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5話 俺が犬耳娘を助けた顛末(5)

 ――まあ、ここまではいい。

 言いたいことがないではないが、あいつが俺によこす連絡なり依頼なりは、だいたいいつもこんな感じである。


 腹立たしいのは、追伸として『何か言いたいことがあるかもしれないが、公務が忙しく当分顔を合わせる機会は持てないよ』などと記されていたことだ。


 こっちの意思を聞く気ねえだろレオの野郎。

 何がやりたいんだあのアホは。


「…………」

「あ、あの、だんな様……?」


 眉間の皺を深めつつ黙り込む俺に、マイヤがおずおずと声を掛ける。

 頭の中に百通りくらいのレオに対する罵詈雑言が渦巻いていた。


 ――が、ここにいない奴をののしっても仕方ないし、何よりマイヤに罪はない。

 ため息を一ついて、口を開く。


「……確かにレオの書いたものだ。家を間違えたわけじゃないことも理解した。が、あいつが何のためにお前をよこしたのか、さっぱりわからねえ」


 まあ、以前からちょくちょく考えの読めないことをやらかす奴ではあった。

 そういうときは大抵裏で何か企んでいるのだが……とりあえず今回のコレに関しては、見当もつかないというのが正直なところ。


「どっちにしても、俺が今メイドなんか必要としてないのは確かなんだがな。――さて、改めてお前の扱いをどうしたもんか」


 俺は不安一杯という様子のマイヤを、じっと見つめた。


 マイヤの来訪が単なる間違いであれば、話は単純だった。

 追い返せばそれで済むのだから。


 しかしそうでないことが判明した以上、俺の責任においてこいつの処遇を決めなければならないわけだ。


「お、お願いです! ど、どうか、どうか、雇ってください!」


 マイヤは胸の前で両拳を握り、ずいっと詰め寄ってきた。

 口を挟む間もなく、言葉――というか、哀願の洪水が押し寄せる。


「いえ、雇うとかじゃないです! ゴミクズ同然のマイヤに、お給金など必要ありません! ただ、少しばかりの食べ物と、寝るところさえいただければ……! もう行き場がないのです! 命をかけてお役に立ちますから! どんなことでもやりますから! マイヤのこと、お望みのまま、ご自由に使っていただいて構いませんからっ!」

「……落ち着け」


 俺はマイヤの頭に手を置いて押しとどめた。


「大声は頭に響くつったろうが。騒ぐな」

「――――っ!」


 はっと目を見開き、そしてマイヤは一歩下がった。


「……申し訳ありません、です」


 耳と尻尾がぺたんと垂れた。

 挙動が叱られた犬と変わらないんだな、と思う。

 ちなみに、俺は犬が嫌いじゃない。


「その、実は、どうしてもご恩返しがしたくて、マイヤの方からレオ様にお願いしたのです。今後の希望を訊かれたときに」

「恩に着る必要はねえよ。仕事――ってわけじゃねえが、単にあれが俺の役目だったってだけの話だ」

「でも……マイヤの命を、救ってくださいました」


 文字通り捨てられそうな子犬の目で、俺を見上げる。

 俺は、んーと唸り、髪をかき回した。


「……いいか? レオの奴がどういうつもりだろうが、俺がどうするかの決定権は俺にある。というか、むしろ俺にしかない」

「はい……」

「で、さっきも言ったように、今のところ俺はメイドの必要性を感じてねえ」

「…………はい」

「結論だ。今すぐ荷物持って出てけ」

「…………」


 マイヤの目にじわりと涙が浮かんだ。


「――と言いたいところなんだが」


 俺は小さく肩をすくめる。


「こっちで勝手にレオの意向を無視すると、後で色々面倒なことになりかねない」


 あれでも皇帝の一族だしな、あいつ。


「しかも書状によれば、どうやら簡単に連絡を取れる状況でもないようだ。いずれ奴とは話をつけなきゃならないが――ま、それまでは泊めてやる。仕方なくな」

「え……?」


 とっさにはその言葉の意味が把握できなかったのか、マイヤは半泣きの表情のまま固まった。


「二階の客間が全室空いてる。好きなとこ使え。ベッドと毛布もある。掃除してねえから埃っぽいが、寝るくらいなら問題ないだろ」

「あ……」


 ようやく、その澄んだ青空のような目に理解の色が浮かぶ。


「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 これ以上ないくらいの安堵と喜びをたたえた顔で、マイヤは礼を言った。


「あ……で、でも」

「何だ?」

「その、マイヤは獣人ですし、床のすみでもお借りできれば、十分なのですよ? お部屋やベッドは、もったいないです」

「……これまでどんな生活を送ってきたんだよ、お前」


 いや、『商品』として奴隷商人のもとにいたんだったな。

 そもそも奴隷として売られるくらいなんだから、それ以前もまともな暮らしはできていなかったのだろう。


 地域や個人による感覚の差もあるが、獣人は平民のさらに一段下の身分とみなされることが多い。

 差別意識の強いあるじに雇われていたのなら、生活環境もそれ相応になる。


(まあ、こいつの身の上を詮索するのは、また後にして……)


 少し考えてから、俺は言った。


「家の中で凍死でもされると、俺が困る。今夜は冷え込みそうだからな。それとも、お前は俺に迷惑をかけたいのか?」

「い、いえ! とんでもないです!」


 ぶんぶんと首を横に振るマイヤ。


「だんな様にご迷惑をお掛けしようなどとは、決して!」

「なら、おとなしく客室で寝ろ。――あと、一階奥に食料庫がある。腹が減ってるなら好きに飲み食いしていい。これもお前に飢え死にされると迷惑だからだ」

「は、はい」

「それから――」


 言いかけて少し迷う。

 余計なお世話かもしれないが……ま、いいか。


「それから、一つ忠告」

「ちゅう、こく?」

「あるいは警告、助言、戒め、何でも構わねえけどな。要は、別に命令じゃねえってことだ。――あのな、自分を売り込むときに、『どんなことでもやる』とか『自分を自由にしていい』とか、軽々しく口にすんな。つけ込まれんぞ」


 犬耳の少女はぱちりと目を瞬かせ、俺を見つめ直した。


「え、でも……決してウソではないのですよ? マイヤの本心なのです。ゴミクズが誰かのお役に立ちたいのなら、それこそ全てを差し出すくらいでないと、と思うのですけど……」


 ゴミクズ、ねえ。

 聞いていて、あまり良い気分はしないな。

 もちろんそれはマイヤにではなく、そんな価値観を形成させた世の中とか環境とか、そういうものに対しての話であるが。


「お前さ、街で俺の家――『人喰いの館』についての噂、聞いたんだよな?」

「は、はい、道を尋ねたときに」

「どんなのだった?」

「えっと――」


 館の主人を目にしたものはいない。

 使用人の出入りが目撃されることはあるものの、決まって数日で姿が消える。

 実はここの主人は特殊な食の嗜好をもっており、つまりは人をバリバリ食っているのだ。知り合いの知り合いも犠牲になったらしい。

 雇われに行くのか? やめた方がいいよ?


「――と、こんな感じでした」

「なるほど、俺は食人鬼ってわけだ」


 は、と鼻を鳴らす。


「で、お前は、そんな主でもよかったのか? ちょっと想像してみろ。ある日突然殺されて、おいしく料理されて、俺の胃袋に収まる羽目になるんだぜ? 噂が本当だったら、どうするつもりだったんだよ」

「どうする……ですか?」


 マイヤは戸惑った表情。

 一方俺は、皮肉っぽく口の端を吊り上げた。


「『自分を自由にしていい』ってのは、そうなっても文句はないってことだろ?」


 当然ながら、こんなトンチキな噂が事実のわけはない。

 話に尾ひれが付いた経緯や原因には見当がつくものの――俺はごくごくまっとうな、普通の人間である。当然、食の好みも一般的だ。


 しかし、だ。

 世の中には存外くそったれが多いことを、俺は知っている。


 お偉い貴族様たちのなかには、日常的に使用人や奴隷を虐待する奴が居る。

 食うかどうかはともかく、遊び半分になぶり殺してしまうという話も、決して珍しいものではない。


 こいつは自分をゴミクズと言った。

 自己評価が低いというのは、他人に『私の扱いはその程度でいいですよ』というお墨付きを与えることだ。


 行き場がないので誰かの下僕になる。

 一時の安寧と引き替えに、自分の命を簡単に委ねる。

 ――それは目隠ししたまま崖っぷちを歩くような、自殺に等しい生き方だ。


 たとえ幼く身寄りがない境遇でも、その危険性は理解しておくべきだ。

 そう俺は思っている。


 ……ま、こいつの人生に俺が責任を持つ必要は別にないのだが、『不幸な運命から助けてやったのに、また自分から不幸の中へ飛び込んで行っちゃいました』なんてことになるのは、やっぱり愉快じゃない。


「ん? んんー……」


 まだ混乱中という顔で、マイヤは首を捻っている。


「マイヤ、おバカさんなので、どうするとかは、わかんないです、けど……あの、でも、だんな様に食べられたらどう思うかというのは、お答えできるです」

「ほー、言ってみろ」


 しかし、この幼い獣人の答えは、俺の想像とは少しばかり異なっていた。


「マイヤはですね、きっと、とってもうれしいと感(、、、、、、、、、、)じるのです(、、、、、)

「――うれ、しい?」


 俺は困惑する。

 殺されて、喰われるのが、嬉しい?


「だって、だんな様のご飯になって、食べられて、お腹の中に収まれば、マイヤの命がお役に立つわけですから。生きていればただのゴミクズでも、お肉になればそうじゃないということですよね?」


 うんうんとマイヤはうなずいた。

 曇りのない、純粋な瞳を俺に向けながら。

 それが正しいと、当たり前のように、心の底から――信じる顔で。


「だったらそれは、マイヤにとってすごくすごく幸せなことなのです」

「…………」


 少女の満面の笑みを見ながら、俺は背筋にうすら寒いものを覚えていた。

 甘かった、と、言わざるをえないだろう。

 自己否定がここまで根深いとは思わなかった。

 自覚すらできていないじゃねえか。


 マイヤは言葉を失っている俺を見て小首を傾げ、邪気のない声で言った。


「それで……あの、マイヤをお召し上がりになるのです? だんな様」


エピソード「俺が犬耳娘を助けた顛末」了。

次回は「マイヤ、だんな様のお役に立ちますです!(1)」です。

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