第14話 イデウス様に棲みつく発情魔よ去るがいい
私はパリボンさんと一緒にイデウス様のお部屋の前まできました。
お昼だというのにイデウス様がまだ起きてこられないから様子を見にきたのです。
その時からです。
イデウス様の感じが変わったのは。
いつもどおりなのにイデウス様はわざわざパリボンさんにお尋ねになりました。
「誰かいるのですか」
「いつもと一緒でミリヤですよ」
お辞儀をした私をイデウス様はなめるように見ました。
いつの間にか鳥肌がたってました。
私はは奴隷の身分で、色々苦労を重ね、病にかかり死にかけていました。
それをイデウス様が治癒魔法で治してくださり、しかも教会に引き取ってくださいました。
だから今の私があるのです。
それなのにイデウス様に対し鳥肌がたつなんて。
そんな自分が許せませんでした。
しかし私の肌が反応したとおりイデウス様は急に様子がおかしくなりました。
食事の時に吐き気を催したり。
たいした理由もなく町に行ったり。今まではなるべく行かずに済ませようとしていましたのに。
おまけに帰ってきたらニンニクの臭いをプンプンさせて。
でも絶対変だと思ったのはマニナの教えに反する言葉を平気で口に出したことです。
『前世』『転生』『魔法陣』『魔石』という言葉を。
思い出したくもありません。
煙の臭いの時もそうでした。
イデウス様の部屋から出ていた火を消し、煙を外に逃がしたら床に描いてあった紋様に気付いたのです。
それは見たこともない紋様。
おまけに剣が落ちていて、床が血だらけで。
多分他の人は悪魔の儀式の類だと思ったでしょう。
でもなんとなくですが私にはわかりました。
イデウス様は治癒術の練習のため御自分の体に傷をつけてらしたのだと。
パリボンさんしか知らないことですが私には何かが視え、聞こえることがあるのです。
パリボンさんの話によれば、どうやら巫女の素質があるみたいですが、それが都に知られると不幸な目に合う可能性が高いとのことです。
私の外見が問題だそうで、『偉い人は好色が多いから』内緒にしていた方がいいでしょうとのことです。
視えるモノ、聞こえるモノが私に同じような警告をしています。
それとマニナ教の上層部が絶対的権威となっているのも問題です。
マニナ教は大変戒律が厳しいです。
私も徹底して言葉遣いを直されました。
教会に来るまでは語尾に『ニャー』とつけて喋っていましたがなんとかその癖も取れ、正しいサンテ語を話せるようになりました。
ちょっと脱線しました。
そう、厳しいだけならまだ耐えられるのですが、実際のところ今のマニナ教は経典ではなく幹部の意向で動いているのが問題なのです。
ですから少しでも意に添わなかったり都合が悪いものは神の名の下で排除されるのです。
目立つと幹部の愛人にされたり、魔女扱いされるかもしれません。
それはごめんです。
町で治療をしている時にイデウス様には大きな異変が起きました。
彼は多分名誉を挽回したいという意気込みがあったのでしょう。
今までになく全力で朗らかに治癒していました。
それでも普段のイデウス様ほどの力はなかったですが。
そして段々調子に乗ってきたような感じも受けました。いい意味ではなく。
相変わらず私に対する視線にはいかがわしさが含まれていました。
であの事件が起きました。
今までまったく話せなかったミシュ大陸語を流暢に喋ったのです。
それで町外れの広場にて悪魔祓いの儀式が執り行われました。
パリボンさんはイデウス様から悪魔を追い出そうと必死です。
イデウス様も苦しんでます。
しかし視えるモノ、聞こえるモノが私に教えてくれるには、イデウス様がおかしくなった原因は悪魔ではないとのことです。
イデウス様がこうなった原因は善でも悪でもない存在だそうです。
そしてイデウス様をその苦しみから解放するのは私だと。
その解放のやり方は恐ろしいものです。
これしか方法はないのでしょうか。
私以外の誰か他の人じゃできないのでしょうか。
パリボンさんが私を見つけ、駆け寄ってきました。
「おう、ミリヤ、どこへ行ってました? ハッもしかして何か視えたとか」
私は視えたモノを伝えるのがこれまでになく辛く感じられました。
「もう元のイデウス様には戻らないような気がします」
「そのように視えたのですか」
パリボンさんはつい大きな声を出していました。
まだはっきり決まったわけではありません。これからの私の行動で好転する可能性もあるはずです。
「いいえ、そうではありませんが。ここからイデウス様が逃げ出すのがわかります」
「なんと。では兵士たちに伝えましょう」
「いいえパリボンさん。なぜか私がイデウス様に関わらなければならないみたいなのです」
「それは光栄なことではないですか」
パリボンさんは何も知らないから……。
「いいえ辛い、悲しいことのような気がします。でもそういうさだめのようです。逃れられません」
私はこれから起こることを思い目を伏せたのでした。
そして自然に足が町中に向いてました。
気がつくと視えるモノが教えてくれた場所と同じ風景のところに立っていました。
騒がしくなってきて、そのうち足音が近づいてきました。
あっイデウス様!
私はイデウス様の手を掴みここから逃げなければなりません。
「こちらへ来てください」
やはりいつものイデウス様と様子が違います。
こんな緊迫した状況なのに危機感を感じてないようです。
それどころかなぜかこの方はニヤニヤ浮かれてます。
「イデウス様大丈夫ですか」
私がイデウス様を心配そうに覗き込むと無言の笑顔で返してきました。
もしかしたら別世界にいるのでしょうか。
と思ったら変な声で笑い出しました。
「イデウス様! イデウス様! お気を確かに」
今回の視えるモノ聞こえるモノのお告げは間違っているのではないか、と疑いが芽吹きました。
イデウス様をおかしくしているのは善でも悪でもない存在ということでしたが、目の前にいるのはまさに狂気です。
「うん、大丈夫。君を後悔させたりしないよ」
イデウス様は脈絡のないことをキリッと宣言しました。
私にもこの先具体的にはどうしたらいいかわかりません。
そういうことは何も示されてないのです。
気がつけばいつの間にか人里離れた山の麓あたりまできていました。
「イデウス様取りあえずここまで来れば大丈夫です」
「うん、しかしこんなところでいいのか。どこか小屋はないのか」
どういう意味でしょう。
通りがかった猟師などに偶然見つかるからどこか屋内に隠れようということでしょうか。
「そうですね、ここだと人に気付かれますし」
ああ気持ち悪い。またニヤニヤしてます。
「廃墟となっている小屋とかがあればいいんですけど」
なんかおかしい気がします。
なんでしょうね。意味を取り違えているような。
「あれはどうだ!」
イデウス様が見つけてくださった小屋には寝床が一組だけありました。
それを見たイデウス様は嬉しそうです。
えっ残念なのではなく?
「ちょっと疲れた、横になって休もうか」
そうですね。お疲れになったでしょうから。
「イデウス様どうぞお休みください。私は番をしてますので」
「いや人など来ぬはずだ。君も疲れたろう。また何があるかもしれないし、今のうち休んでおきなさい。いや一緒に休もう」
今のイデウス様だとそれは困ります。
「では治癒神慈法をお願いできますか。その方が休むより手っ取り早く回復できますので」
「うむ、ただ知ってのとおり治癒術をしようにも一昨日ぐらいから本調子ではないのだ。おまけに先ほどまで囚われていて拷問を受けていたから自分に治癒術をかけようにもその力が残ってないんだ」
言い訳にしか聞こえません。
「ではどうぞお休みになられてください」
「ミリヤ、君を残して私だけ休むなんてできない。二人でこの寝床に横になればいいではないか」
はっきり言わなければわからないのでしょうか。
「そんな! イデウス様と二人きりなんて恥ずかしいです。何も変なことなさいませんか」
思い切って言ってしまいました。
「しようと思っているよ。君のためにも。その方が安心できるだろ」
この人おつむがイカレテます。
「えっ何をおっしゃってるのかわかりません」
「私への気持ち、隠さなくてもいいんだから」
少なくとも今のイデウス様モドキなど眼中にございません。
「いいえ隠してなど」
「君のために一肌脱いであげようと思ってるんだよ」
と言いながらイデウス様は脱ぎ始めました。
なぜ勝手に脱ぐのでしょう。
「どうしてそうなるんですか」
「ミリヤ、命懸けで私を助けてくれた君の想い。ちゃんと受け止めたよ。私と結ばれることは君が望んでいることじゃないか」
私は心の中で大きくため息をついた。
「とんでもなく思い違いをされてますね」
「じゃあ私と結ばれなくてもいいんだね」
何を己惚れているのでしょう。
本物のイデウス様とは大違いです。
「当たり前です。我々神に仕える者はすべからく俗世のことなど捨てなければなりません」
「それは建前でしょ。裏で色々やってる人も多いんだよ」
「はい、知ってます。ですがイデウス様の教会にはそういう輩はおりません」
「わかった。添い寝するだけにしよ。お互いのこと話してもっとわかりあわなければ」
目の前の敵はなし崩し的に既成事実を作るつもりのようです。
「本当にそれだけですか」
「本当だってば」
やはり確かめなければ。
しかし彼の鼻に変わりはないようです。
「わかりました。信じていいんですね」
「聖なるイデウスを信用してくれ」
嘘くさいですね。
「わかりました。そこまで言うなら」
「ねえ、ミリヤ鼻が高くなってない」
そうだ。今疑っていながら納得したふりをしてしまいました。
そのせいでしょう。
「えっえっえっそんなはずはないです」
しまった。また伸びるかもしれません。
「不思議だね。でも高い鼻も似合うよ。カワイコちゃんから美人さんになったね」
何を言ってるのでしょう。えっ?
「もしかして鼻が伸びること、知らないんですか」
「なんのことだい」
やはりイデウス様の中を占領している存在は『嘘をつくと鼻が伸びる』ということを知らないようです。
「ううん、気にしなくていいんです」
「そっかあ」
と言いながら彼は私の体を撫でまわしました。
「いけません」
「いいじゃないか」
そう言いながら私の尻尾を軽く握りました。
イヤー! そこは弱いんです。
「やめてください」
と私は言いながら彼の鼻を見つめました。
全然変わってないようです。
さっきの言葉と反対の行動を取っているのになぜ彼の鼻は伸びないのでしょう。
怖くなりました。
思わずその気持ちが声に出ました。
「どういうことなの。怖い」
「? 怖がらなくてもいいんだよ」
彼はは服の上から胸を触りました。
完全にアウトのはずです。
だのに鼻が伸びてない。
位の高い一部の悪魔を除くと、大抵の悪魔でさえ嘘をつくと鼻が伸びるという言い伝えがあるぐらいです。
いいえ確かな文献もありました。
「ははは鼻が伸びてない」
目の前の存在に恐れおののき私はは吃ったような怖がったような声を出しました。
「ああん? 鼻の下は伸びてるかもね」
「普通の人ならば嘘をつくと鼻が伸びるのよ。知らなかったの? あなた本当に悪魔じゃないの?」
つい興奮してきつい言い方になりました。
図星だったのか彼は動揺しているように見えました。
でもそれは間違いでした。
彼は発情していたのです。
ハァハァと息をしながら力づくで私の唇を奪いました。
「大丈夫、大切にするから。信じていいんだよ」
ああどこまで狂っているのでしょう。
もしかすると女心がわからないだけかも、とも思いましたが気のせいでしょう。
私を汚した得体のしれない存在よ、思い知るがいい。
「イデウス様!今悪魔から解放して差し上げます。成敗!!!!」
隠し持っていた針で心臓を突き刺した。