33話 マイヤ、取られたものを取り返しますです!(1)
お屋敷から出て、西日に照らされた道をひたすら駆けて駆けて駆けて――
そして、マイヤは街中に入ったところで一度足を止めました。
「ルアンさんたちを、見つけないと……」
とにかく、何が何でももう一度会わなければなりません。
奪い取られた燻製肉を取り戻すために。
でなければ、マイヤはリーン様のものを損なったゴミクズのままなのです。
焦る気持ちを抑え、マイヤはまず獣人隊の宿営地を訪ねることにしました。
ブラウヒッチ家配下の兵士さんたちは、ちょうどリーン様のお屋敷とは反対側の街外れに天幕を張って寝起きしているようです。
ブラウヒッチ家の家紋入り鎧兜を付けた人たちが行き来していたため、場所はすぐにわかりました。
天幕の数から考えて、部隊はおよそ百人くらいの規模でしょう。
マイヤは見張り番をしていた熊族の兵士さんに取り次ぎを頼んでみました。
しかし、ファリンさんも含め四兄妹はみんな非番で不在ということでした。
マイヤは考えます。
ここで待っていれば確実に会えるでしょう。
でも、いつになるかはわかりません。
「……お酒の呑めるお店に居るの、かも」
であれば、こちらから探しに行けばもっと早く見つけられるでしょうか。
うーん、と迷った後、マイヤはまた市街地の方に足を向けました。
ときどき立ち止まって風の匂いを確かめ、よりお酒臭い方へと進みます。
ほどなく、賑やかな大通りに出ました。歓楽街……とかいうのでしょうか。
多分アデリナさんのお店があるあたりから、もう少し街の外側よりですね。
人影はたくさんありますが、マイヤのような子供はおらず、酔っ払った人や派手な格好をした女の人から珍しいものを見る目を向けられます。
注目されるのも居心地悪いですけど、何よりここの空気が苦手な感じです。
お酒とお化粧の混ざり合った臭いで鼻の奥がチクチクして、マイヤは少し涙目になりました。
でも、臭いというのは手がかりにもなるものです。
獣人と人間族では違う臭いがしますし、さらに獣人の中でも種族によって微妙に異なっていますから……うまく知っている臭いを拾えれば、ルアンさんたちの居所を突き止められるかもしれません。
マイヤは覚悟を決めて、通りを歩いて行きます。
とちゅう、獣人兵同士や、獣人兵と街の衛士さんとの小競り合いを何度か目にしました。
やはりあまり治安のいい場所ではないようです。
マイヤに向けられたものではないとしても、大きな声や口汚い罵り言葉には足がすくみそうになります。
(うー、怖いですよう……)
ぐす、と鼻をすすったそのとき――マイヤはぴたりと足を止めました。
狼犬族としての嗅覚が、目的の臭いを捉えたのです。
ごちゃごちゃした臭いの大渦のなかから、かすかに感じます。
例えるなら、それは――よく晴れた日の平原。土と草を連想させるかおり。
これは虎族の、しかも多分、知っている人の臭いです。
マイヤは再び歩き出し、そしてどんどん足を速め、やがてほとんど走るような早足になって臭いを追いかけました。
この人混みの中で辿れるほどの臭いが残っているということは、まだそう遠くまで行ってないはずです。
角を一つ曲がると程なく、目の前に人影が見えました。
しましまの尻尾、少し丸みを帯びた耳。
虎族です。
足音に気付いたのか相手も振り返り、こちらを発見します。
「マイヤ?」
見覚えのある若い女の人が、無表情で小さく首を傾げました。
「ここで何をやっているの? 子供の来るところではないと思うけど」
「あ、ファリンさん、でしたか……」
マイヤはため息をつきました。
残念ながら探しているのは、お兄さんのルアンさんたちなのです。
「嬉しくなさそうね。私に何か不満でも?」
「い、い、いえ! 失礼しました! あ、あの、そういうわけではなく――!」
「冗談よ」
やはり表情を動かさないまま、ファリンさんは言いました。
「誰か探しているのね」
「あ、はい! えっと、ルアンさんたちとは、ご一緒ではないのです? 少しご用があるのです」
「奇遇ね。私も今、兄さんたちを探してるところ。多分、この辺りで呑んでいるはずなんだけど――」
と、そのとき、ファリンさんは口を閉じてぴくりと耳を震わせました。
マイヤも同時に気付きます。
右手の方にある路地裏から、声が聞こえてきたのです。
それもかなり穏やかではない種類のものが。
ファリンさんとマイヤが駆けつけると、そこはケンカの真っ最中でした。
いえ、ケンカというには、あまりにも一方的なものだったかもしれません。
「おらあっ!」
ルアンさんの拳を受け、人の体が宙を飛んでいきます。
少し離れたところでは、クアンさんとクオンさんがそれぞれの男の人を軽々と片手で放り投げていました。
虎族三兄弟のケンカ相手を務めていたのは、およそ十人ほどの若い男性たち。
いずれも人間族で少々柄が悪そうで――そして、そのほとんどがすでに叩きのめされていました。
「なーんだ、おい、威勢良かったのは最初だけか? 口先だけのモヤシ野郎が」
ルアンさんは地面でうめいている男の人の頭に、その大きな足を乗せました。
「あー、モヤシじゃ格好悪くてお気に召さないかもな。んじゃ、いっそスイカになってみるかぁ? 粉々に砕けて、中から汁気たっぷりの赤い実が飛び出してくるような奴だ」
そして大きな声で笑います。
かなりお酒が回っているようでした。
どうしようどうしよう、とマイヤがおろおろしていると――
ズシン。
足元が揺れました。
ファリンさんが背中に担いでいた大きな槍斧を手に取り、思い切り地面に叩き付けたのです。
「その人を解放して、ルアン兄さん」
「おお? ファリンじゃねえか、お前どうしてここに――」
「ルアン兄さん、聞こえなかったの?」
ファリンさんが再度言うと、ルアンさんは肩をすくめて言われた通りにします。
相手の男の人たちはすでに戦意を喪失していたらしく、仲間を助け起こすとお互い支え合うようにして逃げ去りました。
マイヤはほっと胸を撫で下ろします。
「……で、何をしていたの?」
冷ややかな声でファリンさんは言いました。
「住人の反感を招くような行動は慎めと、通達があったはずだけど」
「慎んでるさあ。ぶっ殺してねえんだから、感謝されてもいいくらいだ」
「そもそも、おとなしく呑んでた俺らに文句付けてきたのはあっちだぜ? 『店の空気がずいぶんと獣臭えなあ。あー臭え』とか、聞こえよがしに言いやがって」
お酒臭い息を吐きながら、クオンさんとクアンさんは言います。
そういうこった、とルアンさんが後を引き取りました。
「売られたケンカは高く買うのが礼儀だろうが。で、そのお偉い一般人様ご一行を路地裏に連れ込んで、お言葉の真意を問いただした結果がこれってわけさ」
三人はひゃっひゃっと声をそろえて笑いました。
「…………」
ファリンさんは小さく、しかし不機嫌さがはっきりとわかる程度にため息をつき、槍斧で地面をもう一度叩きます。
虎族の兄弟たちが一斉に笑みを消しました。
「……あー、その、なんだ。努力はする」
気まずそうな表情を作ったルアンさんが、兄弟を代表するように言いました。
「そう願うわ。――命令変更があったの。現在、非番のものは取り消して宿営での待機とする。自由行動を切り上げ、一度戻れと」
三人はそれぞれ大きく舌打ちしました。
「んだよ、それ」
「何かあったのかよ」
と、クアンさんクオンさん。
「知らないわ。戻ってから説明があるでしょう」
「――ったく」
ルアンさんたちは不満そうに鼻を鳴らし、宿営の方に足を向けかけます。
そこでマイヤは慌てて声を掛けました。
「あ、ああ、あの、ちょっと待って下さい!」
「あん?」
ルアンさんは面倒そうに振り返ります。
「んだよ、居たのか《折れ耳》」
「マ、マイヤも、お話しがあって、探してたのです」
怖いです。
でも、決死の覚悟を固め、マイヤは口を開きました。
「ル、ルアンさんたちが昼間マイヤから取っていったお肉……か、かか、返していただけませんですかっ!?」
「……ああ?」
ルアンさんが眉を寄せます。
マイヤは背中に冷や汗がにじむのを感じました。