11話 マイヤ、だんな様のお役に立ちますです!(6)
「お前の処遇はレオと話して決めるって話、昨日したよな?」
「は、はい」
レオ様というのは、マイヤをこのお屋敷に遣わした方ですね。
詳しくは知らないのですが、何だか身分の高そうな人だなあという印象を受けました。
「お忙しくて、連絡が付かないということでしたけど……」
「あいつはもともと皇都の人間だし、やたら仕事を抱え込んでるからな。まあ、顔を合わせんのはしばらく先だ」
マイヤの扱いについての結論も先延ばしになりそうなので、少しばかりほっとします。
ただリーン様にとっては不都合なお話なのでしょうし、それを喜ぶというのは本来よろしくないことなのですけど。
「で、だ。当分レオの野郎があてにならないんで、俺の方でもう少し詳しくお前の過去とか事情を把握しておきたい。場合によっちゃ、新しい働き口や行き場を紹介してやれるかもしれねえしな」
「え……?」
新しい、行き場……ですか。
「しばらく泊めるくらいはいいが、今後まともな生活を送るつもりなら、こんなボロ屋敷と怠け者の主人よりマシなところがたくさんある。検討だけでもしといて損はねえよ」
「あ、あの、だんな様――」
マイヤはこのままだんな様のもとに居たいです――と、喉まで出かかりました。
これはマイヤ自身にとっても驚きでした。
助けていただいたことは、確かに嬉しかったのです。
何とかご恩を返したいとも思っていました。
でも――このお屋敷に留まって、ずっとお仕えしたいという気持ちが、この短期間にこんなに強くなっているなんて、今の今まで想像もしていませんでした。
「何だ?」
「い、いえ……」
しかし、マイヤはぐっとこらえて、言葉を呑み込みます。
要求できるような身分ではないことを、わきまえなければなりません。
(何せ、マイヤは奴隷同然のゴミクズでしかないのですから)
マイヤはリーン様のものです。
それは同時に、リーン様が望むときにマイヤをポイ捨てする権利をもお持ちだということです。
なのにお部屋を貸しご飯をくださり、マイヤの将来のことも心配していただいて――それだけで、もったいないくらいのご親切だと言うべきでしょう。
もちろん、何とかここに置いていただければ一番ですけど……高望みをしてはいけないのです。
「そうですね……それでは、前のお家に居られなくなったところから、お話しするですね」
マイヤは語り始めました。
ブラウヒッチ家指揮する辺境軍の見習い兵だったこと。
人竜戦争で両親を亡くし、お屋敷の雑用と軍の訓練をこなすことを条件に養われていたこと。
人竜戦争が終わった後、不要と判断されて売られたこと。
「――それから一年ほどの間に、何人かの人買いさんたちの間を渡り歩いたです」
一緒に売られてきた顔見知りの人たちともバラバラになり、マイヤは心細い日々を送っていました。
人買いさんたちのグチを小耳にはさんだところによると、幼いうえに女の獣人はなかなか買い手がつかないのだそうです。
まあ働かせるのなら、大人で男性の方が役に立つわけですしね。
申し訳ないことです。
そうこうするうち、マイヤは最後の人買いさん(リーン様にやっつけられた、あの男の人です)の手に渡り、この街の近くにやってきました。
「それが……今から十日ほど前だったでしょうか。ここペリファニアは大きな街だから、マイヤくらいの歳でもできる仕事があるとかで」
「仕事、というと?」
「うーんと、マイヤにもよくはわからなかったですけど……花街? 色街? そういう名前の地域があって、そういう趣味の人もいるとか何とか」
ろくでもねえな、とリーン様は苦虫をかみつぶした表情で舌打ちされました。
マイヤはまた何か、良くないことを口走ってしまったのでしょうか?
「でも、結局その前に解放されたんだな?」
「は、はい……」
少し気圧されつつ、マイヤは答えます。
マイヤたち『商品』は街の外の小さな天幕に押し込められていました。
商談がまとまり明日には引き渡されるというところで、なぜか多くの兵士さんが乗り込んできて、大混乱になって、わけもわからないまま連れ出されて……
「そして、マイヤはあの夜、路地裏でリーン様に出会いました」
話すべきことは、もうそれほど残っていません。
人買いさんが捕まった後、マイヤたちは一人一人兵士さんやレオ様に事情を聞かれました。
そしてマイヤはメイド服と日用品を与えられ、リーン様のもとに行くことを許されました。
「お屋敷に着いて、だんな様が倒れておられるのを見つけて……後はご存じの通りです」
「なるほど、な。――お前がここに来るのを許可した理由について、レオの奴は何か言ってたか?」
「えっと――」
思い出しつつ、できるだけ正確にお答えします。
「確か――『その屋敷で彼、リーンハルトは一人暮らしをしている。生活力皆無の欠陥人間だから、助けになってあげるといい』と……いえその、マイヤではなく、これをおっしゃったのはレオ様ですけど」
「……わかってる」
むすっとした顔でリーン様はおっしゃいました。
「あの、レオ様とはご友人なのです?」
「ただの知人だ。あんなのと友人でたまるかよ」
「はあ……」
その割には、お互いやりとりに遠慮がないように見受けられます。
何となくうらやましいなと思ったのですけど。
「んで、要するに、お前はたった一度助けられただけで、どこの誰ともわからない男に仕えることにしたわけか」
「はい! だんな様にお仕えすることが、マイヤの生きる意味ですので!」
マイヤは即答しました。
これについては、その正しさを確信しているのです。
「マイヤは前のお家からいらないと言われ、ゴミクズのように捨てられた身です。でも、だんな様はそんなマイヤを『助ける価値があるもの』と扱ってくださいました。ですから、この命をだんな様のお役に立てたいと思うのです」
それがマイヤの心からの願い。
人買いさんたちに連れられて街から街へと巡る間に、世の中の様々な『だんな様』たちのお話を耳にしました。
中には厳しい方もおられるようです。
過酷な罰を与える、ブラウヒッチ家の大だんな様のような方。
さらに個人的な楽しみで獣人を責め苛んだり、狩猟の獲物とするような方。
あとは――リョウジョクだとかナグサミモノだとか、そういう扱いをされる場合もあると聞きました。
その言葉の意味はよくわかりませんでしたが、とても辛いことであるようです。
ですから、マイヤはこのお屋敷を訪ねリーン様とお会いする前に、すべて受け止める覚悟を固めていました。
自分にしていただいたことを思えば、どんな扱いをされても不満はありません。
もちろん、街で『人食いの館』なんてうわさ話を聞いたときも、まったく恐くありませんでした。
「その、正直なところ、マイヤは兵士として失格なうえ、お料理もお掃除お洗濯なんかも、上手ではないのですが……」
これは卑屈になっているわけではなく、混じりけなしの事実です。
ええ、残念なことに。
「こんなマイヤでもお役に立てるとしたら、それはもう、この体や命そのものを捧げる種類のお役目しかないのかな、と」
「で、食われてもいい、なんて言葉があっさり出てきたわけだ」
リーン様は納得しつつもどこか呆れるような表情です。
「それでいいのかよ、お前」
「もちろん、死にたいというわけではないのです、けど――」
見習い兵時代のことを思い出します。
我らの任務は命を惜しまず竜に立ち向かうことであり、『死ね』という命令すら喜んで受け入れること。それが獣人の誇りでもある。
――マイヤはそう教わりました。
つまるところ、あらゆるものには優先順位があるのです。
兵が命よりも任務や責務を大切にしなければならないように。
「だんな様のご命令やご意志はマイヤの命より優先されるべきですし、マイヤの価値を考えると、そのくらいの覚悟でなければお役に立てないのではないかと思うのです。なので、その、だんな様の行いについて思うのです、けど……」
少し迷いましたが、やはり言うべきだと感じました。
マイヤは勇気を出してその言葉を口にします。
「マイヤのような使い潰されるべきゴミクズが大切にされるのは、あまり正しいことではない気がしている……です」
決して優しくされるのが嫌だというわけではありません。
むしろ嬉しいのです。
今のマイヤは、リーン様が見た目よりずっと親切な方であることを知ってます。
ことあるごとに胸がドキドキして、忠誠心が高まるのを感じます。
――でも。
「だんな様が何かの理由で遠慮されているのだとしたら、それは悲しいことです。ちゃんと、一つの道具として使っていただけるのであれば、あるいは使い捨てにしていただけるのであれば、マイヤはその方が嬉しいのですよ?」
それがマイヤのような獣人の、あるべき姿。
『望まれるのであれば、だんな様に食べられて死んでも構わない』。
その想いは、変わらないのですから。
「…………」
しばらく沈黙したのち、リーン様は重いため息をつきました。
「それがお前の在り方、ってわけか。――ああ、そういや昔、レオの奴は『物語と役柄』とか言ってたっけな。こういうことかよ、くそったれ」
何のことをおっしゃっているのかわからず、マイヤは少し戸惑います。
きっかけはマイヤの言葉なのでしょうけど――目の前のマイヤにではなく、他の誰か、あるいは何かに腹を立てておられるようにも見えました。
……おわびした方がいいのでしょうか?
しかし、マイヤがうろたえているうちに、リーン様はガシガシと髪を掻き回し、再び口を開きました。
「――ひとまず新しい働き口を探すのはナシだ。最初の予定通り、レオと話がつくまでお前は俺のところで預かる」
驚きと喜びに目を見張る間もなく、リーン様の言葉は続きます。
「で、お前の望み通り、一つ役目を与えることにする。ちょっと厳しいぞ」
「は、はい!」
返事して、心の中で身構えます。さあ、どんなお役目でしょうか!
「――うちにいる間、これから毎日二人分の飯を作れ」
「は……い?」
ご飯を作るというと……つまり、今さっきやったようなお仕事ですか?
苦痛や危険が伴うものを想像していたので、少しばかり拍子抜けしたかもしれません、です。
「どこが厳しいのか、って顔してるな」
「え? は、いえ、マイヤは、そんな……」
「難易度は高えぞ。まずお前は料理が下手だ。手際も悪い。苦労するだろう」
それは、まあ……はい。
「責任も重大。途中での命令放棄は認めない。継続して飯を与えられないと、俺は餓死するしな」
「餓死……」
そういえば、レオ様がおっしゃっていたですね。
リーン様は『生活力皆無の欠陥人間』だって。
「なので――お前はこの仕事を任されている間、命を捨ててはいけない。命を捨てることを考えてもいけない。いいな?」
そして言うべきことは全部言ったというように、リーン様はお皿に残っていたスープを再び口に運び始めました。
「…………」
マイヤは目を瞬かせ、そしてリーン様の言葉を頭の中で繰り返しました。
理解はできた……と思います、です。
確かにマイヤが死んでしまっては、リーン様のお食事は作れません。
そうなると、リーン様も死んでしまうかも。
うん……それは、いけないですね。
お仕えし続けるためには、リーン様もマイヤも生き続けていなければなりません。
命をささげられるのは、一生のうちで一度だけ。
生きてできるお仕事があるのなら――焦る必要はないのでしょうか。
「わかりました、です。マイヤは命を捨てずに、だんな様のご飯を作り――」
と、そのとき。
ザリッという音とともに、リーン様がぴたりと動きを止めました。
そして、みるみる渋面になります。
おそらくは本日一番の不機嫌顔です。
「あ、あの、だんな様……? どうかなさったです?」
「……クソでっかい、岩塩の塊、が」
あ、とマイヤは口を開け、身を縮めます。
リーン様は早足で水場に向かい、口の中をゆすぐとマイヤに向き直りました。
「命令を訂正すんぞ。命を捨てる必要はない、が――命を賭ける覚悟で料理の腕を上げろ」
「はい。すみません、です……」
マイヤは肩を落とします。
失敗しました。
怒られました。
反省しなければいけません。
……でも。
なぜか、同時に自分の口元がほころぶのを感じていました。
いえ、おかしかったわけではないのです。
嬉しいとか楽しいとかいうのとも、微妙に違うような気がします。
自分でもうまく説明できないのですけど……例えていうなら、荷物を下ろして肩が軽くなり、少しほっとしたような。
あるいは暗闇で迷ったとき、一歩目を踏み出すべき方向が不意に理解できたような――
不思議な気持ちでした。
それはマイヤの中で何かが――ものの見え方や感じ方につながる何かが、ほんのちょっとだけ変わった瞬間だったのかもしれません。
エピソード「マイヤ、だんな様のお役に立ちますです!」了。
一区切り。
次回は「犬耳娘を連れて街に出た(1)」です。




