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43話 遺すべきもの、伝えるべきこと(4)

「あ、あの……重ね重ね、ご迷惑をおがげじで、ずびばぜん、です」


 マイヤは言って、鼻をぐしぐしとすすった。

 俺に抱えられたままひとしきり泣いたあと、市街地近くまで来たところでようやく自分の足で歩けるようになったのである。


 目立たないよう少し遠回りして街中に入ると、救助や復旧作業に携わる人間の姿がずいぶん増えていた。

 これからかがり火を焚いて、夜通し行われるのだろう。


 うわさ話に耳を傾けると、赤竜が倒されたことは広まり始めているようだ。

 とはいえ薄暗い刻限であり、加えて荒れ狂う竜を間近に見たがるような勇者もいなかったため、俺たちの存在は明るみに出ていないもよう。

 今さら英雄として祭り上げられるつもりもないので、ありがたい話ではある。


「怪我人は広場の方に運び込まれてるそうだ。マイヤ、肩の傷は平気か? 何だったら、ちゃんと手当してもらった方がいいかもな」


 いえ、大丈夫なのです、とマイヤは言った。


「このくらいはがまんできるので。マイヤより重い怪我の方もたくさんいらっしゃるでしょうし」

「なら帰った後で一度洗って、しばらく様子見だな。痛みが増したり皮膚の変色が現われれば、すぐ医者に診せる必要がある。たとえ傷が深くなくても、甘く考えんなよ?」


 はい、とうなずき、そしてマイヤは俺の顔をじっと見つめた。


「んだよ」

「あの、だんな様……今日は何となく、いつもと違う感じがするのです」

「どこが?」

「えっと……優しい感じのするあたりが」

「は」


 皮肉っぽく唇を吊り上げる俺。


「なんだそりゃ。俺はいつだって、このうえなく優しいだろうが」

「はい、それは本当にそう思うです」


 マイヤはこのうえなく大まじめな顔でうなずいた。

 毒気を抜かれ思わず絶句した俺に気付いた様子もなく、続ける。


「でも、いつものだんな様が見せてくださるのは、その、『優しくないような優しさ』という感じなのです。でも、今日は抱っこしてもらえましたし、褒めてもらえましたし……こう、すごく『優しい優しさ』というか……」

「意味がわかんねえぞ」

「そう、ですよね。わからないですよね」


 うーんと唸って、マイヤは眉間にしわを寄せた。

 こいつにとっても感覚的なものであって、しっかり言語化できるほどの確信があるわけではないのだろう。


 ――実のところ、マイヤはほぼ正解を突いている。


 このチビの勇気と資質に対する賞賛とか。

 気付きと成長を待つような時間が俺に残されていない現実とか。

 一度救ったにもかかわらず、また放り出してしまうことへの贖罪とか。


 理由は複数あるが、確かに今日の俺はマイヤに対してかなり直接的なやり方で伝えるべきを伝え、遺すべきを遺そうとしていた。


「それとも何か? 俺に優しくされるのは不満だとでも?」

「い、いえ! とんでもないです!」


 マイヤはぶんぶんと首を横に振った。


「その、むしろ、嬉しすぎて幸せすぎて不安になるというか、何か、次の瞬間には夢から覚めてしまいそうで……」

「なら、次から褒める代わりに頬でもつねってやるとするか。――さ、アデリナたちの見舞いに行くぞ」


 そう言って広場の方へ足を向ける。

 マイヤは慌てて後ろについてきた。


 ――おそらく俺が死んだ後、マイヤは今のこの会話を思い出すだろう。

 そして、なぜ気付けなかったのかと悔やむだろう。


 しかし俺は、自分の死期について話さないことに決めていた。

 ああ、これは単なるわがままだ。


 だって、ガキに不安や悲しみの表情を作らせたことが最後の記憶だなんて、あまりにも情けなさ過ぎるだろう?

 せめて誰かを幸せな気分にして、そのまま終わりを迎えたかったのだ。


(いや、この性根の時点ですでに情けないか……)


 苦笑しつつそんなことを考え、広場の入口あたりまで来たときだった。


「いよお、《折れ耳》」


 野太い声とともに、俺たちの前に大きな人影が立ちはだかった。

 虎族ティグリスの若い男だ。頭に血の滲んだ包帯を巻いている。


 マイヤが息を呑んで固まったことで、思い出した。

 あー、確かファリンの兄の、一番上の奴だな。


「ル、ルアンさん……。あ、あのお怪我は、大丈夫なのです? お休みになっていた方が……」

「イラついて寝てられっかよ!」


 吐き捨てるように言い、ルアンはマイヤを睨み付けた。


「まぐれで一発入れたから、もう上から目線か? ああ? 祭りに参加しそこねたこの落とし前、どうつけてくれんだ?」

「だ、だって、それは、竜がいきなり……!」


 ぎゅっと俺の上着を掴んだマイヤの手が震えていた。

 あの赤竜に比べれば産まれたての子猫にも等しい相手だと思うのだが、すり込まれた力関係というのはなかなか覆せないものらしい。


(ま、これも片付けておくべき案件かな)


 きっちり話をつけて、今後マイヤが絡まれないようにしておこう。

 そんなことを思いながら、俺は二人の間に割って入った。


「うちのメイドの落ち度なら、俺が責任を負うべきだろう。言い分を聞こうか。何があった?」

「あん? ああ、そのバカの飼い主かよ」


 嘲るように唇を曲げ、ルアンは俺の方を見た。


「そいつが無謀にもケンカを売ってきやがったんだよ。で、もめてるところにあのクソ竜がやってきてな、不意打ち食らった俺は負傷。街を護る英雄になり損ねたってわけだ」


 大雑把な説明だったが、おおよその経緯には見当が付いた。

 マイヤがケンカを売ったというのは燻製肉の件だろう。


「なるほど。で、どうすれば満足なんだ、お前は?」

「俺はそいつとのケンカに気を取られて、こうなった」


 ルアンは血の滲んだ頭の包帯を指さした。


「ケンカのケリをつける。そのうえで、《折れ耳》を俺と同じ目に遭わせてやる」

「し、勝負はマイヤが勝ったはずなのです……!」


 蒼い顔をしながらもマイヤは抗弁する。


「あんなもん、何かの間違いだ!」


 即座にルアンは怒鳴り返した。


「いいか、俺は認めねえ! 絶対納得しねえぞ! もう一回やってみりゃ、俺が勝つに決まってんだ!」


 認識が甘いだろう。戦場に『もう一回』はない。

 と、言ってしまうのは簡単だが、それで納得するほど利口ではなさそうだ。


 どうしたものかなと考えていると、剣呑な雰囲気に気付いたのか遠巻きに人垣ができ始めた。


 ――何だ? ケンカか?

 ――あれ、虎族ティグリス? 獣人兵? 

 ――あー、このところ暴れ回ってるヨソ者だろ。

 ――統制がとれず、結局竜がいなくなった後になってのこのこ出てきた役立たずが。

 ――負けちまえ負けちまえ。ぶちのめされろ。


 そんな声が聞こえてくる。


「おらあッ! こそこそ陰口叩いてねえで、言いたい事があんなら直接言ってみろや、このクソムシどもがぁッ!」


 ルアンはぐるりと周囲を見回し、怒鳴りつけた。

 やじ馬たちは口をつぐんで、目を逸らす。

 しかし、だからといって敵意や反感が消えたわけではなく、むしろ空気がより張り詰めたようだった。


 は、と鼻を鳴らし、ルアンは地面に唾を吐いた。


「ヘタレ揃いのクソみてえな街だな、まったく。戦いに命を懸けるってことの誇りも、死すら恐れねえってことの価値も、全然わかってねえ。殺し殺される中にこそ、生きる喜びってのがあるんだろうが」

「…………」


 俺は無言で小さく息をつく。


(『殺し殺される中にこそ、生きる喜びがある』……ねえ)


 嫌だ。

 ああ、すごく嫌だな、その言葉は。

 髪をかき回しつつ進み出、俺はルアンに声をかけた。


「なあ、その辺にしとけよ、歩く近所迷惑」

「あ?」

「広場には怪我人も大勢寝てんだからさ。発情期の猫よりタチ悪ぃぞ、お前」

「んだ、その舐めた口の利き方は? やんのか? 陰気なオッサンよお」

「……二十代でオッサンとは言われたくねえんだがな」


 苦笑して肩をすくめる。


「でもまあ、その通り。ケンカの相手ならマイヤの代わりに俺が引き受ける」

「だんな様!?」


 マイヤが驚いたように声を上げたが、俺は構わず続けた。


「ルアンつったっけか? お前が俺に勝ったら好きにしろ。ただしお前が負けたら、今後いっさいマイヤには関わんな」


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