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第7話

 病院を出る。

 腕時計を見たら、午後三時半。

 陽射しもまぁまぁ弱くなってる。でも日傘は差す。

 前を歩く二人の兄妹は、三百五十万円を守ることに必死みたい。めっちゃキリッとした顔で歩いてるもん。

 あたしは日傘を少し上げて、零月さんの横顔を見上げた。そんなに身長変わらんけど、なんか隣を歩いてるのが不思議で、見上げてしまう。

「ねぇ、零月さん」

 歩きながら、呼ぶ。名前を呼べることの、不思議。

「何だ?」

 零月さんは前を向いたまま、機械的に返す。

 あたしは、伝えた。

「あたし、零月さんが好きです。零月さんの顔が、大好きです。ですから、勝手に死なれて、ただでさえ白い顔が真っ白になるのは嫌なんです。……死なないでくださいね。ちゃんと、喰べてくださいね?」

 ほんとは零月さんの性格が好きなんだけど、そんなことまじめに言ったって「おまえバカだろう」って鼻で笑われそうなので、容姿を褒めておく。実際それがきっかけだったんだから、あながち嘘でもない。

「ふん、おまえに従う義理はないな」

「いいえ、ありますよ。零月さんは今日あたしのココロを喰べていい思いをしたんですから、少しくらいは従ってもらいます」

 予想どおりの味って言ってはったし。それってつまり、おもしろい味ってことなんやろ? 退屈凌ぎにはちょうどええ味なんやろ?

「俺はエサに配慮しない。残念だったな、おまえの恋は実らない」

 零月さんは前を向いたまま。

 踏んだ小枝ほどにも感じないあたしに向かって、分不相応だとあしらう。

 あたしは大きく頷いた。日傘が、上下に揺れる。

「えぇ、本当に残念ですよ。あたしはそんなふうに拒絶されても、へこたれない性格なんです」

 沈黙。

 車が、左わきを通る。この近辺で初めて見たぞ、通行中の車。

「正気か?」

「えぇ。だって、自分で決めたことですから、生き餌になるっていうのは」

 目を伏せて、一つの結論を出す。

「好きじゃなきゃ、自分の持ち物(ココロ)分けるなんてできませんよ。あたし、好きでもない奴に何かを分けれるほど、ココロ広くないんです」

 大好きだ。

 零月さんが、大好きだ。

 いくら分けても、減らないほどに。

「これは、ちゃんと零月さんの話を聞いて、理解して、納得した選択です。自分で決めたことですからね、そう簡単に『やめた!』なんて言いませんよ」

 体が震えても。

 傍にいると決めた。

 それはあたしのココロ。

 あたしの選択。

 だから、二度と迷わない。

 自分の選択に、自信と責任と誇りを持つ。

 それが、あたしの結論。

「おまえ、いつかバカバカしい死因で死ぬぜ」

「あら、人はいつだって死と隣り合わせですよ? たとえば車が歩道に突っ込んできて轢死する。電車が風に煽られて川に転覆する、溺死する。あるいはトンネルが崩落して閉じ込められる、圧死する。泥棒が盗みを働いてるときに帰宅して、パニクッた犯人に殺される。ほら、数え上げればキリがない。

 生き餌になったからって、何かの危険が増したわけじゃありません。ただ、零月さんの手にかかって死ぬ可能性が大きいだけです。でもそれだって、一つの可能性にすぎません。たとえば明日喰い殺してやろうとあたしを呼びつけたとしますね? でも来る前に電車が事故に遭うかもしれません。電車はあたしが利用せざるを得ない乗り物ですから、零月さんに呼び出されてなくても帰るために利用してます。ほら、生き餌になっても喰い殺されて死ぬとは限らない。

 それにね、ほんとに死を恐れたら、生きることなんてできませんよ?」

 これがあたしの論理。傍にいるための、理由。

 受け容れてくれなくても、あたしは傍にいる。

 ここにいる。

 居たいから、居る。

 それがもしも、零月さんの喰べる――生きる理由になれたなら、そのときは、きっと。

 嬉しくて、泣くんだろう。

 お互い、相手に対してちゃんとした理由を持って、同じ場所に立って、同じ時間を過ごすんだから。

 それはきっと、とっても奇跡的なめぐり会いなんだから。

 何の感情も抱いてない教授やらクラスメートやらと過ごす時間よりも、きっとうんと何倍も大切な時間だから。そんな時間をいっしょに過ごせることは、それだけで不思議で、奇跡的。

 見えてきた、駅前通り。走る電車が、見える。あたしが乗ってきたやつと同じ電車。

 もうすぐ零月さんのお店。そういえば、あのお店って結局何なんだろ。年齢からすると、こーとさんが物件を確保したっぽいな。でも店長は零月さんだろうな。

「あたしはね、零月さん。心喰ってすごいと思うからここにいるんです。

 人間は必ず何かを殺すけれど、心喰はがんばれば誰も何も殺さずに何百年も生きられるから。いろんな人間のココロをちょっとずつ喰べて、何年も生きられるから。こんなにすごいことって、ないと思うんです」

 日傘を回しながら、言ってみる。

「たかだか数分間いっしょにいただけで、ものの分かったように言う。大したうぬぼれだな。喰らい尽くしてもいいんだぜ?」

 案の定、絶対的な地位と権利を振りかざして、生意気なことを言うなと脅迫。

「違うでしょ、零月さん。そう言うときは『いただきます』でしょ」

「どちらでも同じことだ」

 あっさり、切り捨て。

 喰べちゃえばみんなおんなじ。

 ごもっともな論理。

 でももうへこたれない。

「そうですけどね、『飾り』は大事なんですよ、人間の世界では。ぜひこの機会に覚えてください。――これからも、もっと生きるんでしょう?」

 回す日傘越しに見上げれば、零月さんは相変わらずの美貌で前を向き。

 なんだかそれが、嬉しくて。

 二人が今、ここにいる不思議。

 扉を開ければ、カランカランとベルの音。

 なんかもう、懐かしいって感じがする。適応しすぎだ、あたし。

 かのちゃんが関係者専用扉に走って行く。そういえば、ちょっと暗いような。

 日傘をたたんで見上げれば、灯のない電球が垂れ下がってた。

 その間にも、こーとさんはカウンターテーブルに三百五十万円をぽんと置いて、関係者専用扉へ。ドアノブをひねって、振り向く。

「ゼロ、そこに置いときましたから。――花音、ちゃんと椅子に上ってスイッチを押しなさい」

 こーとさんが扉を閉めた瞬間。

 何かが崩れ落ちるような、雪崩が起きたような音が聞こえてきた。たぶん、ダンボールが落ちた音。扉の奥から、「だから言ったでしょうっ!」と怒鳴り声が突き抜けてくる。

 意外や意外。

 こーとさんは怒るとかなり恐ろしい性格だったのですね。

 扉の奥からは、幼い頃にやられ、やった記憶のある、お尻ぺんぺんな音と、二度としませんという泣きながらの謝罪の声。

 かのちゃんとこーとさんが扉の奥に消えて、数十秒。

 電気が、点く。レモン色の光が、またたく。

「生き餌になるなら、一つ覚えておけ」

 ソファに向かいながら、零月さんは言った。兄妹のことに口出しするつもりは、ハナからないらしい。かのちゃん、ご愁傷様。

 あたしはというと、やっぱり兄妹のことは兄妹ですますべきかなーと見捨ててみたり。半分は、異種族のケンカが物珍しいから放っといただけだったり。だってあたしから見たら、心喰同士のいさかいなんて、野良猫のケンカと同じで、遠くから見てる分には楽しいんだもん。

 もったいぶった零月さんのセリフに、小走りで追いかける。

「はい?」

「この店は、『ココロを喰らって欲しいと思う者との接点』だ。そう思わない限り、単独でこの店を見つけることはできん」

 ソファの背に両腕を上げた、見慣れた怠けっぷりを披露したまま、零月さんはそう解説してくれた。

 あたしは、カウンターの椅子とソファセットの間に立ち、零月さんを見下ろす。

「はぁ。単独、ということは、心喰の誰かと一緒なら、ココロを喰べて欲しいと思わなくても入れるんですね。あたしみたいに」

「そうだ」

「でも、今日の昼はあたし一人でしたよ?」

 あたしの質問に、零月さんはめんどくさそうに目を伏せた。

「あらかじめ、おまえをこの店に呼んでいたからだ。約束を媒体として、店に着くようにしておいた」

「なるほど。そんな不思議なお店だから、いつも誰もいないんですね」

 見た目どおりの飲食店と違うんだから。そりゃいつ行っても客おらんわな。納得。

 店内を見回せば、今日もがらんとしてる。

 この店に誰も入ってくる気配がないってことは、今のところこの近辺には、ココロを重荷に思ってる人はおらんってことやね。それは幸せなことや。うん。

 と、一人で納得してたら、零月さんがソファから立ち上がった。

 ん? と思う間もなく。

 唐突、だった。

 気がついたら、あたしの頬に、ニット帽からはみ出た黒髪がくすぐり。

 その近さは、零月さんの鼓動が聞こえそうなくらい。

 本日三度目の、めっちゃ有り得ないシチュエーション。

 何かが腰に当たってる。

 うーん。んー。うー?

 見た目どおりの細い腕のくせに、なんで包容力はあるのか。ミラクルマジックにも程がある。

 抱き寄せられて、抱きしめられてる。

 左腕は腰で、右腕は頭に、こう、ねぇ、なんか、押さえつけられてるっていうか?

「……何ですかこれは?」

 まったく、十九の娘さんになんてことしてくれるんですかね、この美少年は。

 顔が熱くて仕方ない。

「他意はない。単なる口直しだ」

 頭を押さえつける零月さんの右手の感覚が、ある。あたしの髪を、巻き取るような指の感触が。

「あのですねぇ、純粋無垢な乙女をこの上もなくきつく思いっきり抱きしめといて『他意はない』とはどういうことですか?」

 せいいっぱいの、抗議。

 しかしそれすらも零月さんには無効のようで。

「やはりおもしろいあたまをしているな」

「ソレハドーモアリガトーゴザイマス」

 例によって棒読みで返したら、零月さんがニヤリと笑った。ような気配がした。

「――優しくはしてやれないからな」

 右手が、離れる。

 動けるようになったのに、あたしはなぜか、零月さんを見上げることができなかった。

「人間が人間にするような愛し方はしない。絶対にな」

 ゆっくりと見上げた零月さんの指に巻きつくは、チェリーレッドの想い(ココロ)。

 あたしの恋心。

 少しあたしから離れて、指を綺麗な形の口唇(くちびる)に。

 さながらリンゴ飴でも頬張るように、零月さんはそれを喰べた。

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