64話 お茶会なのです(2)
グンターさんに頼んでお菓子とお茶を追加してもらい、マイヤたちは四人はそれぞれ席に着きました。
八人ほどが座れる大きめのテーブルの半面を使い、部屋の入り口側にマイヤとエッダさん、向かいにグンターさんとイレーネ様という並びです。
母屋の方の応接室は柔らかい長イスと豪華な飾りで派手な印象でしたけど、このお部屋には木のイスとテーブルが置かれているだけ。
応接室というより、簡素な食堂に近い雰囲気ですね。
もちろん清潔で調度品もそろっており、利用には何の問題もありません。
お茶会というには少しばかり妙な雰囲気ですが……まあ、お茶が出ている以上は、お茶会なのでしょうか。
「で、奥様、使用人棟に何かご用ですかい?」
グンターさんが尋ねます。
「イェリング様のメイドに謝りたかったのよ。母屋で会談してる間、こっちの方で待つんでしょうしね」
そしてイレーネ様はむすっとした顔で続けます。
「ついでに、何か暖かいものでも飲ませてもらおうと思って。ちょっと気が滅入ってるから」
「そりゃまあ、お茶をお出しするくらいは全然構いませんがね」
そう言い、グンターさんはイスの上で小さくなってるマイヤに視線を向けます。
「もう少し愛想よくされてもいいんじゃないかと思いますよ。そう睨むような顔してると、子供いじめてるようにしか見えねえ」
「感情取り繕うのが下手なの。マイヤだっけ? あんたをいじめるつもりはないから、怯えるのはやめなさい」
「は、はあ」
と、言われましても、ですね。
イレーネ様、化粧をしていなくても美人さんなのですけど、同時にきつい目つきとか勝ち気そうに吊り上がった眉とか、気性の激しそうな素顔があらわになっている分、より苦手感が増すというか……
「大丈夫だよー、話してみると、そんなに怖い方じゃないから」
エッダさんが明るい声でマイヤに話しかけます。
そういえば、イレーネ様の前なのに先日より気楽そうな表情ですね。
「わたしも謝っていただいたもん。お詫びに少しお給金を上げてくれるって!」
「エッダ、そういうことはぺらぺらと喋るもんじゃねえよ。奥様にも失礼だ」
グンターさんが渋い顔でたしなめましたが、イレーネ様はけだるそうにひらひらと手を振りました。
「いーわよ、別に。盗み食いみたいな子供じみた真似とか、他の人に迷惑がかかる可能性を考えてなかった自分のバカさ加減とか、本当に反省してるから。そういうわけで、マイヤ、あんたも何かお詫びのしるしに欲しいものがあれば言って。お金でも品物でも」
「え? え、えっと……」
とっさには出てこないです。
そもそも、マイヤは今のだんな様との生活に十分満足していますし、欲しいものと言われましても、その、困るのですね。
「それとも謝罪が足りない? もっと丁寧に謝ったほうがいい?」
「い、いえ、必要ないです」
何というか……とくに求めているわけでもないのに謝罪されると、ものすごく反応がむつかしいです。逆の立場になって、初めてわかりました。
マイヤも今後はむやみに謝る癖を治しましょう。
――と、そのとき、一つ思いついたことがありました。
「あの、では……少し教えていただきたいことがあるのですけど」
「何?」
「えっと、あのときのことです」
ロラントさんが捕まって幕引きとなった先日の一件、おおまかな事情はリーン様からうかがっています。
このお屋敷の食料庫から、高価なチーズが消えてしまったのがことの発端。
マイヤとエッダさんはその犯人を突き止めようとしたのですが、途中でロラントさんに襲われてしまいます。
彼はチーズ泥棒とは何の関係もありませんでしたが、別件で良からぬことを企んでいたためマイヤたちの標的が自分だと誤解し、口を封じようとしたのです。
最終的にロラントさんはリーン様に倒され、捕まって牢屋行きになりました。
「結局、チーズを食べてしまった真犯人は、イレーネ様だったのですよね? ゲルト様とケンカしたからだと聞きましたけど」
「そーね」
「お聞きしたいのは、ですね、その、なんでそんなまねを、ということなのです。つまり、えっと、マイヤの考えでは、チーズをこっそり食べても、ケンカをした相手と仲直りしたり、お互いのことをわかり合ったりはできないと思うのですよ。だから、どういう意図があったのかなあって、不思議で……」
これまでマイヤは、あまり疑問というものを持たない生き方をしてきました。
大切なことは偉い誰かが決めてくださり、価値のないゴミクズである自分はそれに従うのが役目だと信じていたのです。
でも、リーン様と出会って、自分を変えたいと思うようになりました。
今は他の人々に接して、その人がなぜそう考えるのか、なぜそう行動するのか理解しようと努力しています。
多分マイヤは、ものの見方がどこか普通の人とずれているのでしょう。
ですから、どうずれているのか、どう直せばいいのか周りの人から学び、いっぱいいっぱい考えたいのです。
そうすることで、成長できるはずですから。
「意図、ねえ」
イレーネ様は、唇の片側だけをきゅっと吊り上げるような、あまり愉快そうではない笑みを浮かべました。
「あんたさ、もしかして、あたしがゲルトと仲直りを望んでたとか思ってる?」
「ち、違うのです?」
ケンカした後はふつう、仲直りしたくなるものではないかと思うのですけど。
「いいわねー、子供って純真で。残念ながら大人はね、もっと底意地が悪いの」
「底意地、ですか」
「そう。あたしがチーズを食べちゃったのはね、あくまであたし自身のため。自分の好物が夕食に出なくてガッカリするゲルトの顔が見られたら、ちょっとは気分が晴れると思ったから。それだけ」
そう言ってイレーネ様はふんと鼻を鳴らします。
「みっともなく肥え太ったあの男への嫌がらせとしては、好きなものが食べられないってのが一番効くでしょうよ。まあ、グンターとエッダに代わりのチーズ用意されちゃったのと、ロラントの騒ぎでうやむやになってしまったんだけど」
ああ、そういうことなのですか、と、マイヤはうなずきました。
少しばかり悲しく思いながら。
つまり、世の中のご夫婦がすべて愛情で結ばれているわけではないのです。
マイヤには理解できないですけど、そもそも仲直りなんて必要ないという、そういう関係もあるのでしょう。
もちろんイレーネ様に対してどうこう言う権利はないのですけど……でもそれは、とっても寂しいことだと思うです。
「納得した? ま、やり方としては浅はかだったし、他人に迷惑をかける筋合いのことではなかったから、さっき言ったようにそれは悔いてるけど。……あとで、イェリング様にも謝罪しないといけないわね」
「そういえば奥様、どうしてわたしたちと一緒に応接室にいらっしゃらなかったんですかー? リーンさん、居たのに」
と、エッダさん。
答えたのはイレーネ様ではなくグンターさんでした。
「さては、今日もまた旦那様とケンカされましたな? かの英雄どうこうより、旦那様と顔を合わせたくなかったんでしょう?」
「…………」
イレーネ様は口を尖らせてそっぽを向きました。図星だったようです。
「気が滅入ってるというのはそれですかい」
グンターさんはため息をつきました。
「で、今回の火種は何だったんです?」
「ゲルトが悪いの!」
イレーネ様は強く主張しました。
「あたしに何も教えず勝手に出張の計画を進めてて、いきなり『仕事で長旅に出る』って! 本来あたしがこの商会の跡継ぎなのに!」
そういえば、元々商会を経営してらしたのはイレーネ様のお家で、そこに商いの腕を見込まれたゲルト様が婿入りされたというお話でした。
その結婚にお二人の意思は存在していたのでしょうか? ――と、ふと思います。
もしかしたら、そもそも最初から好き合って一緒になったわけではなかったのかもしれないですね……
「国の偉い人から頼まれて、南西のカツィカまで行って市を立て直す。だからしばらく留守にする、ですって! しかも、こういう仕事がこれからさらに増えてくるって! なんでそんなこと、勝手に決めてくるのよ! 全部決まってから、結論だけ告げるのよ! 相談くらいしてくれてもいいのに、あたしはそこまで頼りにならないわけ!?」
「そりゃま、奥様に苦労を掛けたくないんでしょう。保護者のようなお気持ちなんでしょうな、旦那様は」
尻上がりに勢いを増すイレーネ様のお怒りに、グンターさんは落ち着いた声でお相手をします。
「確か、幼い頃からのお知り合いなのでしょう?」
「奴がうちで働き始めたころからだから、もう十数年ね」
えーと、見た感じイレーネ様は二〇歳くらい、ゲルト様は三〇歳の前半から半ばくらいですから、イレーネ様が一〇歳のときにはゲルト様はもう二〇歳を越えているわけですね。
「だ・か・ら・こ・そ・許せないの! いつまでも子供扱いすんなっての! あたしはもう大人で、色々勉強して、成長だってしてるのに! ちゃんとゲルトの役に立てるのに!」
イレーネ様はそう言うとぐいとお茶を飲み干し、乱暴にカップを置きました。
熱くないのかな、とぼんやり思います。
マイヤは熱いのが苦手なので、まだカップに口をつけられずにいます。
「この間だってそう。体重増えてきたみたいだし健康に悪いから、食べるものに気を遣って少し節制してほしいって言ってんのに『でも、付き合いってものがあるからね。はっはっはっは』だって。耳なんか貸しやしない。そりゃ頭にきて、あいつの好物を貪り食ってやりたくなるってもんよ! ねえ、エッダ、そう思わない!? 正直に答えなさい!」
「え、ええ!?」
突然指名されたエッダさんは、目を白黒させます。
「その、わ、わたしは、わたしだったら……うーん、多少体に悪くても、好きなものをお腹いっぱい食べたいと思う、かなあ」
「…………理解者がいない」
そう言うと燃え尽きたように、ぱたりとイレーネ様はテーブルの上に倒れ伏しました。
あ、いえ、マイヤはイレーネ様のお気持ち、少しわかるですよ?
たとえば、体調がすぐれないにもかかわらず、リーン様が浴びるようにお酒を飲んでおられたとします。
マイヤは当然心配しますし、控えられてはどうかと進言しますが――もしそこで、笑って適当にあしらうような態度を取られたら、悲しくなるでしょう。
場合によっては、いつかのように爆発してしまうかもしれませんですね。
もちろんマイヤはまだ子供ですから、子供扱いされるのはしかたないです。
でも相手のことを心配する気持ちは本物ですし、それを軽く扱われるとやっぱり傷つくですよね。うん。
(……あれ?)
と、そこでマイヤは小さく首を傾げます。
マイヤの考え方とは全然違うなあ、と思っていたイレーネ様のお気持ちやご夫婦の関係を、いつのまにか自分のことのように感じて、納得していることに気付いたのです。
どうしてなのかな、と考えてみると――
「……あ……あああ、わかりました!」
マイヤは思わず大声を上げていました。
「イレーネ様は、ゲルト様のことが心の底から大好きなのですね!」
「な――」
イレーネ様は顔を起こして声にならないような声をもらし、そのまま固まってしまいます。
マイヤは心が浮き立っていたので、気にせず続けました。
「最初に『好き合っていない』なんて考えたから、わからなくなってしまったのです! マイヤがまちがってたです! イレーネ様はずっとゲルト様が大好きで、構ってほしくて、自分に目を向けてほしくて、だからチーズを食べたりしてしまったのですね!」
「え? そう、なの?」
エッダさんが目を丸くしてマイヤを見ます。
「だとすると、ちょっとびっくりだなあ。ずっとケンカしてばかりだから、わたし、お二人は仲が悪いんだと思ってたよー」
「仲が悪いはずはないのです!」
マイヤは力強く断言しました。
「だって、置いて行かれるのが嫌だったり、真剣に向き合ってもらえないのが辛いのは、相手が大切な人だからこそなのですから!」
お話をマイヤとリーン様の関係に置き換えてみると、マイヤにもイレーネ様の心の動きがよくわかりました。
ということはつまり、イレーネ様はゲルト様が大好きだということなのです。
ちょうど、マイヤがリーン様のことを心から大好きなように!
「大好きで大好きでたまらないからこそ、ケンカになってしまうのですよ! ケンカは良くないかもしれないですけど、でもイレーネ様のその気持ちは、大好きだって気持ちは、本当に素敵だとマイヤは思います、です!」
自分の気付きが嬉しくて、マイヤは思ったことを一気に言い切りました。
ふと見ると、イレーネ様が机につっぷし、ぷるぷると震えていました。
顔は見えませんが、首筋と耳たぶがまっ赤に染まっています。
……どうされたのでしょうか?
「あ、あの、マイヤ、また何か変な、ずれたことを言ってしまったです……?」
「ずれてねえよ、逆だ、嬢ちゃん」
真面目な顔で言ったのは、グンターさんでした。
「世の中には暗黙の了解、とか、言わぬが花、とかいう言葉があってだな」
「はあ」
「つまり、大人ってのはひねくれてるから、あまりにも正しくて真っ直ぐな言葉で核心を射貫かれると、恥ずかしくて身悶えせざるをえんのだよ」
「よ、よくわからないですけど、えっと、つまり、マイヤは間違ってなかったのですよね? イレーネ様はゲルト様を深く想っておられるということで、ちゃんとご夫婦の間にはすばらしい愛が――」
「…………める」
今度は突っ伏したイレーネ様から返事がありました。
「みとめる、から、そのへんでもう許して……」