61話 師と弟子と(3)
「――とすると、君たちはすでに彼の家を訪れていたというわけか」
レオは驚いたように軽く眉を上げた。
「使用人の一人が暴れて取り押さえられたという報告は受けていたけれど……ふーん、まさかリーンとマイヤが絡んでいたとはねえ」
師ミナヅキについての話を聞くため、俺たちはレオについて行くことにした。
道すがら、あのゲルトとかいう商人の屋敷で起こった事件の顛末を説明していたところである。
「い、いえ、あの、マイヤは別に何も。ロラントさんを取り押さえたのはリーン様ですし……」
「謙遜するこたねえよ。エッダを助けたのはお前だろ」
完全な事実なのだが、やはり自分を過小評価するこいつの癖はなかなか抜けないようだ。
治せと命じて治るようなものでもないだろうし……難しいな。
例えばあのエッダのような娘が対等な友人となってくれれば、改善のきっかけになるかもしれないが――
「しかし、リーンも変わったよねえ」
レオの声に思考を中断させられる。
「……あん? 俺?」
「つまり、つい数日前にもこの道を通ってゲルトの屋敷までを往復したわけだろう? ずいぶんと外出好きになったじゃないか」
「それは嫌みか?」
「いやいや、感心してるんだ。いいことだと思うよ」
俺は肩をすくめた。
「酒飲んでた時間が暇になったからな。ま、景色を眺めながら散歩するのも悪くはないさ」
「よかったら今度、景色のきれいな湖畔の別荘にでもご招待しようか?」
「それは嬉しいな。お前が同行しないんだったら、喜んで応じよう」
そこで、俺は少し声を落とし続けた。
「で、あの暴れたロラントとかいう男、何者だったんだ?」
「あー……そうだね、それは少しばかり微妙な話になるし、ゲルトにも関係することだから、着いてから話すとしようか。ほら、もうすぐだ」
レオの指さす先に、見覚えのある屋敷があった。
この前はエッダに案内されて裏門から使用人棟へと回ったが、今回は正門から正面玄関に真っ直ぐ向かう。
ノックするまでもなく、執事らしき初老の男が扉の前で待ち構えていた。
「やあ、お邪魔するよ。ゲルトに取り次いでくれるかい?」
「承知いたしました。少々お待ちくださいませ」
レオが名乗りを省略し、それに執事も疑問を呈さなかったところを見ると、過去に何度も非公式な訪問を行っているのだろう。
「あ、あの、大切なお話をされるのでしたら、マイヤはご一緒しない方がいいですか? でしたら、この間の使用人棟に――」
「いえ」
遠慮しようとしたマイヤを遮ったのは、執事だった。
「それには及びません。お連れのお嬢様もお通しするよう、主に言いつかっております」
「え……ええ?」
親切な申し出だったが、むしろマイヤは怯えたように俺の顔をうかがった。
「ま、向こうがいいつってるんだから、いいだろ。ついてこい」
「は、はい」
俺たちを玄関広間に通した後、執事は一礼して奥に引っ込み、そしてすぐに恰幅の良い男を伴って現われた。
三十代半ばくらいか。中背で太めだが、不思議と鈍重そうな印象はない。
衣服や装飾品は上物。ただし意匠は簡素で品の良いものだった。
確かに先日すれ違った馬車に乗っていた男だ。
「ようこそ、レオポルト殿下。ご足労をおかけして、申し訳ありませんですな」
「なに、こっちが公邸に呼びつけると目立つからね。落ち着いて話せる場所の方が、僕としてもありがたい。紹介しよう、ゲルト。こちらの男は――」
「存じ上げております、竜殺しの英雄〝千竜殺〟リーンハルト・イェリング様」
ゲルトは愛想の良い笑みを浮かべて言った。
また勝手に俺の名前をべらべら喋ったのかと横目で睨んでやると、レオは心外そうな表情を浮かべた。
「僕からは教えてないよ。情報収集を依頼したときも、君の素性は伏せたし」
「独自の情報網がありますので。それが優秀なものであったからこそ、殿下のご信頼を勝ち取れたのだと自負しております」
商人は穏やかな口調で続ける。
「イェリング様のお名前は以前から聞き及んでおりました。とはいえ、お顔とこの街にいらっしゃることを調べて把握したのは、先日、ここで起きた騒ぎの後なのですけどね。ご気分を害されましたか?」
「……いや。少し驚いただけだ」
もともと顔を合わせたときに身分を明かすつもりではあった。
頼み事をしているのはこちらの方なのだし、正体を隠したままというのも不誠実だろう。
「とりあえずは腰を落ち着けましょうか。お話はそれから。奥へどうぞ」
通された応接室は豪奢なものだった。
広さでいえば俺の屋敷のもなかなかのものだし、マイヤがやってきてからは清潔に保たれてもいる。
が、そもそも客を通すことがほとんどないので、内装は簡素なものだ。
その点ここはもてなしの意思と、おそらくはある種の示威効果を狙って、しっかりと整えられ飾り付けられている。
「さて。まず最初に、お礼とお詫びを」
俺たちにイスを勧め、自分も腰を下ろすと、ゲルトは口を開いた。
「当家の使用人の命を助けていただき、本当にありがとうございました。またあのような狼藉者を雇い入れたのはこちらの不始末でもあり、誠に申し訳ありませんでした。イェリング様、マイヤ様」
「ま、まいや、さま!?」
隣の犬耳娘が大声を上げ、そして慌てたように自分で自分の口を押さえた。
多分、様付けされるなんて、生まれて初めての経験だったのだろう。
「そう畏まられるほどのことじゃねえよ。大した労力でもなかったしな」
「とはいえ……」
と、そこで応接室の扉を叩く音がした。
「おや、ちょうど来たようですね」
「来た?」
「やはりお礼は直接申し上げた方がよろしいでしょう。本人たちもそれを希望していますし。――入りなさい」
主の声に応じて扉が開く。
入ってきたのは、髪に白いものがまじっている男、そしてマイヤと同じ年頃のメイド――グンターとエッダだった。
「先日は孫娘を助けていただき、ありがとうございました」
淡々とグンターは言う。
緊張でガチガチになっている様子のエッダが続けた。
「あ、ありがとうございました。それと、あの、ご身分を知らなかったとはいえ、かなり、し、失礼な口の利き方をしてしまったことを、お許しください。リーンさ……イェリング様、マイヤ様」
「ま、まいや、さま……」
今度はショックを受けたようにマイヤは呟く。
俺はため息をついた。
ああ、煩わしい。だからこのくそったれな肩書きを公にしたくないのだ。
「当然のことをしたまでで、礼には及ばねえよ。それから、口調は前までの通りで頼む。やりにくいったらねえからな」
そもそも不快なら最初にそう言っている。
エッダは反応に困ったように祖父を見上げ、グンターは、ふむ、と一つ鼻を鳴らしてから口を開いた。
「ま、あんたなら、そう言いそうな気はしてたがね。それでは、以前の通りに戻させてもらおう。――構いませんな? 旦那様」
「むろんだ。イェリング様がそう望まれたのだから」
主の許可を得、グンターは俺に視線を戻した。
「正直なところ、オレもこっちの方が気楽だ。ああ、当然ながら感謝の気持ちは本当だよ。先日はてんやわんやでまともに話せなかったからな。あらためて礼を言わせてくれ」
「う、うん、ほんとにありがとう、リーンさん、マイヤ」
「い、いえ、そんな、大したことではないのですよ」
そう言いながら、マイヤはどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「さて、では、お前たちは下がりなさい。私たちはこれから少し大事なお話をしないといけないからね」
「マイヤも二人について、外で待ってろ」
エッダと話したがっていたし、中でつまらない話を聞いているよりその方が良いだろう。
「終わったら呼びに行く」
「は、はい、かしこまりました、です」
三人が部屋を出て行くと、俺はゲルトに向き直った。
「――話の前に、だ。俺が竜殺しの英雄であるということは、どのくらいの人間が知っている?」
「私が話したのは妻と執事、あとは先ほどのグンターとエッダくらいですな。失礼があってはいけないと思いましたので」
「それを咎める気はねえが、それ以上広まらないように願う。騒がれるのは好きじゃない」
「承りました」
ゲルトは請け合った。
「何だったら、あんたも口調を崩してもらって構わねえが? 俺の方がかなり年下だろう?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私はこれが地ですし、何よりお客様に家人のような接し方をするわけにはまいりませんよ」
苦笑するゲルトを見て、俺は食えない奴だなという印象を受けた。
一定の距離を置いて観察されているような感じだ。
「さて、それでは、本題に入ろうか」
レオが空気を切り替えるようにぽんと手を叩く。
「まずは、先日この屋敷で暴れ、リーンに叩きのめされたロラントなる使用人について。彼の正体が判明した」