82話 内通者(3)
「ああ、ちなみに森の奥に居たお仲間は全員ぶっ倒したから、待っても無駄だ。俺としては降伏を勧める。ってか、降伏しないとどうなるかわからねえぞ」
リーン様は、ファリンさんのほうにちらりと目を向けました。
「かなり怒ってるみたいだしな」
「え、えっと……」
落ち着かなさそうに視線を動かし、困惑したように二、三歩前に進むロイさん。
「何か誤解があると思うんですけど……リーンさん、まず僕の言い分を――」
と、言葉の途中でその手から予備動作もなく短刀が投じられました。
リーン様は軽く避けますが、その隙にロイさんは地面に落ちていた自分の剣を拾い上げます。
次の瞬間、ものも言わずにファリンさんが飛び出し、槍斧を振り回しました。
うなりを上げる刃を後ろに跳んでかわすと、ロイさんはすぐに鋭く踏み込みます。
懐に入られれば長い武器は一気に不利になるのです。
しかし、彼はファリンさんの腕を――いえ、腕力を甘く見ていました。
初撃は単なる誘い。
重い槍斧は倍の速度で反転し、逆方向から再度襲い掛かってきたのです。
目を見張りつつも即座に反応して防ごうとしたのは、ロイさんがこれまで積み上げた修練のたまものだったのでしょう。
ただ、武器の強度は持ち主の意思に追いつきませんでした。
槍斧は剣を小枝のように両断し、勢いを落とさずロイさんの体を捉えます。
「ひ……」
声にならない悲鳴と水袋が破裂したような音。
マイヤは思わず目を背けました。
「……だから言ったのに」
リーン様がため息をつきます。
ファリンさんは吹き飛ばした敵には目もくれず、マイヤの元へ駆け寄ってきました。
「マイヤ、怪我は?」
「だ、大丈夫なのです。ちょっとあちこち斬られたり、足を刺されたりしただけで」
「血が出てるわ。すぐに手当てしないと……」
「ほんのかすり傷じゃねえか。お前、自分の傷は我慢しようとするくせに、他人の傷には大騒ぎするんだな」
こちらにやってきたリーン様が、落ち着いた声で言います。
ファリンさんは、む、と眉をひそめましたが、反論はしませんでした。
「戦えば怪我を負うのは当たり前。重要なのは、ちゃんとそれに見合う成果を出せたかどうかだ。わかるな? マイヤ」
「は、はい、だんな様」
マイヤは緊張に身をすくませます。
リーン様は、地面に横たわり緩やかに胸を上下させるイレーネ様へと視線を走らせ――そして、マイヤの頭にぽんと手を乗せました。
「よく頑張った」
「はい!」
嬉しくてほっとして、笑みがこぼれます。
もうその一言だけで、すべてが報われた気がしました。
ほどなくイレーネ様も目を覚まされたので、一度みんなで天幕に戻ることにしました。
やきもきしながら待っていたエッダさんと再会を喜び合い、それも一段落して全員が落ち着いたところで、リーン様は口を開きました。
「さて、正直なところ状況はあまり良くねえな」
「カツィカはどうだったの?」
と、イレーネ様。
「隣国イスカーチェが絡んでいるのはほぼ確定だ。兵士がうじゃうじゃ居やがった」
リーン様に続いて、ファリンさんが捕捉します。
「カツィカに人員を送り込んで支配下に置き、エルラ皇国の国力を殺ごうというのがその意図だと思われます。ゲルト様の誘拐はカツィカ方面復興の先延ばし、及び、あわよくば自国の影響下に置いて手駒にしようという狙いかと」
「そっか、道理であたしも狙われるわけだ」
しかめ面を作ってイレーネ様は言いました。
……どういうことでしょう?
マイヤが首を傾げていると、ファリンさんが教えてくれました。
「ゲルト様に言うことを聞かせるため、その家族を誘拐し人質にして脅すつもりだったということ。これで心が折れない人間はそう多くないでしょうしね」
「うわあ、卑怯……」
エッダさんが嫌悪感のこもった声で呟きました。
同感です。ええ、本当になんてひどいことを考えるのでしょう。
「ファリン――だったわね、あなたの部下も囚われてているのでしょう? 上の人は救出に動いたりはしないの? 手を組めると嬉しいんだけど」
「申し訳ありませんが、望み薄かなと思います。控えめに言って、ブラウヒッチ伯は配下の面倒見がよい領主様ではありませんので」
同時にため息をつくイレーネ様とファリンさん。
「あー、さらに追い打ちをかけるようで悪いんだが」
そこにリーン様が髪を掻き上げながら口を挟みました。
「今回のように要人の取り込みや領土の切り取りを企む場合、周辺への根回しを怠ることはねえと思うんだよな」
「例えば、近隣の領主にもあらかじめ話を通しておくとか?」
イレーネ様の言葉に、ファリンさんが眉をひそめます。
「つまり……ブラウヒッチ伯は、最初から全て承知の上で私たちを送り出したと?」
「俺は性格がよろしくないんでためらわず邪推しちまうが、金や今後の利益関係次第ではやりかねないと思うね」
ふん、とリーン様は鼻を鳴らしました。
「あの男、大の獣人嫌いなんだよな? お前、ペリファニアの赤竜襲撃のとき活躍して表彰されてたけど、それで疎まれたってことはねえか?」
「…………」
思い当たることがあるのか、ファリンさんは難しい顔で沈黙します。
「ついでに言えば、ブラウヒッチ伯はエルラの皇家とあまり仲が良くない。カツィカの再建がうまくいって、この地方における中央の影響力が強まるのは喜ばねえはずだ。動機は十分だろ。配下に犠牲を出しておけば、追及も避けられるってわけだ」
「あたしはそのブラウヒッチ伯とやらのひととなりを、詳しくは知らないけど……」
イレーネ様は軽く首を傾げて言いました。
「最優先目的がエルラ皇家に対する嫌がらせなのだとしたら、不自然ではないわね。複数勢力で結託するのは、とっても効果的だもの。商売の世界でもよくあることだわ。もしかすると、皇国に損害の補填を要求するくらいのことはするかもね」
「だとしたら、惨めな道化ですね、私たち」
ファリンさんは自虐的に言い、そして気を取り直したように続けました。
「皇都にはすでに援軍を要請をしているのですよね? そちらはあてにできますか?」
「来ることは来るだろうが、あてにはできねえな。昨夜少しイレーネとも話したんだが、こちらが戦力を増強すると、おそらく『虐殺の危機にさらされたカツィカの民から、保護を求められた』という口実でイスカーチェ軍が堂々と介入してくる」
何だか国と国との力関係とかが絡んだお話で、マイヤには十分理解できませんでしたけど……要するに人竜戦争で弱っているエルラ皇国は、今、他国とケンカするのは避けなければならないのだそうです。
だから援軍が来ても、身動き取れなくなってしまう可能性が高いとか。
「結論としては、つまり――誰にも頼ることはできない」
リーン様の声が、天幕の中に響きました。
「ゲルトと獣人隊の連中を助けたいのなら、今、俺たちで何とかするしかない。そういうわけだ」
「結局、想像通りの泣きたくなるような状況ってことね」
イレーネ様は頭痛をこらえるような表情で言いました。
「想像より悪くなかったことが救いだな」
「最初から最悪を想定した甲斐があったわ。慰めにもならないけど。で、勝算はあるのかしら? リーン様」
「まあ、投げ出すのを先延ばしにする程度には」
リーン様は真面目くさった顔で言うと、マイヤたち全員を見回し――そして一転、にいっと不敵な笑みを浮かべました。
「んじゃ、俺たちでこれからこの『最悪』を覆すぞ」
書籍版2巻 2018年1月25日発売予定。よろしくお願いします。
現在、必死で書籍化作業を進めております。




