。
俺は舌打ちして、ローブ姿に声を掛けた。
「おい、うちの使用人に何してくれてんだ」
「…………」
「挨拶くらいはしてくれてもいいんじゃねえか? お前と顔合わすのは二度目、いや、これで三度目だったよな」
「……ああ、気付いてたんだ」
ローブ姿はようやく言葉を発した。
細く、感情のこもらない声。
布の隙間からのぞく硝子玉のような目。
納屋の屋根で昼寝をしていた、あの鱗肌の女のものだ。
「顔と体隠してても、立ち姿、動く姿には特徴が出るもんだ。この街で仕事があるって、こういう事かよ」
「……あなたは〝千竜殺〟?」
女がその二つ名を口にすると、自警団員たちはどよめいて一斉に俺から距離を取った。
「そう呼ぶ奴もいるが、俺自身は国が付けたあだ名なんかに興味はねえよ。リーンハルト・イェリングだ」
「わたし、ミルシュカ。エルラ皇国に雇われてたときは、〝炎獄の王〟」
やっぱりこいつも竜殺しの英雄か。
「リーンハルト、あの狼犬族の子はあなたの弟子?」
「ああ」
答えてやると、ミルシュカは一つうなずいた。
「納得。あちこち跳ね回るから、少し手こずった」
どういう経緯か知らないが、獣人兵を解放したところでこの女が現れたのだろう。
そしてマイヤは全員を逃がすまで一人で時間を稼いだわけだ。
臆病な未熟者が無理しやがって。
「殺したのか?」
「いいえ」
ミルシュカは小さく言った。
「そりゃ結構。人殺しはいけねえよな。ついでに今すぐそのチビをこっちに返してくれるとありがたい。平和を愛する者同士、穏やかに解決しようじゃねえか」
「殺しは本来別料金だし、あなたたちとの戦闘は契約外だし、あまりただ働きもしたくないというだけの話」
そして首を軽く傾げ、付け加える。
「あと、ちなみに平和は好きではない。稼ぎ口が減るから」
雇われ兵らしい思考だな。俺は小さく鼻を鳴らす。
腹の中は煮えくり返っていたが、自分を見失ってはいない。
これ以上単独で踏み込むのは危険だろう。
「……マイヤは後で返してもらう。丁重に扱えよ?」
ゆっくり後退しながら捨て台詞を吐き、俺は一時撤退を選択した。
もし油断するようなら勁を飛ばして一刀両断にしてやるつもりだったが、ミルシュカは最後までその隙を見せなかった。
戦ったわけでもないのに負けたような苛立ちを覚えつつ正門前の自陣に戻ると、マイヤに付けた兵士と獣人兵たちが合流していた。
「その……折れ耳、いや、マイヤのことはすまねえ」
ファリンのところの長兄、たしかルアンとかいう虎男が大きな体を縮めて言った。
「あのローブの女は強すぎる。俺たちじゃどうにもならなくて、結局庇われる形になっちまった」
「殿を務めようとしたのはマイヤ自身の意思であり判断だ。そのことについて、お前らが責任を負う必要はねえよ。ただ、あいつはお前らを庇わなければ、確実に逃げることができた。そのあたりには義理を感じてくれると嬉しいね」
苛立ってはいたが、別にこいつらを責めようとは思わない。
むしろ俺は、読みを外した自分自身に一番腹を立てていた。
なぜミルシュカは正門を放棄して牢の方に向かった?
俺は何を見落としたんだ?
「マイヤが生きているのは確かなのでしょうか?」
ファリンの声で、現実に引き戻される。
「ああ、それは間違いねえよ」
ミルシュカの言葉を信用したわけではなく、ちゃんと勁を感じ取ることができたからである。
ただ、今後奴らがマイヤを生かしておくかどうかはわからない。
ゲルトとは違って、敵にとってほとんど利用価値がないのだ。
どういう扱いを受けるのかはまったく予測不能だった。
一つだけ確かなのは、この戦が俺にとって退くに退けないものになったということ。
できるだけ迅速に、決着をつけなければならない。
「方針を練り直しましょう、イェリング様」
ファリンはきっぱりとした口調で言い、そして俺を勇気づけるかのように付け加えた。
「私はいかなる意味でも、ここで引き下がるつもりはありません。微力ながら、最後までお供しますから」
気遣われるほど、俺は焦っているように見えたのだろうか。
少し頭が冷えた。
「……そうだな」
俺は息をついた。
為すべきことを為そう。