77話 故郷への帰還(2)
しばらく時間をかけてイレーネとの打ち合わせを終えると、俺は天幕を出て次の目的地へと向かった。
その途中で、声が聞こえてきた。
「――なっさけねえよな、獣人隊。たかが自警団に完敗とか」
歩哨兵たちの会話のようだ。
少し歩調を落として、耳を傾ける。
「獣人兵ってガラ悪くて、威張っているくせに肝心のときに役立たねえの」
「おかげでこっちは残業だもんな。あーあ、本当なら今ごろはのんびり帰り道だったはずなのによ」
「所詮、地方のゴロツキだわ。しかも、指揮官があんな小娘って」
笑い声。
俺は小さくため息をついて、また足を速めた。
使用人や商会の人間たちの天幕が並ぶ場所。
その一つに、当の小娘――ファリンが寝かされている。
「……マイヤ、いるか?」
入口から小さく声をかけ、中をうかがう。
奥の毛布に包まれているのはファリンだろう。
しかし、怪我人に付き添っているはずのメイドの姿は見当たらなかった。
「イェリング様、ですか」
代わりにファリンの声が聞こえた。
「悪いな、起こしたか?」
「いえ、もともと眠りが浅いたちですので。――休ませていただいたおかげで、かなり楽になりました。ご迷惑をおかけしました」
「それは何より。ところで、マイヤはどこにいったんだ?」
ファリンは軽く体を起こし、無言で毛布をめくる。
彼女の腹部付近で、マイヤが丸くなっていた。
「……ん、あれ、リーン様? おはようございます、です」
ふやあとあくびして、目をこする。
「もう朝なのです?」
「日の出前だ。ちょっと、お前に話がある」
「あ、は、はい」
どうにか眠気を追い払おうと何度も目を瞬かせながら、マイヤはこちらに向き直った。
「俺は今からカツィカの街に行く。ゲルトの奪還を引き受けることにしたから、一度自分の目で見て、探っておきたい」
俺がイレーネの依頼を受けるにあたり、出した条件は一つだけ。
『護衛隊やディトマールには内密のまま、俺一人の判断で行動するのを承認すること』である。
援軍到着まで待機という護衛隊の方針は俺と異なるし、隊長のディトマールも客人の単独行動を認めないだろうからだ。
「え?」
一気に目が覚めた様子で、マイヤは声を上げた。
「ゲ、ゲルト様を取り戻せるのですか?」
「んなもん、やってみなきゃわからねえよ」
正直に言って、俺は肩をすくめる。
「まだ居場所も敵の全貌もわからないんだしな。ま、引き受けた以上、できる限りのことはやるってことだ。それで、マイヤには――」
「私もお連れください!」
割り込んだのは、ファリンだった。
「指揮を任された身として、兄たちや他の獣人兵がどうなったか、確かめなければなりません。捕虜として囚われたのなら、カツィカの街にいる可能性が高いのです。その、身勝手なお願いかと存じますが、どうか」
「別に身勝手とは思わねえが……それ以前に、体は大丈夫なのか?」
「半日休みましたので、平気です」
獣人の体力や回復力が高いのは知っているが、どこまで信じて良いものか。
「言っておくけどな、ファリン、お前の立場はかなり悪い」
獣人隊が自警団ごときにあっさり負けるというのは、通常考えられないからだ。
他者からは、何らかの大失策があったに違いないと判断されるだろう。
「怪我人だから今のところ拘束はされてねえが、このまま皇都へ連れて行かれて事情聴取、処分ってくらいの未来は十分ありうる。このうえ勝手に動くと、さらに印象が悪くなるぞ?」
「隊が壊滅した時点で、責任を問われるのは覚悟しております。であれば、せめて自分にできることがあるうちは、力を尽くしたいのです」
俺は迷った。
ファリンを伴う予定はなかったのだが、クアンがまだ起きられない現在、敵の主力とおぼしき『怪物』の姿を見ているのはこいつだけである。
ごく短い時間考え、決断した。
「わかった。一緒に来い」
「ありがとうございます」
ファリンは小さく一礼した。
「あ、あの、だんな様、マイヤは……」
「お前は留守番だな」
俺が宣告すると、マイヤはがっくりと肩を落とした。
◆◇◆◇◆
イレーネの許可を得て商隊から馬二頭を借り、俺たちは早朝と呼べる時間のうちにカツィカの街が見えるところまでやってきた。
「ついてきたからには、万全の体調で動けるものとして扱うからな」
「もちろんです」
隣の馬上から声が聞こえる。
「足手まといになるようなら、遠慮なくその場で斬り捨てていただければ」
……いや、そこまでやるつもりはないが。
マイヤとは若干方向が異なるが、こいつもクソ真面目だなと思う。
「とはいえ、少しマイヤに悪い気はします」
「あいつもついて来たがってたからな」
ま、人それぞれに持ち場があるのだ。
「……あの子は、お役に立っていますか?」
「見てると楽しいのは確かだ」
俺がそう答えると、ファリンは複雑な表情を作った。
「役に立つ立たないは、大した問題じゃねえよ。一度面倒見ると決めたんだから、俺は放り出したりはしない。お前が気にしてるのがそういうことなら、心配は無用って話だ。――戦場になったのはあの辺か?」
俺たちは街に入る前に、ファリンたちが野営していた辺り、つまり戦闘のあった周辺を確認することにした。
奇しくもそれは、かつて俺がミナヅキの教えを受けていた森のすぐ近くだった。
懐かしいとは思う。ただ、今は追憶を楽しんでいる場合ではない。
「私たちがこの森を背にして野営していると、ローブの女と自称自警団が街の方からやってきました」
「そして戦闘になった、と」
大まかな経緯は、すでに聞いている。
死体は見当たらない。
まあ、街の近くに放置しておくわけにもいかないので、おそらくはまとめてどこかへ持ち去って埋めたのか。
もし生きた捕虜がいる場合は、やはり街に連れて行くだろう。
戦いの痕跡はかなりはっきりと残っていた。
地面が大きくえぐれていたり、木々が切り倒されていたり。
「派手に暴れたみてえだな、そのローブの女」
俺は三分の一ほどの高さになった立木に近づき、その切り口を指でなぞった。
ミナヅキがもし勁を使って戦ったとして――おそらく、この程度のことは十分にやってのけるだろう。
(ただ、なあ)
彼女の仕業だというには首を傾げる点もある。
「……もしその女が立ちふさがった場合、戦うおつもりですか?」
「ん? まあ、状況次第だな。できれば戦いたくはないが」
ミナヅキだったとしても、そうでなかったとしても。
「イェリング様がお強いことは重々承知しておりますが……お体のことも、マイヤから聞いています。もう全力は出せないのだとか」
「出せなくはねえよ。その後、高確率で死ぬだけで」
冗談めかして笑ってみせる。
ファリンは笑わず、眉間のしわを一段深くしただけだった。
「くれぐれも無茶をしないよう見ていてくれと、出がけにマイヤから頼まれておりますが」
「……心配性だな、あいつも」
まあ、前科があるのであまり文句も言えない。
「善処はするさ。で、お前の方はどうなんだ? 復讐のために戦うのか?」
「憎悪がないわけではありませんが、再戦よりまず皆の安否を確かめる義務がありますから。それに……」
ファリンは一呼吸置いて続けた。
「あんな化け物が、私の力でどうにかなるとは思えません」
「竜じゃあるまいし、その槍斧でぶん殴ってどうにかならない人間はいねえよ。衝撃がでかかったんだろうが、必要以上に怯えることもないだろうに」
まあ、当座の目的は偵察だ。
俺たちは馬を繋いでもう少しカツィカに近づき、様子をうかがった。
街の外観は、俺の記憶とは少々異なっていた。
入口に木製の柵や物見櫓が組まれ、武装した男たちが見張りをしていたのだ。
ちょっとした砦のような雰囲気である。
「さて、いよいよ潜入……の前に、設定を決めておくとするか」
「設定?」
「俺たちの関係や目的を尋ねられたときに、どう答えるか。口裏を合わせておかないとボロがでるからな。旅の兄妹……はどう考えても無理があるか」
種族差を抜きにしても、外見が違いすぎる。
「主従でいかがでしょう? 獣人の使用人は珍しくないですし」
「んー、街の治安状態が不安だからなあ。使用人を雇うような身分の奴がふらふらしてる、と目を付けられたら、面倒なことになるかもしれない」
俺はしばらく考え、口を開いた。
「ちっと年が離れてるが、まあ、なくもない範囲だろ。夫婦で行こう」
「………………ふうふ」
ファリンはぱちぱちと目を瞬かせたのち、平坦な口調で繰り返した。
「俺はカツィカ出身の金物職人。人竜戦争でペリファニアに避難していたが、そこで結婚したのを機に、一度被災した故郷の姿を見ておこうと妻を連れて帰ってきた。――こんなところか」
「あの、イェリング様」
「何だ」
「私、妻としてどのように振る舞えばいいのか、よくわからないのですが。恥ずかしながら、結婚した経験がありませんので」
俺だってねえよ、そんなの。
「別に大きく変える必要はない。口調もまあ、そのままで大丈夫だろ。ただし『イェリング様』はさすがに不自然だからナシな。俺のことは『リーン』もしくは『あなた』と呼ぶこと」
「リーン様、あなた様」
「様は要らない」
「……リーン、あなた」
そう口にして、ファリンは砂糖と塩を間違えて舐めたような顔になった。
「落ち着きません」
「慣れろ」
好意もない男と夫婦役などというのは抵抗があるだろうが、割り切ってもらうしかない。
「顔と体つきは旅装でしっかり隠せ。若い女だとばれただけでも揉め事のタネになるからな。あと槍斧は置いていくこと。若妻が持ち歩く物じゃない」
次はどういう経路で潜入するかだ。
大雑把に分けると、旅の夫婦を装って正面から普通に入る、と、側面から見つからないようこそこそと入る、の二通り。
少し考えて、俺は後者を採用することにした。
獣人隊と一戦交えた直後である。旅人の立ち入りは拒否されるかもしれない。
力尽くで押し通るのは論外。賄賂を使う手もあるが、通じなければやはり騒ぎになってしまうだろう。
ひとまずファリンをその場に待たせておき、俺は一人で街の外周をぐるりと見て回ることにした。
子供の頃は友人や弟妹たちと走り回り、このあたりの抜け道や裏道を探すのに夢中になったものだ。
そのうちの幾つかが生きていれば、容易に街へと入り込むことができるだろう。
やがて俺は小さな林に行き当たった。
俺の記憶が確かなら、ここに踏み入って半ば当たりで右へ折れると、街外れの畑に繋がっていたはずだ。あそこなら、おそらく人目を避けて出入りできる。
そのまま俺は足を進めた。
ほどなく背の高い草に覆われた畑地、そして古びた納屋が見えてきた。
(……ああ、懐かしいな)
ここの屋根は日当たりが良く、俺たちの間では昼寝に最適な場所として知られていた。
とはいえ持ち主は大変に怖い老爺で、子供たちが勝手に入り込んでいるのを見ると怒鳴りながら追いかけてくるという習性を持っていたから、俺たちは警戒を怠らずのんびりするという矛盾した努力を要求されたのだが。
――あの爺さんも、一緒に遊んでいた悪ガキたちも、おそらくはもうこの世にはいないのだろう。
「……感傷に浸ってる場合じゃねえよな」
俺は心中の寂寥感をごまかすように言った。
ここからが仕事の本番だ。
引き返してファリンを連れてくるとしよう。
と、そのときだった。
「だれか、いるの?」
屋根の上から声が聞こえた。
11月中は週一更新となります。