17話 マイヤ、ご飯のお礼にお手伝いします(1)
三人の幼い男の子と、一人の大柄な男の子が向かい合っていました。
三人の方はそれぞれ手に棒切れを持ち、剣のように構えています。
一方、大柄な子は素手。
しかしおそらく二、三歳は年上で、力も三人組より強そうです。
三対一の睨み合いはしばし続き――そして片方が動きました。
「ごがあぁーーーーーッ!」
奇声とともに、大柄な子が両手を大きく広げて飛びかかります。
どうやら標的は、三人の中でも一番背の低い男の子。
狙われた方も勇敢に受けて立つ模様。
両手持ちにした棒切れを振り被り、鋭い声を発します。
「はぁーっ! ズシャー!」
しかし気合とともに繰り出された一撃は、命中しませんでした。
襲い掛かった方がいったん大きく後方に跳び、攻撃に空を切らせたのです。
「ぎしゃあああッ!」
大柄な男の子は吠え猛り、彼らは再び睨み合いに戻りました。
いえ、戻ったかに見えたのですが……そこで声が上がります。
「……ねー、兄ちゃん、ボクに斬られたんだから、倒れてよー」
不機嫌そうに抗議するのは、つい先ほど棒切れを振り下ろした子。
「えー、オレ、よけただろー?」
大柄な子が言い返します。
「よけてない! 《千竜殺》さまの剣は、ずーっととおくにいる竜も斬っちゃうの! だから兄ちゃん竜はよけられずに斬られたの!」
「……いくら竜殺しの英雄でも、んなことできるかあ?」
「できるよ!」
小さい男の子(会話から察するに弟なのでしょうか)は、どんどんと足を踏み鳴らします。
「ボク、こないだ人形劇で見たもん!」
「ち、ちょっとまってよ」
そのとき、他の二人も口を挟みました。
「そもそもさ、《千竜殺》さま役は僕だっただろ?」
「そーだよー。お前さっき《不倒壁》さまをやるって言ったじゃん。竜の攻撃跳ね返すのカッコイイって」
一番年下らしい男の子は、孤立無援の危機を迎えたようです。
「い、今は《千竜殺》さまなんだよう! 変わったの! ぱぱっと!」
「かってに変わっちゃダメじゃん……」
「そーだそーだ」
「まあ、まてまて」
そこで竜の役だった年長の男の子が仲裁に入りました。
「んじゃあ《千竜殺》イェリング様は二人ってことにしよう。これでどうだ?」
だが、弟くんは収まらず、かんしゃくを起こします。
「二人もいるわけないじゃん! 兄ちゃんのバカ!」
「……おい、バカはないだろ!」
竜退治ごっこは、どうやらのんきな口げんかに移行したようです。
◆◇◆◇◆
「……楽しそうですねー」
マイヤは土ぼこりを掃き出す手を止め、路上の男の子たちを眺めました。
一番年上の子でも、おそらく十歳にはなっていないでしょう。
あの年頃の子供たちにとっても、竜殺しの英雄はあこがれの存在なのですね。
そういえば見習い兵時代、年上の男の子たちが熱っぽく英雄について語っていたなあ、と思い出しました。
英雄たちはどんな技で竜を倒すのか。
英雄たちの中で最強は果たして誰なのか。
そういう話題であれば、男の子たちはいつまででも激論を交わしていられるようでした。
マイヤはあまり話に加わりませんでしたけど、もしそんなに強い方が存在するのなら一度お会いしてみたいなあ、とは思うです。
マイヤ自身は弱いから軍を追い出されたので、そういうあらゆる人に認められる強さというのはいったいどういうものなのか、見てみたいという気はします。
――とはいえ、竜殺しの英雄たちです。功労者にして有名人です。
マイヤごときが望んでお目にかかれるような方々ではないでしょう。
かなうはずもない、ちょっとした願望ですね。
と、そのとき。
一番年長の子がこちらに――正確にいうとマイヤの隣にいる女の子に、視線を向けました。
「おーい、レニ、お前も混ざるかー?」
「おしごとちゅうー! またあーとーでー!」
店先で《銀の大樹》亭の看板を磨いていたレニさんは、手を止めずにそう怒鳴り返します。
掃除中だったのを思い出し、マイヤもあわててホウキを動かしました。
とってもとってもおいしいご飯をいただいた後、マイヤはレニさんをお手伝いし、開店前のお掃除をしています。
ささやかながらご恩返し、というところですね。
リーン様とアデリナさんは、奥の食料庫で持ち帰る食材の相談中。
最初『適当に見繕ってくれ』とリーン様はおっしゃっていたのですが、『あんただけならともかく、子供に食べさせるものにそんな無頓着でどうするんだい!』とアデリナさんに怒られて、連れて行かれました。
いえ、マイヤは特に好き嫌いありませんし、別に構わなかったのですけど。
どうやらリーン様は、アデリナさんが苦手のようです。
仲が悪いとかいうわけではなさそうですが。
アデリナさんとお話ししているときのリーン様からは、普段とはまた違った一面を目にすることができます。
ときどき拗ねるような、子供っぽい表情をされて……その、変な表現かも知れませんが、とってもお可愛く感じられるのです。
そういうとき、マイヤはリーン様をずっと見ていたくなります。
胸の奥からふわっとした幸せな気分があふれ、忠誠心が高まって、いつまでもお側にいたくなるというか――
「――わんわんのおねさん、こっちおねがいー」
「あ……は、はーい」
我に返りました。
「ごめんなさいです、ここですね」
レニさんの指示により、掃き方が甘かったところをもう一度やり直します。
マイヤはあまり器用な方ではないので、ちゃんと手伝えているかどうかは少々不安の残るところですね。
……いえ、もちろん全力は尽くしますけども。
掃き掃除が終わったら、次は店内です。
「あの、レニさんは、いつもこうやってお店のお掃除してるのです?」
テーブルを拭きながらマイヤは尋ねました。
「うん、おそうじはあたしのおしごとー」
レニさんはイスを担当しながら、笑顔で答えました。
思わずこちらもつられてしまうような、いい表情です。
「おかさん、お店はじまる前はいそがしくなるから、たすけてあげるの」
料理の仕込みに時間を取られるので、できることはレニさんがするのだとか。
とはいえ調理場の手伝いや給仕はさすがにまだ無理なので、店が開くとご近所――先ほど外で遊んでいた男の子たちの家に預けられるのだそうです。
テーブルとイスを一通りきれいにすると、レニさんは自分専用らしき踏み台を出してきて壁際の棚の掃除に取りかかりました。
「ん――しょ」
「あ、高いところはマイヤがやるですよ」
身長的にレニさんでは難しそうです。
多分、年齢の割にはマイヤも小柄な方だと思うですが、さすがにレニさんよりは頭一つ二つ背が高いですし。
「だいじょうぶ、だいじょー、ぶ……わ――!」
さらにつま先立ちになろうとしたレニさんでしたが、体勢を崩し、かくんと台の上から足を踏み外しました。
そのまま後ろ向きに倒れ、頭から床に激突する――
「――――っ!」
寸前で、左手一本が間に合いました。
マイヤは彼女の襟首をつかんで引き寄せ、下になって抱き止めます。
どすんという衝撃がありましたが――どうにか庇うことができたようです。
「…………」
「…………」
もつれ合って転がったまま、しばらくの間マイヤたちは動けませんでした。
(あ、危なかったあ……)
心臓がまだバクバクしています。
頭を打つと、おおごとになる危険もありますから。
「……だ、大丈夫です?」
ようやくマイヤは口を開きました。
「う、うん、ありがとう……びっくりした……」
「――こぉら、レニ!」
そのときアデリナさんの大声が飛んできて、レニさんとマイヤは思わず身をすくめました。
――いえ、マイヤが怒られたわけではないのですが、すごい迫力だったもので。
奥でリーン様とお話中だったはずですが、今の決定的瞬間はしっかり見られていたようです。
「そこはやらなくていいって言ったろ! あんたがケガしたらおかさん泣くよ!?」
「ごめんなさーい!」
「ちゃんと言い付けは守ること! あと、マイヤは危ないとこ助けてくれて、ありがとう!」
「は、はい……」
まったくもう、などと言いながらアデリナさんが背を向けて奥に戻ると、レニさんはうなだれました。
「うー、おこられちった。……あたしね、秋からちょっとせがのびたの。そろそろとどく気がしたんだけどなあ」
「でも、危ないことはだめだと、マイヤも思うですよ」
身の丈に合わないことには手を出さないのが、生き残るための鉄則。
未熟な兵が勝ち目の薄い敵に挑んではいけないのですね。
「ん、気をつける」
レニさんは素直に肯き、そしてマイヤをじっと見つめました。
「? どうかしたですか?」
「うん、わんわんのおねさん、力もちなんだなあと思って。あたしよりは大きいけど、大人の人よりはちっちゃいのにねえ」
先ほど、転倒するレニさんを片手で抱き止めたときのことでしょうか。
「ああ、レニさんから見ると、力持ちかもしれないですね」
マイヤの腕の力は、今の時点で多分、人間の男の人と同じくらいです。
獣人の筋力、運動能力はおしなべて人間のそれを上回るみたいですね。
もっとも、マイヤはさほど力仕事に向かない狼犬族で、単純な力についていえばもっともっとすごい種族もいるのですけど。
「んー、いいなあ……」
レニさんは指をくわえてマイヤを見上げました。
「いい、とは……?」
「あたしもわんわんのおねさんみたく、おっきくなりたい。力もちになりたーい。そしたら、もっと色んなお手つだいができるのにー」
マイヤは思わず目を瞬かせました。
誰かにうらやまれるなどというのは、生まれて初めての経験だったのです。
これまでは常に年齢も立場も一番下で、上の人たちから叱られ怒鳴られる日々でしたから……
「マ、マイヤみたいにだなんて……えっと、でも、マイヤに、そんな価値はないのですよ? 役に立たないゴミクズで、もう要らないって前のお家を追い出されたくらいなのですから」
「やくに立たない? どうして?」
レニさんは不思議そうに首を傾げました。
「わんわんのおねさん、あたしよりお手つだいできるよ? テーブルのまん中までちゃんとふけるし、高いところも手がとどくし、それにさっきはあたしたすけてくれたし」
「う、うーん、それは、ですねー……」
どう説明したものかな、と悩みつつマイヤは言います。
「あの、マイヤが今ここでお力になれたのだとしても、前のところでは何もできなかったという事実には変わりなくて、ですね……その、それはどうしてかというと、このお店と、マイヤが居た場所とでは、お仕事の中身が全然違っていて――」
と、そこでマイヤは言葉を中断しました。
ふと思い出したことがあったのです。
(ご飯の前に、だんな様が何か似たようなことをおっしゃっていたような……)
確か――『外にはまた外の基準がある。お前が戦えない獣人だとしても、その価値はお前が思ってるほど低くはねえよ』と。
「マイヤの、価値……?」
少しだけ、その言葉が心に引っかかったような気がします。
もしかして。
もしかして――こちらでは価値あるものに、ゴミクズ以外のものになることが、許されるというのでしょうか?
(いや、まさか……ですね)
そんな都合のいい話があるとは思えません。
マイヤの価値は、マイヤが一番よく知っているのです。
期待すると、後で苦しくなります。
「おねさん?」
黙り込んでしまったマイヤに、レニさんが怪訝そうな声を掛けます。
「どしたの? ぼーっとしてる」
「あ、いえ、何でもないです」
マイヤは慌てて微笑みを浮かべました。
「おかさんがよんでるよ? ちょっと奥まできてー、って」
持ち帰る食材のお話でしょう。
マイヤたちは食料庫に向かいました。




