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30話 マイヤ、だんな様のことが知りたいのです(3)

「もう今は戦場から引退したみたいだけどね。ひきこもりと化してるし。一度『ごろごろしてるなら、店を手伝ってくれないかい?』って頼んだら断られちまったけど」


 そう言ってアデリナさんは肩をすくめました。

 忙しいときは近所の方に助けてもらっているけど、男手はなかなか見つからないのだそうです。


 マイヤはこのお店で働くリーン様の姿を想像してみました。

 あのむすっとした顔でお客さんの相手をするのでしょうか。

 何だかおかしくて、少し口元がほころびます。


 正直なところ、リーン様が『竜殺しの英雄』だなんて、まだ実感がわかないのですが――


「あ……でも以前、軍に関わったことがあるとおっしゃってたですね」


 『軍に居た』ではなく、『軍に関わった』。

 『竜殺しの英雄』は軍から独立して行動するそうですから、つじつまはあっているです。


 そういえば、ファリンさんがリーン様のことを『作りものの英雄』と呼んだこともありました。

 あれはこのことを指していたのでしょうか?

 だとすると、『作りもの』とはどういう意味で、ファリンさんとリーン様はどういう関係なのでしょう?


 色々考えることがあって、なんだか頭の中がぐるぐるでぐちゃぐちゃなのです。

 要するに、マイヤの中でリーン様と『英雄』という二つの存在がまったく結びつかないので、混乱しているのだと思います。


 『英雄』というのは強くて華やかで神々しくて畏怖の対象で、別世界の……そう、まるでおとぎ話の登場人物のように思っていました。

 対してリーン様はだらしなくて怖そうで、でも優しくて、必要なときはすぐそばに寄り添ってくださるような暖かさがあって。


 と、そこでマイヤは気付きます。


「あ、あの、アデリナさんは、リーン様の正体を知ったうえで、お店を手伝えとか頼まれたのですか?」


 それはちょっと――というか、かなり思い切ったお願いだと思うです。

 『竜殺しの英雄』は、おそらく皇帝陛下に並ぶかそれ以上の名声を得ている存在ですから。


「知ったうえでも何も、本人に正体を明かす意思がないんだから関係ないものとして扱うよ、あたしは。あたしにとっては英雄様じゃなく、恩人でありお店のお得意様でもあるただのリーンさね。いや、正体を明かしてもそれは同じか」


 アデリナさんは、ふんと鼻を鳴らしました。


「つまりは、尻を叩くのも親切のうちってこと。だって一日中家にこもって一人で酒飲み続けるような暮らししてたら、おかしくなるに決まってるもの。体の調子が良くないのは確かだろうけど、ほとんど引きこもってんのは気持ちの問題が大きいんじゃないかね」


 ――いつ死んでもいいと思っていた。

 マイヤはまた昨日のリーン様のつぶやきを思い出しました。


「リーンの過去に何があったかは知らないけど、自分一人で立ち上がれないほどの問題を抱えてるんだったら、一人でいるうちは絶対に解決しないんだよ。――その意味で、あんたを雇ったのはお互いにとって良いことだったと思うんだけどね」

「へ?」


 思わず妙な声をあげてしまいます。


「あ、あの、この間もそんなことをお聞きしましたけど、マイヤ、リーン様のお役に立つようなことは、まだまだ何もできていないのですよ?」

「でも何かしたいとは思うんだろ? それが重要。考えること自体に意味がある。だからあんたには、期待してるんだよ」

「期待……?」


 こんなマイヤに期待、ですか?

 アデリナさんのいうことは、よくわからないのです。


 と、そのとき、お店の裏口の方から声が聞こえてきて、アデリナさんが応対に向かいました。

 客人は渋い表情をした中年の男の人。

 おそらくはアデリナさんのお話にあった商会からの使いの方なのでしょう。

 どうやら、いい知らせを持ってきたわけではないようです。


 お二人はしばらく会話を交わし、そしてアデリナさんが了解したというように手を挙げると、男の人は帰っていきました。


「……連絡があったよ」


 こちらに戻ってきたアデリナさんは、ため息まじりにいいました。


「やっぱり荷の到着が遅れてて、明日以降にずれ込むみたい。街道の西の方が災害で通行止めになってるんだってさ。迷惑な話だよ、まったく」

「さいがい、ってなあに?」


 レニさんが首をかしげました。


「大雨とか、嵐とかのこと。こういうときは道が崩れたり山の土が滑り落ちてきたりして危ないから、しばらく通っちゃいけません、って兵士さんたちが通せんぼしてんの」


 レニさんを納得させ、アデリナさんは続けます。


「そんなわけで、やっぱり渡す食料をちょっと変更させてもらうよ。野菜が少なくなる分、肉は多めに入れておくから」

「あ、はい、それでお願いしますです」

「今日渡せなかった分は、一日二日待ってもらえるかな。それ以上遅くなりそうだったら別口から手配する。そうリーンに伝えてくれるかい?」

「わかりました」


 食料を背負い袋に入れてもらいって支払いを済ませ、見送ってくれるアデリナさんとレニさんに手を振ると、マイヤは《銀の大樹》亭を後にしました。

 普段より少々荷物は軽いようです。


「メニュー、考え直さないと、ですね」


 材料が制限されたうえ、マイヤもまだ大したものが作れるわけではありませんが、リーン様にはできるだけおいしく召し上がっていただきたいのです。


 ――と、そこでマイヤはため息をつきます。


 このままお屋敷に帰って何事もなかったかのように振る舞うことなど、できそうにないです。

 マイヤは今日、重大なことを知ってしまったのですから。


 そう、リーン様が『竜殺しの英雄』であること。


 何かの間違いでは?という気が、今でもしています。

 いえ、もしかしたら間違いであってほしいという、マイヤの願望なのかもしれません。


 英雄は皆があこがれる存在です。

 そんな方にお仕えできるというのはとんでもなく光栄なことで、大喜びするべきなのでしょう。

 ――普通の人にとっては。


 でも、それはマイヤにふさわしくない地位です。

 マイヤが共にありたいと願い、お仕えするという夢を見るには、あまりにも遠く高くにいらっしゃる方なのです。


 だってマイヤは、竜を殺す英雄の、そのお手伝いをする軍隊の、さらに一番下っ端の見習いすら務まらなかったゴミクズなのですから。

 いったいどんな顔でおそばに居られるというのでしょうか?


 『軍の外には外の基準がある。戦えない者の価値が低くなるわけではない』と、そんな風に言っていただいたこともありました。

 けれど――


「竜が……現れたのですね」


 マイヤは口の中で小さく呟きました。

 あの商会の人がもたらした知らせです。


 おそらくアデリナさんはレニさんやマイヤを怖がらせないよう言葉をにごされたのでしょうけど、マイヤの耳にはお二人の会話が聞こえていました。


 街道の警護をしていたブラウヒッチ様の兵が竜に襲われたこと。

 結果、街道が通行止めになり、荷物が遅れているのはそのためであること。

 竜の目撃地点が徐々にこちらの方、皇国の中央方面へと移動していること。


 もし、万が一、竜がこの街にまでやってきたら……リーン様は再び竜殺しの英雄に戻られるのかもしれません。

 そのとき、マイヤに居場所はあるのでしょうか?

 ふつうに考えて、英雄様が戦えないゴミクズに価値を見いだす理由は、どこにも無いのでは?


 そう考えてマイヤはぶるりと身を震わせました。


 アデリナさんは、リーン様がマイヤを雇ったのは『お互いにとって良いこと』だと言われましたけど、正直そうは思えません。

 だって、だって……ゴミクズが英雄に何をもたらせるというのですか?


「うー……」


 なんだか、心も足もずっしりと重くなってきましたです。

 昨夜から感じていた天にも昇るような幸せは、今や谷底へと垂直落下するような憂鬱にすりかわっていました。


 マイヤはまた要らない子になるのかもしれません。

 リーン様のもとに来てから芽生え始めかけていた自信のようなものが、しぼんでいきます。


 とはいえ、お屋敷に帰らないわけにはいかないのですね。

 肩を落としてうつむきながらも足を進めていると――どすんと誰かの背中にぶつかりました。


「どこ見て歩いてんだ、コラ」

「ひゃ、ご、ごめんなさいッ!」


 慌てて顔を上げ、謝ります。

 と、そこには見知った姿がありました。

 相手の方もマイヤに気付いたようです。


「あ? なんだあ、《折れ耳》じゃねえか」


 虎族ティグリスの兵士、ルアンさんはお酒臭い息を吐いてそう言いました。

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