18話 マイヤ、ご飯のお礼にお手伝いします(2)
マイヤたちが食料庫に行くと、リーン様がぐったりとした顔で壁にもたれかかっていました。
……どうかされたのでしょうか?
「お、来たね」
対してアデリナさんは元気な笑顔。
「リーンと徹底的に相談しつつ、引き渡す食料を決めてたんだ。量が多すぎても少なすぎてもいけない。栄養が偏ってもダメだし、傷みやすいのが多くても処理に困るだろ? 考えないといけないことが、なかなかたくさんあってねえ」
「……だからそっちで適当に見繕ってくれっつってんのに」
疲れた声でリーン様はおっしゃいました。
「俺の意見は別に必要ねえだろうが」
「リーンが自分の目で確認して、決定に責任を持つってところに意味があんの。マイヤの環境はあんた次第だって自覚しなね」
「あ、あの、マイヤは別に大丈夫――」
「……ああ、いい」
リーン様は小さく片手を上げて遮りました。
「お前にまで庇われてたんじゃ、立場がねえしな。責任があんのはわかってんだよ、面倒だからできるだけ避けたいってだけで。――つまりは目を配れ、気に掛けろってことだよな?」
そうそう、とアデリナさんはうなずきます。
「誰かの面倒を見るってのは、あらゆることがあんた一人の問題じゃなくなるってことだからね。――ああ、レニ、マイヤを呼んできてくれてありがと。お掃除の続きをよろしく」
はーい、と返事してレニさんはお店の方に戻ります。
「マイヤはこっちね。荷物の受け渡し手順を説明するから」
「は、はい」
食料庫の前は、お店の裏口になっています。
その扉の脇に食材が積んでありました。
「それが持ち帰ってもらう分。――あ、そういやマイヤって、読み書きや算術はどうなんだい?」
「え、えっと、どれも簡単なものでしたら、何とか……」
基本的なところは、今は亡き両親から教えてもらいました。
狼犬族は伝令として書状の仲介をしたり、偵察の際に相手の戦力を把握する必要があったりするので、身につけておくべき技能なのです。
「ならまず、金の種類と価値について説明しとく」
リーン様は袋からお金を取り出し――そこでアデリナさんに視線を送ります。
「皇国貨幣なら問題ないよな?」
「ああ、大丈夫。この街の店で嫌な顔するところはないと思うよ」
皇国貨幣?と首を傾げるマイヤに、リーン様が解説してくださいました。
この辺りで一番流通しているのはエルラ皇国発行の貨幣なのですが、他国のものや地方が独自に発行しているものもあり、それぞれ価値が違ったり、両替の必要があったり、その両替の相場も変動したりで、大変ややこしいのだそうです。
そんなわけで、とりあえず皇国貨幣の種類と価値を教えてもらいました。
銀貨が一種類、銅貨が二種類。
これならあまり頭のよろしくないマイヤにも、覚えられるですね。
お金についての説明が終わると、アデリナさんは帳面を出してきました。
「で、ここには渡す品物の名前と数と値段が書いてある。あんたはここに置いてある現物と帳面を照らし合わせて、ちゃんとあってるかどうか確認したのち背負い袋に詰める。ここまで問題がなければ、代金のやりとり」
「は、はい」
「特に確認は大事だよ。ごまかして少しでも得をしようってやからが、世の中にはいっぱいいるからね」
と、そこでマイヤは疑問を覚えました。
「あの、相手がアデリナさんのときも、確認が必要なのです? 信用できる人なら別にいらないのかな、と思うのですけど……」
「確かにあたしは正直でまっとうな商売人だからね」
アデリナさんはにっと笑いました。
「ただし、だ。常に完璧ってわけじゃあない。ときにはうっかり品物を渡し忘れたり、数え間違えたりするかもしれない。常に確かめる癖をつけておけば、いらぬ損を避けられるってこと」
リーン様が後を引き取って続けます。
「ま、その辺も含めてどこまで信用し、どこまで確認するかは、自分で判断すりゃいいさ。アデリナ相手のときに限らずな」
「は、はい……」
マイヤはうなずきつつ、自分が少し緊張するのを感じました。
(自分で判断、ですか――)
難しいことだなあ、と思います。
あれをやれ、これをしろ、という具体的なご命令なら、わかりやすいのです。
成功と失敗の境目は明らかですから。
一方、何事にせよマイヤが自分で判断するというのは……それが正しいのかどうか決めてくださる方が、その場にいないということではないでしょうか。
これまでそんな状況を経験したことがなかったので、何というか、ひどく落ち着かない感じがします。
――でも、です。
同時に、なんだか目の前が、こう、ぶわぁっと広がったような気がしました。
たとえば地平線の見える広い平原に一人で放り出されれば、こういう心細さとわくわくがごちゃまぜになったような気分を覚えるでしょうか。
どうもリーン様のもとにきてから、未体験の、何とも表現しがたい心境になることが多いようです。
不思議、ですね。
◆◇◆◇◆
食材の確認は、特に問題もなく終わりました。
リーン様とアデリナさんに見てもらいつつ金子袋からお金を取り出し、支払も済ませました。(金額も間違っていなかったようで、ほっとしました)
後は荷物を詰めて持って帰るだけです。
マイヤが背負い袋を準備してると、ああそうそう、と思い出したようにアデリナさんが声を上げました。
「リーンに一つ頼みたいことがあったんだ。新しいイスが物置にあるから、取ってきて店内に入れておいてくれないかい? ガタがきたのと交換するから」
「客使いの荒い店だな」
リーン様は渋い顔をしながらも、引き受けるおつもりのようです。
「いくつだ? 古い方はどうする?」
「二脚。古いのは薪にでもするから、外に放り出しといて。どれが交換するイスかは、レニが知ってる」
リーン様の姿が見えなくなると、アデリナさんは表情を改めました。
そしてマイヤに尋ねます。
「……ちょっと訊きたいんだけど」
「は、はい?」
「あんたが知ってる範囲でさ、リーンが突然熱を出してぶっ倒れることってなかったかな?」
「あ、えっと……」
マイヤが何か口にする前に、アデリナさんはマイヤの表情から答えを読み取ったようです。
「やっぱり、あるんだ」
心配そうに眉がぎゅっと寄せられました。
「これは病気じゃないから平気だ、とか言ってなかった?」
「……おっしゃってました、です」
つい今朝のことです。
マイヤも気にかかっていたのですが、追及されることはあまり望んでおられないような様子でした。
「あいつ、そう言い続けて医者にもかからないんだよねえ」
困ったもんだ、とアデリナさんはため息をつきます。
「体調を崩されるの、昔からなのですか?」
「いつ頃からかはわからないね。あたしが知ったのは一年くらい前。配達に行ったら家の中で気絶してた」
マイヤのときと同じような感じですね。
……もしかして、誰にも発見されず一人で苦しまれるようなことも?
「それ以降も、一、二度あったかな。配達に行くのは、様子見も兼ねてるんだよね。だから、あんたがあいつのところに来てくれて、ちょっと安心してる。――悪いけど、気を付けてやってくれるかい?」
「はい! もちろんです!」
マイヤはぐっと拳を握って言いました。
教えていただいてよかったです。
「うん、万一の時はうちに駆けこんでくれれば、お医者を紹介するから。――孤高を気取る割に、手のかかる男だよね、まったく」
「アデリナさんは、リーン様のことを大切に思われているのですね」
それはマイヤにとっても嬉しいことです。
「ああ、昔、ちょっと助けてもらったことがあってね、あたしとレニにとっての恩人なんだ。それに――いい奴だからね、あいつ。多分、自分で思ってるより」
そう言って、アデリナさんはくすりと笑いました。
「悪人面だし人嫌いだってのも多分嘘じゃないんだろうけど、一方で面倒見が良いし、義理堅い。それがわかってれば怖がる必要はないし、むしろ色々構いたくなるってもんさ。――マイヤは最初、リーンのことが怖くなかったのかい?」
「んー……確かに怖いお顔だとは思いますけど、怖くはなかったですよ?」
命を助けることで、マイヤの価値を認めてくださった方ですから。
あの出会いは、マイヤにとってまさに運命的なものでした。
でも、その最初の印象だけではなく――このところ、リーン様という人間そのものを好ましく思う気持ちが強くなっています。
はっきりと自覚できるくらいに。
その後、マイヤはアデリナさんに手伝ってもらいつつ、荷物を詰め込みました。
背負い袋がパンパンにふくらみました。
「……あー、ちょっと多かったかな。持てるのかい? これ」
アデリナさんは言いました。
背負い袋は、レニさんの体くらいの大きさになったでしょうか。
試しに軽く抱え、裏口から通りの所まで運んでみます。
「んと、このくらいなら大丈夫です。下を引きずらないように気をつけないいとダメですけど」
「へー、ほんとに力持ちなんだねえ」
感嘆のまなざしがくすぐったいです。
レニさんのときもでしたが、こう驚いていただけると少し自信になります。
「獣人の力については聞いたことあったけど、実際にあんたみたいな子が大荷物持ち上げてるの見ると、ビックリするねえ」
「いえ、獅子族、熊族、虎族なんかは、マイヤよりももっと力が強いですよ」
かつて一緒だった見習い兵たちのことを思い出します。
戦闘訓練では、マイヤはまるっきり歯が立ちませんでした。
でも――もう道が交わることはないのでしょう。
少しずつ、少しずつですが……これから新しい居場所を得て生活していくのだという実感が、マイヤの心の中で育っています。
もし、リーン様に価値を認めていただけるのならば、ゴミクズであるマイヤもこちら側の世界で生きていけるかも――
と、そのとき。
マイヤは思わずパチパチと目を瞬かせました。
「……ん? どうかしたのかい?」
アデリナさんの問いに答えるのも忘れ、マイヤは視線を路地に向けたまま立ち尽くしていました。
向こうからやってくる数人の兵士たち――彼らに見覚えがあったのです。
ほぼ同時に、あちらも気付きました。
「あなた……マイヤ、なの?」
先頭を歩く少女――丸い耳と長い尾を持つ虎族が、目を見張っています。
――ブラウヒッチ伯爵家の、辺境警備軍。
かつてマイヤが所属し、そして不要なゴミクズであると認定され追い出されてしまった場所。
彼女たちは、そこで必要とされ正規兵に取り立てられた、かつての仲間でした。