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42話 遺すべきもの、伝えるべきこと(3)

 剣が衝撃に耐えきれず、真っ二つに折れる。

 同時に竜の頭が大きく後方に弾かれ、巨体がよろめいた。


「でもまあ、お前らはこの程度じゃ死なねえよなあ」


 俺は薄く笑った。

 ツノを斬り鱗を裂いたが、致命傷には遠いだろう。


 ゴォウァアアアアアアアッ!!!


 竜は怒りを吐き出すように一声吠えると、ぐっと首を反らせた。

 喉と口元が淡く発光し始める。

 竜族の持つ最大の武器、灼熱の息吹――ブレスの予備動作だ。


「だ、だんな様……」


 マイヤの上擦った声が聞こえた。


「目を閉じんな。よく見とけ」


 半分の長さになった剣を腰の位置に構え、俺は姿勢を低くした。


 正面の竜はかっと顎を開く。

 牙の並んだ大きな口のさらにその奥、白熱した光点が灯る。


 その瞬間――小さく、そして鋭く息を吐いて、俺は左下から剣を振り抜いた。


 どんな長大な剣でも届くような間合いではなかっただろう。

 しかし、折れた刀身から不可視の力が奔り、竜の太い首を薙いだ手応えを、確かに俺は感じ取った。


 竜の動きが止まった。

 そのまましばしの静寂。


 やがて俺は体の力を抜き、背後を振り返った。


「終わったぞ」

「え……?」


 戸惑ったマイヤが何か言いかけ、そしてその目が丸く見開かれる。


 赤竜の首がずるりと斜めにずれた。

 そしてそのまま重い音を立てて地面に落ち、一呼吸置いて、巨大な胴体が派手な地響きとともに横倒しになった。


 マイヤはぽかんとした表情で、しばらくその光景を眺めていた。


「俺が竜の天敵だったのはな、竜のブレスより圧倒的に速くて、かつその硬い鱗を無効化できる攻撃手段を持ってたからだ」


 役割を果たし終えて用済みとなった剣を、地面に投げ捨てる。


「さっきのは居合いと呼ばれる東方の剣術。そこへ剣を軸にしてけいを乗せた。いつかリンゴを切って見せたことがあったろ? 理屈としてはあれと同じだな」

「す、すごい……です……」


 まだ半ば呆然としながら、マイヤは言った。


 俺に言わせりゃ、見よう見まねでこれを模倣してのけたお前の方も十分にすごいんだがな。

 ――と、それはともかく。


「最後にもう一つ勘違いを訂正しとくぞ。チビ一人庇いながらだって、竜の一匹や二匹くらいは余裕で殺せんだよ、俺は。お前程度が足手まといになることは、最初からありえねえの」


 もっとも、今の俺にはそれなりの代償が必要ではあった。

 すでにけいを練るのは止めているのに、胸の奥の痛みが消えない。

 おそらく、もう取り返しがつかないところにまで来てしまったのだろう。


「はい、です……」


 マイヤは赤面してうつむいた。


「その、先ほどは、変なことを口走って、すみませんでした……。それと、あの、ありがとうございました、だんな様。えっと、た、助けていただいたことはもちろんですけど、色々教えて下さったことも」


 そして、小さな身体をさらに縮めるようにして続ける。


「今なら『自分で考えろ』と言われた意味がわかるのです。マイヤは、マイヤの価値ややるべきことを、自分で決めないといけなかったのですね。その、見捨てられたと思って怖くなって、勝手にお屋敷を飛び出してしまって……もうしわけありませんです」

「いや――」


 そもそも対人関係において、言いたいことをどう伝えればいいのか、どうすれば理解させられるのか、そのあたりの経験が俺にも足りていないのだ。多分。

 とはいえ、今それを口にしても言い訳にしかならない気がする。


 俺は髪の毛をかき回し、唸り、そして結局効果的な言葉も思いつけず、ため息をついた。


「あー、もういいさ、その辺のことは。全部終わったんだしな。――ほれ、傷を見せてみろ」


 俺はマイヤを座らせて、ケガの具合を確認した。

 ツノか爪でえぐられたたらしき肩口の傷が一番大きいが、命にかかわるようなものでもなさそうだ。

 マイヤの服を裂き、とりあえず止血をしておく。


 手当を終えると、ちょうど太陽が完全に没するところだった。

 首と胴の分かたれた巨大な死体、そしてその向こうに見えるペリファニアの街並みに視線を向け、俺は言った。


「んじゃ、街に戻るか」

「は、はい!」


 とりあえずアデリナたちの様子を見に行こう。

 ついでにどこかで飯でも食って帰れるといいが……これは望み薄か。

 さすがにこの騒ぎの後で営業できるような店ははいだろうしな。


 と――歩き出そうとしたマイヤが、不意にぺたんと地面に座り込んだ。


「あ、あれ?」


 不思議そうに目を瞬かせている。

 本人にも何が起こったのか、わからないようだ。


「あの、あ、足に、ち、力が……は、入らなくて……」

「あー、極度の緊張から解放されると、そうなることがあるな」


 仕方ない。

 俺は歩み寄って、ひょいとその小さな身体を抱き上げた。


「わ……」


 マイヤは小さく声を上げたが特に抵抗はせず、俺の首にしがみついた。

 すぐにその体が細かく震え始める。

 安全を確信したことで、恐怖心が改めて襲いかかってきたようだ。


「あー」


 マイヤを抱え、街に向かってゆっくりと歩を進めながら、俺は口を開きかけた。

 そこで少しためらい、でもやはり言葉で伝えてやるべきかと決意し直す。

 柄じゃねえのは百も承知だが、最後にサービスしてやるくらいはいいだろう。


「色々危なっかしいわ暴走するわで気をもませてくれたが……まあ、竜に出会って囮を務めたうえで、俺が駆けつけるまでちゃんと生きてたのは上出来だ。主を待つこともできねえんじゃ、メイド失格だしな」


 腕の中のマイヤは、少し驚いたようにこちらを見上げた。

 どうにも目を合わせ辛いような気恥ずかしさを覚えつつ、しかし、俺ははっきりと言った。


「つまりな、褒めてんだよ。お前はよくがんばった。自分を誇れ」

「…………」


 俺をじっと見つめる大きな目に、じわ、と涙が浮かんだ。


「マイヤ、こ、怖かったのです。とても、とっても怖くて、怖くて――!」


 あとは言葉にならない。

 マイヤは俺の胸に顔を埋めると、声を上げて泣き続けた。


 予想以上の反応に驚き戸惑い、赤ん坊を必死にあやす子守りよろしくマイヤを抱きしめる一方で――俺はそこはかとない充足感を覚えていた。


 リーンハルト・イェリングはこいつに対して、少しは英雄の名に恥じないことができたのだろうか。

 だとしたら……悪くない気分だ。

 ああ、悪くない。


 と、そのとき。

 俺の口からマイヤにも気付かれない程度の、ごくごく小さな咳が漏れた。

 少し遅れて、口の中に血の味が広がる。


(……まあ、おおむね予想通り、か)


 体内の状態を自己診断し、冷静にそう分析した。

 けいを操る要となる器官、肺と心臓は長年の酷使によってボロボロだった。

 それが赤竜をぶった斬ったことで、とうとう限界を越えたのだ。


 今夜半か、明日の早朝か、そのあたり。

 ――おそらく俺は、次の発作から帰還することはできないだろう。

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