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38話 マイヤ、取られたものを取り返しますです!(6)

 多分、あの竜は移動に本気を出していないのでしょう。

 ゆっくりと周囲を眺めながら地上を進んでいるため、マイヤの足でもどうにか距離を詰められそうです。


 これ以上被害が出る前に、何としても追いつかなければなりません。

 でも、追いついて、それから……それから、どうすればいいのでしょう?

 どうすればこの大きな竜を止められるのでしょうか?


 と、一陣の風がマイヤを追い抜いて行きました。

 ファリンさんです。

 マイヤよりはるかに速く駆け抜け、竜に迫り、そして大きな槍斧ハルバードを振り上げました。


「はッ!」


 短い気合いと共にまず竜の膝を、続けて足首を狙い、刃を叩き付けます。

 しかし大木でも両断してしまいそうな斬撃は、硬い音を立てて弾き返されました。

 鱗に阻まれ、傷らしい傷すら与えられていません。


 ファリンさんは小さく舌打ちし、後方にジャンプ。

 一瞬前まで彼女の頭があった位置を、ぶうん音を立てて竜の尾が通過しました。

 まるで無造作に小うるさい羽虫を追い払うかのようです。

 もしかしたら、攻撃されたとすら感じていないのかもしれません。


 ファリンさんに追いつくと、道をまっすぐ行った向こうに《銀の大樹》亭の看板が見えました。

 時刻としては、ちょうど夜の営業を始めるくらいです。


(何かの急用でお留守だったりしないですか……?)


 マイヤが祈るような気持ちで思ったそのとき――扉が開いてアデリナさんとレニさんが姿を現しました。

 おそらく何の騒ぎか確かめるために、外へ出てきたのでしょう。

 二人は迫り来る災厄をまのあたりにし、驚きの表情を浮かべます。


 そして、竜はゆっくりと翼を広げ、次なる跳躍の体勢をとりました。


「お願い、逃げてぇッ!」


 マイヤは心臓が凍りそうな思いで大声を上げました。

 しかし逃げ惑う人々の悲鳴にかき消され、二人には届きません。


「早く逃げて、逃げて、ください……」


 涙で視界がかすんでいきます。

 アデリナさんとレニさんだけではありません。

 このあたりはお店やお家が密集しています。

 大勢の人が暮らしていて、そのほとんどがまだ逃げ出せていないのです。


(止めなきゃ……竜を、止めなきゃ!)


 気がつくと、マイヤは意味のない叫び声を上げながら、後先考えずに竜に向かって突っ込んでいました。

 ほんの一瞬でも時間を稼がないと、というそのことで、頭がいっぱいになっていたのです。

 しかしそのとき、襟首がつかまれました。


「下がりなさい」


 そのまま、ファリンさんによって後ろに放り投げられます。

 同時に号令が聞こえました。


「放てッ!」


 声と共に、十本ほどの矢が打ち出されます。

 守備隊の兵士さんたちが、駆けつけたのです。

 的がきわめて大きかったため、矢は一本も外れることなく命中しました。


 が――


「バカな……」


 隊長さんらしき人がうめきます。

 弓矢による攻撃はただ当たっただけ。

 鱗を貫くことはできず、傷の一つの付けられず、全てむなしく地面に落ちました。


「バカはそっちでしょうに。普通の矢が通るわけ無い。最低でもいしゆみを持ってこないと」


 ファリンさんが顔をしかめて呟きます。


 マイヤはいくらか冷静さを取り戻していました。

 今、考えなしに突進しても流れ矢に当たるだけでしょう。

 しかし……わずか十人ほどの兵士さんたちだけで、竜をどうにかできるものでしょうか。


 守備隊は第二射を放ちました。

 結果は同じ。竜は無傷です。

 しかし、矢の一本が目元に当たり、竜の方はうっとうしさを覚えたようです。

 立ち止まって不快そうに身震いすると、姿勢を低くしました。


「――距離を取りなさい! 急いで!」


 ファリンさんが兵士さんたちに怒鳴ります。

 同時に竜は尻尾をその体ごと大きく一回転させ、地面をなぎ払いました。


「ひ……」


 思わず頭を庇ってしゃがみこみます。

 すさまじい音と土煙。まるで大地震のような振動。人々の絶叫。


 やがてゆっくりと視界が晴れ――マイヤは息を呑みました。

 尻尾の届く範囲は、丸く更地になっています。

 建物はきれいに消え去り、生きて動いているものもありません。


 そして――

 尻尾によって跳ね飛ばされた家屋の一つが、《銀の大樹》亭を直撃し、無残に半壊させていました。


 それを理解した瞬間、マイヤは走り出していました。

 あの、建物が降ってきてぐしゃぐしゃに潰れている、あそこは――ちょうど《銀の大樹》亭の入口で、つい先ほどまでアデリナさんたちが立っていた場所なのです。


「アデリナさん! レニさん! 大丈夫です!? 返事してください!」


 土煙が立ちこめる中、駆け寄って声をかけます。

 応えはありません。


(多分……こっち!)


 マイヤは嗅覚を頼りに、瓦礫の山を回り込みました。

 アデリナさんもレニさんも、獣人であるマイヤを嫌がることなく、何度も側に近寄ってくれました。

 なので、お二人の臭いははっきりと覚えています。


 おそらくこのあたり、というところに来て――そしてマイヤは足を止めました。

 倒壊した壁の下から、白い手がのぞいていました。


 その色も形も臭いも知っています。

 間違いなく、アデリナさんの、ものです。


「あ……ああ……」


 マイヤはぺたんと地面に座り込みました。

 受け入れたくない現実が目の前にあります。

 マイヤは、やっぱりゴミクズなのです。

 目の前に居たのに、何も、何一つ――


「呆けている場合ではないわ。落ち着いて」


 いつの間にかそばに来ていたファリンさんはそう言い、マイヤの頭をぽんと一つ叩きました。

 そして槍斧ハルバードの柄をてこのように使い、虎族ティグリスの怪力で倒壊した石壁を持ち上げます。


「……やっぱり壁の下に隙間ができてる。女の人と、小さな女の子の二人ね。身動きはしてないけど、呼吸はあるみたい」

「え? じ、じゃあ……」

「上の瓦礫をどければ、何とか助け出せるわ。ただ……」


 ファリンさんは視線を上げ、眉をひそめました。


「少々まずいわね」


 竜が再び前進を開始。

 そこへ新たな守備隊が駆けつけ、足止めを試みています。

 しかし、兵士さんたちの戦力ではとうてい対抗できないでしょうし……何よりまたさっきのように暴れられたら、間違いなくこの場所も巻き込まれます。


(どうする? どうしよう……?)


 のんびり悩んでいる時間などありません。

 竜をどうにかしないと、マイヤも、ファリンさんも、アデリナさんも、レニさんも――さらにはもっと多くの街の人々や兵士さんたちも命を落とすのです。

 焦りと恐れで頭の中がいっぱいになります。


 と、そのとき、一つ思い出したことがありました。


「怖いときには、自分が怖がっているのを認めてしまうこと。そうするといくらか気持ちに余裕ができる……でしたっけ」


 リーン様の言葉です。

 マイヤが雷に怯えているとき、そう教えていただきました。


 大きく息を吸って、吐きます。

 マイヤは確かに今、怖がっています。

 竜も怖いですし、それによって引き起こされる被害も怖いです。


 でも、どうやったって、どれだけ必死になったって、怖さは消えないのですね。

 そう認めてしまうと、確かに少し楽になったようです。

 いえ、怖いのは怖いままなのですけど、少し視界が広くなった気がしました。


 そのとき、倒れた壁の隙間に何かきらりと光るものが見えました。

 拾い上げます。どうやら包丁のようです。

 多分、アデリナさんがお店で使っていたものですね。

 そういえば、ここはちょうど厨房のあったあたりでしょうか。


「…………」

「マイヤ? どうしたの?」

「……ファリンさんは、あのお二人や、他の方の救出をお願いしますです」


 そう言い残して、マイヤは駆け出しました。

 ファリンさんが何か声をかけたようですが、もう耳には入りません。


 一つ、マイヤにもできそうなことを見つけたのです。

 失敗すればもちろん、仮に成功したとしても恐ろしい結果になるでしょうけど……それでも、やらなければならないこと。


 力であれば、マイヤよりファリンさんの方がずっと上。

 おそらく一人でもあの瓦礫を取り除き、アデリナさんたちを助け出すことができるでしょう。

 でもそれは、あくまで竜がこれ以上動きもせず暴れもしなかった場合です。


(だから――)


 今からマイヤがおとりになって、竜をこの場所から引き離します。


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