69話 故郷への旅路(4)
小さく鋭く息を吐いたマイヤは、俺の刀を足場にして上へと跳んだ。
そのまま空中で木の幹を蹴って方向転換。
狙いは――俺の頭越しに背後を取ってからの一撃。
だが。
「きゃんっ!」
悲鳴と共に小柄な体がぽとんと地面に落ちてきた。
上半身を起こし、涙目で俺を見上げる。
「ふえ……だ、だんな様、今、なにしたですか? あ、あし、マイヤの足が、いきなりビリッって……」
「樹木ってのも生きてるわけだからな。勁の伝導性がきわめて高えんだよ」
俺は幹に左手を添えたまま言った。
単純な話である。マイヤが木を蹴って跳ぼうとした瞬間、幹を伝わらせて勁をその足に叩き込んだのだ。
もちろんお互いのため威力は最小限に絞っているが、マイヤの体勢を崩すには十分だっただろう。
「とりあえず、今日はここまで」
「あ、ありがとうございました、です……」
息を荒らげながら、マイヤは一礼した。
少しだけ呼吸を整える時間をやり、俺は会話を続ける。
「さて、武器を持った相手への応じ方を一切説明せずに、とりあえず一本やってみたわけだが……そうだな、最後のアレの狙いを説明してみろ」
「え、えっと」
マイヤはたどたどしい口調で、話し始める。
「まず、ですね、こういう林の中で武器を持っていると、動きが限られるんだなあと思いましたです。だから、マイヤの方が上手く動けば、リーン様の動きも予想しやすくなるなあ、って」
うん、それは正解だ。
武器での戦闘は徒手空拳のときより動きが制限されるが、その代わりに破壊力や攻撃範囲が向上する。
しかし障害物の多い場所、つまり自由に振り回すことができない環境では、欠点が利点を上回るほどの重みを持つことになる。
「最後、だんな様が立っていたあの場所、すぐ両側に太い木があって、枝も張り出してたですから、刀が引っかかって、くるっと振り返るのは難しいと思ったのです。だから、その、一回飛び越えて、背中側に回ろうかって……」
「考え方としては悪くない」
俺が言うと、マイヤは一瞬ぱっと顔を輝かせた。
「だが、満点には遠い。空中に飛び上がると、自由に動けねえだろ? 枝ごと強引にぶった斬るような相手だったら、いい的になっちまう」
「あう……」
「それに、敵の武器が一つとは限らない。さっきの局面、刀が邪魔で相手は素早く振り向けないってのがお前の前提だったよな? でも例えば――」
俺はマイヤに背を向ける。
次の瞬間、手を放して刀を下に落とし、予備の短剣を腰から引き抜きながら鋭く反転。刃をマイヤの喉元に突きつけた。
「あ……」
反応すらできなかったマイヤは、目を見張って立ちすくんだ。
「こういう手で着地際を狙えば、お前の心臓を一突きにできたわけだ。敵が武器を捨てる、持ち替えるという可能性は想定していたか?」
「……してませんでした、です」
肩を落とすマイヤ。
「つまり、その辺りの状況判断がまだまだ甘い。身に着けるには時間と経験が必要だが、努力は怠るなよ。以上」
「は、はい。わかりました――」
と、そこでマイヤはあれ? と、小さく声を上げる。
その視線を追うと、林の切れ目で木の根に腰掛けているエッダの姿が見えた。
そういえば、今日は見学者が居たんだったな。
おしゃべりなこの娘にしては珍しく一言も声を発しなかったから、完全に意識の外になっていたが。
「……ってか、どうかしたのか? あいつ」
「さあ……」
エッダは口をぽかんと開いたまま、石像のように固まっていたのである。
マイヤが近寄って声を掛けた。
「あ、あの、お待たせしました、エッダさん。お稽古終わりましたですよ?」
「――――!」
まるで抜けていた魂が帰ってきたかのように、びくっと体が震えた。
目に焦点が戻ってくる。
「えっと、その……具合でも悪いです? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」
こくこくとうなずき、エッダは続けた。
「マ、マイヤにびっくりしただけなの。ほんと、すっごくびっくりした。人間ってあんなに速く動けるのね……」
ああ、そりゃ驚くか。
心得のない素人にとって、勁を駆使したマイヤの動きは目で追えるようなものではないだろう。
「ロラント事件のときもすごいなあと思ったけど、あんなのまだ全然本気じゃなかったんだ……」
「ロラントさんのときは、まだ余裕がありましたから。でも、今日のお相手はリーン様ですし。――ほら、あれ」
マイヤは、俺たちが組手をしていた場所を指さした。
土の上に刻まれた無数の足跡。
「あのほとんどが、マイヤのものなのです。マイヤがどれだけいっしょうけんめい動き回っても全部防がれてしまって、リーン様を一歩も動かせなかったですよ」
事実、その通りである。
俺が動いたのは、最後に刀を抜いてマイヤを追い詰めたときだけ。
技量的には、まだまだ勝負にならないのだ。
「つまり、リーンさんは、マイヤよりもっともっと強いんだ……」
「はい! リーン様はとっても強くて、すごいのですよ!」
マイヤはためらいなくそう答えた。
それも満面の笑みと、心の底からそう信じる声で。
俺は小さく息を吐いて頭を掻いた。
――ま、むず痒いようなくすぐったいような、悪くない気分がないと言えば嘘になるが、照れ隠しも兼ね、あえて眉間にしわを寄せることにする。
「師が弟子より弱かったら訓練にならねえだろ。他人に感心してないで、お前はもっと鍛えて自分の腕を上げろよ」
厳しめの口調で駄目出しすると、マイヤは表情を曇らせた。
「そ、そんな言い方は、悲しいのです」
珍しく不服そうな様子で言い返す。
「だって他人ではないのですから! リーン様はマイヤの大切なだんな様で、師匠なのですよ!?」
……そこかよ。
◆◇◆◇◆
「――まあ、今日の出来だと及第点ギリギリってところだ」
俺たち三人は丘を下り、野営地への帰路を辿っている。
散歩にあまり時間を掛けるのもよろしくなかろう、ということで、反省会の続きは歩きながら行うことにしたのだ。
マイヤは小さく首を傾げた。
「落第、ではないのです? マイヤ、何もできなかったですけど……」
「ちゃんと地形を計算に入れて戦ったこと、武器持ち相手という経験のない状況でも頭使えたこと、この二点は褒めてやる」
あえて武器相手のあしらい方を教えないまま仕掛けたのは、マイヤの反応を見たかったからである。
こいつは俺の言うことを素直に聞きすぎる。
なので、指示や助言を与えなかった場合、どうなるかを確認したのだ。
最悪の場合、どう動けばよいかわからずに固まってしまうかもと思ったが――それは杞憂に終わった。
これまで奴隷同然の扱いを受け自尊心を失いかけていたとしても、マイヤの根っこにはちゃんと『自分』というものがある。
やはり本質的には利発で意志の強い少女なのだろう。
――ま、『褒めてやる』の一言で、えへーと相好を崩している様子を見ると、少しばかり自信がなくなるが。
「で、減点部分については……おい、にやけてないで聞け」
「あ、は、はい!」
「減点部分についてはさっき言った通りだ。そして加えてもう一つ。最後に俺がやって見せた手だがな」
「木を伝わらせて勁を撃ち込む?」
「そう。あれ、今のお前でも十分思いついて使いこなすのが可能な戦法だぞ? 知識を引き出し、周囲を見渡し、最善を追求してそこに気付いていれば、防戦一方を打開できてたかもな」
実のところ、それを期待して何度かわざと隙も見せていたのだが。
「……マイヤ、ダメでしたか?」
一転、弟子は不安そうな顔になる。
「駄目じゃねえよ。及第点つっただろ。ただ、もっと観察し、もっと考えろってこと。最初のうちは間違っても拙くてもいいから、とにかく周囲から少しでも多くの情報を読み取ろうとし続けろ。相手、場所、体調、天候――把握できればできるだけ有利になるからな」
今すぐには無理でも、いずれはできるようになるだろう、と俺は思っている。
こいつは俺がいなくなった後も自ら学んで成長していけるはずだし、そうでなければならない。
そのための土台をしっかり作り上げるが、俺の役目だ。
「……リーンさん、そういう表情してると、なんか先生って感じだよねえ」
ふと気付くと、エッダが俺の顔を覗き込んでいた。
「そういう表情って、何だよ」
「どう教えようか、どういう課題を与えようか考えてる怖い表情。わたしの村、年取った司祭様が文字とか算術とか教えてくれてたんだけど、よくそんな顔してた」
「怖かったのか」
「厳しくて怖かった。でもいい人だったよ。リーンさんもそんな感じ」
どうやらエッダ的には褒めているつもりのようだった。
ふと、自分の師匠ミナヅキのことを思い出す。
泰然自若というか呑気な性格で、あまり物事を深く考えているようには見えなかったが――彼女も陰では眉間に皺を寄せ、俺の修行についてあれこれ頭を悩ませていたりしたのだろうか。
真面目な話がお開きになると、マイヤとエッダは俺の少し前を歩きつつ、お喋りに興じ始めた。
「マイヤにはリーン様のほかにもう一人、お料理の先生がいるのですよ。残念ながら、街が竜に襲われてからはお休みになってますけど……」
マイヤはため息をついた。
「がんばり屋さんだよねえ、マイヤは。わたしは習い事って苦手だなあ。じっとしてられない性格だし」
「グンターさんにお料理を教わったりしないのです?」
「じいちゃんかあ……ときどき仕事を手伝わされるけど、情け容赦ないしすぐ怒るし、先生としてはどうかと――マイヤ?」
エッダは怪訝そうな声を上げた。
不意にマイヤが立ち止まり、静かに、というように唇に指を当てたのである。
頭の上についた狼犬の耳が、ぴくぴくと動いている。
「どうかしたか?」
「その、足音が……馬、ですかね?」
「街道を走る早馬か?」
「いえ……道を外れて、こっちの方に向かってくるです。多分、二頭」
あまり考えたくはないが、盗賊やならず者の可能性もあるな。
俺は二人の少女をその場に残して視界の開けた場所まで先行し、マイヤの指さしていた方向を眺めた。
丘のふもと、確かに二騎の影が見えた。
向こうも俺の姿を認めたらしく、大声で何かを叫んでいる。
「ああ……」
盗賊ではなかった。
しかし、少々面倒なことになりそうな予感を覚え、俺は小さくため息をついた。
◆◇◆◇◆
「誰がこんなところまで足を伸ばしていいと言ったッ! 無責任な行動を取るな、この馬鹿どもがッ!」
馬上の男は大声で怒鳴りつけてきた。
エルラ皇国軍正規兵の鎧を身に着けた、背の低い中年男。
やや貧相な顔つきを気にしてか、鼻の下に似合わない髭をたくわえている。
「わかった、悪かった、反省してるよ」
俺は小さく両手を挙げた。
「とりあえず、そうでかい声を出さないでくれ。子供たちが怖がる」
背後にマイヤとエッダを庇いながら控えめに抗議すると、男は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「いいことではないか。せいぜい怖がらせておけ。これに懲りたら二度と勝手な真似をしようと思わなくなるだろうからな。まったく、呑気に散歩などと、知能がないのか? 貴様らには」
「ま、まあまあ隊長、その辺で」
若い方の兵士が口を挟んだ。
こちらはひょろりと背が高く、よく言えば優しげな、悪く言えば気弱で小心そうな顔つきをしている。
二人は商隊の護衛を務めている国軍の兵士だった。
哨戒担当の兵士から『丘の方に旅人らしくない不審な人影がある』と報告を受け、確認に来たのだという。
で、散歩と称して出歩いていた俺たちを発見したというわけだ。
中年兵は大きな音を立てて舌打ちし、吐き捨てるように言った。
「さっさと戻れ、グズども。しばらくしたら出立だ」
そのまま馬首を巡らせ、商隊の方に引き返していく。
若い方の兵士が少し疲れたような笑みを浮かべ、俺たちを見た。
「す、すみません、なにぶん、気性の荒い人でして……。えっと、ゲルトさんところのお客人ですよね? その、命令権があるわけではないのは承知してますけど、できれば、あんまり勝手に遠出しないようにお願いします。何かあったとき、僕らの責任になっちゃいますんで……」
二騎の姿が遠ざかると、マイヤとエッダはようやく俺の背中から出てきた。
マイヤは怯えて涙目で震え、一方、エッダは憤然と地面を踏み鳴らす。
「なーにーよー! あんなきつい言い方しなくてもいいじゃない! あのヒゲ、感じ悪ーい!」
「そう怒んなよ。こっちにも責任があったのは間違いないんだからな。お前らも巻き込んで悪かった」
何かあったとしても大抵のことは自分で対応できるつもりだ。
しかし彼らにしてみれば、護衛対象が勝手に動き回ると確かに困るだろう。
ま、あんな居丈高に怒鳴る必要はないと思うが、立場は理解できる。
「隊長って呼ばれてたな。エッダ、知ってるか?」
「うん。旦那様とお話してるのを見かけたことある。機嫌悪そうなヒゲが今回の護衛隊の隊長ディトマール。ぺこぺこしてた若い人が、副隊長のロイさん」
不満を溜めこんでいそうな隊長の様子を見るに、金持ち商人に付き添ってただ街道を歩くだけなんてのは誇り高き皇国軍が果たすべき任務ではない、とでも思っているのかもしれない。
まあ、当分は彼らの力が必要なのだ。
仲良くやっていきたいもんだがな、と俺は思った。
すみません、約40分遅れました……




