2話 俺が犬耳娘を助けた顛末(2)
「いやあ、さすがの働きだったね。やっぱり君に手伝ってもらって正解だった。本当にありがとう、リーン」
レオは不自然なくらいさわやかな笑みを浮かべた。
高貴な印象を与える金髪の青年。
少なくない数の女性が一目で頬を染め、大多数の男性が一目で嫉妬と反感を覚える程度に整った顔立ち。
これが今回、俺に仕事を依頼した人間である。
「正解だった――じゃねえよ。人質取ってるなんて聞いてねえぞ、おい」
俺は不機嫌な顔で返す。
実際、思い切り不機嫌だったので、演技の必要はまったくなかった。
「あれか? お前んところの兵士は丸太に鎧でも着せてんのか? アジトを包囲までしておいて肝心の捕縛対象を、しかもご丁寧に人質つきで逃がすって、いったい何やってたんだ?」
俺に手首を落とされた男は、非合法な奴隷市場を取り仕切っていたゴロツキどもの頭である。
つい先ほど、痛い痛いとわめきながら連行されていった。
ま、治癒魔術か何かで止血すれば、命に別状はないはずだ。
今後は死んだ方がマシなくらいの取り調べと刑罰が待っているのだろうが――その辺は俺の知ったことではない。
人質になっていた獣人の少女も、すでにレオたちに引き渡していた。
見たところ大きな怪我はなさそうだったが……大丈夫だろうか。
「確かに手抜かりがあったようだね。いや、それについては本当に申し訳ないと思っているよ」
あまり申し訳なく思ってなさそうな様子でレオは言った。
人身売買組織のアジトだか売買会場だかの近くである。
大勢の兵士たちが忙しく立ち回っており、関係者を締め上げたり、商品として売られる予定だった男女に事情を聞いたりしている。
「……しかも見た感じ、人数的には十分足りてるじゃねえか。数に物言わせて包囲網をもっと密にしときゃ、俺の手なんて必要なかっただろ」
レオから協力要請があったのは、つい昨日のことだ。
大捕り物があるのだが、どうしても人手が足りない。だから手を貸してほしい。
なに、ちょっと見張り番をやってくれる程度でいいんだ。頼むよ。
――という話だった。
俺は渋った。
なぜなら、働くのが嫌いだからだ。
ごろごろだらだらと暮らしていたいからだ。
しかし、結局は受けざるをえなかった。
なぜなら、俺がごろごろだらだらしながら暮らすための金はレオから――もっと正確に言えば、レオの実家から出ているからだ。
つまりは、立場が弱いのである。
「念には念を、というつもりだったんだよ」
少し困ったように笑い、レオは続ける。
「人竜戦争で国内がかなり混乱したからね。この連中のような不法組織が、どんどん勢力を伸ばしてきてる。叩けるときに叩いておかないと、歯止めが利かなくなりそうなんだ」
幸い、この街――ペリファニアの人身売買組織については捕縛に足るだけの裏が取れた。
打撃を与える好機である、とレオは判断し、動くことにしたのだそうだ。
「結構な話じゃねえか。存分に悪を滅ぼすといい。それがお前の仕事だ。――んで、引退してた俺をわざわざ引っ張り出した理由は? お前の配下だけで十分だっただろうが」
「最初はそのつもりだったよ。ペリファニア駐留軍の治安維持部隊を大動員して、全員とっつかまえてやろうと思ったんだけど――」
そこでレオの笑みに苦いものが混じる。
「残念ながら、その兵士たちがちょっと信用できなかったんだ」
俺はレオの言わんとすることを理解した。
単純な能力の問題ではない。
兵が組織側に抱き込まれている可能性を無視できなかったということだ。
「内通者、か?」
「そ。よくあることだけど、金に目のくらんだ兵が情報を流すんだ。ただ記録や報告を確認してると、どうもこのペリファニアはかなり腐敗が進んでるっぽくてね」
もちろん作戦の立案は最小限の人数で行われ、その内容もギリギリまで秘匿されるはずだが……内通者がどこに潜んでいるかわからない以上、どれだけ情報を統制しても安全確実とは言えないのだろう。
「でも、幸運なことにこの街には君がいた。これは天の配剤だと思ったよ」
「……なるほどな、俺が軍の人間じゃねえからか」
俺はすでにどこの組織にも所属していない。
それどころか、ほとんど誰とも関わりを持たず、一人で暮らしている。
レオにとっては信頼できる駒だったわけだ。
あとは結果から逆算すれば、こいつが何を意図したのか見えてくる。
「わざと小さな穴を開けた不完全な配置を、兵たちに伝達する。で、その部分をこっそり俺に見張らせる。俺の出番がなければそれでよし。しかし俺の方にあのゴロツキが逃げてくるようなら、内通者が情報を漏らしている可能性が高い。――そんなところか」
「さすがリーン、勘は鈍ってないねえ」
レオは小さく口元をほころばせた。
「付け加えると、配置を伝達する時間は隊によってずらしているんだ。で、今回は的確な経路で逃げ出せたのが頭目一人だけだったから、情報が漏れたのはほとんど踏み込む寸前だったと推測できる。これは内通者の所属や動きを割り出す重要な手がかりになるね」
「……相変わらず、さわやかな顔して陰険だな、お前は」
「必要だからやってるだけだよ。――ま、その辺は捕えた奴らからもじっくり追及するさ。外部も内部も掃除できれば一石二鳥だ」
と、そのとき、兵士が一人、やってきた。
「レオポルト殿下、売買対象として監禁されていた者たちを、全員保護――」
そこで暗闇に溶け込むように立つ人影――俺の姿に初めて気づいたようだ。
ぎょっと目を見開く。
「ああ、彼はいいんだ。続けて?」
「――は。え、ええと、全員保護しました。男四名、女十八名、合計二二名です。それぞれの年齢や身元は、現在確認中」
「了解。お疲れ様」
そしてレオは少し考え、続けた。
「彼らについては、聴取より休息を優先しよう。まずは宿と食事を確保。体調が悪そうな者がいれば、医者に診せる。本格的に話を聞くのは明日以降だ。――あ、売り手だった悪党たちの方は、少々手荒に扱っても構わないから」
兵が一礼して去っていくと、俺はレオに尋ねた。
「そういや、あの人質のチビはどうなった?」
「ああ、狼犬族の女の子だね。一足先に医者に診せて、休ませてるよ。体調には特に問題ないそうだ。――気になるのかい?」
俺はわずかな沈黙を挟んで答えた。
「……仕事の成果を確認しただけだ。万が一大怪我でもされてたら、俺の骨折りが無意味になるじゃねえか」
「らしい言い回しだ。ほんと、変わらないね、君は」
レオはおかしそうに微笑し、そして笑みを消した。
「――ねえ、リーン」
「断る」
「……まだ何も言ってないんだけど」
「言ってみろよ」
「戻ってきて、僕の仕事を手伝ってくれないかい?」
「断る」
ほら、同じことじゃねえか。
俺が表舞台に立つことは、もう金輪際ない。
それは断言できる。
「そっか。ま、仕方ないね。無理強いもできないし」
ひょいと肩をすくめ、レオはあっさりと諦めた。
こいつも本気で勧誘したわけではなかったのだろう。
「じゃ、今日のお礼はまた改めて。協力ありがとう、我が親友リーンハルト――竜殺しの英雄《千竜殺》」
「……その称号で呼ぶんじゃねえよ。人竜戦争はもう終わったんだ」
そして俺は踵をめぐらせ、その場を離れた。
――と、思い直して振り返る。
「あと親友じゃねえ。ただの知り合いだ。認識を修正しとけ」
レオは動じた様子もなく、無言の微苦笑をもって返答に代えた。