29話 マイヤ、だんな様のことが知りたいのです(2)
「どうやってリーンと知り合ったか、ねえ」
アデリナさんは手を止め、少し考えてから続けました。
「参考までに聞くけど、それってただの世間話? それとも、何か目的があってのことかい?」
「も、目的というか……」
予想していなかった質問返しに、マイヤは少し口ごもりました。
「えっと、リーン様のこと、もっと知りたいと思ったのです。マイヤはあまりにもリーン様のことを知らなさすぎるですから――」
と、ここまで言って気付きます。
これではまるで、マイヤが個人的欲望でリーン様のことを調べ上げているみたいではないですか。
「そ、その、つまり、どんな過去をお持ちで、どんなものの考え方をされて、どんなものを好まれるのか知ることができれば、今よりもっとお役に立てるのではないかと思って……」
付け足した言葉は、我ながらいかにも言い訳っぽく響きました。
けど、アデリナさんはなぜか微笑ましいものを見るような表情を浮かべます。
「リーンの過去を知りたいなら、リーン本人に尋ねてみるのが筋だと思うけどねえ。ま、それはさておき、あたしたちとの出会いくらいなら話してやれるよ。参考になるかどうかはわからないけど」
マイヤたちがそれぞれ適当な木箱に腰を下ろすと、アデリナさんはお話を始めました。
「ここにやってくる前――もう三年ほど昔になるかな、あたしたち一家は皇国の南西にある小さな田舎街に住んでた。周辺にずーっと畑が広がってるような、半分農村みたいなところさね」
ふんふんとマイヤはうなずき、そこで、あれ?と疑問を覚え、隣にちょこんと腰を下ろしているレニさんに視線を向けました。
一家というのは家族のことです。
レニさんのお母さんがアデリナさんで、であれば、当然お父さんも居ないとおかしいわけなのですけど……
「ああ、旦那ならもういないよ。竜に食われた」
マイヤの表情から疑問を正確に読み取ったのでしょう、アデリナさんは静かな声で言います。
「もと居た街でも夫婦でこういう小さな飯屋をやってたんだけどさ、人竜戦争が始まって街の近辺も戦場になっちまったから、皇都の方へ避難しろという命令が出たんだ。生まれ育った場所を捨てるのには抵抗があったけど、まあ命には代えられないし仕方ないことかなと思った。ただ――」
あたしたちには運がなかった、とアデリナさんは呟きました。
「街を出ていくらもいかないところで、でかい竜に出くわしたんだ。一緒に居た街の連中が大勢死んで、旦那もその中に含まれてた」
「あ、あの、それは、その……すみません、マイヤ、余計なことを……」
身を縮めてうなだれます。
アデリナさんはそんなマイヤをじっと見下ろし――
「ジメジメした顔するんじゃないよ」
と、苦笑してこつんと一つ頭を叩きました。
「で、でも、今のことだけじゃなく、えっと、マイヤも軍にいたわけですし、竜については、せ、責任があるかと……」
リーン様に引き取られる前、まだ人買いさんの『商品』だったとき、マイヤが辺境警備軍から売られてきたと知ったお客さんから、罵声を浴びせられたことがありました。
多分、軍が竜から人々を護り切れなかったことは何度もあるのでしょう。
犠牲になった方のご家族には、軍を恨む十分な理由があるのです。
しかし、アデリナさんの意見は少し違うようでした。
「そりゃあ、気持ちに整理を付ける方法は色々あるだろうさ。怒ったり憎んだりすることで立ち直る奴もいる。あたしは……まあ、そうじゃなかったってことなんだろう。傷が簡単に癒えたわけじゃないけどね」
死んだ旦那、いい男だったからさ、とアデリナさんは明るく笑います。
「それに誰が一番竜の被害を受けてるかといえば、実際に戦う羽目になった兵士さんや、その家族だろうしさ。――マイヤ、あんた、親御さんは?」
「え、えっと、竜に……」
「じゃあ、あたしたちと同じじゃないか」
「おねさんも、おなじ? なかま?」
「そ、仲間仲間」
「……アデリナさんは、立派な方なのですね」
心からの言葉でしたが、アデリナさんは首を小さく横に振りました。
「そんなことないさ。――知ってるかい? 怒りってのは、ある程度の元気をくれる代わりに、もんのすごくエネルギーを消耗するんだよ。あたしは自分のために怒り恨み続けるのは諦めて、その分の力をレニのために使おうと思った。あたしがいないと、この子、生きていけない歳だったからね」
アデリナさんはそう言いながら、レニさんを膝の上に抱き上げました。
ぎゅっとお母さんの両腕に絡め取られて、レニさんはうれしそうな顔で手足をばたつかせます。
三年前ということですから、当時のレニさんはまだよちよち歩きだったでしょう。
アデリナさんには、自分より大切なものがあったのですね。
「だから、別に立派じゃないんだよ。あたしが誰かを恨まずにいられたのは、レニが居たっていう幸運に恵まれたから。それだけ」
マイヤは……どうだったでしょうか。
お父さんとお母さんが死んだと聞かされたとき、もちろん、悲しい寂しいという気持ちはありました。
ただ、泣き暮らすような余裕は与えられませんでした。
すぐに訓練兵としての日々が始まったからです。
嘆く暇があるなら体をいじめろ。
悲しむ時間があるなら剣を振れ。
強く、ただ強くなるため。
そして英雄の礎として死ぬために。
一緒にするのは失礼かもですが、マイヤとアデリナさんは『自分自身より優先すべきものがあった』という意味で、似ているのかもしれないです。
(だとすると――)
そういうものを持てなかった人は、再び立ち上がるために怒りや恨みの力を借りるしかなかった人は、自分が燃え尽きるまで何かを憎み続けるのでしょうか。
それはとても寂しいことな気がするのです。
「脇道に逸れたね。えっと、リーンについてだっけか」
アデリナさんが話を再開したので、マイヤは注意をそちらに向け直しました。
「で、あたしたちはその後、避難民を受け入れていたこの街にやってきた。そしてレニを抱えつつ二年ほど働いてお金貯めて、この《銀の大樹》亭を開いた。ちょうどその頃、つまり今から一年ほど前、街で偶然リーンに再会して――」
と、そこで小さく眉を寄せ、アデリナさんはぺしんと自分の額を叩きました。
「あー、いけないね、肝心な部分を飛ばしちまった。これじゃ、ただの自分語りじゃないか」
「肝心な部分というと?」
「なぜ、あたしとレニが助かったのかってこと」
確かに。
お二人ともここにいるということは、つまり、どうにかして竜から逃げられたということになるですから。
竜の巨体は馬より速く走り、さらには空を飛ぶことのできるものも多く居ると聞きます。
人が走って振り切るのはとても難しいと思うのですが……
「答えは簡単。襲ってきた竜が死んだから。もっと正確に言うと、一人の男がやってきて、竜を殺しちまったから」
「え……?」
マイヤは自分の耳がおかしくなったかと思いました。
竜を殺した? それも一人で?
一部隊とか、一軍とかでなく?
「信じがたいのはわかるけど、あたしはこの目で見ちまったしねえ」
レニさんを胸に抱いたまま、アデリナさんは必死に竜から逃げようとしました。
が、すぐに追い詰めらます。そして、あわやというとき。
男の人がやってきて、剣一本で竜の首をあっさりと斬り落としてしまったのだそうです。
「たまたま近くを旅してて、騒ぎを聞いて駆けつけただけだって言ってね、そのまま立ち去ってった」
「…………」
マイヤは言葉を失いました。
竜を殺す。
それがいかに大変なことか、マイヤは知っています。
いえ、実戦経験はないのですけど、マイヤよりずっと強くて、訓練では歯も立たないような先輩の兵士さんたちがさらに何十人束になっても倒せない、それが竜という存在なのです。
「まさか、それが?」
「そう、リーンだった。ここでさっきの話につながるわけだ。一年ほど前、あたしたちはこの街で偶然に再会した」
そのころリーン様もこのペリファニアに引っ越してきて、アデリナさんとは市でばったり顔を合わせたそうです。
そして、いつかのお礼代わりにとアデリナさんは食料の融通を申し出て、持ち前の押しの強さで(マイヤにとっては大変うらやましい性格です)それをリーン様に承諾させました。
「で、あいつはうちのお客さんとなり、そして今に至る。以上。――ああ、ついでにいっとくと、あたしはリーンの出自や過去については何も知らないよ。本人が語らないし、無理に語らせる趣味もない。マイヤも教えてもらってないんだろ?」
はい、とマイヤはうなずきました。
「興味本位の詮索は確かに褒められたことじゃない。ただ、相手を想うゆえに関心をもつのは、別に悪いことじゃないだろうさ。あたしの話からあんたが色々と推測する程度なら自由さね」
「そう、ですね……」
竜は天災だ、とよく言われます。
立ち向かって倒すには、あまりにもその力が強大だからです。
しかし、世の中にはその脅威に単独で対抗できる、数少ない人たちがいます。
マイヤたちのようなか弱い存在は、ありったけの畏れと尊敬とあこがれを込めて、彼らをこう呼ぶのです。
――『竜殺しの英雄』。