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8話 マイヤ、だんな様のお役に立ちますです!(3)

「ああ、起きたのか」


 全速力で階段から降りてきたマイヤを、そんな声が出迎えました。


「だんな様――も、もも、申し訳ありませんです! その、うっかり寝てしまってですね、起きたら、もうこの時間で……」

「起床時間を指示した覚えはねえよ」


 しどろもどろな弁解をしようとするマイヤに、リーン様は素っ気なくそうおっしゃいました。


 昨日と同じく広間の長イスにくつろいだ姿勢で、そのまま窓の外に視線を移し、ゆっくりとお酒の瓶を口元に運んでおられます。


「…………」

「…………」

「…………あのぅ」


 沈黙に耐えかね、マイヤはおそるおそる口を開きました。


「んだよ」

「それだけ、です?」

「あん? 他に何かあんのか?」


 じろりと睨まれました。

 リーン様に見つめられると、なぜか背筋に不思議な感覚が走ります。

 ゾクゾクするような、気持ちいいような、変な感じ。


 あ、いえ、それはおいといて。


「え、えっと、もっと、お叱りとか、あるいは罰とか、あるものかと……」

「罰?」


 リーン様は眉をひそめます。


「その、マイヤの知っている大だんな様は厳しいお方で、失敗にはムチうちや焼けた火掻き棒を押しつけるというような、罰をお与えになったですけど……」

「俺はお前の知ってる大だんな様じゃねえよ。――何に怒って何に怒らないかは、俺が決める。口出しすんな」

「は、はい、すみません……」


 そういいつつ、マイヤは少しほっとしていました。

 痛いのは嫌いです。何度経験しても慣れません。


「ってかさ、お前、昨日は俺に喰われても構わないとか言ってたじゃねえか。喰い殺されるのはいいけど、罰を受けるのは怖いのか?」

「え? え、えっと……」


 思わぬ問いに、マイヤは焦りつつ言葉を探しました。


「それはですね、その……罰が怖いわけでは、ないのです。いえウソです、罰は怖いですし、痛いのは嫌なのですけど、それよりもっと怖いものがあります」

「それは?」

「ご期待に背いてしまったとか、お言い付けを果たせなかったとか――そういう事実そのもの(、、、、、、)、です」


 考え考え、頭の中で言いたいことを整理しつつ、お話しします。


「マイヤの命は、だんな様のためにあります。ご命令であれば、どんなことでもいたしますです。でも、というか、だからこそ、というか……ガッカリされたかも、と思うのが怖いのです。罰を受けることよりも、ずっと」


 ゴミクズなので、処分されるのはむしろ当たり前の末路でしょう。

 ただ、お役に立てる機会があったのにそれをムダにしてしまったとか、お任せされたお仕事をやり通せなかったとか、そういう後悔には心が潰されるような思いがします。


 今回の寝坊もそう。

 ゴミクズなりの価値を示す好機に、失敗してしまったということなのですから。


 リーン様はふんと小さく鼻を鳴らしました。


「だったら、寝坊は大した問題じゃねえな。そもそも早起きなんざ、期待してなかったから」


 そう、なのです?


「お前さ、ぶっ倒れてる俺にずっと張り付いてたから、一昨日からロクに寝てねえだろ?」

「え? は、はい……」

「無理をしたら、どこかで必ず帳尻を合わせる必要がある。人の体はそんな風にできてんだ。だから、寝過ごすのは当然のこと。わかったら、堂々としてろ」


 …………。

 ……えーと、ですね。


 どうでもよさそうな口調でしたが……つまり、マイヤが疲れていることを察してわざと起こさず、休ませてくださったということなのでしょうか?


 こういう扱いを受けたことがなかったので、その、少し反応に困ります。

 なんだが、顔が熱くなります。


 落ち着かなさを紛らすように、マイヤは改めてリーン様を観察しました。


 年齢は多分、二十代の半ばから後半。

 背が高く、どちらかと言えば痩せているほうでしょう。


 目付きは悪いです。髪もぼさぼさ。

 肌の血色がいいわけでもないですが……でも、昨日に比べれば、ずいぶんとましですね。

 体調はある程度回復されたようで、この点はほっとしました。


 表情はにこにこの正反対で、いつも眉間にしわが寄っている印象。

 ありていに言えば、怖いお顔です。

 事実はさておくとして、『人喰い館の食人鬼』と紹介されれば、多分、十人中八人くらいは納得してしまいそうな雰囲気です。


 でも――マイヤの体を気遣ってくださった、のですよね。


(……やっぱり、見た目より優しい方なの、かも)


 そんなことを思います。

 なんだか胸の奥がとくんと跳ねて、忠誠心が増したような気がしました。


 着ているものはきわめて簡素。

 装飾品の類も身につけておられません。


 こんな大きなお屋敷に暮らしていらっしゃるからには、お金持ちの貴族、あるいは大商人かと思うのですが、あまり、それっぽい感じはしないですね。

 レオ様にお尋ねしたときも、『リーンハルト』というお名前だけしか教えていただけませんでしたし……


 先日マイヤを助けてくださったときは、何だかよくわからない術のようなものを使っておられましたから……もしかしたら、魔術の研究でもされているのかもしれません。


 まあマイヤから詮索すべきことではないでしょう。

 どんな身分、どんな職業であろうと、リーン様はリーン様なのです。

 それで十分です。


「んで、今日の予定……つーか、今度の予定だけど」

「――あ、は、はい」


 いつの間にか見とれていました。

 マイヤは慌ててリーン様のお話に注意を引き戻します。


「俺は何もせず、このままごろごろしてる。頼むような用もねえから、お前も好きにしてろ。屋敷内は自由に歩き回っていい」

「あ、あの、だんな様、そのことなのですが――」


 マイヤは声を上げました。

 リーン様は気にしておられないようでしたが、やはり寝坊した分はどうにかして取り返しておきたい。

 そこで、一つお願いをしようと思ったのです。


「せめて、何かお家の中のお仕事を任せていただけないですか? マイヤ、どんなことでも――」


 と、そのとき。

 言葉を遮るように、マイヤのお腹がぐうと鳴りました。


「……ずいぶん、いい音がしたな」

「…………もうしわけ、ありません」


 赤面です。

 赤面せざるをえません。

 ……卑しい獣人だと思われたでしょうか?


 リーン様はゆっくりと体を起こしました。


「何だ、腹減ってんのか。昨夜は何も喰わなかったのか?」

「いえ、その……」


 『好きに飲み食いしていい』と言われていましたし、実際お腹は減っていたので、何か食べようとは思ったのです。


「食料庫は厨房の奥、です、よね?」

「ああ」


 リーン様は、それが?というお顔。


「えっと、決して母屋の厨房に立ち入ってはならないと、マイヤは教わっているのですけど……。なんでも、獣人が足を踏み入れるとお料理に獣の臭いが移って、食べられたものではなくなるのだそうで……」

「……前の家でそう言われていたのか?」


 はい、とマイヤは肯きました。

 大だんな様――先代のブラウヒッチ伯爵様のご意向だと聞いています。

 マイヤとしてもお偉い方たちのお食事を台無しにしたいとは思いませんから、そのお言いつけを守ってきました。


「……なるほどな。そりゃそういう奴も出てくるか」


 リーン様は小さく舌打ちし、収まりの悪い髪をかき回されました。


 マイヤはその表情に、少し不安を覚えます。

 少し苛立っておられるように見えたのです。


 何かまずいことを言って、怒らせてしまったのでしょうか?

 どうもマイヤは、自覚無く相手を不快にさせてしまうことがあるようですし……


 お詫びした方がいいのかな――と思ったそのとき、リーン様が長イスから立ち上がられたので、マイヤはびくっとしました。


「おい、マイヤ」

「は、はいっ!」

「お前、飯は作れるのか?」

「も、もうしわけございませ…………はい?」


 別に叱られたわけではないようです。


「え、えっと、あの、飯、というと、ご飯、お料理のことです? 作ったことがなくはないですけど……」


 獣人の営舎でご飯作りを手伝うことはありましたし、軍の野営訓練では当然食事も自分で用意しなければなりません。

 とはいえ、自信があると言える水準にはほど遠いのです。


 ……不器用さなら、大抵の人には負けない自信があるのですけど。


「お前の腹の虫が鳴くのを聞いてたら、俺も何か食いたくなった。これから厨房に行って夕飯を作れ。たっぷりとな」

「え? えっと、でも、マイヤは獣人で……ご飯が、獣臭く……」

命令だ(、、、)


 静かな、しかし異論を許さない口調でした。

 マイヤは弾かれたように背筋を伸ばします。


「は、はい! 承りました、だんな様! マイヤ、すぐにお支度始めるです!」


 この家の主はリーン様です。

 そのご意思であれば、逆らうことなどできようはずもありません。

 ぱたぱたと半ば駆けるような速さで、マイヤは厨房へと向かいました。

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