6話 マイヤ、だんな様のお役に立ちますです!(1)
人竜戦争の終結まで――つまり一年と少し前まで、マイヤは軍の見習い兵でした。
マイヤの両親はともに狼犬族です。
二人は西方国境地帯の領主ブラウヒッチ伯爵様のもと、辺境軍対竜獣人隊に所属しており――そして人竜戦争で名誉の戦死を遂げました。
遺体は見せてもらえませんでした。
何でも竜のブレスにより一隊丸ごと焼き払われ、見分けるのも難しい状態になっていたそうです。
他に身寄りもなく9歳にして孤児となったマイヤは、ブラウヒッチ家配下の辺境軍のなかで育てられることになりました。
狼犬族は足が速く優れた五感を持っており、特に偵察兵などに向く種族だそうですから、将来を考えて養う価値があると判断されたのでしょう。
実際、獣人は十代前半から戦場に出ることも珍しくないですしね。
毎日年上の人たちに混じって訓練を受け、空いた時間はブラウヒッチのお屋敷の庭仕事、荷物運び、その他いろいろな雑用をこなし、そのかわりに寝床や食事を提供していただきました。
不器用でおバカさんで、お話しにならないほどの役立たずなマイヤでも、ご飯をいただけるのです。
不満など、かけらもありませんでした。
いつか正規兵になって、ご恩が返せればと思っていました。
しかし結局、マイヤが見習いから昇格することはありませんでした。
エルラ皇国暦298年、人竜戦争が終わったのです。
まだまだ竜の逆襲には警戒しなければなりません。
とはいえ、戦闘が日常のものではなくなった以上、兵士の仕事はどうしても減ってしまいます。
悪いことに、伯爵様のご領地は人竜戦争でとても大きな被害を受けていて、しかも、大だんな様――ご当主であったクルト・ブラウヒッチ様は、竜との戦いの中で命を落とされていました。
そこで跡継ぎとなったご長男のカスパル・ブラウヒッチ様は、領内の財政立て直しのため、獣人隊の大幅な縮小を決定されたのです。
こうして、マイヤの居場所はなくなったのでした。
◆◇◆◇◆
兵営から立ち退く日のことでした。
「――よお、《折れ耳》」
わずかな手荷物を抱えて迎えの馬車を待っていたマイヤは、声をかけられ視線を上げます。
顔見知りである虎族の四人兄妹がこちらを見ていました。
「《折れ耳》、お前、売られるんだってな?」
《折れ耳》というのは、マイヤのあだ名。
狼犬族の耳は、普通ぴんとまっすぐ立っているものなのですが、マイヤのはなぜか、頭の上でぺたんと寝たままなのです。
恥ずかしいので、そう呼ばれるのはあまり好きではないのですけどね。
「ええ、そのように決まりましたです」
マイヤは答えました。
獣人隊のなかから、歳を取っているもの、大きな傷を負って戦うのが難しいもの、見習いで一人前の仕事ができないものを中心に不要者の選抜が行われ、まとめて奴隷商人に払い下げられることになったのです。
そして11歳の見習いだったマイヤは、当然のごとく『不要』の側でした。
「お気の毒だなあ、おい」
「まあ犬っころじゃ仕方ねえよ。弱っちいしな」
「あ、俺たちは今度の編成で、見習いから正規兵に昇格したぜ?」
彼らは口々に言いました。
黄色と黒の縞尻尾が、誇らしげに揺れています。
虎族四兄妹は、確か一番上のお兄さんが17歳で、次が16歳男の双子(そっくりです)、そして一番下の妹さんが14歳。
皆さん、つい先日まではマイヤと同じく見習い兵の身分でした。
「そうなのですか、それはおめでとうございます」
心からマイヤは祝福しました。
運命が分かれてしまったとしても、他人の幸せは嬉しいものですしね。
虎族は戦闘に優れた種族です。
腕力の強さのみで比べるなら、狼犬族よりずっと上。
ですから、彼らを残しマイヤを売るというカスパル様の判断は、当然のものだと思いました。
しかし――彼らはマイヤの言葉に対し、拍子抜けの表情を浮かべていました。
何かまずいことを言ってしまったのでしょうか?
「……自慢しがいのねえ奴だな、つまんね」
「羨ましくねえのか? 《折れ耳》ちゃんよお」
「正規兵として軍に残れるってのはな、俺らが英雄たちと肩を並べて戦ったり、部下として取り立ててもらえるかもしれねえってことなんだぜ?」
「英雄たち?」
マイヤは首を傾げます。
「竜殺しの英雄。聞いたことくらいあんだろ。《千竜殺》とか《万斬領域》とか」
「あと《炎獄の主》、《不倒壁》なんかも」
ああ、とうなずきます。
そこまで教えてもらって、ようやくマイヤにもわかりました。
人竜戦争で伝説的な戦果を挙げ、皇帝陛下より称号をたまわった規格外の人たちのことですね。
戦争中から彼らを讃える歌やお芝居がたくさん作られて、今や民の間では皇帝陛下を上回るほどの人気があるそうです。
マイヤはとうとう戦場に出る機会がなかったのですけど、それでもその称号のいくつかには聞き覚えがありますし、『とんでもなくすごい人たち』であることは知っていました。
――強さは誇り。
――強者に仕え、戦いの中で死ぬことこそ誉れ。
これは竜と戦う獣人たちの間で、ほとんどあいさつ代わりに交わされている言葉です。
マイヤたち狼犬族は、偵察や伝令が主なお仕事なので今ひとつぴんとこないのですが、戦いを得意とする彼ら虎族にとって竜殺しの英雄は憧れであり、そういう方々に指揮されて戦にのぞむのは、夢といってもいいものなのでしょうね。
「それは素敵ですね! マイヤも、皆さんが英雄様たちに出会えることをお祈りしていますですよ」
笑顔でマイヤは言いました。
しかし。
彼らは何故か不満そうに鼻を鳴らし、アホ相手じゃ自慢も自慢になりゃしねえ、などと言って立ち去ってしまいました。
どうやら……マイヤはまた何か失敗したようです。
どこが悪かったのかはわかりませんけど。
と――それまで一言も発しなかった最後尾の女の子が足を止め、マイヤに視線を向けました。
四兄妹の末の妹さんです。
彼女は静かな口調でマイヤに尋ねました。
「……マイヤ、あなた、怒りを覚えないの?」