58話 犬耳娘とチーズの行方(7)
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当然ながら、その後はちょっとした騒ぎになった。
陽気な男前で通っていた下働きが、突然子供に襲いかかるなど信じられないという声もあったものの、マイヤやエッダの証言と凶器の短剣、そして人が変わったように顔を歪めて呪詛を吐く姿が文字通り雄弁な証拠となり、ロラントは到着した衛兵たちに連行されていった。
俺とマイヤも聴取を受け、家に帰るころには夜になっていた。
「あの……結局、何がどういうことだったのです? ロラントさんは、なぜ突然、襲いかかってきたのでしょう?」
ずっと釈然としない表情だったマイヤは、屋敷に戻ってくるなりそう言った。
「チーズ泥棒ばれるのが嫌だったのかなとエッダさんは言っていたですけど……マイヤはどうもそんな感じがしないのです。飢え死するわけでもないのに食べ物のことで殺そうとするとか、ちょっと考えられないですし、それに――」
「あの男からは、チーズのにおいがしなかった、だろ?」
マイヤは驚いたように俺を見上げ、そしてこくんとうなずいた。
「ま、あいつがチーズ泥棒じゃないのは確かだな」
「じゃあ、どうして、あんなことを?」
「あー、そうだな、推測になるが……偶然というか、巡り合わせが悪かったのかと思ってる」
俺はいつもの長イスに腰を下ろし、髪を掻き回した。
「ゲルトといったか、あの家の主は大金持ちだ。加えて、街の再興や市の仕切り任されるような立場なら、国の上の方ともつながりは深いだろうな。だとすると、当然目を付ける奴らも出てくるだろう」
「と、おっしゃると……?」
「金目当ての盗賊、もしくは国内の敵対する派閥、あるいは他国の手のもの」
押し込みを働くに先立って標的の家に入り込み、家族構成や生活習慣、金の保管場所などの下調べをする盗賊団は珍しくない。
政の世界なら、対立陣営に間諜を送って探りを入れたり工作をしたりするのは茶飯事だろう。
体術、短剣さばきなどは専門の訓練の受けた人間のそれだったから、盗賊よりは間諜の方が可能性は高そうだ。
やたら使用人の女たちと仲良くしていたというのも、情報収集が目的か。
「あそこの主人、行き場をなくして困っている人間を積極的に雇い入れていたそうだし、入り込むのは容易だっただろうな。で、普段からこっそり屋敷内を探り回るのを日課にしていたロラントだったが、ある日、彼の前に獣人の娘が現れた。なんと、人間の行動した範囲をにおいで追跡できるという」
おそらく奴は内心大いに慌てたはずだ。
行動に不審な部分が見つかった場合、命取りになる。
「あ……そういえば、エッダさんが、ロラントさんに『旦那様のものが盗まれちゃったから、犯人を探してる』と言ったのです。今思うと、そのあと少し様子がおかしくなった、ような」
役目を考えれば、ロラントが家の主であるゲルトの私信、帳簿、書類などを入手していたことは十分に考えられる。
そこへそんな言葉を聞かされたら、正体がすでに露見済みであるという事態まで想定するだろう。
「だからお前たちの口封じという手段に出た。最悪、捕まらなければいい。必要なものをまとめて逃げ出すだけの時間を、確実に稼ぎたかったんだろうさ」
相手は年端もいかない少女だが、二人というのが少し問題になる。
片方を拘束している間に、もう片方が悲鳴でも上げると非常にまずい。
だから、生かしておくのは諦め、声を出せないよう喉を切り裂いて殺す。
死体は埋めておけば問題ないだろう。
発覚しておおごとになるころには、自分はとっくに姿を消している。
――とまあ、こんな感じだったのだろうが……想像しているうちに、なんかまた腹が立ってきたな。
もう少し丁寧に壊してやってもよかったか。
マイヤはふう、と息を吐いた。
「マイヤじゃどうにもできないくらい強くて怖い人じゃなくて、ほんとによかったです……。エッダさんも何とか守れたですし」
「ああ、よくやった」
頭を撫でてやると、マイヤはようやく安堵したような笑顔を見せた。
一般的な基準で言えば、実のところロラントは決して弱くない。
毎日俺と組み手をしているマイヤの技量が、本人の自覚以上に、そしてロラントが『皇家直属の手練れ』と誤解するくらいに高いのだ。
おそらく専門の軍人や武人でも、こいつに勝てる奴はそう多くない。
まあ気後れせず実力を最大限に発揮できる状況なら、という前提の話ではあるし、そのあたりがこいつの課題でもあるのだが。
「あの、もしかしてだんな様は、ロラントさんがそういう人だということに、最初から気付いておられたのです?」
「きな臭いものを感じてたって程度だがな。立ち姿、歩き姿が素人のものじゃなかったから」
もちろん人には様々な過去があるわけで、元軍人や元盗賊がお金持ちの使用人に転職していたとしても、それ自体は俺の関与するところではない。
が、グンターの話を聞く限り、どうも身元の確かな者だけが雇われているわけではなさそうだった。
なので念のため、奴には不用意に近づくなと注意しておこうと思って二人の姿を探していたところ、あの場面に遭遇したというわけである。
「ま、あとは、街の衛兵に任せておけばいいさ。締め上げて正体と目的を吐かせ、いいように対処してくれるだろう」
「はい」
マイヤはうなずき、そして、小さく首を傾げて続けた。
「あの、だったら結局、チーズは誰が盗っていったのです?」
「興味あんのか?」
「興味というか、その、不思議なのです。あの騒ぎでお屋敷の人たちが庭に集まってきたですけど……そのとき、チーズのにおいが感じとれた使用人の方は、一人もいなかったので」
「使用人じゃないのなら、一人いただろ?」
「は、はい」
「誰だ?」
「えっと、あのお家の奥様、イレーネさん」
マイヤは、でもそれが? という顔。
旦那様と奥様のものなので、使用人の口には入らない。裏を返せば、旦那様と奥様は普通に食べているということで、何の不思議もない。
ただ――
「グンターが言ってただろ。『どうにか夕食「には」チーズを出せる』って。つまりあの日の昼食、もしかしたらもう少し前から、問題のチーズは食卓に出てねえんだよ。旦那の方は盗まれた時間に外出中。使用人からはにおいがしない。となれば、チーズを勝手に食ったのは、あの若奥様しかいない」
簡単な推理だな。
――と格好つけて言えればよかったのだが、本当のところはそんなに大層なものでもない。俺はグンターから直接真相を聞いていたのだ。
「もしかして――犯人の見当が付いてるんじゃねえか?」
俺はグンターに尋ねた。
「あー、見当っつうか……実を言うと、もう奥様から直々に謝罪されてるんだよ、お前らが来る少し前のことだ」
頭を掻きながら料理長はそう言った。
旦那のゲルトは食道楽で、家の中でも外でも美味いものを食いまくる。
妻のイレーネは、夫がぶくぶく太っていくのが我慢できない。
そして今朝、そのことで夫婦げんかが勃発した。
「頭にきたんで、旦那様の大好物を取り上げてやろうと思ったんだそうだ。で、チーズは怒りにまかせて全部食っちまったんだと。しかし頭が冷えてみると、盗み食いは確実にばれるし、騒ぎになっても後味が悪い。だから、悪かったと。――ま、奥様つってもまだまだ子供なんだよ、あの方は」
出来の悪い孫を思うような表情で、グンターはため息をついた。
正直なところ、意外な犯人ではなかった。
過剰なほど使用人犯人説を強調するのが不自然だったので、真相はそんなところかなと見当はつけていたのだ。
とはいえ……改めて聞くと、脱力するような話ではったが。
「んじゃ、なんであいつらに犯人捜しさせてんだ?」
「奥様が犯人でした、なんて広めるわけにもいかんだろう。エッダの奴、おしゃべりだしな。使用人の中に犯人はいないんだから探しても見つかるわけないし、子供同士が仲良くなるにはちょうど良いと思ったんだよ」
グンターは少しきまり悪そうに肩をすくめた。
「うー……つまり、マイヤががんばらなくても、最初から解決済みだったということなのですね」
話を聞き終えたマイヤは、少しばかり落ち込んだようだった。
「エッダさんたち、怒ってらっしゃるでしょうか?」
「なんでだよ」
「だ、だって、マイヤの鼻ならにおいをたどれるなんて、余計なことを言ってしまったからあんな騒ぎになって、エッダさんが危険な目に……」
「違うだろ」
それを言うなら、俺もグンターも、あの時点ではこんなことになるなんて想像もしていなかったのである。
「ロラントが暴れたのはロラントが悪いんだよ。そもそもお前がいなければあの野郎の本性はわからないままで、なにか良からぬ目的を達成していたかもしれねえ。酷い事件を未然に防いだと考えろ」
「そう、なのでしょうか?」
「そうなんだよ。実際、お前の能力自体は大したもんだからな」
俺は意識して軽い口調を作った。
世話の焼ける奴だ。
「日常生活でも便利だと思うぞ。そうだな……その鼻があれば、男の浮気なんかすぐに見抜けんだろ?」
「うわ、き?」
「あー……その、つまり、色々な女と仲良くすることだ」
「エッダさんが言っていた、女たらし、みたいな意味です?」
「そうそう」
誰かに会えば、そのにおいが残る。
そして単に言葉を交わすのと抱きしめ合うのでは、当然においの強さも違ってくるだろう。
つまり誰とどこで何をしていたか、ということに関して嘘が通用しないわけで、そう考えると、将来こいつと結婚する男はなかなか大変だなと思う。
ま、今のところは、男と女が『仲良くする』という意味もわかっていないお子様だし、まだずっと先の話だろうが。
と、そのとき、マイヤが首を捻っているのに気付いた。
眉間に深めのしわを刻み、怒っているような悲しんでいるような混乱しているような、複雑な顔をしている。あまり見たことのない、珍しい表情だ。
「どうした?」
「いえ、その……想像してみたのです」
何をだ。
「だんな様のおっしゃるのって、例えば、こう、一緒に暮らしている方を『おかえりなさい』と笑顔で出迎えたときに、マイヤ以外の女の人とものすごく仲良く遊んできたにおいがした、みたいなことですよね?」
マイヤは俺のことをじっと見つめながら、そう言った。
「まあ、そうだな」
「そんな光景を思い浮かべると、ですね、胸がきゅっとなって、ちくってして……なんだか、嫌で悲しくて、許せない気分になるのです」
へえ、と俺は意外に思い、同時に少し感心した。
嫉妬心は相手を大切に思っていることの裏返しであり、傷つくのはそうなるだけの自尊心があるからだ。
もちろん愉快なことではないだろうが――そういう感情の芽生えは、卑屈で自分に価値を認めていなかったマイヤの成長の証でもある。
良い傾向ではないだろうか。
(に、してもこいつ……)
意外に独占欲が強いのかな。
将来こいつと付き合う男は、度量の広さを試されることになるかもしれない。
「ま、共に生きていくんだったら、浮気なんてしない良い男を見つけることだ」
「は、はい」
なぜか再び俺のことをじっと見つめながら、マイヤは答えた。
「ああ、話が逸れた。エッダがお前のことを怒ったり恨んだりしているか気になるなら、また今度、会いに行って直接聞いてみればみればいいさ」
「だ、大丈夫、でしょうか?」
「少なくとも俺は、何の心配もしてねえけどな」
――それを試す機会は、意外に早く訪れた。
思いがけない用で、俺たちはあの商人の屋敷を再訪することになったのだ。
6章終わり。次から7章。
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