第12話 パリボンはイデウスを怪しむようになった
こんな時間になってもイデウス様は起きてこない。
司祭補佐である私パリボンは心配になり二階に上がりイデウス様の部屋をノックした。 トン、トントン。
そして声をかけた。
「イデウス様大丈夫でございますか」
「なんか用か」
乱暴にドアが開いた。
いつもと違い、イデウス様がイラッとしているように思えた。
長くお側にお仕えしているがこんなイデウス様を見るのは初めてだ。
怪訝な様子で私を見ている。
「イデウス様何かございましたか。いつもより荒々しい気が」
「人が熟睡している時に起こすからだ。いや起こすからですよ」
「あら、いつもは外が薄明るいうちにもう起きられますのに。もうお日様が真上に来ようとしておりますのに起きてこられませんので、どうかなさったのかと」
「心配しすぎですよ」
「昨日のこともございますし」
そう昨日倒れてから様子がおかしい。
「河川の増水を防ぐことを徹夜で考えてたんです」
「さようでしたか」
イデウス様は今差し迫った河川の工事など抱えてないはずだ。
イデウス様は私の後ろに目をやっておかしなことを聞いてきた。
「誰かいるのですか」
「いつもと一緒でミリヤですよ」
何を今更、私に付いてくるのはいつもミリヤでしょうに。
ミリヤが顔を覗かせてぺこりと頭を下げたのがわかった。
イデウス様がそんなミリヤの方をじっと見ていた。
その目線にはスケベな念が込められているようだ。
イデウス様にこんな一面があったなんて。
俗世的な、男女のむつみごとなどまったく関心のない方とばかり思っていたのに。
「イデウス様、今日はなんだかおかしいですよ」
私はは思わず不審者を咎めるような疑いの目で見てしまった。
ミリヤも恥ずかしそうに下を向いていた。
「ハッ、ああ食事の時間になったら呼んでくれ」
イデウス様は夢から覚めたような声をあげ、また雑な言葉を使った。
いつもなら『呼んでくれ』じゃなくて『呼んでくださいませんか』と言うのに。
食事の時もおかしかった。
物が食べられるだけで幸せだというお方なのにテーブルに並んだ料理をキョロキョロ見ている。
いつも手早く食べてしまわれるのに、他人が食べる様子を伺っている。
スープに手をつける前に息を止めた。
確かにイデウス様はなぜだか息を止めた。
そして口にスプーンを入れた途端、口を手で押さえ外へ飛び出した。
しばらくしてイデウス様はテーブルに戻ると、悪いことをした子供のような顔をして皆を見、何も尋ねないのに応えた。
「大丈夫です。頭を使いすぎて体がついていかなくなったようなので、少し町を散策します」
珍しいこともある。 散歩するのはいつもこの近辺なのに。
町に行くと人々が敬ってくれるから申し訳ないといって治癒以外では行きたがらないのにどうしたのだろう。
「誰かつけましょうか」
「独りにさせてください。治水工事に関するいい考えが浮かぶかも。買い物もあるんで……」
買い物? いつも誰かにお願いするお方が。
皆違和感を感じたのだろう。
誰も反応しなかった。
「少し都合はつきませんか」
イデウス様は少し声色を強くした。
お金のことだ。
まあ間違ったことを言っているわけではない。
「もちろんここはイデウス様の私財で建てたものですから、問題ありません。今までこういうことがなかったので戸惑ってしまいました」
「そりゃ悪かったですね」
イデウス様は気分を害されておられる!
「とんでもございません」
私 は、勢いよく謝罪した。
「話は変わりますが…… ところで前世とか転生とかいう言葉を聞いたことあります?」
イデウス様はとんでもないことを言い出した。
「何を言い出すおつもりですか。それらの言葉はマニナ教にとって最初に学ぶ禁句ではないですか」
思わず詰め寄ってしまったが、もちろん司祭というお立場なら重々おわかりのことだ。
「いやいや、そうなんですが以前そういう言葉を口に出した患者さんを思い出してしまったのでね。ハハハハッ」
イデウス様は慌てた様子で言い訳をした。
目が泳いでいる。作り話?
でも鼻が伸びない。
初めて聞いた話だが本当なのかもしれない。
「司祭様は昨日から少し様子がおかしいです」
テーブルの端にに座っていた猫耳のミリヤが涙を浮かべていた。
私はそんなミリヤをやんわりとたしなめた。
「ミリヤあなたのことだからイデウス様を心の底から心配しているというのはよくわかります。でもイデウス様はここの主で在られるんですよ。あまり失礼なことを言うもんじゃありません」
「いえ私のことを思っての、ミリヤの気持ちはありがたいです」
イデウス様はいつもの感じのお言葉に戻った。
しかしその中にミリヤへの媚を私は感じてしまった。
「やはりいつもどおりの寛容なイデウス様ですね」
副司祭の男性が安心したような表情でまとめてその場は収まった。
散策と買い物に行くと言って町へ出かけたイデウス様が戻られた。
ほとんどの者がテーブルにて食事を取っているところへ入ってきた。
「お帰りなさいませ。先に頂いておりました。イデウス様もすぐ夕飯になさいますか」
「町で軽く食べてきたんで今はやめておきます。後から頂くつもりですので」
軽く食べてきた? ニンニクの臭いがプンプンする。
これほど臭うのはしっかり食べたからに違いない。
しかしそれには気づかないふりをしよう。
「そうでございますか。そうそう今日はどんな時も携帯している『聖なる印』と『導きの杖』をお忘れでしたね」
「ああ? 魔法陣と魔石の杖のことですね。あれを忘れたから今日は苦労しました。だいぶ魔力を消費したかもしれません」
イデウス様はどうなさったのでしょう。
看過できないことをまた発言なさって。
当たり前だが皆シーンとしてしまい青い顔をしている。
イデウス様の顔も引き攣ったようにみえた、ということは少なくとも確信犯ではないということ。
私は厳しい口調になった。
うっかりの発言だとしてもここで厳しく小言を言わないと示しがつかない。
「いくらイデウス様でもおふざけを見逃すわけには参りません。魔という言葉はこの世にはございません。何か罰を……。そうですね今日のイデウス様の分の夕食は残しません。明日の朝食も抜きでお願いします」
イデウス様は残念がったふりをした。
「ええええ、それはひどすぎますよぉ」
しかし彼の鼻は伸びない。
本当に残念と思っているのか。
それにしても軽薄な言い方だ。
聖なると称されるお方にはふさわしくない。
「イデウス様は普段そんな言い方なさりませんのに。本当にどうかなさったのですか」
「部屋に戻って反省します」
「明日からは神慈治療を再開してもらいますので、今日みたいに寝坊しないようにくれぐれもお願いします」
私は明日のことについて念を押した。
買い物はどうしたのだろう。
渡したお金のお釣りはどうしたのだろうと思ったが追及ばかりするのもなんなんでやめておいた。
体を揺らされた。?
私は熟睡しているところをミリヤに起こされた。
イデウス様のことで気疲れしたから寝坊したのだろうか。
しかし表を見ると明るくなりはじめたばかりだった。
なぜ早く起すのだとミリヤを見ると
「二階から燃えてるような臭いがします」
と彼女に言われた。
彼女の嗅覚はとても秀れている。
私は慌てて皆を起し二階に向かった。
ミリヤはイデウス様の部屋の前に立ち私を振り返った。
焦げ臭い。私にもわかる。
間違いなくイデウス様の部屋から臭ってくる。
ドンドンドン
ドアを叩いて返事を待たずそのままドアを開けた。
起きたばかりだろう、腫れぼったい目をしたイデウス様は死んだような、青ざめた表情をしていた。
呆然としているイデウス様を尻目に皆で協力して火を鎮め、煙を外に逃がした。
すると見たこともない『聖なる印』が床に描かれているのに気付いた。
しかも床には部屋にあるはずのない剣が落ちており、おまけにあちこちに血がついていた。
これは最早神の導きによる神慈法ではなく、悪魔に関連する行為に違いない。
ということはあの紋様は『聖なる印』ではなく、思いたくもないが『魔法陣』だ。ええい、忌々しい。
そして火の気のないところが燃えていたということは火に関する魔術か。
火を扱うのは悪魔に近い存在だ。
マニナ教ではそう教えられる。
イデウス様には悪魔が取り憑いてしまったのか。
私は悩んだが町の治安部隊へ待機してもらうことに決めた。
聖教最高指導師のダンクンを呼ぶことも考えたがあの者の助けを借りると後が恐ろしいことになるのでやめた。
私たちはイデウス様を避けた。
そして皆押しなべて黙り込んでいた。
それはそうだろう。
お慕いするイデウス様に悪魔が取り憑いている可能性もあるのだから。
治療をしに町へ向かう道中、馬車の中でも誰も話す者はなく沈んだままだった。
私も一切イデウス様の方を向かないようにした。
イデウス様の治癒術はいつもとは違い、患者への効果が弱かった。
しかし懸命に務めていた。
今日のイデウス様は何より日頃の穏やかだが静かな佇まいに比べ朗らかな雰囲気だった。
患者も我々も自然笑顔が増えた。
ああやはりイデウス様には悪魔が取り憑く隙などない。
私の勘違いだったと思った。
ただ聖人たる雰囲気はなくなり俗物的な要素が多々あった。
ミリヤへの視線がおかしい。
比較的美しい患者へ接する時間が長い。
そして触れようとする。
まあ汗だらけになりながら詠唱しているので大目にみようと思った。
だがついに露見したのだ。
彼が今までのイデウス様とは違うということがはっきりわかった。
それはある患者の番になった時のことだった。
診られるのはまだ二十才ぐらいのそれはそれは美しい女性だ。
しかしながら目を患い、不自由をしていた。
はるばるミシュ大陸から海を渡りここまで来たのだった。
豊かな胸を強調した服を着ていた。
彼はそこにばかり目がいっていた。
私は万が一を考え見張っていた。
真剣な顔立ちで唱えていた呪文の音が止んだ。
彼が患者の胸を触るなどといういかがわしい行為がなく治療は終わったようだ。
私は胸を撫でおろした。
ミリヤが綺麗な女性の包帯を外した。
何か言葉を発しながら彼女は涙を流し始めた。
お礼でも言っているのだろうか。
彼の表情は緩んでいた。
まるで言葉がわかるかのように。
美しいその患者が彼を見つめた。
何か彼に向かい長ったらしいことを言った。
言われても彼にはわからないのに。
驚いたことに彼は返事をしたのだ。
なんと言っているかはわからなかったが流暢なミシュ大陸語だということはわかった。
急いでその場を離れ待機してもらっていた治安兵を招いた。
私は迷わなかった。
「イデウス様、貴方を逮捕します」
呼び捨てにしたいぐらいだったが長年慕っていた者を急に呼び捨てになどできない。
それに悪魔祓いが成功する可能性もあるし。
「いくらなんでもそれはおおげさなのでは。来世って言ったのは悪かったけど、ただ求婚を断って相手が落ち込まないよう気を使ったのです」
悪魔なのに彼は間抜けだった。
「ふふふっ、まだ気づいてないようですね。さっきの女性とイデウス様は『ミシュ大陸語』で会話をされてました」
「えっ…… ああそうかも」
「なぜミシュ大陸語が喋れるんですか」
「そそそれは習ったから」
慌てふためく様子がおかしい。
「いつどこで」
「貴女が知らない頃です」
「いいえ、イデウス様はミシュ語を学んだこともない。ミシュ大陸に渡ったこともない。今までミシュ語を話す数々の者と会ってきた貴方はまったく話せなかったはず。必要な時は通訳をつけてました」
「いやあああああ、そそそそれは」
どうだ、言い逃れできまい。
町の外れにある広場で私は力の限り悪魔に鞭打った。
イデウス様に取り憑いた悪魔が憎かった。
悪魔は意外と脆かった。
か弱い女である私の鞭ぐらいで気絶してしまった。
騙されてはならない。
これは演技かもしれない。
私が悪魔を追い出し、イデウス様を救うのだ。
そう思うと力がみなぎる。
この行為に喜びを感じ、笑顔になっているのが自分でもわかった。
「クソばばあ」
まだ悪魔は元気らしい。
イデウス様がそんな汚らわしい言葉を使うことはないのだから。
悪魔は言ってすぐ悔いるような顔をした。
悪魔が悔いているということはイデウス様の解放も間もなくか。
「誤解しないでください。今のは私自身のことなんですよ」
意味不明な弁明をした。
論理が破綻していて悪魔らしいともいえるが。
私は先ほどより激しく鞭を振るった。
「シニダグナイジョー」
ついに悪魔は変な言葉を口走った。
まったく聞いたことのない音声だった。
この世の言葉とは思えない。
呪いの呪文なのか断末魔の叫びなのか。
何か起こるかもと思い私はピタッと鞭を持っていた手を止めた。
そこへ何やら遣いの者が来た。
仕方なく悪魔祓いは中断しその者と話した。
どこから嗅ぎつけたのかあの忌まわしいダンクンがもうすぐここに来るということだった。
私は残念だった。
中断しなければ今頃悪魔をイデウス様の体からあぶり出せたかもしれないのに。
イデウス様どうかご無事でと私は願い何度も振り返りながら立ち去った。
もう少しここで様子を見たい。
がダンクンの姿が目に入るのだけは我慢ならない。
それほどダンクソが大嫌いだった。
失礼ダンクソではなくダンクンが。
私はミリヤを探した。
彼女は稀に不思議な力を発揮する。
こういう時役立つことがあるのだ。
「おう、ミリヤ、どこへ行ってました? ハッもしかして何か視えたとか」
ミリヤは悲しそうな顔をしていた。
「もう元のイデウス様には戻らないような気がします」
「そのように視えたのですか」
私はつい大きな声を出していた。
「いいえ、そうではありませんが。ここからイデウス様が逃げ出すのがわかります」
「なんと。では兵士たちに伝えましょう」
「いいえパリボンさん。なぜか私がイデウス様に関わらなければならないみたいなのです」
「それは光栄なことではないですか」
私ではなくミリヤがイデウス様を救うのだろうか。
「いいえ辛い、悲しいことのような気がします。でもそういうさだめのようです。逃れられません」
そう言ってミリヤは目を伏せた。