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39話 マイヤ、取られたものを取り返しますです!(7)

 長槍があっさりと鱗に弾かれ、最前列の兵士さんが鋭いかぎ爪でなぎ払われたところで、守備隊の第二陣も潰走状態となったようです。


 幸いにも竜はちっぽけな狼犬族カニスルプスに気を留めることはなく、マイヤはたやすくその右側に回りこむことができました。

 ここから注意を引きつけなければなりません。


「こ、こっちですよーっ! こっちに来ないと、痛いことするですよーっ!」


 声を上げてみます。

 しかし、竜は視線すら向けませんでした。

 やはり、怒らせるだけの攻撃が必要であるようです。


 とはいえ、あの鱗はファリンさんの一撃さえ通さない強度。

 普通に攻撃しては、マイヤの存在に気付かせることもできないでしょう。

 ですので――鱗に覆われていない部分を狙います。


 マイヤは竜の頭と、そこに付いている一対の目を見上げました。

 弓で狙われたとき不快そうな様子を見せていましたから、おそらく他の生物同様、弱点ではあるのでしょう。


 しかし、その狙うべき標的は、家々の屋根のさらに上にあります。

 どう跳んだところで届きませんし、石を投げて当たるとも思えませんし、大きな体と長い首をよじ登っているような余裕もありません。


 でも――マイヤはたった一つだけ、使えそうな手を知っています。


 半壊したお家の壁を伝って屋根に上りました。

 そして的がよく見えることを確認し、包丁を腰の位置に構えます。


「えっと、呼吸を整えて、力を抜く、でしたか……」


 リーン様の言葉を復唱しながら、視線を固定します。


 以前、リーン様が離れたところにあるリンゴを、けいとかいう不思議な技で切って見せたことがありました。

 マイヤも真似をしてみましたが、そのときは皮がうっすらと切れただけだったのを覚えています。


 でも、もし今、もっと上手くやることができたなら……あの竜の眼に、刃を届かせることができるかもしれません。


 心臓がはね回っていますが、怖いのだから当たり前ですよね。

 うん、集中できます。大丈夫。


 あのとき期待したような結果が出なかったのは、多分、リーン様のお手本を上手く真似できていなかったからだと思うのです。

 リーン様の動きは、今でもまだマイヤの記憶に焼き付いています。

 今回は最大限に注意して、より速く鋭く、それをなぞるつもりです。


 マイヤはリーン様で。

 竜の目玉はリンゴ。


 何度か言い聞かせるうち、その感覚がマイヤと同化していきました。

 音が消え、景色が消え、やがてマイヤがマイヤであるという意識すら消えて――姿勢も、呼吸も、手足の動きも、リーン様を正確に写し取り。

 ほとんど無意識のうちに左下から右上に包丁を振り抜きます。


 ――ギイィアアアアアアアアァアアアァァアアァアアァアッ!!!!


 瞬間、ものすごい苦痛の声が響き渡りました。


 マイヤは我に返り、竜に視線を向けます。

 その目がまぶたごと斜めに裂け、血が噴き出していました。

 包丁の刃先から伸びた光の帯が届いたのです。


「や、やった……できた、です!」


 半ば信じられないような思いで、マイヤは声を上げました。

 が、喜んでいる場合ではないのをすぐに思い出します。


 紅い竜が正面からマイヤを見ていました。

 無事な方の一眼にあるのは怒り――いえ、そんな生やさしいものではありません。

 恨み、憎悪、殺意。

 何を置いてもこいつだけは殺してやるという、強い強い意志。


 ですが、気圧されてやるつもりはないのです。

 マイヤはきっと顔を上げ、大声で叫びました。


「あなたの目を奪ったのは、このマイヤです! 許せないんだったら――追いかけてきてください!」


 そして、屋根の上を伝ってわざと竜の鼻先をかすめるように横切ります。

 地面に飛び降り包丁を投げ捨てると、あとはそのまま全力疾走。


(ひ……お、追ってきた、です!)


 振り向いて確認するまでもありません。

 マイヤの体を跳ね上げるほどの地響きと嵐のような息づかいが、背後にどんどん迫ってきます。


 泣きそうなくらい怖いですけど、予定通りです。

 このまま街の外までおびき出すのです。


 ただ……竜の駆け足が思ったよりさらに速かったことは予定外でした。

 一歩の歩幅が絶望的に違います。

 どれだけ全力で走っても、まっすぐ逃げるだけではすぐに追いつかれてしまうでしょう。


 なのでマイヤは、途中で通りを直角に折れました。

 体重がある分、急に止まったり曲がったりは難しいはずです。


 予想した通り竜は大きくバランスを崩し、川べりの水車小屋と倉庫を派手に壊しました(巻き込まれた人がいないことを祈るばかりです)。


 多少の距離を稼ぐことはできましたが、もちろんすぐに詰められる程度のものでしかありません。

 なるべく人の少なそうな場所を選んで、マイヤはジグザグに走りながら竜を誘導します。


 自分の持っている全てを、ただ走ることに注ぎ込みました。

 体力はすぐに底を突き、ぞうきんを固く固く絞るように最後の一滴まで出し尽くそうとしているところです。

 息を吸っても吸っても体が要求する量には全然足りなくて、胸が破裂しそうになっています。


(でも……あと少し、です!)


 立ち並ぶ建物が途切れます。

 マイヤは市街地を抜けて、原っぱに出たのです。

 ここまでくれば――と思った瞬間、背中にものすごい衝撃を受けました。


「あう――!」


 体勢を立て直すような余力はありません。

 前のめりに倒れ、そのまま草むらの上を何回転かして、ようやく止まりました。

 どうやら、竜がその長い首を振って頭突きを食らわせたようです。


 肩から背中にかけて、生温かく濡れたような感覚がありました。

 角で切り裂かれたですね、とマイヤは妙に冷静に判断します。

 それほど痛みは強くありませんが、多分、気持が高ぶって感覚が鈍くなっているだけなのでしょう。


 いずれにしろ、マイヤの中に立ち上がって再び走り出すだけの元気は、もう残っていませんでした。

 どうにか首だけを起こし、背後に目を向けます。

 ぼんやりとかすんだ視界に、ゆっくりと迫ってくる竜がうつります。


 マイヤの状態を見て余裕半分、反撃の手段を残していないか警戒半分というところでしょうか。


(逃げ、なきゃ……)


 はうようにして何とか遠ざかろうとしますが、かくんと腕から力が抜け、再び地面の上に倒れ込みます。

 目の前には夕陽に照らされた草原がどこまでも広がっています。

 盾にとれるようなものも、身を隠す場所もなさそうです。


 ――もう、ここで、いいかな。

 ふとそんなことを思いました。


 街からは引き離しました。

 今ごろはファリンさんがアデリナさんたちを助け出しているでしょう。

 街の人々が避難するため、あるいは守備隊の兵士さんやブラウヒッチ様の獣人隊が態勢を整えるための時間も、かなり稼げたはずです。


 それに――このペリファニアには竜殺しの英雄、リーン様がおられるのです。

 これだけの騒ぎですから、もう竜の襲来には気付かれているでしょう。

 この後、竜が再び街に向かったとしても、きっと、きっとあの方が何とかしてくださいます。


 ああ……こう考えると、マイヤ、すごくがんばったのですね。

 ゴミクズが最期に行った仕事としては、破格の成果ではないでしょうか。


(十分です、よね……?)


 怖いのも苦しいのも痛いのも、もうたくさんです。

 あと一度で全部終わるのなら、それもいいかもしれないですし……


 と、その瞬間、ものすごい勢いで竜の牙が襲いかかってきました。

 マイヤは全身の力を振り絞って、わずかに体をずらします。

 よけられたのはまさに奇跡的な幸運でした。


 でも、これで本当に力を使い果たしました。

 正真正銘のゼロなのです。

 目の前がゆっくりと暗くなり、意識が遠のいて行きます。


 残されたのは、とどめの一撃が来るまでのごく短い時間。

 自然と思い出されるのは、ここ最近の幸せな日々でした。


 軍にいたときは、ずっと自分の内側ばかり見ていたように思います。

 マイヤはダメな子だ、役立たずだ、ゴミクズだ――って。


 でもここには苦手な戦闘訓練もなく、怒られることも怒鳴られることもなくて……自分の外側に目を向けることができるようになりました。

 そしてお屋敷でのお仕事、街でのお使い、楽しいこと、嬉しいこと、素敵なことをたくさん知りました。


 いつしかマイヤは、ペリファニアの街とアデリナさんやレニさん、ここで暮らす人々が大好きになっていました。

 だから、怖がりのゴミクズが、誰かのために戦うことができたのです。


 最後に――それらすべての幸せを与えて下さった、大切なひとの顔が心の中に浮かびました。


 マイヤがこうしてがんばって、がんばって……そして、死んじゃったことを知ったら、リーン様は褒めてくださるですかねえ?


 そんなことを、口の中で呟きます。


 ――褒めるかよ、バカが。

 ――本人が死んでから褒めて、なんの意味があんだ。


 そんなリーン様の不機嫌そうな声が耳の奥で聞こえたようでした。

 少しだけ可笑しくなりました。

 ああ、そうですね。リーン様ならきっと、そうおっしゃるですね。


 うん、だったら、それはもう諦めるです。

 大丈夫、マイヤは諦めることには、なれているのです。

 ゴミクズがこれ以上を望むのはぜいたくでしょうし、リーン様にはもう十分なものをいただきましたから、悔いはないのです。

 満足して死んでゆけます。


 ――本当にそうか?

 ――なら、なんでさっき、竜のあぎとをかわした?

 ――生きられるものなら、もっと生きたいってことじゃねえのか、それは?


 マイヤの頭に響いてくるリーン様の声は、とっても意地悪なことを言いました。


 ……やめて下さい。

 せっかく、諦めたのに、受け入れたのに、心が揺れてしまうですから。


 ええ、そうです。

 本当は、もっとリーン様のお側にいたかったです。

 もっとリーン様のお話を聞きたかったです。

 もっとリーン様にお話を聞いていただきたかったです。

 アデリナさんたちのお店に通って、お料理やお掃除ももっと上手くなりたかったです。

 そして、世界はこんなにも楽しいものだったんだって、生まれて初めて気付いたですって、笑っていたかったのです。


 ……ゴミクズなのに、欲張りで意地汚いですね。

 幸せの味を覚えてしまうと際限なく欲しくなる、醜い心根なのです。

 だから……やっぱりここで死ぬのがふさわしいのでしょう。


 ――ムカつく物言いだな。


 リーン様の声は続けます。


「本人が諦めてんじゃ、俺がわざわざここまで来た意味ねえだろ、バカが」

「――え?」


 急速に視界が戻ってきました。


 目の前、ほんの数歩の距離に巨大な竜の牙。

 そして、それを細身の剣一本で押しとどめている男の人の背中。


 会いたくてたまらなかった人が、マイヤを守るように立ちはだかっていました。


明日1/9は更新お休み。

次回は1/10火曜か1/11水曜の夜になります。

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