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67話 故郷への旅路(2)

 見苦しくない格好に着がえた後、マイヤを伴って天幕を出ると、細い白煙が幾筋も立ち上っているのが見えた。


「皆さん、いくつかの組に分かれて、それぞれ朝ご飯を取るそうですよ」

「ああ炊事の煙か。ま、この人数だし、そりゃみんな集まって飯ってわけにはいかねえよなあ」


 ゲルトの商隊は二百数十人を数える大所帯となっていた。


 その目的はカツィカの街に重要な商業的拠点を築くこと。

 であれば商品はもちろん、運搬用の荷車や荷馬、さらにそれを操る人間、警護する兵士、そして人馬の食料など、人も物も大量に必要となるのは当然のことだろう。


 もちろんこの規模ともなると、普通の旅人のように宿を取ったり飯屋で食事をしたりというのは難しいので、野営が多くなる。


「なんだかこういうのって、辺境軍での訓練を思い出すですねー」


 マイヤがのんびりとした口調で言った。

 大勢が野外で飯を食う光景に加え、大量の物資に警護の兵たちという組合わせは、確かに軍の補給部隊を想起させるかもしれない。


 ちなみに荷と商人たちを守るのは雇われの傭兵などではなく、れっきとした皇国軍の正規兵である。

 人竜戦争以降、商業と流通の立て直しは国家にとって急を要する重要事業でもあるので、上の方も協力は惜しまないということらしい。

 ま、がっちりと装備を固めた国軍と一戦交えたがる盗賊がそうそう居るとは思われないので、道中の安全については保証されたようなものだ。


 俺たちはこの集団の中ほどに場所を与えられている。

 それも専用の馬車や天幕を用意してもらうという、手厚い保護付きで。


 商会の下働きや警護の兵士たちに好奇の視線を向けられながら、俺とマイヤは中央の大きな天幕に足を進めた。

 俺が竜殺しの英雄であるということを知ってるのはごく一部の人間だけだが、(あるじ)にとって重要な客人であるのは一目瞭然なのだろう。


「おはようございます、イェリング様」


 中にはいると、肉付きの良い男が大股で歩み寄ってきた。


「野外での寝泊まりなどというご不便をお掛けして、申し訳ありませんですな」

「良い天幕を貸してもらって、感謝する。よく眠れた。――とはいえ、野宿にはそれなりに慣れてるし、別に特別扱いをしてもらう必要もねえんだがな」

「そういうわけにも参りませんよ」


 ゲルトは目を細めて苦笑した。


「客人のおもてなしというのは、主の器量が問われる部分ですからな。つまりは私の矜持の問題だとお考えください。何か不都合がありましたら、いつでもお申し付けを」

「ああ」


 内心の辟易が表に出ないように気を付けつつ、俺はうなずく。

 正直なところ、過度に厚遇されるとかえって居心地が悪いのだ。

 まあ、世話になっているのは俺たちの方なので、ここは相手の流儀を尊重しておくつもりではあるのだが。


「さあ、それでは朝餉にいたしましょう」


 そう言って、ゲルトは俺たちを席に導いた。

 ひときわ広い天幕の中には、簡易なものながら大きめのテーブルと幾つかのイスが設置されている。

 そこにはすでにゲルトの奥方であるイレーネとイレーネ付きのメイドを務めるエッダの姿があり、二人は一礼して俺たちを迎えた。


 朝食の献立はパンとチーズ、野菜スープ、それに火を通した肉類が少々。

 品数はさほど多くない。おそらくゲルトが普段食している品々と比べれば、質素なものなのだろう。

 とはいえ素材は上質で、調理も完璧、当然味は上々である。

 旅の空の下で食べる朝食としては十分にぜいたくというべきだった。


「食事が不味かったり不足していたりすると、歩く元気も出ませんからな。下の者にも十分な質と量のものが行き渡るよう、心がけておりますよ。人間、活力の一番の源は、食事なのです」


 今回の旅にはグンター――エッダの祖父で俺たちの顔見知りでもある老料理人――は同行していないが、ゲルトは彼のような調理の専門家をさらに幾人も召し抱えており、こうして遠出する際には必ず伴うことにしているのだという。


 強い軍というのは、決して兵を飢えさせない軍のことだよ、と、人竜戦争の際にレオから聞いたことがある。

 してみると、ゲルトはなかなか優秀な指揮官と言えるのかもしれない。


「以前に申し上げたとおり、順調に進めばカツィカまでは十日ほどの予定です」


 食事が一段落すると、ゲルトは言った。


「とはいえ、我々と違ってイェリング様の目的は人捜しです。情報収集を命じている者たちとは途中で合流することもできるでしょうから、もう少し早く進展がみられるかもしれませんな」

「全面的に手を借りることになるが、よろしくたのむ」

「なに、それを承知の上でお引き受けしたわけですから。お二人とも、それまでゆっくりと旅を楽しんでいただければ」


 鷹揚に笑い、ゲルトは視線を俺の隣に移した。


「マイヤ様も、朝食準備のお手伝いなどしていただく必要はないのですよ?」

「ふぇ!?」


 突然話を向けられ、マイヤはパンをくわえたまま裏返った声を上げた。


「お、おひふはいは、あひははふ――」

「のみこんでからでいい。落ち着いて喋れ」


 むぐむぐとパンを食べ終え、改めて口を開く。


「し、失礼しました。あ、パン、とってもおいしかったのです! ――で、その、ゲルト様のお気遣いは大変ありがたく思うのですけど、マイヤは家事、雑用がお役目のメイドですし、何かしているときの方が落ち着きます、ので……」

「イェリング様のメイドであるというのは、ここではお客様だということですよ」

「で、でも」

「ならさ、マイヤ」


 と、イレーネが言葉を挟んだ。


「少しあたしの仕事を手伝ってくれないかしら? この旅についての仕入れと経費の台帳を確認していたら、幾つかあやふやな部分があったから、検算を手伝って欲しいの。算術はできるのよね?」

「は、はい、一応」


 そう答えて、マイヤは許可を求めるように俺を見る。

 イレーネは微笑みを浮かべて俺に問いかけた。


「いかがでしょう、イェリング様? この子をお借りしても構わないですか?」

「ああ、好きに使ってくれ」


 まあ、俺の方に断る理由はない。

 多くの人間と触れあうのは、マイヤにとっても良いことなのだ。


「いや、帳簿の検算なんて、君がわざわざやらなくても――」


 一方で、ゲルトはなぜか渋い顔をしている。


「やりたいの、あたしが」


 しかし笑顔のままイレーネはいい切り、気圧されたようにゲルトは口を閉じた。


 んん? と俺は内心で首を傾げた。

 百戦錬磨の商人であり、俺自身も食えない奴という印象を持っていたゲルトがこうも困惑している光景というのは、初めて見る。


 そういえば、イレーネの方も以前とは違うように思われた。

 何か、ピリピリした苛立ちが消えて、余裕というか、地面に根を下ろす大樹のような泰然さが感じられるというか。

 もっとも彼女については一、二度顔を合わせた程度で言葉を交わしたこともほとんどないから、どのくらいあてになる判断なのかは、自分でも自信はないのだが。


     ◆◇◆◇◆


「ゲルト様は、もともとイレーネ様をお留守番としてペリファニアに残すおつもりだったのです。でも、イレーネ様は、ゲルト様を説得して――」

「説得というか、押し切ってついてくることを認めさせたんだよねー。奥様、最近は引かずに強気に攻めるから、旦那様も困惑気味でさ」


 マイヤとエッダは言った。

 出立までにはまだ少し時間があるので、三人で朝食後の散歩に出ている。


「ふん、それで微妙な雰囲気だったわけか。何か不穏そうだが……夫婦仲は大丈夫なのか? あの二人」

「大丈夫でしょ」

「大丈夫だと思うですよ」


 メイド二人は口々に保証し、そして、ねー、と笑顔でうなずきあった。

 なんでそんなに確信があるんだよ、お前ら。


「若奥様にずいぶん肩入れしてるんだな。特にマイヤは、ああいうきつそうな性格の大人は、苦手なんじゃねえかと思ってたが」

「え? えっと、厳しい方、怖い方は、確かに苦手なのです、けど……そのですね、イレーネ様、話してみると、意外にいい方だなって」

「そうそう。確かにわりと怒りっぽい方ではあるんだけど、あんまり怖くはないのよねー」


 そうなのか。

 どうやらマイヤは、俺の知らないところで着実に世界と人間関係を広げているらしい。

 いいことには違いないが、少し寂しいような複雑な気分でもある。

 娘の成長を見守る父親の心境だな。


「それにですね、ご夫婦のお話とか聞いてると、イレーネ様のこと、応援したいなって思うのです。だって――」


 と、そこでなぜか少し頬を赤らめ、マイヤは俺を上目遣いに見上げた。


「た、大切な人のおそばでお役に立ちたいっていう気持ち、とってもよくわかるですから」

「ふーん、俺には他人の夫婦関係なんて、よくわからねえがなあ」


 イレーネの言動、あれはあれで愛情の発露ということか? ややこしいな。

 まあ、別に深く首を突っ込む気もないのだが。


「……うーん」


 ふと気付くと、エッダが俺とマイヤを見比べていた。


「あのさ、リーンさんって、もしかして色々と察するの苦手なほう?」

「あん? 人の気配や殺気を察するのはむしろ得意な方だと思うが、突然何の話だ?」

「…………そっかー」


 俺の問いには答えず、エッダは苦笑と微笑が七対三くらいで混ざり合った表情を浮かべた。

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