41話 遺すべきもの、伝えるべきこと(2)
竜は退かない。
マイヤを助けつつ俺の方が退くことは可能だが、その場合、街が襲われる可能性は高く、しかも街には竜に対抗できる戦力がない。
結局のところ、この俺が、すべてを絞り尽くして、今にらみ合っているこの竜を、狩るしかない。
――そういうことだ。
「…………」
ふん、と鼻を鳴らした。
いずれにせよ、人竜戦争で限界を越えて勁を使い続けた俺の身体は、いまやポンコツ同然。
マイヤが居なかったとしても、竜が現れなかったとしても、末路はさほど変わらなかっただろう。
ま、少なくとも、この犬耳娘一人は助けることができたのだ。
人生の終盤に多少なりとも善行を為せた、と喜ぶべきなのかもしれないな。
と、そんなことを考えたとき――
「あ、あの、だんな様!」
背後からマイヤが言った。
「んだよ。取り込み中だ。簡潔にまとめろ」
「マ、マイヤのことは、もう、い、いいのです!」
「……ああ?」
俺は思わず眉を寄せた。
竜から視線を外すのはさすがに自制したが、こんな状況でなければ振り返ってマイヤの顔をまじまじと見つめていただろう。
「その、竜殺しの英雄様、なのでしょう? だったら……だったら、マイヤなんて庇わなくていいのです! 死んじゃってもかまわないのです! 放っておいて、全力で竜を倒してください! それで、街が救われるですから!」
「…………」
俺の沈黙をどう解釈したのか、マイヤは決意を込めた口調で続けた。
「ゴミクズなりに……お役に立ちたいのです。獣人兵は英雄様のために死ぬのがお仕事です。お願いです。マイヤを、英雄様の足手まといにしないでください」
……ああ、なるほどな。
『自分を庇っているせいで俺が本気を出せなくなっている』と、そう思って、気に病んでいるわけだ。
「マイヤは、とっても、とってもとっても幸せでした。い、いままで、本当にありがとうございまし――あいたぁっ!」
俺は竜を見据えたまま、背後にげんこつを放った。
狙い通りマイヤにヒットしたようだ。
「だ、だんな、様!?」
涙目で額を押さえるのが目に浮かぶ声で、マイヤは言った。
「黙れアホ犬」
「あ、あほ……?」
「ちょっとくらいは褒めてやろうと思ったのに、台無しすぎんだろうが。本っ当に見事なくらい、何重にも勘違いしてやがんな、お前は」
「え、え?」
マイヤが混乱した。
実際、俺は相当に腹を立てていた。
「ここに来る前、ファリンに会った。アデリナとレニはちゃんと助け出されてたぜ。そのために囮になったんだろ、お前」
「は、はい……」
「街の人間も同様。お前のおかげで死なずにすんだ奴が何人も居るわけだ。――なあ、マイヤ」
俺は言い聞かせるように、ゆっくりと、そしてはっきりと言った。
「ゴミクズごときに救われたってんなら、アデリナやレニ、他の奴らの命の価値はゴミクズ以下ってことか?」
「そ、それは――」
思いもかけないことを尋ねられた、というように、マイヤが言葉を失った。
会話にかまけているのを好機とみたのか――赤竜がものすごい勢いで突進し、その前肢を振り上げた。
俺は強化した腕力と剣で鋭い爪を受け流す。
間髪をいれず、もう片方の爪が襲いかかってきた。
今度もどうにか弾き返す――と同時に、心臓と肺が軋みを上げた。
勁を使う度に、脳天まで激痛が突き抜ける。
思わず動きを止めたそのとき、竜は頭突きを仕掛けてきた。
尖ったツノで串刺しにしようというのだ。
下手にかわせばマイヤに当たるか――そう考えた俺は剣を両手で構え、正面から受け止めた。
ツノに浅く頬を裂かれたが、そのまま剣を絡めて強引に頭を押え込む。
と、剣に小さくひびが入った。
俺は唇を歪めた。
まったく、体はポンコツ、剣もなまくらときたもんだ。
――まあ、まだ大丈夫。どっちもしばらくは持つ。
「ひ、あ……」
背後でマイヤが押し殺した悲鳴を上げた。
竜の顎が至近距離でガチガチと音を立てている。
血走った片眼で俺たちをにらみ、鼻息を荒らげる。
「んで、ゴミクズなんかをこうして必死に庇ってる俺は、間抜けな道化ってわけか? 俺は、無価値なゴミクズのために命懸けなきゃならねえのか?」
「そ、れは……」
「俺はお前を護るために、わざわざここに来たんだ。いいか、マイヤ――」
俺は息を吸い込み、声を強めた。
「自分で自分を見捨てんじゃねえ! それはな、お前に関わったあらゆる人間に対する侮辱なんだよ! お前みたいなガキが死んでもいいって言うんなら、英雄の存在する意味がねえだろうが!」
以前ファリンに指摘されたように、俺は作られた英雄だ。
竜に故郷を滅ぼされ、親兄弟や友人たちを失って憎悪に狂った男が、『英雄』という衣装を着せられ、飾り立てられていただけの存在にすぎない。
たとえ竜を何百匹何千匹殺したって、すべては自分のため。
賞賛に値しないまがい物であることは、誰より一番俺がよく知ってる。
――でも。
でも、だ。
最後に一度くらいは、本物の英雄でいさせろよ。
俺を、子供の命一つ護れない無能にするんじゃねえよ。
「ぐ――」
竜の圧力が増した。
剣と絡み合ったツノをそのまま押し込んで、俺の身体ごと吹っ飛ばそうとする。
ずるりと足が滑り、後ろに押し込まれる。
いつの間にか、青ざめたマイヤの顔がすぐ横にあった。
「だんな様!」
「答えろ。お前は無価値な『ゴミクズ』か? それとも生きて帰りたがってる『人』か?」
マイヤは息を呑んで絶句した。
俺がこいつのそばにいられる時間は、もうそれほど長くない。
これが道筋を示してやれる最後の機会だろう。
なあ、マイヤ、気付けよ。
お前が自分の意思で口にして、初めて意味が生まれんだぞ?
その先にお前の未来があるんだ。
「…………ああ、そっか」
沈黙したのち、やがてマイヤは小さく呟いた。
「マイヤはそこを間違えたのですね。自分の価値は自分で決められたのです。いえ、決めなければいけなかった。ゴミクズであることを受け入れて、諦めるべきじゃなかった。周りの人のためにも、マイヤは胸を張ってマイヤ自身を誇らないといけなかった」
剣に竜のツノが食い込む。
負荷が勁の防御を超え、ピシッと音を立てて刀身に大きな亀裂が走った。
マイヤが恐怖に体を強張らせる気配。
しかし、俺は焦っていなかった。
「続けろよ」
マイヤは心を落ち着かせるように一度深呼吸し、再び口を開いた。
「マイヤは、こ、怖かったけど、アデリナさんたちのために竜と戦いました。今日だけじゃなく、これからも、他の人たちを助けられればと、そう思うです」
声に、少しずつ熱がこもっていく。
「そして、だんな様に、ずっとお仕えして行きたいです。いっぱい一生懸命がんばって、良いメイドになるのです。だから――だから、マイヤは、無価値なゴミクズなんかじゃない!」
お、ちゃんと言えたじゃねえか。
はいはいしてた赤ん坊が、初めて立ち上がったのを見るみたいな気分だな。
――そんなことを考える自分に、内心で苦笑する。
「なら、お前は今、何を望む?」
「……帰りたい、です」
声が震えた。
すぐに嗚咽混じりとなり、そしてマイヤは叫んだ。
「マ、マイヤは、あのお屋敷に、生きてリーン様と一緒に帰りたいです! お願い、マイヤを……助けてくださいっ!」
「ああ――任された!」
マイヤの意志が耳に届くと同時に、腕に込めた勁を一気に増幅。
「おおおらぁッ!」
気合いとともに、俺は思い切り剣を振り抜いた。