25話 レオの来訪、マイヤの未来(4)
ぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえ、ほどなく体に似合わぬ大きな背負い袋を担いだメイドが姿を見せる。
マイヤは応接室にいる俺を発見し顔をぱっと輝かせ、尻尾をふぁさふぁさと大きく動かした。
「あ、こちらでしたか! 聞いてください、だんな様! 今日はアデリナさんがタマゴをオマケに付けてくださって――」
と、そこで口を開いたまま硬直する。
客人の姿に気付いたのだ。
「も、もうしわけありません、だんな様、レオ様! お話中でしたです?」
「いい。もう終わった」
「やあ、ちょうど今、君のことを話していたんだよ」
すみやかに出ていけという俺の視線を無視し、爽やかにレオは続けた。
「元気そうだね、マイヤ。新しい生活には慣れたかい?」
「はい! リーン様に、とてもよくしていただいていますので!」
「うんうん、それは何より。僕も紹介した甲斐があったというものだ」
「それはよかった。幸せな気分で帰れるな」
「まさにその通りだね。――じゃあ失礼するよ、リーン。見送りは不要だ」
皮肉を気にした様子もなく、レオはひらひらと手を振って出て行った。
視界に留める時間が長引くのも不愉快なので、言われずとも見送りに行くつもりなどない。
俺は大きく息を吐いた。
「あ、あの、だんな様……?」
背負い袋を床に置くと、マイヤは困惑した様子で俺の顔をうかがった。
雰囲気がおかしいのを察したようだ。
「その、レオ様とケンカでもされたのです?」
「……何でもねえよ」
俺は肩をすくめてそう答えた。
マイヤに愚痴るようなことではないだろう。
「ごくろうだったな、マイヤ。買ってきた食料の整理が終わったら、適当に休んでいいぞ」
「は、はい」
俺はイスの背もたれに体を預け、さきほどレオに言われた言葉を思い出す。
(獣人たちに負い目を感じている、か……)
否定はできないだろう。
かつて、俺の生きる目的はただ竜を殺すことのみだった。
竜に対する憎悪を燃やし、戦い戦い戦った。
自分の感情のまま竜を殺し続けた。
戦が終わったと聞いて我に返り、周囲を見回してみると、視界に映るのは野晒しにされた多数の犠牲者の骸と、荒廃した国土。
ひたすらにむなしい争いの成果がそこにあった。
そして――俺は英雄として崇め奉られていた。
あのとき覚えた強烈な違和感を、何と表現すればいいのか。
とりあえず、最初に思ったのは『お前ら正気か?』ということだった。
俺はただ竜が憎くて憎くて殺したかっただけだ。
だから、レオの勧誘に乗っかり、獣人兵を踏み台にし、皆が苦しみ殺されているときにひたすら自分の欲を満たした。
何かを生み出したわけでも、成し遂げたわけでもない。
それが民や、あろうことか俺のために肉の壁とされた獣人兵たちからも崇敬の念を向けられるとは……いったい、どんな顔をすればいいというのだろう。
もちろんこれはレオの企み――英雄という存在を作り上げ、民の士気を高揚させること――が効果的に機能したためだ。それはわかる。
のだが……俺にとっては、不本意きわまりない状況というほかない。
だから、あの虎族の娘に『作りものの英雄様』と言われたとき、腹は立たなかった。
むしろどこかほっとしたような気持ちを覚えたくらいである。
(無自覚に埋め合わせを求めている、のかね)
与えられる賞賛に対して自分の行いがあまりにも釣り合わないと思っているから、どうにかバランスを取ろうとする意識が働く。
その結果、俺はマイヤを引き取り養うことを選択する。
ただ精神の平穏という、利己的な目的のために。
――まあ、推論だ。
当たっているのかどうかは、自分でもわからない。
が、もしそうであるなら、マイヤに親切にすることで獣人に対する負債を返済しているような感覚が、俺の中にないとはいえないだろう。
(俺は、マイヤを自分のために利用しているのか?)
苦々しい気分で自問したとき、マイヤがまだその場にたたずんでいることに気が付いた。
「どうした? 荷物を片付けに行かないのか?」
「い、いえ、あの」
落ち着かなさそうな上目遣いでこちらを見る。
「何か、イライラしておられるようでしたので、気になってしまって」
「あー……レオの野郎とちょっとやりあったのは確かだがな、お前に対して怒ってるわけじゃねえから心配すんな」
「でも、それは、その、マイヤについてのこと、なのでは……?」
「ま、そうだ」
俺は正直に言った。
「つっても、これは俺が対処を決めるべき案件だ。――ったく、ただお前を雇うってだけの話なのに、ままならねえもんだな」
俺は皮肉っぽく口の端を吊り上げる。
レオが突き付けてきたのは、俺が自分自身をどう評価し、今後どんなふうにマイヤを扱っていくのかという問題である。
誰でもなく俺自身が決めなければならない。
にしても、だ。
レオの一言のせいで、胸の奥に棘の刺さったような不快感が消えやしねえ。
人の痛いところを突いてイラつかせることに関しては天才的だな、マジで。
「あ、あの!」
と、そのとき、マイヤが妙に思い詰めたような表情で口を開いた。
「あん? どうした?」
「マ、マイヤ、だんな様にご迷惑をおかけしたくないのです! ここに、い、いられないのでしたら、どこへでも行きます!」
一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。
だが、俺が返事をする前にマイヤは続けた。
「いえ、お、お気遣いなく! 分かってますです! だんな様のお顔を見れば、すべて察せられましたので! マイヤは、だ、大丈夫ですから! どこに行ってもちゃんとやっていけますから!」
そして彼女は顔をゆがめた。
びっくりするくらいぎこちなくて無理矢理なものだったが、笑みを浮かべたつもりのようだ。
「むしろいままでよくしていただいたことに、感謝するべきなのですね。こんなゴミクズに優しくしていただいて、あの、ありがとうございました……!」
単に雇用関係を結んだだけだ。とりたてて優しくしたつもりもねえ。
そういう言い方されると、まるで俺が善人みたいじゃねえか。
――と、そこでやっと気づいた。
(ああ、こいつ誤解してんのか)
道理で話が微妙に噛み合わないと思った。
マイヤについての話し合いがあり、その結果、俺が不機嫌になっていたもんだから、『マイヤをこの家に引き取るという主張が通らなかった』と勘違いしたのだ。
「お前はさ、ここに居たいのか?」
「え? わ、わがままを言うわけ、には……」
「居たいか居たくないのか、どっちだ? お前の意思を聞いている。前に行き場所がないとか言ってたけど、それについてはレオが責任持ってくれるそうだ。もう路頭に迷うことはねえだろうさ。――それでもなお、ここに居たいのか?」
少し迷う素振りを見せたのち、マイヤはぼそぼそと言った。
「こ、ここに、居たい、かも……」
「聞こえねえよ」
びくっと体を震わせる。
しかしそこで黙り込まず、ぎゅっと拳を握りしめてマイヤは再び口を開いた。
「マ、マイヤは、ここに、だんな様のもとに居たいです!」
「ふん」
この遠慮と自虐が服を着ているような少女から本音を引き出せたことに、俺は小さな満足を覚えた。
本心を偽られるのは――というより、無理して本心を偽っている奴を目の当たりにするってのは、やはり気分のいいものじゃないからな。
「なら居ればいいさ」
「…………え?」
マイヤが大きな目を瞬かせた。
「お前をここに置くことについては、言質取った。めでたく正式決定だ。俺がイラついてたのはその後レオが余計なことを言ったせいで、お前の処遇に変更があるわけじゃねえよ」




