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52話 犬耳娘とチーズの行方(1)

 あの大きな赤竜がペリファニアの街を襲撃し、リーン様によって退治されてから二月と少しが過ぎました。

 竜との戦いの後しばらく臥せっておられたリーン様ですが、一月ほどかけてゆっくりと快復し、現在はほぼ以前の調子を取り戻しておられます。


 もっとも、それでも完全な健康体からはほど遠いのですが……一度は心臓も呼吸も止まってしまったことを考えると、これでも幸運に感謝すべきなのでしょう。

 あのときはマイヤの心臓も止まりそうになりましたから、ええほんとに。


 とにもかくにも、リーン様を付きっきりで看病する必要はなくなり、マイヤにもメイドとしての日常が戻ってきました。


 マイヤの一日は、まず朝ご飯の支度から始まります。

 リーン様とご一緒にご飯を食べ終えると、次は掃除やお洗濯など家のお仕事。

 そして昼前に街へ出て、アデリナさんのお店と市場を回ります。


 お屋敷に戻ってからは勁功けいこうと護身術のお稽古をリーン様に見てもらい、夕ご飯。

 そして眠る時間までリーン様とおしゃべりしたり、あるいは同じ部屋でのんびりうとうとしたり。

 はい、幸せで平穏な日々なのです。


 この日も始まりはいつも通りでした。

 朝の日課を終え、マイヤはお屋敷を出てアデリナさんのところに向かいます。


 アデリナさんはリーン様のお友だちで、〝銀の大樹〟亭という食堂の店主さん。

 残念ながらお店は赤竜に壊されてしまったので、今は広場に屋台を出し、娘のレニさんと一緒にご飯を作って売っています。

 マイヤはときどきそのお手伝いをして、ついでにお料理を教えてもらっているのです。


「――店がなくなっちゃってもお客さんに見放されないってのは、本当にありがたいことなんだけどさ」


 アデリナさんは開店の準備をしながらそんなことを言いました。

 以前の常連さんが買いに来てくれたり、評判が広まって新しいお客さんが付いたりと、屋台になってからもよく繁盛しているのです。


「逆に申し訳なくもあるんだよね。こういう形だと、出せる料理にもさばけるお客さんの数にも限界があるから」

「でも、皆さん、満足されてると思うですよ?」

「うん。お空のしたで食べるごはんはおいしいんだよ、おかさん」


 と、これはレニさんの意見。


「それに、お空のしたでおしごとするのも、けっこうたのしいし」

「雨降ったら大変だけどね」


 アデリナさんは苦笑し、そしてまたマイヤに視線を向けました。


「ま、申し訳ないのは、リーンとあんたに対してもだけど」

「はい?」

「ほら、食材渡す契約、いつ再開できるかもわかんないしさ」


 少し前まで、リーン様のお屋敷で使う食べ物はすべてアデリナさん通して買い付けていました。しかし彼女がお店と財産の多くを失ったため、仕入れがままならなくなったのです。


 状況は一時期よりましになったものの、今も屋台で使う分の確保だけでいっぱいいっぱいだそうですので、余裕ある食材のみを譲ってもらい、足りない分はマイヤが市で買って帰るという習慣になっています。


「いえいえ、お気になさらないでください、です。事情が事情ですし」

「そう言ってもらえると助かるけどね。リーンの奴も不満を漏らしてないかい?」

「んー……不満と言えば不満なのですかねー? 『市で買った物より、アデリナの店のが数段うまいのにな』と、よく残念がっておいでですけど」


 この点についてはマイヤも同感なのです。

 アデリナさん、料理の腕はもちろんですけど、目利きの方も確かですからね。


「それは嬉しい話だね。ああ、今日は新鮮な青菜があるから安くしとくよ。いいチーズが入ったから、それも付けて」

「ありがとうございます!」


 マイヤは尻尾を揺らしてお礼を言います。


 屋台のお手伝いを終えると、マイヤは大通りを南に向かいました。

 竜が暴れていった区画では、今日も皇都からやってきた人夫さんや職人さんたちが大忙しです。

 まだまだ時間はかかるでしょうけど、少しずつ、確実に破壊の痕跡は修復されています。


 少し前までは、マイヤの昔なじみであるファリンさんたち――ブラウヒッチ伯爵様の獣人隊も復興のお手伝いをしていたのですが、今はもう辺境へと帰ってしまいました。

 知っている人たちとのお別れは寂しいですけど、一度は再会できたのです。

 多分、また会える日もあるでしょう。


 いずれにしても、様々な人の尽力によって街に活気が戻ってきたのは嬉しいことだと思います。

 マイヤはこの街で暮らし始めてからまだ日が浅いですけど、やっぱり皆さんが暗い顔をしているよりは、明るく賑やかな方がずっといいですからね。


 そんなことを考えつつ歩いていくと、様々な露店の並ぶ市場に着きました。

 ここに関しては、かつての盛況をほぼ取り戻していると言えるかもしれません。

 ペリファニアは商いの街であり、市場はその心臓のようなもの。

 竜の被害を受けたあと、何はともあれまず商売の場を立て直さなければ、と大勢の商人さんが動いたのだそうです。


(野菜とチーズは手に入ったので、えっと、あとはお肉ですかねー?)


 そんな事を考えながら、市場に足を踏み入れました。

 と、そのときです。


「あ、ちょっとちょっと! そこのあなた! 犬耳の! 少しいいかな?」


 そんな大声がして、マイヤは立ち止まりました。

 周囲に獣人は幾人かいますが、犬耳となるとマイヤしか見当たりません。


「あの……?」


 マイヤが自分を指さすと、声の主は大きく肯きました。


「そう、あなた!」


 人間族の女の子です。

 多分、マイヤよりは一つ二つ年上、

 マイヤと似たようなメイド服を着ています。


「街の地理が全然わかんなくて困ってるんだ! ちょっとききたいんだけど、このあたりにチーズの買えるところはないかなあ?」


 すごい勢いで迫られ、マイヤは思わず後ずさりしました。

 そんなにチーズが好きなのでしょうか?


「え、えっと、チーズなら、この市場で買えると思うですけど……」

「目的のが売り切れてたのよう」


 女の子は泣きそうな顔で言いました。


「とびきり上等なチーズが、今日中にどうしても必要なの。もし市場の外でおいしいチーズ売ってる店を知っているなら、教えてくれると助かるんだけど」

「お、おいしいチーズですか……」


 マイヤが食べたことある中で一番おいしかったのは、アデリナさんのお店のものです。今日も背負い袋の中に入っています。


「心当たりがあるの!?」


 女の子の顔がぱっと輝きました。


「え、えっと、なくはない、のですけど……」


 アデリナさんのお店、在庫にあんまり余裕がないのですよね。

 今、ちょうどお昼の忙しいときでしょうし、マイヤが勝手に紹介してしまうのもご迷惑かもしれません。


「だめ? 教えてもらえない?」


 すがるような目を向けられます。

 マイヤは少し考え、口を開きました。


「あの、小さなお店なので、マイヤだけの判断ではちょっと。ごめんなさいです」

「そっか……」


 がっくりと肩を落とす女の子。

 何だかものすごく落ち込んでいて、かわいそうになるです。


「えっと、でもですね、チーズなら手持ちがあって――」

「あるの!? 譲ってくれないかな! もちろんお金はちゃんと払うから!」

「お、落ち着いてください、です。あるにはあるですけど、これもおつかいで買ったものですから、お譲りするにしても今すぐは無理なのです。戻って相談してみないと」


 困っている人を助けるためなら、たぶんリーン様もダメとは言わない気がするのです。少し見た目は怖くとも、とってもお優しい方ですし。


「確実にお約束できるわけではないですけど……それでもいいなら、一緒にいらっしゃるですか?」

「うん、見込みができただけで十分! ありがとう!」


 嬉し泣きしそうな勢いで女の子はマイヤの手を握り、ぶんぶんと激しく上下に振りました。


 彼女はエッダさんというそうです。

 つい先日、主についてこの街に引っ越してきたとのこと。


「――そっかー、マイヤはあの街外れの大きなお屋敷にお勤めしてるんだ」


 隣を歩きつつ、エッダさんはうなずきました。


「古めかしくてなんか不気味だから、お化けでも出そうだと思ってた。普通に人が住んでるんだね。まあ、そりゃそっか」

「そ、そんなにこわい雰囲気です……?」


 マイヤが毎日お掃除しているので、今は『人食いの館』なんて呼ばれてた頃よりはきれいになっていると思うのですけど。

 まあ修繕とか色の塗り直しなんかはマイヤにはむつかしいですし……専門の職人さんにお願いすることを、今度リーン様に提案してみましょう。


「うちのお屋敷はそっちのより少し小さくて、少し新しい感じかな。旦那様は商人で本邸は皇都にあるんだけど、商いであちこち飛び回るから、この街にも一つ寝泊まりできる場所を持っておこうって。わたしはその別邸付きのメイドね」


 ふえーとマイヤは感心しながらお話を聞いていました。

 お家がいくつもあるってどんな感覚なのでしょう。ちょっと想像できません。


「でも、わたしより小さい子がメイドやってるって、珍しいなあ。うちのお屋敷だとわたしが最年少だから。しかも、わんこ系の獣人さんかあ」


 エッダさんは、興味深そうな顔でマイヤの頭とお尻に視線を向けました。

 耳やしっぽに注目されると、いまだにびくっとしてしまいます。

 かつてブラウヒッチ様のお屋敷にお仕えしていたとき、また売り物として人買いさんに連れ歩かれていたときに、あまりいい感情を向けられた経験がないので。


 しかし、エッダさんは、うきうきしたような声で続けました。


「ねえ、その犬耳、さわってもいい?」

「え? は、はあ、はい……」


 答えると同時に、エッダさんの手が伸びてきてマイヤの耳に触れます。

 乱暴ではないですけどあんまり遠慮もなくて、その、くすぐったいです。


「わあ、すごい! 動くんだ!」


 当たり前のことに、なぜかいたく感動されます。

 動かなかったら大変ですよ?


「しかもふかふか! 垂れてるのも可愛いなあ! うん、すっごくいい!」

「あ、あ、ありがとうございます、です」


 照れながら、マイヤはお礼を言いました。


 ずっと『折れ耳』なんてあだ名で呼ばれていて恥ずかしく思っていたのですけど……褒められてみると、なんだかやっぱり、嬉しいですね。

 少し自分の耳が好きになれそうな気がしました。


 エッダさんはどうやらお喋り好きのようで、マイヤを相手に絶え間なく楽しそうにお話をしています。

 お付き合いしているうちに、いつのまにかお屋敷の近くまできていました。


「あの、裏口で少し待っていていただけるですか? 事情をお話してきますので」

「うん、ありがとう。お願いね」


 エッダさんは祈るようなお顔で、ぎゅっとこぶしを握りました。


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