74話 よくないこと(4)
「どうして、マイヤたちが、ここに――」
そう言いかけたところで、ファリンさんの体がぐらりと揺れます。
マイヤが慌てて駆け寄ると、血のにおいがつんと鼻をつきました。
ファリンさんだけのものではないのでしょうけど……ご自身もケガをしているのは間違いないですね。
「私は平気、大丈夫」
しかしファリンさんはやんわりとマイヤを制します。
「さっき吹っ飛ばした人を見てあげて。柄の部分でぶん殴っただけだから、死んではないと思うけど。あと、向こうの家の軒下に、クアン兄さんを置いてきた。深手を負ってるから、できれば手当をお願い」
そう言うと壁に体をあずけ、力尽きたようにずるずると座り込みました。
マイヤたちは苦労しつつクアンさんの巨体を運び込み、気絶しているディトマールさんと並べて寝かせます。
「――ああ、俺が見かけたのはこいつだな。確か、双子の片割れだっけか?」
クアンさんの傷の具合を確認しつつ、リーン様がおっしゃいました。
ファリンさんは四人兄妹の末っ子で、一番上にルアンさん、その下にクアンさんクオンさんという双子のお兄さんたちが居るのです。
クアンさんの肩から背中にかけて、ざっくりと斬られたあとがありました。
血は止まっておらず、ほとんど意識もないようです。
「マイヤ、勁で血を止めろ」
「へ? は、はい。でも、あの、そんなことができるのです?」
「相手の身体に干渉して、傷口周りの筋肉を収縮させる。手で押さえるだけよりはいくらか効果があるはずだ」
クアンさんの体に手を添えると、生命の流れ出しているような感覚があります。
勁を送り込んで傷口周りをぐっと締めること自体は、そんなに難しくないのですけど……
「とはいえ、焼け石に水か。――なあ、副隊長。護衛隊には治癒術士がいるんだよな?」
「え、ええ、はい、一名同行させてます」
ディトマールさんを介抱していたロイさんが答えます。
「野営地まで戻って、連れてきてくれ。怪我人三名だ」
「……私については問題ない」
ディトマールさんがうめき声を上げつつもゆっくりと体を起こしていました。
「隊長! まだ、寝てた方が……」
「痣とたんこぶくらいだ。だが、そちらの獣人兵は急を要するようだな。ロイ、行ってこい」
「は、はい」
命令を受けて、ロイさんは雨の中を駆け出していきます。
「状況の説明が必要か?」
リーン様の問いに、ディトマールさんは、いや、と首を横に振りました。
「その虎男と虎娘の鎧についているのは、ブラウヒッチ家の家紋だ。我々護衛隊の交代部隊だな。無様に同士討ちするところだったというわけだ」
苦々しい口調で言い、そして壁際に座り込んでいるファリンさんへと視線を向けます。
「ディトマールだ。商会護衛隊の隊長である」
「……ブラウヒッチ伯麾下、辺境警備軍獣人隊第三小隊隊長のファリンと申します。この度の護衛任務の指揮官を務めております」
「指揮官? お前のような小娘が?」
「…………」
あ、ファリンさん、ちょっとイラっとしました。
あまり表情の動かない方なのですけど、ほとんど生まれたときからのお付き合いなので、マイヤにはなんとなくわかるのです。
「辺境軍は子供に指揮を執らせるのか?」
「十分に歳を重ねるまで呑気に待ってもらえるような環境ではありませんでしたから。若輩者なれど、力量の方はさきほどの一撃でご理解いただけたと思いますが」
「……その力が味方ではなく敵に対して振るわれたのであれば、まだ納得できたのだがな」
ディトマールさんが皮肉っぽく鼻を鳴らします。
ファリンさんの眉がぴくりと動きました。かなりムカっとしています。
「お言葉ですが、殺気がだだ漏れだったうえ、抜剣する音まではっきり聞こえましたので。相手の正体が不明である以上、こちらとしても覚悟を決めて臨むよりありません」
「扉をブチ破る前に、せめて誰何くらいしてはどうなのだ!」
「その言葉、そのままお返ししましょう。こちらは疲労困憊の怪我人二人。敵かもしれない相手に、そんな余裕を見せられるはずがない」
売り言葉に買い言葉の様相を呈してきたですよ……
マイヤがはらはらおろおろしていると、どん、と、壁を叩く音がしました。
「あのな、お前ら、もう少し情況考えた方がいいんじゃねえのか?」
リーン様がおっしゃいます。
二人はしばし無言で視線を戦わせていましたが、意外にも――といっては失礼でしょうか――先に折れたのはディトマールさんの方でした。
「確かに、こんなことをしている場合ではないな。非礼は詫びよう」
「……こちらも失礼しました」
一応、和解成立ですね。
マイヤもリーン様も、ふうと息を吐きました。
「仲裁役なんて柄じゃねえんだが、ほうっておくと話が進まなそうだからな。護衛任務の引継ぎをするために来たんだよな? 何があった? 他の奴らはどうした? まずその辺を説明しろ、ファリン」
はい、とうなずいて、ファリンさんは口を開きます。
「獣人兵を中心とした約五〇名ほどで編成された私たちの隊は、カツィカの街東方の合流地点に向けて進んでいました」
ペリファニアからの護衛隊に比べて数が少ないのは、街に留まっての警護が主な任務となるからです。
野原や山道を進むときと違って盗賊団に襲われる可能性も低く、そこまで広範囲を警戒する必要がないのですね。
それに獣人兵の皆さんは、戦闘能力に関していえば一人一人が普通の兵士さん数人分に匹敵しますから、戦力面でも問題はありません。
しかし――あと少しで目的地というところにきて、予想外の障害がファリンさんたちの前に出現しました。
「自警団? カツィカの街の?」
リーン様が問い返します。
「はい。少なくとも、本人たちはそう名乗っていました」
ファリンさんたちが下見を兼ねてカツィカに入ろうとしたとき、武器を持った大勢の人たちがその前に立ちふさがったのだそうです。
街の秩序を護る自警団として、軍が街に干渉することは認めない。
街中で警備が必要なら、自分たちが引き受ける。
彼らはそう主張し譲りませんでした。
「なあ隊長さんよ、カツィカの自警団ってのは、そんなに活動的で過激なのか?」
「いや、そんな報告は受けておらんが……」
リーン様の問いかけに、ディトマールさんが戸惑った様子で眉をひそめます。
「それで、お前たちはどうしたのだ。その自警団を蹴散らしたのか?」
「蹴散らすわけないでしょう。武装しているとはいえ、民なのですから。仕方ないのでいったん街の近くで野営し、また翌日再度交渉しようと考えました」
「しかし、それも決裂した?」
「いいえ、それ以前の問題でした」
まるで痛みをこらえるように目を閉じ、目を開け、ファリンさんは続けました。
「その日、夜襲を受けたのです。私たちはなすすべなく壊滅、散り散りになりました。多くは殺されたか、捕まったか、もしかしたら逃げ延びた者もいるかもしれませんが……。私とクアン兄さんはどうにか追撃を振り切って、この無人の村に辿り着きました。あとはご存じの通りです」
「つまり、街の自警団ごときに完膚なきまでの敗北を喫し、逃走してきたと? 獣人隊がか?」
ディトマールさんは疑わしそうな目をファリンさんに向けます。
「相手の人数が圧倒的に多かったとか?」
「我々と同じか、やや多いかという程度でした」
「では、敵の主力も獣人だったとか?」
「いえ、ほとんど人間族でした」
淡々と答えるファリンさん。
「ならば、貴様が指揮で致命的な失敗を犯したということか。でなければ、五〇人からなる獣人隊が、ほぼ同数の民間人に蹴散らされるなどという事態になるわけがないからな」
「……率直に言って、指揮能力の介入する余地などありませんでした。相手が強かったとしか言いようがありません」
「は、なんだその情けない言い訳は」
ディトマールさんは露骨な嘲笑を浮かべました。
「それでも武人の端くれか? よほど責任を取らされるのが怖いとみえるな」
「ファ、ファリンさんは、そんな人じゃありません、です!」
マイヤは思わず抗議していました。
じろり、とディトマールさんに恐ろしい顔でにらまれましたけど、がんばってその視線を受け止めます。
ファリンさんの悪口は見過ごせないのです! 怖いですけど!
と、そのときリーン様の助け船が入りました。
「ま、俺もマイヤに賛成かな」
「リーン様……」
マイヤは泣きたくなるくらい、ほっとします。
「そいつとはちょっとした知り合いなんだが、そこらの獣人兵よりずっと強えぞ? そもそも辺境軍の獣人隊といえば、竜を相手に戦うために日夜戦闘訓練漬けになってるような奴らだ。生半可なのを指揮官として認めるはずがない」
「何が言いたいのだ」
ディトマールさんは煩わしそうに顔をしかめました。
「つまりだな、そいつが力及ばず隊が壊滅したって言うんなら、相手は文字通りとんでもなく強えってことなんだよ。なあ? ファリン」
「……失態なのは事実ですし、私が責任を負うべき立場なのは間違いのないところですし、擁護していただこうとは思いませんけど」
ファリンさんは少し困ったように眉を寄せ、息をつきます。
「ですが、ええ、イェリング様のおっしゃる通りです。この石頭が信じようが信じまいが、私には起きたことを正確に伝える義務がある」
「石頭だと?」
むっと唇を曲げたディトマールさんに構わず、ファリンさんは話を再開しました。
「相手は自警団にしては練度が高く、使っている武器防具も上質のものでした。練度は訓練次第で何とかなるかもしれませんが、まとまった数の武具はそう簡単に手に入るものでもないでしょう」
「何かしらの後ろ盾がありそうってことか」
と、リーン様。
「はい。しかし、単にそれだけなら、大きな問題にはならなかったはずです。相手の数が三倍だったとしても、おくれを取ったりはしません。私たちが壊滅した理由は一つ。相手方に一人の女が――とんでもない怪物が居たからです」
その言葉を聞いた瞬間、ぴくりとリーン様が身じろぎしました。
同時にマイヤはこの旅の目的を思い出します。
そう、リーン様に勁を教え、ここまで強く鍛え上げたお師匠様を見つけ出すこと。
「怪物だとぉ?」
一方、ディトマールさんは疑い半分呆れ半分という様子です。
でも、うなずき返すファリンさんの表情は怖いくらい真剣でした。
「ええ、それ以外に表現のしようがありません。姿形は一人の女性でしかない。でもあれは……かの竜殺しの英雄に匹敵するような強さをもつ、常識外れの怪物です」