3話 俺が犬耳娘を助けた顛末(3)
――昔の夢を見た。
◆◇◆◇◆
死体の山。
かつては生きた人間や獣人だったもの。
今はバラバラか焼け焦げるかで原型を留めていない、肉の塊。
そんな景色を横目に、俺とレオは足を進めた。
「……かなりやられてんな」
俺は小さく舌打ちする。
「ほとんどが熊族と虎族――あとは狼犬族に、人間が少々ってとこか」
愉快な気分ではないが、動揺はない。無惨な現実にはもう慣れた。
ここはすでに戦場。いちいち平常心を失っていては、自分もあの肉塊の仲間入りをすることになる。
「とはいえ、死を賭して竜の足止めに成功しているところは、評価してあげないといけないだろうね。それが彼らに与えられた物語であり、役割でもある。――まあ、貴い犠牲だよ」
レオはそう言い、肩をすくめてみせた。
「あと、僕の前ではともかく、兵の居るところではもう少し泰然としていてくれないかな、リーン。君がイライラしていると、士気に影響するからね」
「……わかってる」
獣人たちと同様、俺にも役割があるのだ。
本陣に到着した俺たちは、最敬礼で出迎えられた。
指揮官らしき男が一歩進み出、口を開く。
「レオポルト殿下、このような場所にまで足をお運びいただき――」
「時間は貴重。挨拶はいい。戦況は?」
「は。確認されているのは二級甲種の赤竜が一頭。ブレス属性は炎。一度は追い払いましたが、おそらく近いうちに再度の襲撃があるかと思われます。ただ――」
指揮官は表情を曇らせた。
「ブラウヒッチ伯が戦死なさいました」
「うん、報告は受けている。何かの間違いであってくれればと思ったけど……事実だったようだね。皇国の忠臣たる彼の死に、心から哀悼の意を表するよ」
レオはわざとらしいくらいに大きなため息をつく。
「その他の損害ですが、兵――特に獣人隊の消耗が非常に大きくなっております。おそらく、次は持ちこたえられません」
だろうな、と俺は思った。できるだけ無表情を保ちながら。
陣営の外周よりに獣人兵たちの姿も見えるが――その顔は暗く、戦意の低下が明らかだ。
現状で年端のいかない少年少女まで駆り出されているというのに、これ以上数が減っては機能するはずもない。
「本当に大変だったね。僕たちもここに来るまでに、惨状を確認したよ」
レオは同情を表明するように肯く。そして続けた。
「しかし、だ。安心してほしい、兵士諸君。僕は君たちにとって素晴らしい福音を携えてきた!」
芝居がかった仕草で両手を広げ、俺の方を向く。
「彼こそは、竜殺しの英雄! 《千竜殺》イェリングと言えば、聞いたことのある者も多いだろう。その二つ名の通り、無数の竜を屠り続けいまだ不敗を誇る、エルラ皇国有数の勇者である!」
まず驚愕による沈黙。
次いで理解によるどよめき。
興奮が波紋のように一般兵や獣人兵たちにも伝播していく。
やがて誰からともなく歓喜の喧噪がわき上がり、それは一つにまとまって俺とレオの名を讃える声となった。
空気が一変するというのは、こういうのを言うのだろうな――と俺は思った。
どこか他人事のように。
まあ、何にしても自分のやるべきことが変わるわけではないのだ。
「……さて、英雄の役割を始めるとするか」
俺はそう呟いた。
◆◇◆◇◆
「…………」
目を覚ますと、広間の長イスの上だった。
レオと会ったことで記憶が刺激されたのか、懐かしくもない過去の夢をみていたようだ。
俺は床に置いてたワインのボトルを手に取り、ぐっとあおった。
人竜戦争。
エルラ皇国暦295年に始まった、人と竜との戦。
もっともこの呼び名は正式なものではなく、一般に広まった俗称だ。
本来の名称は『エルラ皇国西部開拓に伴う大規模竜種駆逐計画』という。
エルラ皇帝の主導による一大事業で、辺境から竜を追い払い新たに農地と集落を開拓する、人類の生活圏の拡大を目標とするものである。
しかし竜の数とその戦闘能力は、当初の想定を遥かに超えていた。
皇国軍は、これまでは竜がある種の慎み深さをもって人類との共存を容認していたのだということを、思い知る羽目になった。
お互いの生存領域を賭けたその争いは熾烈をきわめたが、三年を経過した皇国暦298年、人類の勝利という結果をもってひとまずの終結をみる。
そして……それから一年が経過した。
――実のところ。
あの戦争に関しては、思い出したくもないような記憶しか残っていない。
ま、楽しい思い出に満ちあふれた戦争なんてのもそうそうないだろうし、それで当然なのかもしれないが。
沢山の死を見た。
敵のも、味方のも。
竜のも、人間のも、獣人のも。
名だたる戦士や魔術師が、大勢命を落とした。
たまたま持ち合わせていた戦闘の才能、そして幸運にも助けられた俺は、大量の敵を殺したうえで生き残り、皇帝からの恩賞にあずかった。
名誉。永続的な身分と生活の保障。そして住居。
今はここ――ペリファニアという街の外れにある、古い大きな屋敷に一人で暮らしている。
三十にもならないうちから、楽隠居というわけだ。
「……そろそろ明け方か」
俺は呟いた。
窓の外はうっすらと明るくなり始めている。
もっとも、好きな時間に寝て好きな時間に起きる生活なので、太陽の運行はあまり気にしていないが。
もう一度ワインをあおる。
酒については、特に好きなわけでも、強いわけでもない。
ただ、酔っぱらって現実感にぼんやりと霧が掛かっていくような、あの感覚は結構愉快だと思う。
なので、ほぼ毎日口にしていた。
家族はいない。働く必要もない。
あとは静かにゆっくりと朽ちていく。それが俺の望みだ。
多分、その日はそれほど遠くないだろう。
そして寝そべったまま、さらに五回か十回ほど酒瓶を傾けたとき。
(……ああ)
確信めいた予感を覚えた。
そろそろ、恒例のアレがやってくる。
直後、肺と心臓に痛みが――灼けた鉄串で貫かれ、ぐちゃぐちゃに掻き回されるような激痛が走った。
◆◇◆◇◆
子供のころに過ごした街。
駆け回った野原や川辺。
両親、兄弟、友人たちの顔。
発作に襲われている間は、夢……というか、様々な幻覚を見る。
もちろん、快いものだけとは限らない。
人竜戦争の記憶。
死んでいく同胞たち。
怒りにまかせて竜に斬りかかる俺自身。
生意気にも牙を剥いて襲いかかってくる竜のうろこを裂き、首を落とす。
お前は俺より弱い、ただの獲物なのだということを、強烈な苦痛と共に教え込んでやる作業。
巨大な顎も太い鉤爪も、強烈な炎の吐息も、俺を止めることはできない。
竜を殺す。
竜を殺す。竜を殺す。
竜を殺す。竜を殺す。竜を殺す。
竜を殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して――
そして気付くと、大量の頭蓋骨の上に立っている。
人間のもの。獣人のもの。竜のもの。
全てを一切の区別無くひとまとめにして積み上げた、頭蓋骨の山の頂上に。
生きているものは俺の他になく。
世界には虚無がどこまでも広がっている――
◆◇◆◇◆
…………。
…………。
…………。
(…………抜けた、か)
俺はうっすらと目を開けた。
室内には柔らかな光が差し込んできている。
おそらく午後、太陽が傾き始めたくらいの時間だろうか。
発作には幾つかの段階がある。
まず、胸部の内側を発狂ものの激痛が暴れ回る。
その後、強烈な幻覚と悪夢。
ここまでが大体半日で、もっとも苦しい。
しかし、それを乗り越えてしまえば、あとは高熱に浮かされて意識のはっきりしない状態が一日二日続き、回復に向かうだけである。
痛みや不快な幻覚に比べれば、何ほどのこともない。
頻度は一月から二月に一度。
ただし、今回のように力を使ってしまった後は、かなりの確率で発作が起きる。
力――あるいは殺しの業。
俺の師匠はただ『勁』と呼んでいた。
体内で練り上げ体外に発された不可視の力『勁』は、距離を無にし、装甲を無にし、そして生命を破壊する。
『勁』を戦闘に応用し、これまで俺は無数の竜を屠ってきた。
しかし、人を超えた力を繰り返し繰り返し、自分の限界をも超えて使い続けることに、代償の存在しないはずがない。
俺の場合、それが体力や心肺機能の低下と、苦痛を伴う発作という形で現れているのだ。
(……あんな野郎に使ったのは、少しもったいなかったかな)
斬ったのは堅固なうろこに覆われた巨竜の首などではなく、奴隷市場を仕切っていた小悪党の手一本。
かなり威力は抑えたし、この程度なら反動もないだろうと思ったのだが……それでも、今の俺にとっては負荷が大きかったようである。
――でもまあ。
それで救えたものもあったわけで、別に後悔する必要もない。
「……寝るか」
呟いて目を閉じる。
どうせ特にやるべきこともない。
あとは高熱を乗り越えれば、動けるようになるはずだ。
……もちろん俺としては、このまま目が覚めなくても一向に構わないのだが。
◆◇◆◇◆
「……な、さまー? だーんーなーさまー」
耳元で幼い声が聞こえる。
体を軽く揺さぶられるような感覚。
夢――ではない。
……と、思う。
「あの、大丈夫ですかー? だんな様、マイヤの声、聞こえるですかー?」
旦那様というのはいったい誰のことなのだろうと思った。
この屋敷で暮らしているのは、俺一人だけのはずだ。
(ああ、なら俺のことか……)
実に単純な論理的帰結だった。
一件落着。
…………。
……いやいや。
やはりおかしい。
一人暮らしなのに、なぜ俺以外の声がする?
――ぼんやりと、そんなことを考える。
だが、そこまでが限界だった。
どうしても思考がはっきりしない。
鼓動が早く、呼吸が乱れているのがわかる。
体が熱くて、しかし同時にひどく重い。
指先を動かすことすら面倒だ。
高熱が、意識と思考能力に薄い膜をかけている。
(くそ――)
頭の中の霧を振り払い、意志の力を振り絞って目を開けた。
室内は暗い。
まず視界に入ったのは――ぴるんぴるんと動く一対の獣耳。
その持ち主である幼い少女がこちらを覗き込み、にこりと笑みを浮かべた。
「あ、気がつきましたですか? よかったです」
そして少女は、俺の額に自分の額をこつんと押し当てる。
「んー、でも、お熱はまだ下がりませんね。タチの悪い風邪でしょうか? とりあえずはゆっくりお休みください。――んしょ」
濡れた布がべしゃっと頭に乗せられた。
冷たくて、気持ちいい。
……ではなく。
(――誰だよ、お前)
そう問いただす。
いや、問いただしたつもりだったが、声にはならなかった。
見知らぬ顔だ。
……違う、どこかで会った、か?
いったい、どこで?
しかし。
その疑問に対する答えを得られないまま思考は拡散し、ふたたび俺は深い無意識の底へと落ちていった。
……………………。
…………。
……。