19話 マイヤ、ご飯のお礼にお手伝いします(3)
「ファリン、さん?」
マイヤより三つ年上の虎族。
ブラウヒッチ家で、マイヤと同じく見習い兵の立場にあった女の子です。
「お、ほんとだ。《折れ耳》じゃねえか」
「相変わらずチビだな」
「ってか、野垂れ死なずに生きてたのかよ」
後ろの男の人三人にも見覚えがあります。
ファリンさんのお兄さんたちですね。
――虎族の四兄妹。
一番上がルアンさん。今18歳くらいだったでしょうか。
その次がクオンさんとクアンさんの双子。ルアンさんの一つか二つ下。
そして末の妹がファリンさん。
両親も共に兵士で人竜戦争のときに戦死、孤児となったという境遇はマイヤと同じです。
ちがうのは、彼らは『必要とされた』ということ。
見習い兵のころから実戦を経験し、辺境警備軍再編の際に正規兵への昇格を認められたのです。
「お前が人買に売られていった日以来だよなあ」
ルアンさんがにっと牙を剥きます。
恐ろしげな表情ですが、一応、笑顔なのですね。
「はい、お久しぶりです」
一年ぶりくらい、ということになるでしょうか。
皆さん、少し背が伸び、体も一回り大きくなったようです。
マイヤは、こう……見習い兵の中では一番下の足手まといでしたし、特に上三人のお兄さんたちからはよく怒鳴られ小突かれしていましたけど、見知った顔に再会できたというのは、嬉しいことです。
「……マイヤは、この街に売られてきてたのね」
相変わらず感情を表に出さない口調で、ファリンさんが尋ねます。
はい、とマイヤはうなずきました。
正確には売られてきたわけではなく、紆余曲折あってリーン様のところでご厄介になっているのですけど、説明すると長くなりそうですしね。
「えっと、今は街外れのお屋敷にてお勤めしてますです」
「そう。……その、不自由はしていない?」
「大丈夫です! だんな様が、とっても親切な方なのです!」
そう、とファリンさんはもう一度言い、小さくうなずきました。
「ってか、んだよその格好? メイドかよ」
「まあ、よわっちいお前に務まるのはその程度のもんだな」
クアンさんとクオンさんは、そっくりな声で笑いました。
「あの……皆さんはどうしてこの街に?」
「カスパル様が、対竜部隊の活動範囲を広げることを決定されたのよ。街道から他地域まで」
ファリンさんはどこかため息をつきたそうな表情です。
「あ、えっと、街の防備とか商隊の警護とかです?」
そんな話を先ほどリーン様とアデリナさんがされていたのを思い出しました。
あれはブラウヒッチ家の軍のことだったのですね。
「なんだ《折れ耳》、知ってんのか」
「え、えっと小耳に挟んだくらいですけど……」
「俺らの名も売れてきたのかねえ。これで首尾よく竜退治できりゃ、竜殺しの英雄に一歩近づくってなもんだがな」
口の端を吊り上げつつ、ルアンさんは言いました。
「どっちにしても、敵がこねえと待機と見張りだけで暇なもんだ。――なあ《折れ耳》、旧交を暖めるため、なんか食い物でも奢ってくれねえか」
「え、あ、あの……」
困りました。
軍にいたころは、訓練で失敗して迷惑をかけた際などにご飯を要求されたりしていたのです、けど……今はお金も食べ物もリーン様のですから、マイヤが自由に使っていいものではないのです。
おろおろしていると、ルアンさんが舌打ちしました。
「んだよ、ノリ悪ぃな。軍やめたから俺らとはもう関係ねえってか? ああ?」
「偉くなったつもりかよ?」
「どこまで行っても、チビの犬っころのくせに」
クアンさんとクオンさんも続きます。
「そ、そういうわけでは……」
マイヤがうまく答えられずあいまいな笑顔を浮かべていると、見かねたのか眉をひそめたファリンさんがお兄さんたちに何か言おうとしました。
しかし――そこで先に割り込む声。
「ちょっとあんたたち、あんまり年下の子をいじめるもんじゃないよ」
マイヤもルアンさんたちも、声の方に視線を向けます。
「……誰だよてめえ」
「その子の知りあい」
アデリナさんが腰に手を当て、憤然とした様子で立っていました。
「――古い友人か何かかなと思ったから黙って見てたけど……ちょっと言葉が悪すぎやしないかい?」
「あ、あの、マイヤは別に……このくらい、いつものことでしたし」
「あんたも」
怖い顔がぐるんとこちらを向きました。
「言われっぱなしじゃなく、もう少し怒るべきときは怒った方がいい。笑ってごまかすばかりだと、自尊心がすり減るよ」
「お、怒るべきときと言われてましても……」
よく分からないです……。
ルアンさんたちは昔からこんな感じでしたし、そもそも『強さ』が求められる軍において足手まといなマイヤは、ほとんど発言する権利すらありませんでしたし。
「は、いきなり悪者扱いかよ」
ルアンさんは唇を歪め、アデリナさんを睨み付けます。
「ここの連中は、どいつもこいつも俺たちを嫌な目でみやがる。蔑んでやがるな。いざ竜が襲ってきたら、自分で身を守ることもできねえくせに」
「おや、好意的に見られていないことには気付いているんだね」
アデリナさんは怯えた様子もなく言い返しました。
マイヤはハラハラしながらも、口を挟めずに二人を見守ります。
「気付くさ。気付いたうえで、ぶん殴ったりせずに見逃してやってんだよ。感謝されてもいいくらいだ」
は、とルアンさんは鼻を鳴らしました。
「竜と戦えるってのはな、お前ら人間程度なら片手でぶっ殺せるってことだぜ? わかってんのか?」
「命を賭けて戦ってくれる兵士さんになら、ちゃんと敬意は払うさね。でも、あんたたちはまだ何もしていない。少なくとも今のところは、ただ酒飲んでケンカして怪我人を生産してるだけのゴロつきじゃないかい?」
お互い一歩も引きません。
「おいおい、危険な場所で体を張らなきゃならねえのは俺たちなんだ。そのことは見て見ぬふりして、厄介者扱いかよ。あーあ、街の連中ってのはどうしてこう危機感がねえんだろうなあ」
そして、ルアンさんはマイヤを見ます。
「なあ、《折れ耳》よお、お前もそういう平和ボケな連中に染まっちまったのか? 俺たちをゴミ虫を見るような目で見るのか? ええ、おい?」
「え? えっと、そ、そんなことは、決して――」
「ルアン兄さん」
そのとき、ファリンさんが静かに呼びかけました。
いえ、静かというか……あまりに平坦すぎて逆に不穏な口調だったので、彼女が腹を立てていることがはっきりとわかります。
「あっちでもこっちでも、もめ事の種をまこうとするの、いい加減に自重してくれないかしら?」
「……あー冗談だよ、冗談」
ルアンさんは舌打ちし、うっとうしそうに肩をすくめました。
「こんな奴がどう思おうと、俺がマジに取るわけねえだろ。《折れ耳》は役に立たないから売り払われたクソであり、今後はここで奴隷としての人生を送るだけのクソだ。軍のクソが街のクソになっただけの話じゃねえか」
…………。
…………あれ?
今、胸の奥が、なんだか嫌な感じにちくっとしました。
ルアンさんの言うことは正しいです。マイヤの価値はその程度のものです。
ブラウヒッチ家を出たころなら――いえ、ほんの数日前までなら、なんの疑問も持たなかったでしょう。
でも今は――心の奥底がささくれ立つような違和感を覚えます。
なぜ、でしょうか?
「――取り消しな」
そのとき、アデリナさんが言いました。
立ち去ろうとしかけていたルアンさんが振り返ります。
「……何か言ったかよ、ババア」
「取り消しなって言ったんだよ」
虎族戦士の鋭い眼光にも怯まず、アデリナさんは続けます。
「あたしはあんたたちの価値観なんて知らないし、この子が軍でどんなだったかも大して聞いてないから、そこにどうこう言うつもりはない。もしかしたらクソだったのかもね。――でも、だ」
怒りをぶつけるというより、むしろ諭すような口調でした。
「誰のものであっても、今後のこと、将来のことを決めつけたり否定したりしちゃいけない。必ずあんた自身にも跳ね返ってくるからだ。――ルアンって言ったっけ? もしそれがわからないままなら、あんたはこれからもずっと蔑まれたままだ。それでいいのかい?」
「――――ッ!」
無言のままでしたが、ルアンさんの目にかっと怒りの炎が灯りました。
アデリナさんの言葉の意味は、マイヤにはよく分かりませんでしたけど――でも、どうやらルアンさんの心の奥底にある何かに触れてしまったようです。
「ちょっと、兄さん!」
ほとんど殺気ともいえるような気配を発しながら大股でこちらに歩み寄ろうとするルアンさんを、ファリンさんが体全体で止めました。
しかし、別のところから怒声が上がります。
「おっらあ! なに兄貴に勝手なことぬかしてんだ!」
「殺すぞババア!」
クアンさんとクオンさん。
この二人はルアンさんよりいくらか子供っぽく衝動的で、見習い兵のころからよくケンカ騒ぎを起こしていました。
怒鳴りつけた勢いのまま、アデリナさんに殴りかかります。
「や、やめてください――!」
制止の声を上げますが、そんなもので止まってくれるわけがありません。
止めに入ろうにも、間に合いません。
そして彼らは――
(え……?)
――空を飛びました。
まずクアンさんが。
次いで、クオンさんが。
二人はまるで自ら飛び上がったように宙に浮き、滑らかに半回転して落下、顔から地面に突っ込みます。
そして、ぐえ、と踏みつぶされたカエルのような声をあげました。
気絶してはいませんが、痛みでしばらく立てないでしょう。
「ペリファニアの道路は滑りやすいんだ」
いつの間にか姿を現していた人影が、淡々とした口調で言いました。
「転ばないように気を付けろ。――特に歓迎されてない余所者はな」
「だんな、様……」
マイヤは思わず安堵の声を漏らしました。
正直、膝の力が抜けてへたり込みそうになるほど、ほっとしました。
家の方に目を向けると、裏口からレニさんが心配そうにこちらを覗いています。
二人とも外の騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たようです。
「……ありがと」
さすがに少し青ざめた顔で、アデリナさんはいいました。
「一、二発くらいは殴られる覚悟をしてたんだけどね」
「冗談じゃねえよ。こいつらの馬鹿力で殴られてみろ。当分厨房に立てねえぞ」
しかしリーン様は、その虎族二人をたやすく撃退しています。
人が勝手に飛ぶはずはないですから、おそらく投げるか足を払うかしたのだと思いますが――マイヤの目には何が起こったのか全く見えませんでした。
「んで、何事だよ?」
リーン様はルアンさんとファリンさんに視線を向けます。
「あー、だんな様ってことはあ……このひょろっちいのが、《折れ耳》の今の飼い主か?」
いくらか余裕を取り戻したのか、あざけるようにルアンさんは言いました。
リーン様も背は高い方ですが、ルアンさんはさらに頭一つ以上大きいです。
体の厚みについては、二倍ではきかないでしょう。
「うちのメイドに何か用か? 虎の兄さんよ」
「《折れ耳》はどうでもいいが、たった今、てめえに用ができたぜ」
ルアンさんはごきりと首を鳴らし、ゆっくり進み出ます。
リーン様は自然体ですが、退く様子はありません。
一触即発です。
と、そのとき――
「そろそろ市街巡回交代の時間だわ。戻らないと」
ファリンさんの冷静な声が、張り詰めた空気を変化させました。
「……うっせ。すぐすむから待ってろ」
「ルアン兄さん、次遅れたら懲罰じゃなかった? ――言うとおりにして」
「…………」
ルアンさんは足を止め、顔をしかめます。
そして舌打ちをして、踵を返しました。
次にファリンさんはクオンさんとクアンさんを助け起こし、ルアンさんの後を追うよう促します。
二人はリーン様に恨み三割、怖れ七割くらいの視線を向けましたが、一言も発さずにおとなしく立ち去りました。
「――失礼。お騒がせして申し訳ありませんでした。マイヤもごめんなさい」
最後にファリンさんはマイヤたちに向かって、深々と一礼しました。
「い、いえ、マイヤは全然、大丈夫ですけど……」
「あたしも別に。仕返しに来たりしなけりゃね」
「はい、それは私が責任を持って――」
と、そこでファリンさんは動きを止めました。
その視線はマイヤでもアデリナさんでもなく……リーン様を見ています。
あまり感情を表に出さない彼女には珍しく、大きく目を見張りながら。
まるで――探し求めていた仇敵が、すぐ隣にいたことに気付いたかのように。
「……んだよ?」
リーン様が怪訝そうにおっしゃいます。
「…………」
ファリンさんはリーン様に対して、何事かを小声で呟きました。
かすかにですけど、リーン様が眉を寄せます。
しかしそれ以上言葉が交わされることはなく――ファリンさんは唇を引き結んだまま勢いよく背を向け、歩き去っていきました。




