28話 マイヤ、だんな様のことが知りたいのです(1)
白状すると、です。
実はマイヤ、起きていました。
いえあの、眠くてうとうとしていたのは確かなので、決してリーン様を騙そうとしたわけではないのですが――
せっかくお側にいられるのに眠ってしまうのももったないないなとか。
でも起きてしまうとリーン様から離れないとダメかなあとか。
リーン様の匂いがする毛布にずっと包まれていたいなあとか。
そういうことを考えていたら、起きるきっかけも寝入るきっかけも逃してしまったというか……
えっと、そんなわけで、聞いてしまったのです。
リーン様の独り言、『いつ死んでもいいと思ってた』という言葉を。
◆◇◆◇◆
翌日のお昼前。
マイヤは昨夜の雷が嘘のように晴れ渡った空を見上げながら、街に向かって歩いていました。
あまりぐっすり眠れませんでしたが、元気は一杯です。
なにせ、リーン様の隣で毛布にくるまれるという栄誉にあずかったのですから。
あの一夜を思い出すだけで、マイヤはこの先何十年も幸せな気分になれると思うのです。
(でも……)
『いつ死んでもいいと思ってた』という言葉には、やっぱり引っ掛かるものを覚えます。
リーン様は大きなお屋敷に住んで、お金持ちで、不自由のない暮らしをされているように思われるのですが。
考えてみれば、マイヤはリーン様がこれまでどんな人生を送ってこられたのか、何も知らないのですね……
知りたいと思うのは、いけないことなのでしょうか?
「や、いらっしゃい」
いつものように《銀の大樹》亭に向かうと、店先に出ていたアデリナさんが軽く手を挙げました。
「こんにちは、アデリナさ――わ」
「わんわんのおねさん、いらっしゃい!」
レニさんが満面の笑みで腰に飛びついてきました。
マイヤは片手で抱え上げて、苦笑します。
「元気なのはいいですけど、危ないことはしちゃだめなのですよ?」
「だいじょうぶ! おねさん力持ちでしょ?」
「ほんとにねえ。あの勢いで飛びつかれて微動だにしないなんて。毎回食料一人で担いで帰るのにも驚くけど」
アデリナさんは感心したように言いました。
こちらのお店に来たのも、もうかなりの回数になります。
貨幣の扱いにも慣れてきました。
「お肉とかお野菜とか、また今日の分をお願いしますです」
「あーはいはい、毎度ありがとう――と言いたいところなんだけど」
アデリナさんが眉を曇らせます。
何かあったのでしょうか?
「実は昨日までに届くはずの荷がまだ来てなくてさ、渡す分がそろってないんだ。こんなこと滅多にないんだけどねえ。おかげで仕込みが始められやしない」
そういえばアデリナさん、いつもならこの時間はお昼の営業準備で厨房にこもっているはずなのです。
店先におられるのはそういう事情があったからなのですね。
「マイヤ、あんた、もう少し時間あるかい?」
「あ、はい、大丈夫なのです」
お洗濯は朝のうちにすませましたし、お掃除は後でもできますし――今日は他にリーン様から言いつかったお仕事はないはずです。
「今、商会に問い合わせててさ、昼までに何かしらの連絡があるはずなんだ。しばらく待ってくれれば、状況がわかると思うんだけどね。案外、もう商隊が近くまで来てるかもしれないし」
「わかりました」
「悪いね。んじゃ、その間だ、ちょっと稽古をつけてやろうか」
「おけいこー!」
レニさんが楽しそうな声で復唱します。
「は、はい! お願いします!」
マイヤはこくこくとうなずきました。
お訪ねしたときにアデリナさんの手が空いていれば、こうしてお料理を教えてもらえることがあるのです。
本当に少しずつ、基本的なことからなのですが。
マイヤがもっとお料理上手ならお店のお手伝いがてらに教わることもできるのでしょうけど、まだその水準には遠いですね。
そんなわけで。
今日はお肉の下処理の仕方を習いました。
叩いて柔らかくするとか、あらかじめ包丁で切れ目を入れておくとかですね。
こうすると食感や焼き上がり方を調節できるのだそうです。
「知識は多くて損になることはないしね。技術の方は繰り返し練習しないと身につかないから、あんたが自分で頑張るしかないんだけど」
とアデリナさん。
確かに一朝一夕で料理上手になれるわけではありません。
でも、新しいことを知るのは目からどんどん鱗が落ちるようで、楽しいです。
それに、お料理が上達するというのは、その分リーン様に喜んでいただけるということでもあるわけですし。
がんばらない理由がないですよね。
――さて。
そうこうして一通りアデリナさんに教えていただいても、まだ商会からの連絡はありませんでした。
「……んー、こりゃもう、今日の昼は休業せざるをえないかねえ」
アデリナさんは渋い表情です。
「仕方ない。とりあえず、先にリーンとこの荷物は渡しちまうとするかね。食料庫に行こう。レニも手伝って」
はーいと元気よく答えるレニさん。
お二人のあとを、マイヤは慌てて追いかけました。
「あの、それは助かるですけど……お店の分は大丈夫なのです? 夜もあるのですよね?」
「いざというときは街の市でかき集めれば何とかなるよ。ま、あんたたちも含めて、こっちの事情でお客さんに迷惑かけたくないってのが商売人の意地でもあるわけでさ」
アデリナさんは在庫をざっと確認し、そして、うーんと声を上げます。
「……とはいえ、やっぱり品数はいつもより少なくなるね。リーンにはすまないと伝えておいて」
「はい。あ、いえ、多分怒ったりはなさらないかと思うですけど」
いつも不機嫌そうなお顔ではありますけど、それが普通ですし。
だろうね、とアデリナさんは苦笑しました。
「でもまあ、それについては少しくらい怒ってくれた方があたしも安心できるんだけどさ」
「安心、です……?」
マイヤは目を瞬かせました。
どういう意味なのでしょう?
「んー、執着のなさが気にかかるというか」
アデリナさんは腕組みをします。
「ちゃんとうまいまずいはわかるんだから、別に味音痴ってわけでもないだろ? なのにあいつ、あんまり食べ物にこだわらないんだよねえ」
言われてみれば、そうかもしれないです。
リーン様は、アデリナさんとこのお料理や食材に対して、すごく高い評価をされていると思うです。
でも、ある日突然それがなくなって粗末な食事になったとしても、『食えればそれでいい』と表情を変えずにおっしゃるような気がします。
「あったら喜ぶけどなくても別に構わないって、料理人としてはちょっと微妙な気分になる評価だよね。『お前の料理のためなら、地の果てまでも行ってやる』くらいのことを言われてみたいもんだけど」
冗談めかして言い、そしてアデリナさんは表情を少し改めました。
「加えて言うと、食べ物に限った話じゃなく『何もかもどうでもいい』と思ってるようなふしがあってね、友人としてはそっちの方がより気にかかる」
「…………」
とっさにお返事できなかったのは、マイヤにも心当たりがあったからです。
『いつ死んでもいいと思ってた』という、昨夜の独り言を思い出しました。
あれは、どういう意味だったのでしょうか。
いえその、マイヤごときがリーン様のことを詮索するなどというのは、分をわきまえない行為だとは思います。
それはわかっているのです。
しかしリーン様のために存在するメイドとしては、いかなることであれ主については知れる限りのことを知っておくべきではないか、とも思います。
だって、いずれ何かのお役に立てるかもしれませんし。
具体的に何がどう役に立つのかと言われると困るですけど……えっと、とにかく忠誠のために。
これまでの人生でマイヤが手に入れたものは、すべて上の方の誰か偉い人から与えられたものでした。
食べ物や衣服だけでなく、知識や情報も。
何かが与えられなかったとしたら、それはマイヤにとって不要と判断されたということ。
だから、今あるものだけで満足し、その境遇を受け入れるべき。
ずっと疑問も持たずに、そうしてきたのです。
でも、マイヤの心はリーン様を求めました。
しかも、リーン様に雇っていただけるようお願いしたときから今に至るまで、その気持ちは強くなり続ける一方で。
初めての経験なので、正直なところこの気持ちを持て余しています。
これが忠誠心……なのでしょうか?
認めないといけないようです。
マイヤはリーン様のこと――昨夜のお言葉についてだけでなく、生い立ちや、経歴や、考えておられることなどすべてを、知りたくなっています。
出会ったときよりも、さらにずっとずっと強く。
「あの……」
「うん?」
木箱から野菜を取り出そうとしていたアデリナさんが、こちらを向きました。
マイヤは、リーン様のことをマイヤより知っている人に、尋ねます。
「アデリナさんたちは、だんな様とどうやってお知り合いになったのです?」
すみません、日付変わってしまいましたが28話アップです。
今週中に5話分ほど更新する予定。




