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32話 英雄、子育てに頭を悩ませる

 太陽が西に傾くと、この広間にも日が差すようになる。

 俺は窓越しに晴れ渡った空を眺めながら、酒瓶を口に運ぶ――が、何となく気が乗らず、そのまま手を下ろした。


 マイヤの姿は見えない。

 肉を取られたことを報告した後、自室に引っ込んだまま姿を見せずにいる。


 普段はたいてい俺の視界に入るところにいて、何かと賑やかに過ごしているのだが……今日は静かなものだ。

 もの寂しい気がするのは、俺が騒々しい環境に馴染んでしまったからだろうか。


「…………」


 長イスに寝そべりながら床の酒瓶を手に取り、口を付けずにまた置き直す。

 今日はこんなことを何度も繰り返していて、結局ほとんど酒精アルコール成分を摂取できていない。


 周囲をもう一度見回す。

 マイヤの姿がないことを確認し、一つ深呼吸。

 そして――


「うああああああああああああああくそっ! どうすりゃよかったんだよ!」


 俺は声を上げて頭を抱えた。


 むろん、あの犬耳娘のことである。

 こういう場合、子供相手にどう接するのが理想なのかまったく見当もつかない。

 俺なりに考えた結果があの対応だったわけだが、それが適切だったのか不適切だったのかも判断できない。わからない。

 正直なところ、不安すぎて泣きそうだった。


 マイヤに腹を立てているわけではない。

 アデリナのところの燻製肉は絶品だし惜しくはあるが、取られてしまったのなら買い直せばいいだけの話だ。


 そして、脅されたときのマイヤの行動が間違っていたとも思わない。

 実力で勝る相手に立ち向かうのは、確かに勇敢な行為ではあるだろう。

 ただしその選択は、怪我を負ったり場合によってはもっとひどい目にあったりする可能性と背中合わせになる。

 燻製肉ひとかたまりという代償で戦術的撤退を成し遂げた以上、的確な判断だったという言い方もできるわけだ。


 ま、いずれにせよ、うちのメイドを虐めてくれた虎族ティグリスのガキどもには近いうちに落とし前を付けてやらねばならないだろうが、それはさておき。


「問題は、あいつが自分自身の選択に納得できるかどうかなんだよなあ」


 俺はマイヤを自虐の枷から解放してやりたいと思っている。

 しかし心に巣くう卑屈さを消し去るには、あいつ自身が自分を認められるようにならなければいけない。

 自分の意思で自分を肯定することが必要なのだ。


 多分、俺が『お前は正しかった。それでいい』とでも言ってやれば、マイヤは落ち着くだろう。

 しかし、他人の言葉を自己評価のよりどころにしたままでは、何の解決にもならないのである。


 だから俺は『自分で考えてみろ』と伝えた。

 それがマイヤの期待する答えではないと知りながら。


 もっともそのせいで、果たして正しい行為だったのかとか、もっと他の伝え方はなかったのかとか、延々と頭を悩ませる羽目になっているのだが。


「かといって、他にいい方法があるわけでもないしな……」


 呟いて、髪の毛をかき回す。


 自分に誇りを持て――と言うだけなら簡単だ。

 だが、マイヤはまず自分に価値を見いだすこと、自尊心を得る方法を知らない。


 どうすれば効果的に教えられるのだろう?

 いや、そもそも教えることが可能なものなのか、これは?


「んー……この方面を考え続けていても、行き詰まるだけか」


 俺はため息をつき、そして一度発想を切り替えることにした。

 理想の追求はいったん置いて、ひとまず現在の戦局を見極めつつ問題点を改善していこう。


 俺の意図がどうあれ、マイヤを傷つけてしまったのは間違いない。

 あのチビが部屋に立てこもるなど初めてのことである。

 こっちの強硬姿勢があだになった形だ。


 では、今からでも交渉によってあいつの態度を軟化させることは可能だろうか。


 例えば食べ物で懐柔するとか。

 優しい言葉を掛けて慰めるとか。

 冗談を言って笑わせるとか。


 まあ要するに、歩み寄りとか仲直り的な何かが必要ではないかと思うわけだ。

 いや、別にケンカをしたわけでもないのだが。


(つっても、俺にできるか?)


 自問する。

 もちろんやらなければならない。いくら苦手でも、だ。

 マイヤを引き取るなどと偉そうに決意したのは俺自身なのだから、事態を収める責任も俺にあるわけである。


「……難しすぎんだろ、子育て」


 俺は本日何度目かのため息をついた。

 投げ出すつもりはないが、せめて泣き言を口にする自由くらいは自分に許してやりたい。


 幼い子供の面倒を見るというのは、その将来や人格形成、大きく言ってしまえば一人の人生に責任を持つということである。

 世の中のお父さんお母さんは、皆こんな重くて大変な難事業を当たり前のようにこなしているわけか。


「俺の親父やお袋も、こうして悩んだのかねえ」


 今は亡き両親に何となく共感めいたものを覚え、そして痛みの伴わない追憶がずいぶんと久しぶりだということに気付いて、俺は苦笑した。

 ある意味、これもマイヤのおかげか。

 何だか少しだけ不安が薄れたようだった。


 それから戦略を練り、さらに覚悟を決めるまでにいくらかの時間をつかい――二人分の焼き菓子とお茶を用意して、俺は二階にあるマイヤの部屋に向かった。


 まあ少なくとも、言葉足らずだった部分を補う必要はあるだろう。

 それで事態が解決するとは限らないが、このまま放っておくよりはずっとマシであるはずだ。


「マイヤ、居るか?」


 俺は扉をノックして声を掛ける。

 しかし、返事はなかった。


 拗ねて無視している、というのは性格的に考えづらい。

 寝てしまっているのだろうか?


(――いや)


 俺は眉をひそめた。

 そもそも、中から人の気配がしない。


「入んぞ」


 一応そう言ってから、俺は扉を開けて中に踏み込んだ。

 やはりマイヤの姿はなかった。


 窓が開いたままになっており、かすかに風が吹き込んでくる。

 菓子を乗せたトレイを部屋の机に置くと、俺は窓際から地面を見下ろした。

 二階ではあるが、獣人のマイヤなら十分に飛び降りられる高さだろう。

 案の定、柔らかい土の上に真新しい足跡が残っていた。


 荷物はそのままになっているから、家出というわけではない。

 で、俺に告げずこっそり外出したということは……


「あんのバカチビ!」


 俺は思わず呻き声を上げた。

 臆病なくせに、なぜこんなことにだけ見事な決断力と行動力を暴走させるのか。


 マイヤの目的は明白だった。

 自分の失態を取り返すため、一人で街へと向かったのだ。

3章了。

次の4章で大きな区切りまでいけるかなーと思いますが、また1、2週間ほど時間をいただきます。

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