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49話 英雄と犬耳娘(2)

「……妙なことを訊くんだねえ」


 口の端をきゅっと吊り上げたまま、レオは言った。


「僕がこの事態を計算し、仕組んだ、と。――どうしてそんな風に思ったの?」

「この件で利益を得たのがお前だけで、かつ要所要所にお前が絡んでるからだよ」


 対照的に俺は苦々しい思いで唇を歪めた。


「お前はブラウヒッチ伯を街から追い出したがっていた。そのためには、ブラウヒッチ伯が失態を晒すことが望ましかった。その意味で竜の襲撃なんて事件は、利用するのにうってつけだ。無難に乗り切るのがほとんど不可能な緊急事態だからな」

「ふむ、それで?」

「さっき自分で言ったように、お前は竜がブラウヒッチ家の兵士を狙い、街道を辿ってこの街に到達する可能性についてしっかり把握していた」


 人竜戦争の際、ただ前線で竜を殺すだけだった俺とは違い、こいつは情報を集めて竜の生態や能力を分析していたはずだ。


 指揮官としては当然の行為だが……とすると、ある程度人間を見分け、意図を持って襲うだけの知能が竜に備わっていることを、つまり、今回の件を影から操るために必要な情報を、レオは以前から知っていたのではないだろうか。


「さらに、襲撃してきた竜は確実に撃退されなければならなかった。ペリファニアの街が潰されては元も子もないからだ。そのために配置された駒が――」

「竜殺しの英雄、つまり君だと言いたいんだね?」

「そうだ。確認するが、人竜戦争後、俺の住処としてこの街のこの屋敷を推薦したのは、お前だったよな?」


 ああ、そうだったね、とレオは肯いた。

 にこやかな表情は変わっていない。


「で、竜殺しの英雄が竜を斬るためには、引退してた俺が戦意を取り戻す必要があった。そのために、お前は――」


 そこで言葉を切って、俺はレオの顔をうかがった。

 今のところ動揺の色はないが、こいつの笑みは本物だろうか?

 それとも仮面か?

 思えば、俺はこいつの本性を深く知ろうとしたことが、あっただろうか。


「どうしたのかな? 続けてよ、リーン」


 俺は小さく息を吐いて、再び口を開いた。


「だから、お前は俺のそばに『護るべきもの』を用意した。マイヤを俺の元によこしたのもレオ、お前だったよな?」


 戦う気を無くしていた俺がなぜ竜に立ち向かったのかというと、あの犬耳娘を助けなければならなかったからだ。


 今回はマイヤ一人で街中に出ていたうえ、想定を超えて勇敢(あるいは無謀)な行動をとりやがったため、救い出すのに少し無理をしたが――仮にマイヤが屋敷内にいたとしても、やはり俺は竜を斬っていただろう。

 ブレスを吐いて大暴れされたら、街に安全な場所などないのだ。


「以上の理由により、自身の利益のため、お前がすべて計算ずくで俺たちを利用し事態を支配下に置いたのではないか、と疑った。――間違ってる部分はあるか?」


 俺はレオを注視した。

 そして、その笑みがすうっと消え失せるか、あるいは歪で邪悪なものに変化するかと見守る。

 ――どちらでもなかった。


「素晴らしいね、うん、実に素晴らしい」


 皇国の皇子は爽やかで無邪気な笑顔をさらに大きくした。


「リーンの話を聞いて、僕は三つの喜びを覚えたよ」

「喜び?」

「そう。――まず君に予想外の一面があったということ、次に意外に僕を評価してくれているんだなということ、そして君は僕が思った以上に君だったということだ」


 俺は困惑しつつ眉をひそめた。

 何を言ってるんだこいつは。


「順に説明しようか。えっとね、まず君がそこまで考えを巡らせる性格だというのは、驚きだった。竜を斬ることにしか興味のない人かと思ってたんだけど」

「間違ってねえよ。戦うこともできなくなったんで、色々と余計なことを考えちまうだけの話だ」

「なるほど。しかし、友の意外な一面が知れるというのは、新鮮でいいね」


 レオはあははと笑った。

 その様子は普段と全く変わりない。


「願わくば、君にも僕のことをよく知ってもらいたいもんだけど。――さっきも言ったように、能力を高く評価してもらえるのは嬉しいことだ。けど、リーンは少々僕のことを買いかぶりすぎだよ。その意味では間違ってる、かな」

「それは、俺の問いに対する回答か?」

「そう」


 少し面白がるような調子でレオは続けた。


「皇子という立場上、僕は色々なことに目を配らなければいけないし、色々なことを想定しなければならない。でも、事態のすべてを見通し、思い通りに操るなんて真似はできないよ。神様じゃないんだから」

「なら、お前のやったあれこれには、特に意図はなかったと?」


 俺は目を細めつつ尋ねた。


 その是非や個人的な好悪の念はひとまず置くとして――人竜戦争当時、『竜殺しの英雄』を半ば人為的に造り出し、その存在を民や兵たちに浸透させ、戦意をコントロールした手腕に俺は唸らされた。


 そのレオが、今回のことについては偶然を主張するのか?


「いや、もちろん一つ一つの行為にはそれぞれにちゃんと目的や意図があるさ。君の推理が完全に的外れってわけでもないよ。でも、そのすべてが繋がってブラウヒッチ伯を追い返すという結果になったのは、本当に偶然なんだ」


 潔白を主張するように、レオは両手を挙げた。


「例えばね、どこかの都市に竜が襲来する危険は常に頭に置いているけど、だからといってどこにやってくるのか事前に知る方法はないし、竜を操って思い通りに街を襲わせるなんてこともできるわけない」

「でも、ブラウヒッチ伯の動きなら、ある程度は読めたんじゃないのか?」


 であれば、竜がそれを追ってくるという可能性も予測できただろう。


「ある程度はね。彼に限らず、人竜戦争で経済的に困窮した領主たちが他の地方や中央にたかることはありうると思っていた。ただし、彼らにしても選択肢はいくつもあるはずだし、この街に押しかけてくることまで確信できるわけじゃない」

「俺をこの街に置いたのも偶然か?」

「単純に君にとっていいと思ったからだよ。それが意図と言えば意図かな」


 ここペリファニアは交通の要所であり、商業が盛んな街だ。

 遠出しなくても、大抵のものは手に入る。

 緩慢ながらも確実に弱っていく俺が独りで暮らすには、確かに悪くない環境だっただろう。


「マイヤを俺に預けたのは?」

「君、子供好きだろう? 手元に置いてあれやこれやしたくなるだろう?」

「……なんだその言い回しは」

「いや失礼。妙な意味じゃないよ」


 レオはくっくっと喉を鳴らした。


「メイドとして押しかけてきたのが大人だったら、君は十分な金を与えてさっさと追い出しただろう。基本的には、人嫌いだしね。でも、それが一人で生きていけないような危なっかしい幼子なら、どうだろうか?」

「…………」

「少なくとも当分は手元に置いて、あれこれ世話を焼くんじゃないかと僕は踏んだ。結果的にそうなったよね?」


 それに対しては反論できない。


「リーンには彼女のような存在が必要だと思ったんだよ。死が避けられないとしても、君ほどの人間が、それまでの時間を死んだように生きる必要はない」


 そしてレオは控えめな苦笑を浮かべた。


「と、以上が僕の言い分だ。何か再反論はあるかい?」


 俺はレオの言葉を吟味した。

 筋は通っているし、これ以上噛み付くほどの根拠もない。


 それに、俺が詰問しているあいだ、レオは普段通りの快活さを崩さなかった。

 負い目がある人間にできる態度ではない、とも思う。

 大きく息を吐き、俺は言った。


「俺の考えすぎだったみてえだ。悪いな」

「なに、謝罪にはおよばないよ。多分君はさ、自分のことよりも、『マイヤがレオの利己的な目的のために巻き込まれたのかもしれない』ということが、許せなかったんだろう?」


 一瞬、俺は言葉に詰まった。


「……どっちでも同じことだろ。あいつはうちのメイドであり、あいつの問題は俺の問題でもある」


 いささか言い訳っぽく響いたような気もするが、嘘は言っていない。

 身内に被害が及べば、普通はむかつくものだろう。


「気持ちは理解できるよ。うん、やっぱり君は英雄の名にふさわしい」

「元英雄だ。もうまともに戦えねえつっただろうが」

「いや、それは違う」


 レオは少しだけ声の調子を改めた。


「英雄の名が表すのは単なる強さじゃなく、その心の在り方であり、生き方なんだ。だから、僕のような凡人は君に憧れる」

「次代皇帝候補の皇子様が、凡人なわけねえだろ」

「凡人だよ、僕は」


 俺の言葉にレオは控えめな苦笑で応じた。


「立場上、物事を要領よく処理する訓練を積んでるってだけでね。国は動かせても、僕には誰かの心を動かすような力がない。剣の一振りで民の士気や戦意を大きく高揚させることなんてできない。リーンとは違う」

「俺に人の心を動かす力があるんだとしたら、それはお前の手柄じゃねえか」


 『竜殺しの英雄』という看板を作り上げ、それに価値を持たせたのはこいつだ。

 しかし、レオは首を横に振った。


「だから、それは過大評価なんだ。僕は単に事実を喧伝して、英雄の力を利用させてもらったにすぎないよ。――ところで、マイヤは実にいい子だね」

「あん?」


 急に話が変わった。


「面会を拒まれてる間に何度か顔を合わせて、話をしたんだ。あの子は心から君のことを敬愛している。さて、ここで一つ質問なんだけど――」


 そこでレオは少しいたずらっぽく口元を釣り上げた。


「もし君に『竜殺しの英雄』という肩書がなかったとしたら、マイヤはその態度を変えると思うかい?」

「…………」


 答えるまでもないことは、俺もレオもよくわかっていた。


「ね? 僕が任じたからではなく、君が君であるからこそ、リーンは人の心を動かす英雄なんだ。さっき言った『君は僕が思った以上に君だった』というのは、そういう意味だ」 


 レオはますます笑みを深くした。


「君は待ち受ける死を知りながら、それでもマイヤを庇うために立ち上がった。こんなに尊く素晴らしい行為はないよ、リーン」


 その目には真剣な賞賛があった。

 俺は何を言うべきかわからず、渋い顔を作って沈黙する。


「ああ、マイヤを君のそばに配置(、、)して、本当によかった」


 ふと、そこで違和感を覚えた。


「……待て。今、配置と言ったか?」

「言ったとも」


 にこやかにレオは肯定した。


「僕は英雄のために、マイヤをそこに配置した。今さらだが告白するとね、僕は英雄が大好きなんだ。決して手の届かない、憧れの、崇高な存在。その尊さの一端にでも触れることができるなら、どんな犠牲を払っても惜しくない」


 熱っぽく語るレオに、違和感が少しずつ大きくなる。


「なので、君が英雄の名を過去のものにしようとしていることは、とても寂しく思っていた。いや、そんな生ぬるい感情じゃないな。そう――絶対に許しがたい(、、、、、、、、)ことだ(、、、)と考えていた」


 レオの表情も口調も、普段とまったく変わらない。

 しかし、ぞくりと俺の肌が粟立った。


「つまり、お前がマイヤをここによこした理由ってのは……」

「その通り。さっき言ったように、君のそばにはマイヤのような存在、『護るべきもの』が必要だと思ったからだ」

「…………」

「だって弱者である彼女が隣にいる限り、きっとリーンは英雄であり続けようとするからね。僕はそう信じ、そして――ああ、その信頼は報われたんだ!」


 レオは幸せそうに目を細め、両腕で自分の体をかき抱いた。


「ブラヒッチ伯を追い出せたのは確かに偶然の産物だ。でも、竜が街を訪れる可能性はそれなりにあると思っていたし、そうなることを期待していた。そしてマイヤが殺されそうなほど危険な目に遭い、君が命をかけて戦うことを僕は望んでいた」

「……俺の推測は、当たってたのか」

「マイヤに関してはその通り。だから言っただろう? 謝罪には及ばない、って。君が目的を勘違いしただけであって、僕はまさしく『マイヤを利己的な目的のために巻き込んだ』わけだから――」


 俺は言葉が終わるのを待たず、小さく踏み込んでレオの喉に貫手を放った。


「お前なんざ、瞬きする間に殺せるわけだが……」


 皮膚に触れる紙一重のところで止め、言う。


「それを覚悟したうえで言ってるんだろうな?」


 レオは決してお飾りの皇子などではなく、格闘術も剣術も相当なレベルで修めている。一方、俺はこんな体調だ。

 しかし、それでもなお、俺たちの間には天地の実力差がある。


「もちろん、君が僕よりずっと強いことはよく知っているとも」


 レオは眉一つ動かさずに言った。


「そもそもこんなひどい話を聞いて腹を立てないようじゃ、英雄とはいえないだろう? 覚悟はしてるさ」

「つまり、殺してくれってことか?」

「リーンが望むのなら、ね。弱者のために怒り、皇帝の一族にすら牙をむくというのは、まさしく英雄の姿だ。それを目に焼きつけながら死ねるのであれば、僕は幸せだよ」


 その顔に怯えはない。むしろ恍惚とした表情を浮かべている。

 そして、これ以上ないくらい純粋な――狂気すれすれの熱意がこもった口調で、レオは続けた。


「戦場に立てなくても、戦う力を失っても、死に瀕しても――君は英雄だし、そうあるべきなんだ。それを理解してくれるというのなら、僕ごときの命などいくらでも差し出すとも」

「…………」


 俺たちは、睨み合った。

 レオは笑顔で。俺は無表情で。

 やがて――舌打ちし、先に緊張を解いたのは俺の方だった。


「やめだ、やめ」


 そう言って、再び長イスに腰を下ろす。

 殺して喜ぶようなやつを殺して、何の意味がある。

 被る罪を考えれば、割に合わない。


 ふむ、と少し残念そうにレオは喉を撫でた。


「なら仕方ない。君の意思は尊重しないとね」

「は、どの口でいってやがる」

「いやいや、前に約束したじゃないか。『僕は君とマイヤの自由意思を尊重する。嫌がることを強制はしない』って」


 心外な非難だ、というように、レオは左右に手を広げた。


「マイヤは君の元に居られることを嫌がったかい? 君は嫌々ながらマイヤを助けたのか? 僕は何一つ強制はしていないんだよ」


 事実としては確かにその通りだろう。

 おそらくレオは本気でそう信じており、詭弁を弄しているつもりすらない。


「だから、どうしても英雄を下りるというのであれば、尊重するよ。世界の損失だと思うけどね。マイヤを遠ざけたいのなら、行き先は僕が責任もって面倒みよう。――どうする? リーンは、マイヤの英雄であることをやめたいのかい?」

「…………」


 俺は答えなかった。

 レオもそれ以上言葉を促したりせず、さて、と呟いてゆっくり立ち上がった。


「それじゃ、また来るよ。お大事にね、我が友よ」


 レオは爽やかな微笑みを残して部屋を出て行く。

 その姿が見えなくなるのを待って、俺はため息をついた。


「……友じゃねえっつてんだろ」


 この関係は多分、もっとおぞましい別の何かだ。


 なんだか竜と戦ったときより精神的に疲労した気がする。

 酒を飲む気分にもなれない。

 俺は長イスに体を投げ出し、目を閉じた。


 ――そして短い夢を見た。


思ったより長くなったので分割。区切りまであと一話続きます。

月曜中には上げられるかな……?

あとすみません、このところ少々忙しくて感想返しができていませんが、感謝しつつ全て目を通しております。

お返事は、近いうちに必ず……!

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