15話 犬耳娘を連れて街に出た(4)
「――まあ、人竜戦争が終わって一年以上経つからね」
大皿の野菜を取り分けながら、アデリナは言った。
「このところ、人の流れも物の流れも正常化されてきた感じ。商売人にとっちゃ、ありがたいことだよ」
俺とマイヤ、それにアデリナ母子は、一つのテーブルを囲んで早めの昼食を食べている。
もともと彼女たちは開店前に食事を済ませてしまう習慣だそうで、そこに同席させてもらうことになったのだ。
メニューは――鶏肉のローストと蒸し焼きにした野菜、それにパン。
品数は少ないが、どれもうまそうな匂いを漂わせている。
「街道の通行止めも、最近はねえのか?」
「うん、聞かないね」
人の流れが滞れば客が減り、物の流れが滞れば売るべき商品を用意できなくなる。
街道の流動性は、どの街の商人にとっても死活問題なのである。
人竜戦争当時は、ことあるごとに軍が街道を封鎖していた。
行軍経路の確保のため、あるいは民が戦場に迷い込まないようにするため、などなど相応の理由はあるのだが、やはり負担にはなっていただろう。
(軍と言えば――)
ふと、ここに来るまでに目にした街の景色を思い出す。
「なあアデリナ、街で少し気になったんだが、獣人兵の――」
が、俺が言い終わる前にレニが声を上げた。
「あれ、どしたの? わんわんのおねさん」
俺とアデリナはマイヤの方に視線を向け、そして唖然とする。
マイヤは――泣いていた。
こらえきれない嗚咽をもらし、ぽろぽろと涙を流していた。
――何事だよ、おい。
「……マイヤ? どうした?」
「ず、ずびばせん。ご……ご、ご――」
言葉にならないようだ。
マイヤは鼻をすすり、大きく深呼吸して息を整えると、再び口を開いた。
「ご、ご飯が、も、ものずごく、おいじぐで……」
「…………」
俺は返答に困って沈黙した。
「ず、ずごいでず、アデリナざん……」
「あ、ああ」
さすがにアデリナもあっけにとられた様子である。
「や、嬉しいけどさ……そんなにおいしかったのかい?」
「はい! お肉を口に入れたときから、もう違ってましたです! 鶏肉を噛みしめると――」
まず強火であぶられた皮のパリッという歯応え次いで柔らかさを失わないよう加減して熱せられた肉のぷりっとした食感。異なる二種類があまりにも心地よく背筋をぞわりと快感が駆け抜けました。濃密な脂がじゅわあと口の中に広がりさらにそれが塩や香辛料と溶け合い頭の芯までとろけそうになってああもうこの肉汁と岩塩の相性と来たら!お肉の次はお野菜ですね。絶妙な火加減でほんの少しだけ固さを残したキャベツやタマネギはその甘みと水分で肉の脂気を洗い流しお口の中をさわやかにお掃除してこれでまた鶏肉がおいしく味わえるというわけです。もうどれもこれも最初の一口でマイヤは虜となりました。美しい花や雄大な景色や素晴らしい音楽や心に刺さる物語――それらと同様においしい料理もまた人を感動させることができるのだと思い知ったのです!
――とまあ、要約すると概ねこのようなことを、一息でマイヤは言った。
こんなに喋れたのかよこいつ、と俺が呆れるくらいの勢いだ。
いや、確かにアデリナの料理は絶品なのだが。
「……お客さんから褒めてもらうことはあるけど、ここまで熱烈なのは初めてだわねえ。うん、ありがと」
「あ、え、えっと……」
そこでマイヤは我に返ったように目を瞬かせた。
ようやく自分が興奮しすぎていたことに気付いたらしい。
「その、マイヤにとっては、それほどの衝撃だったのです……」
言い訳のようにそう言うと、マイヤはまた目に涙を溜めた。
「じ、自分が恥ずかしくなるです。マ、マイヤのお料理なんて、これて比べればゴミです。生ゴミです。マイヤは、だんな様に生ゴミを食べさせてしまいました……うう、すびばせん……」
「……お前、どんな状況からも自虐できるんだな」
俺はため息をついた。ある意味感心するほどだ。
「あのな、修練を積んだ人間と同等の成果を素人がいきなり出せると思ってんのか? そりゃ傲慢にすぎんだろが」
う、とマイヤは身を縮める。
「これを作れと言ってるんじゃねえよ。これを目指せって言ってるんだ。結果、どんなものが出来上がるかは、これから努力した後で初めてわかること。反省するんだったらそれからでいいだろ。――分かったら返事」
「はい……」
と、そのとき、レニが席を立ってマイヤを庇うように両手を広げた。
「リーンさん、わんわんのおねさんいじめたら、だめ!」
「……いや、いじめてねえよ」
「そ、そうです、レニさん」
ぐしぐしと鼻をすすりながらマイヤは言った。
「だんな様は、マイヤのためを思って、励ましてくださったのです。とってもお優しい方なのですよ」
「……リーンさん、ほんと?」
レニは疑わしそうな視線をこちらに向けた。
……俺に訊くなよ。言葉にしたら台無しじゃねえか。
ふと視線を動かすと、アデリナが声をかみ殺して笑っていた。
妙に腹立たしい。
「あの、でも、もちろん、マイヤもできるだけアデリナさんのお料理に近づきたいとは思いますけど、どこから始めればいいものやら……。まず、材料からして難しいですよね……」
そうか?と俺は首をひねった。
「鶏肉と野菜じゃねえの?」
「あ、いえ、そうなのですけど、味付けの部分が……。塩に加えて、スパイスやハーブが八種類も使われているですから。コショウはともかく、あとのは匂いも味も初めてでさっぱり……」
「わかるのかい?」
アデリナが目を見張った。
「い、いえ、ですからわからないと……」
「そうじゃなくて、八種類っての。ぴったりその通りなんだけど」
「そ、それはまあ……はい、数くらいなら」
なぜ驚かれるのかわからないという顔で、マイヤはうなずいた。
ちなみに俺も一癖ある風味でうまいな、と感じた程度で、スパイスが何種類使用されているかなんて見当もつかない。
「確か狼犬族はかなり感覚が鋭敏なんだったっけな。特に鼻がよく利くそうだし、普通の人間とは感じ方が違うじゃねえか?」
俺たちには区別や識別できないものも、はっきりと認識できるのだろう。
「うーん、こう、香りが融け合って渾然一体となるように工夫した、秘伝の配合だったんだけどなー」
「えっと、その、すごく調和が取れていたと思うですよ。全ての香りがお互いを引き立て、支え合う感じで……」
「あーいやいや、別に落ち込んだり悔しがったりしてるわけじゃないんだ」
アデリナは苦笑する。
「単純に感心してたんだよ。良い舌だ。マイヤは料理人に向いてるのかもね」
「そ、そうなのでしょうか?」
うれしさよりも困惑のまさった顔でマイヤは言った。
肯定的な評価をされることに慣れていないのだろう。
「つまりだな」
俺は口を挟んだ。
「それって、他の奴より細かい分析ができるってことだろ? 仮に失敗しても、自分の料理には何が不足してて何が余計なのか、把握しやすい」
「な、なるほど、そうですね」
「あと、うまいものはよりうまく感じられるのも利点。やる気が出る」
「やる気……です?」
戸惑ったように少し首を傾けるマイヤ。
「もんのすごくうまい料理を味わったなら、少しでもそれに近いものを自分で再現して、食ってみたくならねえか? 強い感動は前に進む力になるってことだ」
「あ、はい、確かに」
今度はこくこくとうなずく。
「そっか……うん、少しずつやれそうな気になってきました。マイヤ、がんばるですね!」
「あー、頑張れ。ついでに俺にもうまい飯食わせてくれれば、いうことないしな」
「……え?」
俺の言葉に、マイヤは意外なことを聞かされたようにきょとんとし、そして慌てて手を振った。
「あ、あの、それは違うのです、だんな様」
「違うって、何が?」
「かんちがい、なのです。確かにマイヤも食べることは好きなのですけど、あの、えと……けっして、つ、ついでとかじゃなくて……」
感情に言葉がついてこないもどかしさに、うーっとうなり――
「その……マイヤがお料理上手くなりたいのは! 何より、誰より、一番に、マイヤの作ったおいしいご飯を、だんな様に食べていただきたいからなのです!」
真っ赤に上気した顔で俺をまっすぐに見て、マイヤはそう宣言した。




