72話 よくないこと(2)
「――あれだ」
ディトマールさんの指さす先の山すそに、小さな集落が見えました。
あそこが目的地です。
村の入口に馬をつなぐと、マイヤたち四人は中をうかがいました。
「家屋の数を見るに、住人は二〇人ってところか」
リーン様がぼそりとおっしゃいました。
「村の東西はなだらかな平原。少し道を整えるだけで、人や荷馬車が出入りしやすくなるな。カツィカの街まではゆっくり歩いても四半日かからないだろう。確かにゲルトが拠点として選んだのもうなずける」
カツィカで市を成功させるためには、いろいろと下準備が必要です。
なのでゲルト様はこの村と協力し、商品の倉庫や働く人のための宿泊所を設けようとしていました。
その相談のため、現在お供の方とここに滞在しているはず、なのですけど――
「人影がまったくないです……」
マイヤは呆然と呟きました。
生きて動いている人の気配が、まったく感じられません。
ここへ来る道すがら、リーン様とマイヤはロイさんからことのあらましを教えてもらいました。
『イレーネさんとも相談し、交代部隊の遅れについて一度ゲルトさんに連絡を入れよう、ということになったんです』
このまま交代の護衛部隊が到着しなかった場合どうするかということを、相談する必要があります。
さすがにゲルトさん抜きで話を進めるわけにもいきませんから、村での商談が済み次第カツィカに直行するのではなく、一度商隊の方に戻ってもらわなければなりません。
そこでロイさんが連絡係として馬を飛ばしてやってきたのですが――ゲルト様どころか村人もそろって姿を消した村を見、途方にくれたというわけでした。
「そりゃま、調べざるをえないよな」
リーン様が髪の毛を掻き回しながらおっしゃいました。
「ゲルトさんの行方を突き止めるか、それが無理でも、せめて何があったのかくらいは把握できないかと……その、無理なお願いをして、大変申し訳ないです」
ロイさんが頭を垂れつつ言いました。
「今回、我々の隊には獣人兵がいないのです。そこへこんな事態が出来したもので、マイヤさんの嗅覚をお借りしたくて」
「弁解はいい。頼み事があるんなら最初から筋を通せって話だ」
少し不機嫌そうなリーン様。
マイヤとしては、手を貸すことは全然構わないのですが……ただ、怒鳴られたりとか、むりやり連れ去られたりとかは、やっぱり少し怖いので、控えていただけると嬉しいです。はい。
「や、まったくその通りで。ただ、あまりのことに僕も隊長もちょっと動揺して焦ってしまったというか……本当にすみません」
「ロイ! 無駄口を叩くな!」
と、そこでディトマールさんから大声が飛んできて、ロイさんは首をすくめます。
この隊長さんの下で働くのは大変だろうなあ、とマイヤは少しかわいそうになりました。
「ゲルトが向かったのは、間違いなくこの村だったんだよな?」
リーン様が尋ねます。
「え、ええ、それは確かです。ゲルトさんと荷運び二人の計三人を、村が見えてくるあたりまで、うちの兵がお送りしましたので」
ただ、兵士さんたちは中にまでは入っていないため、そのとき村がどういう状態だったかまでは把握できていないそうです。
「『武装した兵の姿が見えると、村人への圧力と取られかねない』というゲルトさんの要望がありまして、すぐに引き返したものですから……」
「あの若奥様には、もうこのことを伝えたのか?」
「まだだ」
今度は苦虫を噛み潰した顔でディトマールさん。
「先にもう少し状況を確認した方がいいと判断した。『村人とあなたのご主人が消えました。何が何だか我々にもさっぱりわかりません』などと報告するわけにはいかんからな」
一応カツィカ方面にも人をやっているので、もしゲルト様が先行してそちらに着いているなら報告があるはずとのことです。
ただ、ディトマールさんたちはあまりその可能性に期待していないようでした。
そうですよね……村に何か異常があれば、普通は商隊の方に引き返してくるでしょうし。
「だからその、マイヤさん、悪いんだけど……」
「はい、全力を尽くしますです」
マイヤは大きくうなずきます。
においから痕跡を辿り、この村で何があったかを可能な限り調べろということなのですね。
もちろん協力を惜しむつもりはありません。
マイヤたちは村の中央あたりまで歩を進めました。
簡素なお家が幾つか建ち並んでいます。しかし、やはり人の姿はありません。
「このあたりの地域、ごくまれに竜が出るんだが……」
周囲をぐるりと見回して、リーン様が口を開きます。
「奴らに壊滅させられたって感じでもねえな。建物がきれいに残ってる。――どうだ、何か感じるか? マイヤ」
「人と、馬のにおいが。ここ数日の間に誰かが出入りしたのは間違いないと思う、です。ただ――」
三人分の視線を受けて、少し緊張しながら続けます。
「普通に人が暮らしている村だというには、染み付いたにおいが薄いような気がするのです」
「つまり、もともと無人村だった?」
と、リーン様。
「えっと、正確にはわからないですけど……ある時期まではちゃんと人の居る村で、その後、みんな姿を消したみたいな? で、数日前に誰かがやってきて、また姿を消した、という感じなのです」
「そのやってきたってのがゲルトたちか?」
「そう思うですけど、それ以外にもかなり出入りした、かも……」
一番新しいっぽいにおいは、複数残っています。
その中で覚えのあるのはゲルト様のだけですが、他にもおそらく十人くらいは居たような印象ですね。
お供の方は二人だったそうですから、明らかに多いです。
そのまま道を歩き、マイヤたちは村の反対側までやってきました。
「……ここでも馬と人、あと、鉄と革のにおいがはっきりわかりますです」
リーン様は膝を突いて、地面を調べます。
「蹄の跡もくっきり残ってるな。ゲルトたちは徒歩だったはずだから、これは……山賊の類か? 双方向の足跡があるところを見ると、カツィカ方面からこの村にきて、また戻っていったってとこかね」
マイヤはきゅっと心臓をつかまれるような気分になりました。
もし、ならずものが村に押し寄せてきて、そこにゲルト様たちが居合わせたのだとしたら、どうでしょう。
さらわれたか、あるいはもっと悪いことになっているか――
「血や死体のにおいはあるか?」
問い詰めるような調子でディトマールさん。
「い、いまのところは感じられません、です。もう少し調べてみないと、確実にはわからないですけど」
「ふん……」
ディトマールさんは腕組みして何かを考える表情になります。
「二手に分かれるぞ。リーン、だったか、貴様とマイヤは引き続きにおいから調べろ。屋内もだ。私とロイは、村の外周を見てくる」
ディトマールさんたちが立ち去ると、マイヤは小さく息を吐きました。
少しだけ緊張がほどけます。
「疲れたか?」
「い、いいえ! 大丈夫なのです。あの、リーン様……」
「何だ」
「ゲルト様、その、大丈夫ですよね?」
「……まだ何とも言えねえな」
リーン様は、短く素っ気なくお答えになりました。
楽観はできないということなのでしょう。
何にしても、イレーネ様やエッダさんが悲しまれるような事態にならないといいのですけど。
引き続き、いくつか家の中を見て歩きました。
「割と最近まで人が暮らしていた痕跡はあるんだよな」
リーン様の言葉に、マイヤは小さくうなずきます。
どの家にも人のにおいが残っています。
荷物を整理して旅に出たという感じでもありません。
衣服や食べ物(大半は腐っていました)がそのまま残っていましたから。
一件一件調べながら村の真ん中あたりにまで戻って、ひときわ大きなおうち――おそらく村長さんのお宅でしょうか――に足を踏み入れます。
「…………!」
その瞬間、マイヤは思わず顔をしかめました。
「血のにおいがするか」
「は、はい……」
マイヤの嗅覚に頼るまでもなく、何かあったのは一目でわかる状態でした。
大嵐でも荒れ狂ったかのように家具が倒れ、壁や柱に引っ掻いたような長い傷がいくつも付いています。
そして……部屋のあちこちにある黒っぽい染み。
「剣を振り回した跡だな。しかも一人や二人じゃなさそうだ」
壁の傷をゆびでなぞりながら、リーン様は呟きました。
と、そのとき。
「――さん、リーンさん、どちらですか?」
外からロイさんの声が聞こえてきました。
なんだか少し緊張したような響きがあります。
「ここだ」
リーン様は外に出て、軽く手を挙げます。
すぐに見つけてロイさんがこちらにやってきました。
「中に争いの痕跡があった。武器持った奴らが村に乗り込んできたのは、間違いなさそうだな」
「そ、そうですか……」
お二人の会話に耳を傾けながら、ふとマイヤは眉をひそめました。
(なにか、空気が変、です?)
より正確に言うと、さっきまでは感じられなかったにおいがマイヤの鼻の奥を、つんと刺激しています。
まるで、そう、うっかりお料理に使うのを忘れ、傷ませてしまったお肉のような……
「こちらは、ですね、村はずれに、穴を掘って、な、何か埋めたような、痕跡を発見しまして――」
そこで言葉を切ると、ロイさんはうぷっ、と声を漏らし、口に手を当てました。
そのまま搾り出すように、言葉を続けます。
「農具を借りて、隊長と掘り返してみたところ……遺体が出てきました」




