第5話
駅前通りを、零月さんと、あたしと、かのちゃんと、こーとさんの四人で、練り歩く。
貸しビデオ屋の前を通り、ハンバーガーショップの前を通り、左に曲がって英会話教室の前を通る。
例によって、零月さんの歩調は誰にも合わせる気がない速さ。
息が上がる。おまけに陽射しもきつくて、四月上旬なのに汗ばんでくる。くそぉ温暖化めぇ。
「ゼロォ、待ってぇ」
かのちゃんの悲鳴に、大いにシンパシーを感じる。
「うるさいぞ花音。おまえは俺の血族(かぞく)じゃない、知ったことか」
「零月さんは家族でも見捨てるタイプなんじゃないですか?」
喘ぐ声で言い返せば、「ふん」と鼻を鳴らす音が前から聞こえてくる。
どーでもいいですけどその真っ黒なジャージは暑くないんですか。少しも汗をかいてないのは精神力とかですか。俺はおまえたちとは格が違うんだぜ的な賜物ですか。
って、家族って何? 心喰も家族というか、そういう血の繋がりは大事にするもんなん?
「ひよりん、人間も『ニンゲン』っていう一つ括りができて、でも細かく分かれてるよね。日本人とかフランス人とか。んで、さらに個人を特定するために名前がある」
心を読んだのか、いや、バレたのか、かのちゃんが喘ぎながら説明を始めてくれた。
「うん」
「あたしたちも一緒。『心喰』って一つ括りができるけど、住んでる場所で呼び名が変わるんだ。外国では『悪魔』かな。んで、ここ日本では苗字によって血族を特定して、個人名――花音とかね――で分けてる。あたしたちの場合の血族名は『浅見一族』。今の東北辺りに住んでたんだ」
東北。
秋田県とか岩手県とか?
「そこで『人喰い鬼』として有名でした。昔はね、ココロを喰べるときは一人だけを里から連れ出して喰べていたんです。そして、喰べ終わったら人里に返す。でも、ココロを喰べられた人間は、喰べられる前とは微妙に違う。だから『人喰い鬼に攫われて、別人になって帰ってきた』として、せっかく生かしたまま返しても、帰還者は村人に殺されてしまうことがよくあったんですよ」
こーとさんの説明に、民俗学っぽいものを感じる。
昔は、ご近所さんみんながよく知り合った――まぁ濃いお付き合いをしていたんだっけ。
だから集団で一人、または一家族をまとめて殺すこともあったんだとか。
理由は、有力者に従わなかったからとか、掟に背いたからとか、つまり集団生活を送っていく上で、どうしても生かしちゃおけねぇことをしたから。
人間は「群れ」で生きてるからね、「群れ」としての秩序が失われるようなことを、野放しにはしておけないわけだ。見せしめが必要ってこと。ナムナム。
「ふん、よくある話だ。人は自分の知っている範疇外のものを嫌い、排除する」
歩くスピードを落とさぬまま、零月さんが慣れたように言う。
いつの間にか駅前通りからは遠ざかって、人通りの少ない路地に入っていた。
「んで、山狩りされたから仕方なく東北を出てって、今はこうしてここで暮らしてるわけ。五百年前くらいかな、近畿に落ち着いたのは。ちなみに今うちの一族は、こーちゃんとあたししかいないんだ。でもまぁ、今じゃどの血族も人数少ないけどね」
「ほとんどが里に定住できなくて、転々としてるうちに数が少なくなっていったんです。たとえ里に定住できても、一網打尽に殺された一族もいるみたいですね。山に鬼や妖怪が棲んでるって昔話、聞いたことあるでしょう? あれはたいてい心喰の話なんです。里に定住できないから、人の来ない山奥に棲むしかなくて……。でも、結局悪鬼がいると麓の村で騒ぎ立てられて、国の軍隊に攻められた一族もいるとか」
これもなんだか民俗学っぽい。
確かにそういう説はあったはず。
鬼とか妖怪とか呼ばれてるモノのほとんどは、村で暮らすことのできないワケありな人たちだったという説。どんなワケだったかっつうと、国――朝廷とは相容れない人たち。そういうワケで、人の手の入らない山奥でひっそりと暮らすしかなかったという。
でも、そこだって永遠に安全ってわけじゃない。いつか人が入り、見つかる。
神様とか、良い方に持ち上げられたらめっけもんだけど、鬼とかそういう良くないものの方に下げられたら、もう退治されちゃうしかない。あとはその土地を捨てて逃げるか。
神でも鬼でもどっちでもおんなじなのに。
ヒトを超えた、ヒト以上の存在。
「へぇー。じゃあかのちゃんたち『心喰』って、希少価値なんですね。――じゃ、零月さんのご家族は?」
顔を上げて零月さんを覗き見やれば、日傘の向こうの零月さんからは何にも答えがなかった。
「ゼロは丹後(たんご)の出身でしたよね?」
こーとさんが後押しするも、零月さんは答えない。
丹後。
ってことは京都の、今の舞鶴(まいづる)とか天橋立(あまのはしだて)辺りか。
けっこー遠いな。なんで京の都の方が、天気予報でも見捨てられがちなこんな田舎に。……謎や。世界七大不思議に数えとこう。
「九百年も生きてりゃ、出自の価値も存在の価値も薄れてくる。現代において貴族など関係ないのと同じだ。――まぁ、もともとそんな『仕分け』には意味も価値もないが」
「はぁ、なるほど。でも自分の価値がなくなってすっごく暇だからって、退屈凌ぎに悪質ないたずらをしなくてもいいんじゃないですか?」
「何だと?」
前を向いたまま、零月さんは文意を計り兼ねたような声を上げた。
あたしは呆れたように小さく溜め息をつく。さっきのこと、もう忘れてるんだろうか。
左手には、生涯学習センターという看板が掲げられた、丸みを帯びたガラスのエントランスが見える。結構なでかさの施設の陰になって少しは涼しい歩道の上、あたしは先程の仕返しに出てみた。だって、さっきのはほんまにあんまりやったんやもん。
「さっきのあれ……、なんであたしを押し倒したんですか?」
ぎょっとしたような視線がうしろから四目玉分突き刺さったけど、そこは気にしない。
「ゼロ、そんなことやってたの?」
かのちゃんの非難めいた口調に、あたしはこっそりガッツポーズを決める。よっし、そのまま零月さんにビシッとバシッと言ってやってください! 同じ心喰として!
「喰べていただけだ」
「うっかり全部喰べちゃったらどうするつもりだったんです、ゼロ?」
零月さんの事も無げな答えに、こーとさんからも非難の声が上がる。よぉし、そのまま喰し方にも礼儀ってもんがあるだろって……
ん? うっかり全部?
そういえば、確かに「一部」しか喰べてなかったような……?
それって言ってみれば、大皿に載った巨大ステーキを一切れしか食べてない、みたいなことだよね?
んまぁ失礼しちゃう。あたしのココロはそんなにマズかったってことですか?
「ちゃんと制御したぜ」
「ならいいけど……」
かのちゃんが安心したように言う。
制御? っていうか、うっかりって、何?
期待はずれな浅見兄妹の反応よりも、なんか微妙に含みのある会話の方が気になる。
足元に視線を落としながら、疑問の渦が湧き起こる。
緑と白のレンガが敷き詰まった、見慣れない模様の歩道が、靴の下をずっと続いてる。視界の右端には、黒いフェンスがちらちら。その先にある灰色の車道には、違法駐車中の黄緑色っぽい車。レッカー移動されても知らないぞ?
んで、こーとさんが言うには、うっかり全部喰べちゃう可能性があったってこと? でも制御したから、完喰しなかったって零月さんは言ってるん?
「あ、あのー……」
「何だ?」
「さっきのあれ……、おなか減ってたから、襲った、んですよねぇ?」
「そうだが?」
「でも、制御して、完喰は避けた、んですよねぇ?」
「だから?」
「それってあたしに配慮してくださっ……」
「カン違いするな」
あら。
違ったんですか。
やっぱあたし、自意識過剰かも。
「じゃあなんで……」
落ち込みつつ問いながら、一つの言葉が浮かんできた。
それは、昨日誘われたときに言われた言葉。
口直し。
そもそも、口直しって、直前に喰べた物の味を消すための行為だよね。なんでそんなことする必要があるんだろ?
んんー? ちょっと待てよ。
口直ししたい味のココロ。つまり、喰べた味を消したいと思うようなココロ。
そんなマズイココロ、喰べなきゃいいのに。ていうか、零月さんならそんなモノ、初めから喰べなさそう。
でも、喰べる。だから、あたしが必要。
それってなんだか、マズイココロを喰べるのは義務――仕事みたいだ。
「あの、零月さん。ひょっとして今日、誰かの感情を喰べなくちゃいけなかったりします? しかもその感情、すっごいマズかったりします?」
訊いても、零月さんの歩くスピードは全然変わらない。答える気がないというように。
違うのかなぁ、あたしの推理。
つまり、零月さんがあたしを生き餌に誘った理由はこう。
とにかく、すごいマズい感情の持ち主を喰べなくちゃいけない。その理由は不明。
だから、その味を消すために、あたしを生き餌にした。
今向かっている場所は、その激マズ感情の持ち主の所。なのであたしも口直しのために同行させられてる。ちなみに、さっき一部しか喰べなかったのも、激マズ感情さんを喰べる分のため。
だって、これから激マズな物食わされるって分かってたら、しかもそれが仕事みたいなものなら、誰だって胃のスペース空けとくでしょ? それとおんなじ。
あれぇ? じゃあなんでさっきあたしを襲ったんだ?
朝にも、他の激マズ感情さんの所に行ってたとか?
まさか、胃を空けてたのって、昨日から? 昨日から、今日のためにずっと絶喰してた?
自分の推理に驚いて、零月さんを見やる。
零月さんは止まらない。そして歩くのと並行するように、「おもしろい」って言うように口角を上げてた。
「――あぁ、そうだ。エサのくせに割と使えるあたまをしているな。褒美だ、昨日の田舎に美人の秘密も教えてやろう」
割と使えるあたま。
せっかく心配したのに。ひどい褒められ方。どんだけアホや思われてるんやろ。ここまで何度もバカにされると気になる。
「それはどうもぜひお聞かせください」
通算二度目の、棒読み。
「昨日も『仕事』だった。だからおまえを飼おうと思った」
言って、零月さんは立ち止まる。
「俺たちはココロを喰らう。それは人間から見れば、要らないココロを喰わせることだってできるということだ」
あたしも立ち止まる。視界の端に、看板が見えた。
「要らないココロ……?」
「持っていても仕方のないココロ。諦めた方がいい願望、忘れた方がいい記憶。それらを俺たちに喰わせるという発想だ」
**総合病院
あたしが地元で、風邪引いて行くような病院とは全く違う。
明らかに、入院患者がいる。
それも、長い間。ずっと点滴してそうな、そんな人の気配が、ある。
「願望も記憶も、全ては感情の中にある。要らないそれを喰わせる対価として、それなりの謝礼をもらう」
零月さんの言葉に、あたしは病院から視線を戻す。
願望も記憶も、全ては感情の中。
そのとおりだ。
願い望むことは、何にもないところから出てくるものじゃない。あたしが零月さんの傍にいたいと願うのが、零月さんを好きだからという感情によって生まれてるように。
記憶もそう。零月さんのことを忘れられないのも、好きだからとか、そういう感情と共存してるから。
「今日も『仕事』だ。おまえの言うとおり、こっちは喰いたくもないモノのために胃を空けなければならん。だから、昨日から絶喰していた。そこへおまえがふらふらとおもしろいココロを持って来たものだから、襲った。――それだけだ」
「まぁそのゼロの尊い犠牲のお金で、私たちは平穏に暮らしてるわけです。あ、平穏ではないというのはもちろん、見境なく『狩る』ことですよ」
何でもないことのように、うしろからこーとさんが補足してくれる。
「世界は多数派だ。それはエサが尽きないことを表しているが、それと同時に多数派(マジョリティ)に従わなければならないことも表している」
風が、零月さんの傍を通って行く。ジャージの生地が、風に吹かれてわずかに揺れる。
その風は、あたしの火照った体からも体温を奪っていってくれた。
「不本意だが、従わなければこちらが『狩られ』る」
零月さんが、あたしを見下ろす。
獲物を見る、瞳だった。
細められたその瞳は、一度捕まえた獲物は二度と離す気がないことを如実に表してた。黒い、死の淵みたいな、瞳。
かのちゃんが、今さっき言ってた。「人喰い鬼」にされて、仕方なく住んでた所を出て行ったと。零月さんが言ってることは、つまりそういうこと。
多数派に巻かれなければ、自分たちの方が居場所を失う。場合によっては、殺されるかもしれない。ライオンだってエサのシマウマを逃がすことがあるみたいに、そういう逆転現象だってあるはずだから。
「エサのくせに、驕り高ぶったことだ」
忌ま忌ましげに鼻を鳴らして、零月さんは歩き出した。
「もちろん見境なく『狩って』もいいんですけどね。だって、ひよりさんは――人間は――喰べモノですから」
こーとさんが、いつもより低い声で、あたしのうしろから言った。
「ひよりんも気づくといいよ。今まで話していた相手を喰い殺す瞬間の、どうしようもない本能を。――その、喰欲を」
すっ、とあたしの傍をかのちゃんが通る。
「さ、行こ? ひよりん」
くるん、と振り返って、かのちゃんは笑った。
あたしも歩き出す。
かすかに足ががくがくして、うまく動かせない。傍を、こーとさんが通る。そのとき、にこっ、と微笑まれた。綺麗な微笑。かのちゃんと並んで、歩いてく。
きっと、かのちゃんとこーとさんが「ひよりん」とか「ひよりさん」とか呼んでる間は、彼らの中ではあたしはエサじゃないんだろう。エサじゃないなら何なんだって気もするけど、そこはできればお友だちでお願いします。でも、それはとても、危うい均衡だ。
とにもかくにも、あたしは追いかける。
喰べモノにしか見えなくても構わない。
だってあたしは、思ってた以上に零月さんにメロメロしてるんだから。
あたし=喰べモノって話を聞いても、そういう瞳で見られても、嫌いになれないし、怖い以上の感情がある。
喰べるって、大事なことだから。たぶん、死と同じくらいに。だから、怖がってられない。忌避してる場合じゃない。そんな気がする。うまく説明できないけど。
そっか、あたしは、どんなことがあっても、零月さんの傍にいたいと思ってるんだ。
意外だ。結構深入りしてたんだ、あたし。そりゃもう、抜け出せなくなるくらいに。
覚悟は決まった。想いも直視した。あとは、そうだね、伝えるだけかな。
あたしも、自動扉をくぐった。