40話 遺すべきもの、伝えるべきこと(1)
俺が竜の襲来を目にしたのは、マイヤを探すため市街地に入ったあたりでのことだった。
驚きがなかったと言えば嘘になる。が、少なくともうろたえたりはしない。
人竜戦争が終わった――などというのは人の側の都合でしかなく、奴らの機動力を考えれば、いつこうなってもおかしくなかったのだ。
とはいえ、もちろん楽観できるような事態でもなかった。
このペリファニアには多くの人々が暮らしている。
守備兵もブラウヒッチ家の獣人隊も、アレを食い止めるには力不足だろう。
そして俺は往年の戦闘能力を失っている。
「……ま、英雄業は引退してるんだし、別に立ち向かう責任もねえか。このまま背中向けて街から逃げ出せば、俺の命は助かるよなあ」
俺は呟いて、髪をかき回す。
そしてひとつため息をつき――結局、街に向かって足を速めた。
竜が降り立った方向には、アデリナの店があるのだ。
逃げ惑う人の波に逆らって目的の場所に到着する。
そこにあったのは、凄まじい破壊の痕跡だった。
くそったれ、と思わず声がもれた。
竜の姿はない。足音を聞く限り、ここから遠ざかっているようだ。
人々は最初期の大混乱からは脱し、組織だった避難や負傷者の救助など、少しずつ秩序を取り戻しつつあるように見える。
周囲に視線を巡らせると、アデリナとレニがちょうど瓦礫の下から助け出されたところだった。
ぐったりしているものの、ともに緩やかに胸が上下しているのを確認し、俺は小さく息をついた。
「建物が崩れてくるから、ひとまず開けた場所に運び出して。あと、守備隊に怪我人の収容場所を作るように要請」
救出活動の先頭に立っている姿には見覚えがあった。
マイヤの旧知である虎族の少女だ。
確かファリンとかいったか。
どうも俺は嫌われてるようだが、そんなことを気にしている場合でもない。
近寄って、声をかけることにする。
「状況を教えてくれ」
俺を見て軽く目を見張ったが、余計な問答に時間を費やすことなくファリンは要点をまとめた。
「赤竜です。大きさはおそらく二級以上。飛行能力を確認。ブレス能力は未確認。街の南方へと移動中」
そして、まるで痛みをこらえるように小さく顔を歪めて付け加えた。
「……マイヤが竜の片目を潰し、ここから引き離しました。今、一人で囮になって誘導しています」
「――――!」
俺は思わず天を仰いだ。
あのバカ、なに不相応な役目引き受けてんだ。
臆病者には二種類ある。
恐怖に直面したとき思考を停止させて固まってしまうタイプと、なぜかクソ度胸を発揮して突っ走ってしまうタイプだ。
マイヤの奴はどうやら後者であったらしい。
「お前は救助を続けろ。避難者も街の南側には近づけるな」
見たところファリンは冷静さを失わず、的確に指示を出し周りを動かしている。
人々の混乱を収めたのも、こいつの存在が大きいのだろう。
この場の指揮を任せても大丈夫のはずだ。
「わかりました。あの……」
ファリンは少しためらい、頭を下げて続けた。
「どうか、どうかあの子を……マイヤをお願いします」
「うちのメイドだ。言われるまでもねえよ」
俺はそう言い置いて、走り出した。
途中、ぶっ倒れていた衛兵から剣を拝借し、人が少なくなったあたりで軽く屋根へと飛び上る。
遠くに竜の頭が見えた。
◆◇◆◇◆
マイヤの前に割り込んだ俺は、腕と剣に勁を込めて強化し、竜の顎をがっちりと受け止めた。
「とりあえず、だ。――てめえはその生臭い口を近づけんな!」
鋭い呼気とともに剣を振り払い、赤竜の頭部をはじき飛ばす。
竜の方もこの程度では怯まない。
一度大きく頭を引くと、さらに勢いをつけて俺に食いつこうとする。
が、俺はマイヤを抱えて一息に二十歩分ほど後方に跳び、竜の牙は何もない空間を虚しくガチンと噛むにとどまった。
そのまま睨み合う。
赤竜は強烈な殺意をその爛々とした目に宿していたが、拙速な追撃を仕掛けてくるつもりはないようだ。
破壊衝動のままに暴れ回る竜は多いが、こういうのは珍しい。
「おい、マイヤ、生きてるか?」
「え? は、はい、生きてるです、けど……あの、リ、リーン様? 本物のリーン様です?」
混乱した様子でマイヤは言った。
「偽者に見えんのか? ってか、さっきまで誰と会話してるつもりだったんだ、お前は」
「いえ、その……ど、どうしてここに?」
「走って、だよ」
体外のに放出して攻撃するだけが勁の使い方ではない。
体内において増幅し適切に操ってやれば、運動能力を大幅に向上させることができるのだ。
さっきやってみせたように勁を脚に集中し、走力と跳躍力を増大させる技を《飛身》という。
敵が巨大だというのはそれだけで厄介だが、一点だけ助かることがある。
すなわち、居場所をまず見失わないということ。
《飛身》で一直線に屋根の上を跳びつつ、右折左折しながら街の外へと向かう竜を追い、そしてどうにかギリギリのところで間に合ったというわけだ。
問題は、体の方があまり長時間勁を扱える状態にないこと。
早くも肺腑を少しずつ千切られていくような痛みを感じ始めている。
(あー……これは、ちょっとヤバいかもなあ)
俺はわずかに顔をしかめた。
勁功を修めた当時は、一昼夜駆け続けることなど造作もなかったのだが。
『勁功』――東方発祥の体術、あるいは武術。
本来身体に備わっている能力を最大限に活用するための、技術体系。
こういうと単純に聞こえるが、実のところ習得するのはそう易しくはない。
俺が身につけられたのは才能と師に恵まれたからで、一方――
(こいつは純粋に才能だけだな)
すっぱりと切り裂かれた赤竜の右眼を眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
ほとんど修行らしい修行もなしにここまでできるというのは、瞠目すべき素質である。
が――同時に今のマイヤでは、これが限界だろう。
続きは俺の仕事だ。
「しばらく後ろで見てろ」
「は、はい!」
背後から上ずった声で返事が聞こえた。
竜はその体の大きさによって一級から四級まで等級分けされ、さらにブレスや魔術など特殊能力の有無によって甲種と乙種に分類される。
目の前のは、おそらく二級と一級の中間くらい。かなりの大物だ。
そして経験上、このでかさになると広範囲ブレス程度の能力はたいてい身につけている。
と、前触れもなく竜が動いた。
大きく身体を回転させ、長大な尾で周囲をなぎ払う。
俺は剣を持っていない方の手でマイヤの襟首をつかみ、勁を脚に込めて飛び上がった。
ひゃあ!?と犬耳娘の声が聞こえたが、無視する。
かわした、と気を抜く間もなく、今度は身体を回した勢いを利用して大きな顎が食いつきに来た。
しかし俺はその鼻先を剣で叩き、反動で間合いを取る。
竜の噛み付きはまたしても空振りに終わった。
そして俺たちは再び距離を取って向かい合う。
「……今のも、全力じゃねえよな」
先ほどの攻撃、直撃すればもちろん致命傷だが、それでもまだ余力を残しているように思われた。
俺に対する牽制、様子見ってところか。
改めて竜の目を見る。
片目になっても戦意はまったく衰えていない。
さらには、ちっぽけな人間ごときが自分と渡り合っているというのに、驚きの色も浮かんでいない。
そこにあるのは、警戒、畏れ、そしてそれらを上回る怒りと憎しみ。
つまり、俺の力を十分承知していて、そのうえで殺す気満々ということ。
「もしかして、俺を知ってんのか? さあて、どこかの戦場で会ったかな?」
勁の負荷に耐えかねた心臓の鼓動が乱れ始めているのを感じながら、俺はあえて軽い口調で言った。
適当にあしらって追い払うのは無理だ。
ここで確実に殺さなければならない。
――たとえどんな犠牲を払うことになったとしても。




