57話 犬耳娘とチーズの行方(6)
マイヤたちを襲った刃が、弧を描き宙を奔り抜け再び元の位置に戻ったとき――
三人はそれぞれ驚きの表情を浮かべていました。
なかでも一番びっくりしていたのは、短剣を振るった当人であるロラントさんのようでした。
「な……に? かわした、だと? こんなガキが?」
ほんの少しだけ時間を戻します。
マイヤとエッダさんは、掘り返されてデコボコになった足元に気をつけながら、ロラントさんのもとに歩み寄りました。
そして、あと二、三歩という距離にまで近づいたとき――ロラントさんは陽気な笑顔を浮かべたまま、隠し持っていた短剣を抜き、突然切りつけてきたのです。
しかも一呼吸の間に二撃、正確にマイヤたちの喉を狙って。
それはこれまで何度も何度も繰り返して体に染み付かせていたような、滑らかで慣れた動きでした。
完全に予想外の不意打ち。
あれこれ考えて対処するような余裕はまったくありません。
ですから、マイヤは体をわずかに引いて最初の攻撃をかわしたあと、エッダさんを力任せに地面に引き倒し、彼女を狙った二撃めにも空を切らせるのがせいいっぱいだったのです。
「え? ……え、ええ?」
エッダさんは地面に尻餅をつき、何が起こったのかわからないという表情。
ケガはないようですけど、メイド服は泥まみれになってしまったのでお洗濯しないといけないでしょうね。
もうしわけないことをしてしまったです。
あ、いえ、謝るのはまた後ほどとして。
マイヤはきっとロラントさんを睨みました。
「あ、ああ、あぶないのですよ!? 何も言わずに斬りかかってくるなんて!」
……言葉にしてから気付きましたけど、何か言ってからなら斬りかかっていいというわけでもないですよね。ちょっとおかしかったでしょうか。
「…………」
ロラントさんは無言のままです。
そして――再び襲いかかってきました。
右手の短剣を振り上げ、振り下ろす――と見せかけ、それを囮にして左の蹴り。続けて右の後ろ回し蹴り。
「わ、わ――!」
どうにか避けられました。
とはいえ、かわすだけでなく、止めなければいけないですね。
刃物を振り回されると危ないですし、お話もできませんし。
一つ息を吐き、覚悟を決めて踏み込みます。
突き出された短剣を首を傾けてかわし、ひじが伸びきった瞬間にマイヤはロラントさんの手首を掴みました。
「お、落ち着いてください、です! あ、あのですね、まず何をそんなに怒っているのか、教えていただけないですか? マイヤたちが何か、失礼なことをしたのなら謝りますか――わ!?」
体がふわりと宙に浮かびました。強引に投げ飛ばされたのです。
マイヤは空中で体をひねって、すとんと両足で地面に着地。
その瞬間を狙って、ロラントさんは鋭く斬りつけてきます。
最初のものより数段速度を上げた斬撃でしたが、今度はマイヤも予想していたので、いくらか余裕をもって回避できました。
落ち着けば、攻撃に先んじて勁の動きを見ることができます。
あわてず対応すれば大丈夫。
それにリーン様にくらべたら、全然ゆっくりですしね。
毎日リーン様と勁功のお稽古していて、本当によかったです。
「マ、マイヤ、あなた、すごいんだね」
斜め後ろあたりから、エッダさんの声が聞こえました。
「いえ、リーン様にちょっと護身術とかを教わっていただけで……」
「護身術だと?」
唇を歪め、ロラントさんは吐き捨てるように言いました。
いつのまにか笑みが消え、怖いお顔になっています。
「ただのガキが護身術を学んだ程度でこんな動きができるものか。獣人のお前、エルラ皇国直属の――おそらくは皇家の手の者だな?」
「…………」
………………はい?
マイヤは思わず目を瞬かせました。
何のお話かさっぱりわからなかったのです。
しかしロラントさんは、それを肯定の沈黙と受け取ったようでした。
「ふん、俺の動きはすでに勘づかれていたというわけか。獣人の嗅覚を利用して、行動を調査させるとはな。あるいは、子供の姿で油断させて近づき、捕縛でもするつもりだったか? いずれにせよ、貴様らを少し甘く見ていたようだ」
「あ、あの……?」
何か、とんでもない勘違いをされているような気がするのですけど。
「だが、残念だったな。俺はここで捕まる気などない」
、ロラントさんは短剣をこちらに向けたまま、じりじりと後退します。
えっと……どうしたら良いのでしょう?
困惑しつつもどうにか誤解を解こうとマイヤが口を開きかけたそのとき、ロラントさんは動きました。
腕を大きく振りかぶり、手に持った短剣を投げつけたのです。
――マイヤではなく、エッダさんめがけて。
「危ない!」
マイヤは彼女に飛びついて、地面に押し倒しました。
首元の髪の毛を数本巻き添えにして、刃が肌すれすれのところを通り過ぎます。
そしてその間に、ロラントさんは後ろを向いて駆け出していました。
お屋敷の塀を跳び越え、外へ逃げ出そうというのでしょう。
マイヤは追いかけたりはしませんでした。
というか、もうなんでこんなことになっているのかわけがわからず、ただぼうぜんと見送るしかなかったのです。
しかしそのとき、ロラントさんが突然大きく体勢を崩し、地面に転びました。
その足には、先ほど彼自身が投じた短剣が突き刺さっています。
「忘れ物だ。ちゃんと持って帰れよ」
マイヤたちの背後から、そんな男の人の声が聞こえました。
「え、あれ、リーン様……?」
「ケガは?」
「だ、だいじょう、なのです。二人とも」
マイヤが答えるとリーン様は一つうなずき、うずくまってうめき声をあげているロラントさんのところへと足を向けました。
「さて、ちょっとお話しようか――っとぉ」
痛みで動けないと見えたロラントさんが跳ね起き、もう一本隠し持っていた短剣を突き出したのです。
でも――
「あ……ぎゃッ」
次の瞬間、その手首は痛そうな形に折れ曲がっていました。
「俺はお話しようつったんだがな。それともお前、拳で語り合いたい系か?」
短剣を取り上げ、投げ捨てながらリーン様はおっしゃいます。
「ま、それはそれで助かる。うちのに手を出した奴には、きっちり報いを受けてもらうことにしてるからな。つまり、そうやって足掻いてもらえると――」
唇がきゅっと吊り上がり、笑みの形になりました。
「手加減する理由が一つ減ってありがたい」
ひ、と怯えた声を上げて、ロラントさんは再度リーン様に襲いかかります。
そこからは、こう……あまりにも一方的な展開となりました。
おそらくロラントさんは、この危機から逃れるため持てる力をすべて振り絞るつもりなのでしょう。
あらゆる手をつかって、リーン様を打ち倒そうとします。
それはまさに鬼気迫るという言葉がふさわしい、必死の抵抗です。
しかし、その全ては何の効果も挙げることもできませんでした。
攻撃を加えるロラントさんに対し、リーン様はただ受けるだけ。
しかしその度に、相手の武器を一つ一つ奪っていきます。
つまり、蹴りが来れば足首を挫き、拳が来れば手首を外すのです。
みるみる間に、ひじ、ひざ、肩の関節までがあらぬ方向にねじ曲げられ、ロラントさんは子供が力任せに壊した操り人形のような姿になっていました。
「ち、ちょっと、かわいそう、かも……」
彼に好意的ではなかったうえ、殺されかけたエッダさんさえ同情の呟きを漏らすようなありさまです。
「よっ、と」
鼻っ柱めがけて繰り出された頭突きを軽々とてのひらで受け止め、リーン様が足を払うと、ロラントさんの体はぐるんと回転して顔面から地面に落下。
そしてとうとう動かなくなりました。
気を失っただけですね。命に別状はありません。
口では怖いことをおっしゃっていましたが、リーン様はあれで十分に手加減されているのです。
「つ、強いんだね、リーンさん」
「本当はもっともっとお強いのですよ」
マイヤはちょっと誇らしい気持ちで言いました。
だって、竜ですら一人で倒してしまえるような『竜殺しの英雄』なのですから。
おおっぴらには言えないですけどね。
騒ぎを聞きつけて、いつのまにか周囲にお屋敷の人たちが集まっていました。
衛兵を呼べ! というような声も聞こえます。
ロラントさんもさすがにもう暴れられるような状態ではないですし、このまま兵士さんに引き渡されることになるのでしょう。
「それにしても……」
ほっと息をついたマイヤの隣で、呟きが聞こえました。
「ここまで抵抗することないのに。チーズ盗み食いばれるのが、そんなに嫌だったのかなあ?」
エッダさんはズタボロになって気絶しているロラントさんを見、不思議そうに首を傾げました。
――そうですね。マイヤも疑問を覚えています。
といっても、エッダさんとは少し違うものですけど。
ロラントさんは、チーズ泥棒ではありません。
だって、においが全然しなかったですから。
……ではこの方、いったい、なにものだったのでしょうか?
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