48話 英雄と犬耳娘(1)
「やあやあリーン、久しぶり」
見舞いと称して俺の屋敷を訪れたレオは、陽気な口調で言った。
「死にかけたと聞いて心配してたんだけど、元気そうじゃないか」
「現在進行形で死にかけてるんだが」
俺は広間の長イスに体を起こし、愛想を交えずそう答えた。
「一度死の淵からよみがえったつっても、健康になったわけじゃねえからな」
一応、医者にも診せたが『なるべく安静にすること。他にできることはない』と匙を投げられた。
まあそうだろう。普通、医者は勁の知識など持ってはいないし、ボロボロになった心肺を修復することもできない。
本来なら一月前、あの心臓が停止したときに、俺は死んでいたはずだった。
そうならなかったのは、いくつもの奇跡と偶然に助けられたからである。
まず第一に、俺がルアンに対して勁を使ってしまったこと。
限界を超えた勁の行使により命が尽きようとしているのに、さらに無茶を重ねたのだ。
そのため症状が急激に悪化、発作が早まり――結果的に、マイヤが俺の咳を耳にして引き返してくることになった。
あれがなければ、おそらく発作が始まるのは深夜以降になったはず。
その場合マイヤは屋敷から遠く離れてしまい、不審を覚えて戻ってくることもなく、俺は一人で死を迎えていただろう。
第二に、俺がルアンに仕掛けた《無形楔》とその解除を、マイヤがしっかり見て記憶していたこと。
簡単に説明すれば、《無形楔》とは勁を打ち込み相手の心肺機能を止め、再度勁を打ち込むことでそれを再稼働させるという技である。
――機能不全に陥った心臓を正常化するには、強い衝撃を与えること。
マイヤは医術についても勁功についても詳しい知識を持っていないはずだが、自分の目にしたものから逆算し、独力でその結論に辿り着いたのだ。
第三に、マイヤが俺の技を再現するだけの天分に恵まれていたこと。
心臓に衝撃を与えるには、直接勁を送り込むのが一番効率的だ。
もちろん、誰にでもできることではない。
通常、勁を満足に扱うには、一定以上の訓練がいる。
さらに、力加減も難しい。
弱ければ効果が無いし、強ければ相手の心臓が壊れてしまう。
マイヤが俺を手本にして行ったという施術は――完璧だった。
俺がまだ生きているという事実が、それを証明している。
かくして格好つけて遺書まで準備していた俺は、マイヤに救われ、生き延びてしまったというわけだった。
心臓や肺の機能は、今現在も緩やかに下降線を辿っている。
発作も周期的に起こるはずだ。いずれ限界を迎えるのは間違いない。
が、まあ、まだしばらくは生きていられるのも確かだろう。
「何度か見舞いには来ていたんだよ? でも、そのたびにまだ会える状態じゃないって、あの子――マイヤに追い返されてね」
「ああ、俺がそう指示した。せっかく助かった命なのに、お前の相手をしてたらまた心臓が疲弊する」
皮肉はさておき、他人と会う余裕がなかったのは確かだ。
一命を取り留めてから半月ほどは全身に力が入らず、俺は寝たきりの生活を余儀なくされていた。
マイヤが居なかったら、そのまま衰弱死していただろう。
「ふむ、僕と会うと胸が高鳴るということかな?」
レオは勝手な解釈をした。
「それは喜ばしいが、友の体に負担を掛けることは本意では無いな」
「わかってんならさっさと帰れ」
間の悪いことに、現在マイヤが街へ買い物に出ているため、レオの訪問と侵入を阻むことができなかったのだ。
「もちろん用を済ませたら、帰るとも」
まったく動じた様子もなく、レオは話を続けた。
「今日は見舞いがてら、事後処理について報告しに来たんだ」
「……赤竜の襲来の件か」
「そう。君は当事者だし、君の住むこの街の話でもあるから、聞いてもらった方がいいと思ってね」
であれば、知らぬ存ぜぬともいかないか。
俺は眉をひそめながらも、無言で続きを促した。
「身構えなくても、別にそう悪い知らせじゃないよ。――えーと、まず街の人的物的被害に関しては、こちらにまとめたから、後で確認してくれ」
レオは数枚の書類をこちらに押しつけた。
「復興費用の八割は皇家が持つことになった。民への援助もできるだけ手厚く行う予定だ。街道の行き来と商取引にかかる税率を少し上げることになると思うけど……まあ、ペリファニアが潰れて一番困るのは商人たちだし、そうそう文句は出ないだろう」
結構な話だ。
「近々皇都から復興のための特別部隊が到着して、僕の指揮下に入ることになる。街の再建と、万が一、再度の竜襲来があった場合に備えるためだね。これに伴って、現在街に駐留しているブラウヒッチ伯の獣人隊にはお帰りいただくことになった」
マイヤの元所属先だったか。
竜からの警護名目で街に居座り、しかも高額の報酬を要求するので対応に苦慮しているという話を、以前、レオから聞いた記憶がある。
しかし、ずいぶんあっさりと引き下がることになったもんだな……
と、考えたところで、俺は気付いた。
「おい、まさか俺の名前を出したのか?」
「おや、いい勘だね」
レオは悪びれた様子もなく微笑んだ。
「僕の口からブラウヒッチ伯に直接伝えたよ。『赤竜の処分は、竜殺しの英雄《千竜殺》イェリングが行った』とね。ああ、事の顛末はマイヤに聞いた。死体の様子からも、君の仕業であることは一目瞭然だったし」
俺は舌打ちして顔をしかめる。
「名前を利用されんのは、不愉快だな。今回はお前に命令されて竜を倒したわけじゃねえだろ」
「もちろんその通り。僕もそんなことを主張するつもりはない。君はあくまで対等な友人であって、僕の部下じゃないんだしさ。――ただね、ブラウヒッチ伯がどう解釈するかまでは、関与できないよ?」
「…………」
ああ、目に見えるようだな。
こいつが無邪気な笑顔のまま『で、彼に比べ、あなたの獣人隊は竜に対して何かできたのですか? ブラウヒッチ伯』などと問いかける様子が。
おそらくブラウヒッチは、レオが《千竜殺》を手駒に持っていると勘違いしたことだろう。
『竜殺しの英雄』の名声は、絶大である。
実力においても民からの支持においても、勝ち目がないと判断するのは当然だ。
「そりゃこの街から手を引くよな」
俺は苦々しい気分で舌打ちした。
「ああ、心配しなくても、街に君の名前が広まらないよう口止めはしてある。正体がばれて煩わされることはないから、安心してこのままの暮らしを楽しむといい」
「恩着せがましく言うな。勝手に人の名前使いやがって。俺はもう英雄じゃねえと何度も言ってるだろうが」
「そうムキになって否定することはないじゃないか」
レオは小さく肩をすくめた。
「だとしても、かつて英雄だったのは間違いないだろう?」
「過去じゃなく、今はもう英雄として扱われたくないって話だよ」
レオはうーんとうなり、何かを考えるように視線を宙に向け、言葉を継いだ。
「実は一つ推測してることがあってね」
「んだよ」
「君、あの赤竜に見覚えはなかったかい?」
「見覚え?」
少なくとも俺は、竜の個体なんて色と大きさで大雑把に見分けるくらいしかできないが……
と、そこで思い出した。
あの赤竜、勁による攻撃をずいぶん警戒し、同時に俺に対して憎悪を燃やしていたような印象がある。
「この街が襲われる前に、辺境から街道にかけて竜の目撃や被害報告が何度かあったのは、リーンも知ってるよね?」
「ああ」
レオやアデリナから聞いた。
「おそらくは単独行動しているはぐれ竜かと思われたんだが……面白いことにこの竜、警備や隊商の護衛にあたっているブラウヒッチ家の兵士を狙い撃ちにしているんだ。想像だけど、鎧甲の形や家紋で見分けているんじゃないかな」
「ブラウヒッチ家……」
そういえば人竜戦争の折、俺はレオと共にブラウヒッチ家の領地に赴き、竜退治を請け負ったことがある。
そのとき、報告された竜の数は二頭。
しかし、俺が殺したのは一頭だけだった。
もう一頭は上空から下りてこず、やがて目撃されることもなくなったので、この地から去ったと結論づけて終わりにしたのだ。
「あ、もしかして……あのときの狩り逃した奴か?」
「うん、その可能性がある」
親子か兄弟か、それともつがいか。
竜に身内を殺された人間は、竜を恨む。
であれば、人間に同胞を殺された竜も、人間を恨むのだろう。
恨みを忘れなかった竜は、ある日、敵の一味であるブラウヒッチ家の辺境警備軍を発見。
兵士たちの動きを追い、辺境から街道にかけて配置されていることを知る。
次に軽い交戦を繰り返し、相手の戦闘能力を量る。
おそらく俺のような存在がいないか警戒したのだろう。
そして、兵の流れを辿って街道を東進し、ペリファニアの街を発見する。
兵士たちを含め多くの人間が出入りする、敵の拠点だ。
竜は思う。
ここを攻撃すれば、人間どもに大打撃を与えられるだろう。
「――ま、以上はあくまでも推測であって、確証はないんだけどね。竜の思考なんて調べようがないし」
レオは苦笑した。
「どうあれ過去に関わった以上、これは僕や君も責任を負うべき事案だ。一方で、ブラウヒッチ伯の兵には可及的速やかに退去してもらう必要があった。彼らの存在が竜を呼び寄せたかもしれず、しかも、あれが最後の一匹とも限らないしね。――以上が君の名前を利用させてもらった理由。おかげでほとんど揉めることなく、決着をつけられた」
「…………」
「不愉快だろうし、事後承諾になって申し訳なく思うけど……許してくれないかな?」
くそ、と呟いて俺は舌打ちする。
腹立たしいが、レオの言い分を受け入れざるをえなかった。
「うん、ありがとう」
俺の心情を正確に読み取ってレオは笑う。
「安全確認のため、辺境の竜についてはもう少し調査の必要があるだろうね。ブラウヒッチ伯の力は今後も必要だけど、幸い今回のことでこっちが主導権を取れそうだから、効率的にやれる」
「幸い、か」
は、と俺は鼻を鳴らす。
羨ましいことだ。
俺は死にかけ、街は大きな痛手を被ったというのに、レオは目の上のこぶを遠ざけて優位を勝ち取ることに成功したわけか。
ペリファニアの復興という責任を負わなければならないとはいえ、こいつにとって差し引きの収支はプラスになっただろう。
(いや……)
それどころではないかもしれない。
竜を呼び込み、かつ街を守れなかった責任をブラウヒッチに押しつけるのであれば、街の復興事業は丸々レオの手柄になるわけで――もしかして差し引きどころか、今回の騒ぎでほとんど得しかしてないんじゃないか?
釈然としないな、などと思い……そして俺は、ある可能性に気が付いた。
表情が消し、レオを正面から見据える。
「なあ、レオポルト殿下」
「うん? どうしたの? 改まって」
レオはきょとんとした顔で首を傾げた。
「お前、今回の一件――どこまで計算して、どこから仕組んでたんだ?」