14話 犬耳娘を連れて街に出た(3)
マイヤに問われ、俺は一瞬、言葉に詰まった。
(軍、か……)
一方、マイヤは俺の顔色を見て、即座に後悔の表情を浮かべた。
「あの、す、すみません、です。余計なことを――」
「……いや、いい」
遮って続ける。
「確かに軍と関わった経験はあるな。ただ、あんまり愉快な記憶じゃねえから、いちいち思い出す気にならなかっただけだ。別にお前に腹立ててるわけでもねえし、気にすんな」
マイヤを責める気はなく、気に病んでほしいわけでもないのだ。
しかし、はい、と肯いたものの、幼いメイドの表情は晴れなかった。
ここにいる俺、つまりペリファニアのリーンと、竜殺しの英雄《千竜殺》リーンハルト・イェリングを結びつけられる者は少ない。
アデリナ母子はこの街で唯一俺が交流らしきものを持つ人間だが、彼女たちにも俺の身の上を語ったことはなかった。
他者に知られたくないというよりは、むしろ俺自身のなかに人竜戦争を振り返りたくないという思いがあるのだろう――と自己分析している。
癒えない古傷のようなもので、不意打ちでそこに触れられると否応なしに痛みが走るというわけだ。
いくらかの自己嫌悪を覚えながら大きく息を吐き、俺は話題を変えた。
「んで、本題だ。アデリナに頼みたいことが二つある」
「はいはい、何だい?」
アデリナは軽い声で応じた。
「まず一つ目。見ての通り住人に一人加わったから、こっちによこす食い物の量を増やしてほしい」
この《銀の大樹》亭で使用するものの一部を買い取り、届けてもらっているのだ。
アデリナは肉や農作物を扱う商人に顔が広く、仕入れの名人でもある。
「まあ急に言われても困るだろうから、できる範囲でかまわねえよ。店の営業に差し支えても悪いしな」
「あー、大丈夫大丈夫」
彼女はひらひらと手を振った。
「お客さんは入るときも入らないときもあるけど、あんたは定期的に一定量を買ってってくれるからね。むしろいいお得意様なんだよ。気兼ねしなさんな」
「そう言ってもらえると助かるな」
「で、配達はどうしたらいい? 小分けにして回数を増やそうか?」
今は週に一、二度くらいだが、この頻度を維持すると一度あたりの荷物が増えて運ぶ方も大変だろう。
しかし、俺は首を横に振った。
「いや、持ってこなくていい。当面はこいつに毎日取りに来させる」
そしてマイヤに視線を移す。
「最初だから付き添ってきたが、明日からは一人で往復だ。できるよな?」
「は、はい! お店の場所は覚えましたし、マイヤ、力持ちですし!」
マイヤは何度も肯いた。
「あとで教えるから、金勘定のやり方もしっかり覚えろ。悪いけどアデリナもこいつが代金間違えないかどうか、見てやってくれ」
「了解了解」
これが一つめの頼みだ。
「で、二つめ。――開店前で悪いが、何か昼飯食わせてくれ。昨夜、食材が底を突いちまったもんで、もう我慢できないほど腹ぺこなんだ」
俺が言うと同時に、マイヤの腹がぐうと鳴った。
「――こいつがな」
はうぅと呻いて赤面するマイヤ。
アデリナはくっくっとおかしそうに肩を揺らした。
「ああ、そりゃいけない。子供はしっかり食べて大きくならないとね」
「あと、今後は俺の飯をこいつに作らせることにしたんでね。腕が追いつくかどうかはさておくとして、一度は『本物』を味わわせてやりたい」
「おや、あたしの料理をずいぶんと評価してくれてるんだ。それは光栄」
今度は華やかな笑みを浮かべた。
表情豊かな女である。
「ま、参考になるかどうかはわからないけど、うまいもの食わせてあげるよ。しっかし、それにしても――」
アデリナは笑みを収め腕組みをすると、検分するように俺たちを見た。
「あんたがメイドを雇うなんてねえ。人嫌いだし、一人が気楽だとかずっと言ってたのに、いったいまたどういう風の吹き回しだい?」
「行き場のない子供を、知り合いに押し付けられただけだ」
マイヤは申し訳なさそうに身を縮める。
よしよしというようにレニがその頭を撫でていた。
「そういう言い方はやめなよ、リーン。誰も良い気分にならないだろ?」
アデリナはまるで出来の悪い弟を叱る姉のように、目を細めた。
……いや、実際のところは俺の方が少し年上かと思うのだが、そういう形容が似つかわしい表情だったのだ。
「訊き方が悪かったかね。あー、つまり――なんで自分の信条を曲げることにしたんだい? あんた、本気で嫌だったら、たとえ皇帝陛下のご命令であっても耳なんか貸さないだろうに」
「……どうせ部屋は余ってる。勝手に住み着く分には知ったことじゃないし、家の仕事をやってくれるってんなら、別に追い出す必要もねえ。そう思ったんだよ」
つくづくひねくれ者だねえ、とアデリナはため息をついた。
「も少し素直になったら?」
「俺はこの上なく素直で正直な男だが?」
「善行にいちいち言い訳が必要な人間を、素直とは言わないよ」
「…………」
俺を沈黙させると、今度はマイヤに向き直る。
「マイヤ、あんた、リーンのお屋敷が『人食いの館』とか噂されてるのは知ってるかい?」
「は、はい」
「あれ自体は、街の人間が面白半分で話のネタにしてるだけなんだけどね。――とはいえ、こいつにも問題がないわけじゃない」
アデリナは横目でこっちを見た。
「人相が悪くて人付き合いが嫌いなうえに、他人の目を一切気にしないから、放っておくと周囲からの評判が最悪になるんだ。――実際はこの通り、ちょっとひねくれてるだけの無害な男なんだけどね」
「あ、はい、それは何となく、マイヤにもわかるです」
肯き合う女二人。
「……お前らに俺の何がわかるってんだよ」
「相互理解に不満があるなら、あまのじゃくな言動を控えてもっと対話しなよって話さね」
あっさりと言い返された。
「誰も僕をわかってくれない、なんて台詞が許されるのは、反抗期の少年まで。その後は自分の責任。だろ?」
「…………」
また旗色が悪くなったので、俺は抗弁を諦めた。
「ま、今さらリーンの性格をどうにかするのは難しいだろうけど……でも屋敷を掃除したり、生け垣や庭を整えたりするだけで、周りに与える印象はかなり変わると思うんだ」
そして、アデリナはマイヤに笑みを向ける。
「これはあんたの仕事になるね。期待してるよ、マイヤ」
「は、はい、頑張ります!」
店に入る前の緊張と気後れを完全に忘れ去ってしまったかのように、マイヤは力強く肯いた。
あるいは、その辺をアデリナが察して、気を遣ってくれたのかもしれない。
そういう配慮のできる奴なのである。
――内心で感謝はしておく。
「……話が終わったんなら、飯を頼む」
「おっと、そうだった」
アデリナは言って、ぽんと手を打った。
「んじゃ、昼飯二人分作ってやるから食べて行きな。今日はあたしのおごりだ。献立はこっちにお任せでいいね?」




