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16話 犬耳娘を連れて街に出た(5)

 俺は頭を掻いて、口を開いた。


「……そっか、じゃあ、お前のうまい飯に期待してる」

「はい! お任せください!」


 マイヤは嬉しそうに胸を張った。


 なるほどな、と俺の中で腑に落ちるような感覚があった。

 こいつはこれまで、何かを期待され任されるということをほとんど経験してこなかったのだ。

 だからこんなに喜ぶのだろう。


(なら、そういう機会をできるだけ作って、成功の記憶を積み重ねるのが有効かもしれないな)


 自己否定が薄れれば、もう少しこいつも生きやすくなるか。


 ――などと考えていると、アデリナと目が合った。

 どことなく面白がるような表情を浮かべている。


「……何だよ」

「いや、意外にも信頼されてるんだな、と思って。なかなかいい『だんな様』してるみたいだね」

「はい! とっても素敵なだんな様です!」


 元気よく答えたのはマイヤである。

 一方、俺は若干の不満を覚えた。


「意外にも、ってのはどういう意味だ?」

「そりゃ、あんたはもう少しダメな大人だって印象があったからさ」


 苦笑するアデリナ。


「いつもは昼間っから酒飲んで、ひたすら家ん中でゴロゴロしてるんだろ? ダメ人間の理想的な標本じゃないかい?」

「……俺の勝手だろうが。自分の家でゴロゴロして自分の金で酒を飲むんだから、正当な権利の行使だ」


 我ながら、ちょっと苦しい反論だとは思った。

 いや、反論にもなってないか。


「でもさ、珍しく街に出てきたのを見ると、この子を雇って生活にも色々変化が出たんだろ?」


 そりゃまあ、そうだ。


「多分それは、リーンにとってもいいことなんじゃないかと思うよ」

「俺の方が面倒みてるような状態なのに?」


 通常、人を雇うのは労力を省くためだ。

 人を雇って手間が増えるなどというのはまったく本末転倒である。


「だからこそだよ」


 しかし、アデリナは妙に確信に満ちた顔でうなずいた。


「やっぱりさ、人間は他人と触れ合い、会話し、意思疎通してかないと、どんどんダメになっていくと思うんだよね。いくらでっかいお屋敷に住んで、不自由のない生活を送っていたとしても」

「ほー、誰か具体的な心当たりでもあるのか?」

「聞きたいかい? 心の底から納得できるまで語ってあげようか?」


 少し考えたのち、遠慮しておく、と俺は言った。

 多分、俺の繊細な心が甚大な傷を負う。


「ま、要するにだね、何かを教えるとか覚えさせるってのは、教える側にも大きな成長をもたらすんだ。だから、そういう経験はあんたのためにもなるし、そこから学び取る努力を怠ってはいけないってこと」

「柄じゃねえよ」


 俺は肩をすくめた。

 成長を気にするような歳でもないし、そもそも向上心なんて殊勝なもんはとっくの昔に使い果たした。


 やっぱり素直じゃないねえ、とアデリナはあきれる。


「……にしても、今日は妙に説教好きだな、アデリナ。飯屋の店主から教師にでも転職したのか?」

「知らない者に教えてあげるのは、知っているものの務めさね」


 そして表情と声から茶化すような色が消えた。


「――あたしはさ、ほら、母親だから」


 アデリナは、大人たちの話に飽きた様子ではむはむと鶏肉を頬張っているレニの方に視線を向ける。


「子供に教えること、子供から教えられることを肌で実感してる最中なんだよね。子の成長は親の喜びだし、親の成長は子供を幸福にする。その二つは表裏一体だと心に留めておくだけで、ずいぶんと救われることがある」

「俺は親じゃねえぞ」

「でも保護者だ。違うかい?」

「…………」


 違わない。

 俺がひねくれているのも成長する気がないのも俺の問題であって、マイヤにツケを回すべきではない。


 マイヤにはある種の援助が必要なこと、そしてそれは決して軽い覚悟で施せるようなものではないことが、おそらくアデリナにはわかっているのだろう。

 だから俺を心配し、忠告している。


「あ、あの、お二人とも……」


 俺たちのやりとりを見守っていたマイヤが、不安そうな顔で口を開いた。

 アデリナが微笑みかける。


「別にケンカしてるわけじゃないよ。心配しなさんな」


 そうそう、と俺もうなずいておいた。

 ま、あえて言うなら、ケンカではなく俺が一方的にボコられてるということにはなるかもしれないが。


 結局のところ。

 年長者に教え諭されているような気分になるのは、俺よりアデリナの方がまっとうな人生を長く送っているからだろう。


 別に勝ち負けの問題にする必要はないと思うが――自分の生き方のろくでもなさを自覚している時点で、俺に勝ち目はないのだ。


 俺は軽く両手を上げ降参の意思表示をすると、食事に戻った。


 ともあれ、当面はマイヤの料理の腕前を成長させるのが目標だ。

 アデリナの飯がお手本として優秀なのは確かだしな。


「――そういやリーン、あんた、さっき何か言いかけてなかったかい? 街で気になったとか何とか」

「ああ、そうだった」


 話が途中になっていたのだ。

 俺は水を一口飲んで続ける。


「街にやたらと獣人兵がいるようだが、何かあったのか? あれ、この街の衛兵じゃねえよな?」

「あー、彼らねえ……」


 アデリナは眉根を寄せる。

 あまり好意的ではない表情だった。


「西の方から来た、何とかいう領主様の配下の辺境警備軍だってさ。しばらく街に逗留するらしいよ」

「何のために?」

「売り込み交渉」


 売り込みって……何か仕事をするつもりなのか?


「もっと兵を増やして街の防備を固めないかって、その領主様がここの太守様に持ちかけてるみたい。金を払ってくれれば、守ってやるとか」

「んー……領主自ら交渉に出てきてるってことは、流れの傭兵団とかじゃなくて曲がりなりにも正規軍なんだよな?」


 あまりいい傾向ではない。

 外に仕事を求めるというのは、領地内で兵を養いきれなくなっているということを意味するからだ。


 戦が終わっても、人的、あるいは経済的な損失を取り戻すには時間がかかる。

 とくに先の戦争は竜を相手にしたものだった。

 当然ながら、勝っても賠償金を取ることなどできはしない。


「どこも金のやりくりが大変なんだろ。マイヤが俺のところにきたのも、そのあおりを受けたからだったしな」

「いえ、でも!」


 マイヤはぐっと身を乗り出した。


「おかげでだんな様と出会えたので、マイヤとしては差し引きで得していると思うのです!」

「だといいけどな」


 アデリナは俺たちの様子を見て小さく笑い、話を続けた。


「ま、偉い人同士の交渉なんて知ったこっちゃないんだけどさ……彼ら、客としてはあんまり柄がよろしくなくてねえ」


 ため息をつく。

 よく道ばたで騒いだり、ケンカ騒ぎを起こしたりするのだそうだ。


「待ってれば、すぐに立ち去るんじゃねえか? この街も外から雇う必要があるほど人手不足でもないだろ。また竜でも出たってんなら、話は別だろうけどさ」

「――彼らはそう言ってるんだよ」


 俺は一瞬息を呑み、眉をひそめた。


「……何、だって?」

「竜だよ。西方辺境で目撃情報があったんだそうだ。徐々にこっちの方へと行動範囲を広げている、らしい」


 無意識のうちに拳を握りしめていた。


 俺の故郷を焼いた存在。

 俺が数え切れないほど斬り捨ててきた存在。

 あらゆる獣を圧倒する巨躯と、鋭くもおぞましい特徴的な乱杭歯が脳裏に浮かぶ。


(……落ち着け)


 俺は小さく息を吐き、指の一本一本を意識して拳を開いてゆく。

 その出現が事実なら確かに大問題だが――


「仕事取るためのハッタリじゃねえのか?」

「可能性はあるけど、今すぐ証明できるわけでもないしねえ」


 アデリナは唇を曲げて、腕を組んだ。


「実をいうと、ペリファニアの商会や職人ギルドの方にも打診がきてるんだ。『街道警護もやるから、お前ら金払え』ってさ。もしほんとに竜が出てて輸送が止まれば、あたしら干上がっちまうしね」

「依頼すんのか?」

「まだわからない。みんなで相談中。もちろん危険があれば手を打つべきなんだけど……正直、足元見られてる気配が強くてね。難しい問題さ。――おっと」


 そこでアデリナは、マイヤやレニまでが食事の手を止めて話に聞き入ってることに気付いた。


「りゅう、くるの?」

「大丈夫だよ」


 不安そうなレニの頭をなで、アデリナは笑顔を作る。


「もう一年以上前に竜は追い払われたんだから。――さ、辛気くさい話はここまでにしとこう。あんたたち、冷める前に全部食べとくれ」


エピソード「犬耳娘を連れて街に出た」了。

次回は「マイヤ、ご飯のお礼にお手伝いします(1)」です。

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