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71話 よくないこと(1)

「――ひまーひまーひまだよーう」


 リーン様の天幕を訪ねてきたエッダさんは、マイヤの顔を見るなり歌うような口調で不満を表明しました。


「することが多すぎるのも嫌だけどさ、まったくないってのも退屈で困るよね。そう思わない?」

「えっと、マイヤは忙しくても暇でも、それなりに楽しいですけど……」


 お仕事がたくさんあればそれだけお役に立てますし、お仕事がなければリーン様のおそばでのんびりとすごす時間が増えるですからね。

 うらやましい性格だなあ、とエッダさんはため息をつきます。


「わたしはじっとしてるのダメだー。奥様もしばらく仕事ないっておっしゃるから、マイヤ誘って散歩でもしようと思ったんだけどさ、付き合ってくれる?」

「あ、はい、大丈夫ですよ」


 マイヤの方も特に急ぎのお仕事はないですし、リーン様もお昼寝中ですから。


 ゲルト様の商隊がその歩みを止めてから、三日が過ぎました。

 交代の護衛兵さんたちが到着次第出発ということなのですが、いまだに影も形も見えません。様子見の兵士さんが遣わされましたけど、戻ってくるまでにはまだしばらくかかるでしょう。

 なので、いったん畳んだ天幕をもう一度張り直し、こうして同じ場所で野営をしているわけです。


 リーン様いわく『旅ってのは本来、予定通りにいかなくて当然』だそうですし、食べ物にもまだまだ十分余裕はあるとのこと。

 とはいえ、現在商隊を離れているゲルト様に代わって責任者を務めているイレーネ様などは、渋い顔をしてらっしゃいますけど。


 野営地を歩いていると、暇をもてあましている様子の商会の人や兵士さんが多く見られます。商隊全体の雰囲気が、どこかどんよりとしている感じですね。


「そりゃ、カツィカの街が目の前なのに足止めされているわけだから、気分も盛り下がるってもんでしょ。これだと別行動してるうちの旦那様の方が先に着いちゃいそう」


 エッダさんも面白くなさそうな顔で言いました。


「あーあ、楽しみにしてるんだけどなあ。ほら、知らない街ってなんだかわくわくするじゃない?」

「そうですね」


 マイヤはうなずきました。

 気持ちはわかります。特にカツィカはリーン様がお育ちになった街だそうですし、マイヤも早く見てみたいなあと思うですよ。


「交代がこないなら、今の兵士さんたちに護ってもらいつつ、とりあえずカツィカまで行くというのはダメなのです?」

「こっちが変に動くと、行き違いになっちゃうんじゃないかなあ」


 ああ、それは困りますですね……


「それに奥様から聞いたんだけど、交代の兵士さんってカツィカのさらにもう一つ向こう側の領主さまのところから派遣されるらしいのね。遠くからやって来るんだから、ある程度日程がずれるのは仕方ないのかなって」


 何ていったかな、とエッダさんは首を傾げます。


「ブラ……ブラウッチ? なんかそんな感じの名前の貴族様の軍で……」


 マイヤは思わず足を止め、目をまたたかせました。


「もしかして、ブラウヒッチ、です?」

「あ、それそれ。よく知ってるね、マイヤ」


 ブラウヒッチ家。エルラ皇国西方辺境の領主様。

 かつてマイヤもお世話になっていたお家で、そこの軍には顔見知りの人たちも居るですけど……もしかしたら、会えたりするのでしょうか?


「まあなんにしても、今後どうするかなんてわたしたちが決められることじゃないんだけどさ。頑張って待つしかないよね」


 前向きなんだか後ろ向きなんだかよくわからない結論にたどりつき、マイヤたちはまた歩き始めました。


 このあたりはそびえ立つ山地が間近に見えます。

 雪で白く浮かび上がる山影がとてもきれいで、ペリファニア近辺の景色とはまた違った味わいがありますね。


「そういえば、あの山の向こうは別の国だって聞きましたけど……てっぺんまで登ったら、異国がすぐそこに見えたりするのですかね?」

「登ってみたいの?」

「え? い、いえ、そういうわけではないですが……」

「……イスカーチェとかいったよねえ、隣の国」


 エッダさんはじっと山を見上げています。

 暇だし退屈だし、ちょっと遠出しようなあ、みたいな表情です。


「だ、だめですよ?」


 心配になって、エッダさんの袖をきゅっとつかみました。


「お山は高いし、お隣の国は遠いし大変なのですよ?」

「そこまで無謀じゃないってば。わたしにどんな印象持ってんの」


 口を尖らせるエッダさん。

 マイヤはほっと胸をなでおろしました。


「でも、もう少し山の上の方には足を伸ばしてみたいな。すごくいい風景が見られると思うのよね」

「その、それもどうかと……。あんまり野営地から離れると、またこの間みたいに護衛隊の隊長さんに怒られると思うです」

「見つからなきゃ平気。見つかって怒られても気にしなきゃ平気」


 うーん、そういうものでしょうか?

 マイヤなんかは厳しい口調で怒鳴りつけられると、怖くて怖くてもう泣きそうになってしまうのですけど。


 ――と、そのときでした。


「おい、貴様ら!」


 背後から大声が聞こえ、マイヤは思わず飛び上がりました。

 噂をすればなんとやらで、恐ろしい顔をした隊長のディトマールさんと、気弱そうな副隊長のロイさんが、大股で近づいてくるところでした。


「ここで何をしている?」

「な、なにって……ただの散歩です! 悪いんですか!?」


 エッダさんは食ってかかる勢いで答えます。

 しかし、ディトマールさんは意に介した様子もありませんでした。


「ふん、仕事中というわけでもないのだな。探していたところに、好都合だ。――おい、獣耳の娘」

「ひ、ひゃい!?」


 声がひっくり返りました。


「名前は何という?」

「マ、マイヤ、です……」

「よし、マイヤ、お前に用がある。こっちに来い。そっちの娘は、確か奥方の小間使いだったな。お前は行っていい」


 は? とエッダさんは眉を寄せます。


「ちょっと、いきなりやってきておーぼーじゃないですか? マイヤをどうするつもりで――」

「黙れ」


 決して大きくはありませんでしたが、その声にはエッダさんをたじろがせるほどの威圧感がありました。


「お前が知る必要はない。さっさと立ち去れ!」


 どこか……変です。

 すごく怖い人だという印象はありましたけど、それに加えて今はものすごくピリピリしています。


「い、言う通りにしてください、エッダさん」


 マイヤは勇気を総動員して、なんとか笑顔を作りました。


「マ、マイヤは大丈夫なのです」


 まだ頭がついていかないですが、何か普通ではないことが起こっているのは確かだと思います。


 今のところ、このお二人が必要としているのは、マイヤの身柄だけ。

 であれば、エッダさんは早くこの場を離れた方がいいでしょう。


 何か怖い目にあうのだとしても、マイヤ一人なら逃げられます。

 ……多分。足がすくんだりしなければ。


「ご、ごめんね、はいはい、天幕の方に戻って戻って。あ、あと、このことは絶対誰にも言っちゃダメだよ」


 引きつった笑顔を浮かべながら、ロイさんがぐいぐいとエッダさんの肩を押しやりました。

 エッダさんは心配そうに何度もこちらを振り返りながらも、やがて皆のいる野営地の方に戻っていきました。


「……で、あ、あの、マイヤにご用というのは?」


 尋ねると、ディトマールさんはぎょろりとした目をこちらに向けました。


「お前、犬か狐か、そのあたりの種族か?」

「は、はい、狼犬族(カニスルプス)なのです」

「優れた嗅覚をもっているそうだな。少し前に、ゲルトの屋敷に潜入していた賊を見つけ出したと聞いたが、事実か?」

「は、はあ……」


 チーズ泥棒とロラントさんの事件のことですね。


「え、えっと、でもあれは、色々な偶然が積み重なった結果というか――」

「余計なことは言わなくていい。事実なんだな?」

「は、はい」


 強い口調で言われて、マイヤは身をすくめます。

 やっぱりこの方、怖いですよう……


「よし、お前に一つ役目を与える。馬を用意してあるから、こっちに来い」

「え? ええ?」


 目を白黒させておろおろしていると、舌打ちしたディトマールさんに腕をつかまれました。

 そのまま、有無をいわせない勢いで引っぱっていかれそうになります。


「ま、待ってください、ですっ!」


 とっさに体が動いていました。

 ぐいと腕を引き戻し、体勢が崩れたところで思い切り足を払います。

 ディトマールさんの体は見事に宙を舞い、背中から地面に落下。


「が、は――っ!」

「あ……」


 や、やってしまいました。


「そ、そ、その、すみません、です、つい……。あの、おけがは、ないです?」

「…………」


 地面から無言のままマイヤを睨みつけ、やがてディトマールさんはゆっくりと起き上がります。

 気圧されて舌が動かなくなる前に、と、早口でマイヤは続けました。


「で、でも、その、いきなりどこかに連れて行かれるようなのは、こ、困るのです! マイヤ、リーン様のメイドですし、お許しがないことには――」

「つーか、子供の意思を無視して連れ去るとか、犯罪だろお前ら」


 マイヤの言葉を遮って、聞き慣れた声がしました。

 ゆっくりとこちらに歩いてくる、見覚えのある姿。


「だ、だんな様……」


 安堵で目にじわりと涙が浮かびます。

 無意識のうちに足が動き、気付いたときにはリーン様の元に駆け寄ってそのまま腰にぎゅっとしがみついていました。


「エッダの奴が血相を変えて駆け込んできてな」


 大きな手でマイヤの頭をあやすように撫でながら、おっしゃいます。


「マイヤが兵士たちにいじめられてるから、すぐに助けてやってくれ、と。おかげで昼寝を中断する羽目になった。んで――」


 リーン様は目を細めて、二人の兵士さんたちを睨みつけました。


「いったい、どういうつもりなんだ? 誘拐犯ども」

「そ、その、誘拐のつもりは……いえ、か、彼女を怖がらせたことについては、謝罪しますけれども」


 しどろもどろになりながら、取り繕うようにロイさんが言いました。


「実は、その、ちょっと困った事態になってまして……できれば、その子、マイヤさんの手を借りたいのです」

「こいつの主は俺だ。話は全て俺を通せ。まずは事情を説明しろ」

「は、はあ……では」


 自分の動揺をしずめるように深呼吸すると、再び口を開きます。


「お、落ち着いて聞いてくださいね。実は、ゲルトさんが、ですね――」


 よく知る名前が出てきてリーン様は眉をひそめ、マイヤも思わず顔を上げます。

 しかし、そこでディトマールさんが口を挟みました。


「それ以上言う必要はない」

「……おい、なんで止める。ゲルトに何かあったのか?」

「口論や説得に時間を費やしている余裕はないのだ。娘が協力するなら、現場までの道中で説明してやる。貴様もついてきて構わん。どうするかはそっちで決めろ。――ロイ、行くぞ」

「あ、は、はい」


 踵を返したお二人に小さく舌打ちし、リーン様は腰に取りついたままのマイヤに視線を向けました。


「何か、ろくでもないことが起こってそうな気がすんな。……どうする?」


 少しの間迷ってから、マイヤはお答えしました。

少し更新ペース上げます。

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