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第1話

 知らなかった。

 ほんとに、知らなかった。

 だって、ダイヤなんてそうそう変わるもんじゃないって思ってたし。

 主要乗り換え駅に停まったとき、振動であたしの安眠は砕かれた。

 その途端、耳穴に突っ込んだイヤホンこと乗り過ごし防止用の音楽がはっきりと聞こえてきて、薄ぼんやりした頭がこの駅どこだっけと探してて。ああまだ寝れるよしオッケと目を閉じて。今思えば、瞼を合わせただけで本格的な眠りに陥ってなかったのが救いだったのかもしれない。

 車掌の声はイヤホン越しでも届いた。

「次はー**ー、**です」

 あたしは目を開けた。

 いやむしろ目が覚めた。

 そらもうばっちりと。

 この車掌、今何つった? 次に停まるはずの駅とは明らかに違う単語を高らかに放送せんかったか?

 気づいて、焦った。

 電車の窓の外は真っ暗で、まるで夜の底で、だから景色がいつもとどう違うとか、そんなの全然分かんなかったけど、震えた。体が、震えて、もう、早く着いてよって焦れるばかり。

 そうして着いたら、びっくり。

 まだあったんだ。

 線路一本しかない駅。

 単線運転ってやつ。

 そういうわけで、立ち尽くしたまま「知らなかった」と茫然自失。

 のろのろと斜め右うしろに向く。白地の駅名看板が掛かってた。

 ふつうなら進行方向にのみ矢印が書いてるものだけど、この駅名看板にはなぜか両端に矢印が向いてた。

 なんでぇ? なんで両方に矢印あんの?

 いや、落ち着こう。落ち着くんだあたし。

 息を整えて見ても、プラットホームの隣にあるのは改札口だけ。反対ホームへの階段なんてどんなに目を凝らしても見当たらない。人のよさそうな顔した、眼鏡かけた駅員しか、いない。その向こうには、ろくに街灯のない、黒に塗り潰された町。

 えーと、つまり、一本の線路を、二方向の電車が、通ってるってことですか?

 改札口わきを見たら、不釣り合いな、ICチャージ機。青い台に、とぼけた顔のペンギンみたいなカモノハシが踊ってる、例のあれ。改札口にかざしたら、ピッピ言うやつ。

 どーでもいいけど、あれ、うるさい。流行り始めた頃は、どこの改札もやかましくて吐きそうだった。今は慣れたけど。でも嫌い。

 誰か使うんですか、これ。むしろ誰が使うんですか、これ。それは差別ですか、単線運転駅に対する。

 うーわー、夜の八時に単線運転駅。

 死んだろか。

 駅の外は真っ暗で、こんな寂しげなとこで電車を待つの。

 イヤホンを耳に突っ込んだまま、三席並んだベンチの端に座る。

 隣は笑うICチャージ機。

 むかつく、このペンギンモドキ。何笑ってんだよ。何が楽しいんだよ。できそこないのペンギンのくせに。こっちはむっちゃ完璧なニンゲンなのに。だからつらいのに!

 死にたい。

 帰りたい。

 くっそー。

 あーあ、いつ電車来んのかな。

 ダイヤ書かれた白い掲示板あるけど、見るのもなんかイヤ。立つのもめんどくさい。

 もぉどーでもいいさ。

 来たきゃ来いよ。来やがれよ。

 って、来たよ来た来た。なんか超絶美人な男の子。絶世の美貌ってやつ。なんでこんな所に美人が。

 田舎に美人。豚に真珠。やっぱそれも差別?

 って、うわ、なんでこの人ジャージ姿なの。しかもなんでそれがよく似合ってんの。

 黒の上下。黒のニット帽。ちょっとはみ出した黒色の髪。うなじに巻きついてる。

 ジャージが魅せる、ミラクルマジック。

 今流行り? 春の最新ファッション?

 背は低め。たぶん百六十センチちょいくらい。でもあたしよりも高い。

 腹立たしいことに、あたしはここ四年くらい、百五十九センチをうろうろしてる。いつまで経っても百六十に届かない。くっそう、何が足りないというんだ。

 それはともかく。

 人間離れした、整った白皙(はくせき)の美貌っていうんですか。しかもなんかそれだけじゃない、こう、鋭いっていうか、冷たいっていうか、まぁとにかく男なのになんでそんなに綺麗なん? とか問う気力さえ喪失するような顔立ち。

 うわ、煙草吸い出した。うわ、なんでその姿でサマになってるかなぁ?

 ベンチの背にもたれて、脚も組んで(そのときにジャージの生地の音がする)、ケータイ片手に煙草を吸う。

 待て。

 待て待て待て待て。

 あたしは何にトキメいてるんですか!

 落ち着けあたし。高鳴る心臓の意味は何なんだ。

 乗る電車間違えて、単線にカルチャーショック受けたからって、ちょっと節操ないんとちゃいます?

 そうはなじっても脈打つ心音鳴り止まず。

 せめて顔に出るなと、信じてもいない神に祈ってみたり。

 イヤホンから流れる音楽に集中集中。

 聞こえる音楽最高潮に達す。リピート機能をオンにして、ひたすら同じ曲を聴いてみたり。

 ……あかんわ。

 無理。

 無駄。

 虚しい努力。

 音楽より聴こえるのは己の心音。

 やめてよ。頼むわほんまに。

 こんなシチュエーションやからトキメいたんやろ? 最悪な日やから、ちょっとクラッと来てるだけやろ? なぁ、そうやろ? そうじゃなきゃあたし、東京行ったら絶対ホストに騙されるタイプ。騙されて、でも全然騙されてることに気づかんで、どんどん借金まみれになってくの。

 ……やめてくれ。

 そんなアホらしい理由で、あたしの人生めちゃくちゃにしないでください。

 でも、一席挟んで端に座る美形が気になるのはほんとのことで。

 嘘がつけないあたしはしかし素直にじっと見れず、ちらちら横目で見るも、あなたは無表情かつ寛いだ姿勢でケータイを打っている。

 あなたは全然あたしの視線に気づかない。ケータイに、子供みたいな嫉妬を覚えてしまうほど、あなたはすっげぇ夢中。

 いいなぁ。恋人にでも打ってはるんですか? さぞやあなたに釣り合う美しい人なんでしょうなぁ。あたまもあたしみたいに悪くなさそうな。

 所在無くて、左手首をちょっと上げてみる。耳から垂れたイヤホンが揺れる。ケータイ持ってもやっぱ腕時計は必需品と心得てるタイプなもので、中学生のときから使ってる、暗いところでは文字盤が緑色に光る腕時計を見下ろしてみた。

 八時十三分。

 つまり、ここへ来てから十三分も経ったと。

 あのぅ、いつになったら電車来るんですか?

 とか思ってたら、端の美形が立った。何すかどうしたんですか!

 美しきジャージの君は、ダイヤが書かれてある白い掲示板の方へ行った。しんとした閑散な駅に、ジャージの擦れる音が落ちる。

 あぁああたし絶対おかしいわ。絶対トキメキポイント間違ってる。

 なんでそれだけのことでアドレナリンが出ちゃうんですか。しっかりするんだあたし。こんなとこでトキメいとる場合か。

 ジャージの君が戻ってくる。再び寛いだように背を預ける。

 なんか、ここが自分の部屋だったら、ベンチをソファ代わりにして寝そべってそうですね。ソファの肘掛を枕代わりにしそうな。んで、ソファの背に片腕載っけるの。しかも片脚だけソファに載っけて膝を立てるの。その姿勢でケータイを打ち煙草を吸う。

 ……ダメだあたし。今宵のあたしはどうかしてる。

 電車。電車はまだですか。

 でも。

 来て欲しく、ないなぁ……。

 もうちょっと、いっしょにいたいなぁ……。

 なーんて、ユメ見てる場合じゃないって。明日も大学あるんだって。こんなとこでのんびりおったって、睡眠時間が減ってくだけやん。あかんやん。

 もう、役立たずなイヤホンを毟り取る。停止ボタンを押して、鞄の中へ突っ込む。

 イヤホン外して音楽捨てて、初めて聞こえるこの駅の静けさ。

 べつにジャージの君と二人っきりじゃないけどさ。駅員さんもいるし、客のおじさんもいるし、っと、改札からお姉さんも入ってきたし。

 なーのになーんでこうなるかなー? なーんでトキメいてるかなー? 困ったなー。いやほんと、困るよ。こんなん。全然予定になかったし。

 だって、「恋」だぜ? しかも、「一目惚れ」だぜ? 予定にないって、ふつう。

 もう、青天の霹靂ってやつ。どうしてくれるんすか、この高鳴り。

 予定は未定って言うけどさ、未定とか、そういうんじゃない、範疇外とか予想外とか、そういう宇宙から飛んできた「これ」はどうしたらいいんですかね。

 ほんと、もう、どうしよう。

 宇宙からのこの飛来物、誰に渡せばいいんですか。それとも、ずっと持っとけってことですか。

 困るよ。置くとこない。

 うち狭いし。部屋はもっと狭いし。あたしの心だって、めっちゃ狭いし。

 うぅ、あたし何か悪いことしましたか。何の罰ですか。罪状は何ですか。

 トキメキながらしょげてたら、斜め上にぶら下がった蛍光板が光り出した。赤い文字が流れ出す。「電車が来ますご注意ください」の繰り返し。女の人の音声も「ご注意ください」って繰り返してる。小さな警告音が続く。

 えぇえ? それだけ? どこ行きとか、そういう表示とか案内は無しですかぁ?

 ツッコミたいのを我慢して、電車を待つ。さて、どっちから来るかな? 順番から考えると、あたしが乗り間違えたやつとは逆方向行きのはず。

 さぁ、あたしをマイホームに連れて行きたまえ! 来い、単線を走る電車よ!

 来たよ来た来た。電車。しかもさっき乗ってきたやつと同じ方向いて走るやつ。

 おいおい、いつ来んだよ逆方面行き。

 ねぇ、こういうのって交互で来るもんじゃないの? 違うの? それはあたしの希望的観測なわけ? 世の中そんなに甘くないってこと?

 って、待てよ。

 これ、あたしが乗りたかった、ってか乗ってると思ってたやつと終点が同じじゃん。ってことは、これに乗って終点まで行って、そこで乗り換えたらいいんじゃないか? あたしの降りる駅は終点の一駅前の駅だし、そっちの方が早いかも。

 いやいや待てよ。ここから終点まで何分かかるか分かんないんだぞ。終点まで行くよりここで逆方面行きに乗ってそこから帰った方が、最終的には早いかもしれないし。

 あぁあ、これだからテリトリー外の駅はいざってときに困るんだよぉおお!

 駅員。駅員に訊け! ってあぁ! なんでこんなときにおらんのさ! 自動改札機あるから無賃乗車は有り得ないってタカくくりやがってぇえ!

 電車はすでに停まってる。あたしは立ち上がってる。

 どないせぇゆうのん。

 知らず、あたしは口を開いてた。

「あのっ、」

 どさくさに紛れてジャージの君の声を聞こうとする、恋という哀れな病に取り憑かれた十九の四月十三日の金曜日。

「ここから終点の駅まで何分かかりますか?」

 ジャージの君は顔を上げた。

 帽子で気づかなかったけど、ピアスしてたんですね。不謹慎ですいません。似合ってます。丸い、綺麗な、黒曜石っていうんですかね、その黒い石のピアス。耳に穴空ける勇気なんてないもので、あたし知らないんですよ、ピアスについての知識とか。

 三両編成の電車から人が降りてくる。結構な数。十人くらい。紺の制服姿の高校生が多い。こんな時間まで塾ですか、ご苦労さまです。

 ジャージの君が進行方向に向く。

「あぁ、たぶん、」

 次いで、あたしを見て口を開いた。

「三十分、くらい……、だと思いますね」

 予想どおりというべきか、妄想どおりというべきか、失神しそうなほどどきりとする声だった。

 何て言うんですか、ちょっと鼻にかかった声ですか。ささやかに低い。でもよく透る。行きずりの困ったふうの他人だから返事してやってる、みたいな、そんな感じの口調。ふだんだったら絶対興味なさそうに見ないふりしちゃうような、そんな気怠さを含んだオーラ。

 ダメだ。今日のあたしは全然ダメだ。

 もともと、博愛じみた人間は信用ならないから好きになれないんだけど、ダメだ。この冷たさは心地よすぎる。夜風より冷たいあなたにフォーリンラブ。もうあたしの人生ここで終わりを告げた。

「あ、そうですか、」

 喉が渇いて声が張りついて、繕う余地もないほど不自然だけど、言わないよりはマシだから言う。

 三十分。

 ダメだ。時間かかりすぎ。

 だってあたしが乗りたかったやつでは、あの運命の乗り換え駅から終点まで十五分足らずなんだよ? やっぱここは逆方面行きの電車を待った方が無難だ。

 それに、

「ありがとうございます……」

 もうちょっといっしょにいたいし。

 もう電車の扉、閉まっちゃったし。

 もう電車、動き出しちゃってるし。

 あたしはジャージの君の前から離れ、端のベンチに戻る。

 ……気まずい。

 いや、立っておきながら電車に乗ろうとしなかった時点で気まずくなるの確定だったんだけど、やっぱ、気まずい。挙動不審人物、だよねぇこれじゃあ。

 だけどジャージの君は、悲しくなるほど全く気にも留めずにケータイを打ち続けてる。

 何をそんなに語らってるんですか。むしろどこにそんなネタがあるのですか。ひょっとしてあたしですか。今自分の隣には不審な女がいると、わざわざ報告してくれているのですか。あたし、もしかしなくてもにわか有名人ですか。それともこれは自意識過剰ですか。

 何をこんなにはらはらしてるんだろう、あたし。

 分かってる。これがいわゆる恋わずらいでしょ。言葉くらい知ってらぁ。

 ……気まずい。ほんと、気まずい。

 あー、電車。電車はまだですかぁ? もう待ちくたびれたんですけどぉ。

 腕時計を見下ろす。

 えぇ? なんで八時二十三分なんですかぁ?

 つまりさっき時計見てから、十分しか経ってないってこと。

 この十分の間、あたしがただ電車乗り間違えただけのかわいそうな女の子じゃないってことは、もう明白な事実。

 困るよ。

 こういうさ、計画にないことが起こるから、予定表とか作るの嫌いになっちゃったんだよ。いっつもそいつが突然やって来て、あたしが必死こいて立てた計画を土足で踏みちゃんこにして行きやがるの。もう、腹は立つわ悲しくはなるわでてんてこ舞い。だから予定なんて大嫌い。吐いてやる。下してやる。

 でもさ、だからってさ、こういうことする? こういうさ、筆舌尽くしがたき状況をさ、よりにもよってこんな夜更けにさ、はいどうぞ、って出すかぁふつう?

 サイッテー。

 泣きたいよ。

 あなたに逢えて嬉しいから、泣きたいよ。

 同じくらい、すっごいむかつくから、泣きたいよ。

 くっそー。

 死ねばよかった。

 この駅着いたときに。

 あぁ、死にたい。

 あぁ、帰りたい。

 あぁ、あなたはこれからどこへ行くの?

 知りたいよ。

 帰るの? それともこれからバイト?

 どこで降りるの? 乗り換えとかある?

 あたし、絶対ストーカーだ。

 誰か好きになったら、束縛したがるタイプ。

 知らなかった。

 ほんとに、知らなかった。

 だって、今までこんな想いしたことなかったし。

 一目惚れなんて、するもんじゃないな。

 こんなん、友だちに話したら絶対「動機が不純」って言われそう。当たってるけど。

 でも好きになっちゃったんだからしゃーない。動機が不純だろうが一目惚れに後悔しようが、諦めよう。諦めて、受け容れよう。その方が、ラクになれるんだから。

 手持ち無沙汰に耐え切れなくなって、ケータイを出そうとする。べつにメールなんて着てないだろうし、送るつもりもないけど、パカッて開いて眺めてたら、ちょっとは気まずくなくなるかなー、なんて浅はかな考え。

 ふだん携帯してるだけで全然使わないもんだから、鞄の奥で迷子になってるケータイを救出する。と思ったら指をすり抜けて奥の方に。くっそぅ、てめえまで何なんだ。

 着メロ鳴ってもいないのに、あんまり必死の形相でケータイ探すのも変だから、さりげなく手を奥へと伸ばして指を広げてケータイの感触を探す。

 いない。

 ざけんなてめえ。こういうときにこそ役に立てよ!

 しばらく電車は来そうにないので、立ち上がってトイレに向かう。そこで引っくり返すようにケータイ捜索してやろうじゃないの。

 ベンチの隣にあるトイレは、これまたびっくりするほど化石みたいな造りだった。

 男も女も入る場所一緒。出入口から見て左側に男用の便器、右側に扉付和式便所。一つの空間に、男女同居。

 ……何この配慮ゼロの便所。

 あたしは出入口付近にある、蛇口が一つしかない手洗い場の前で立ち尽くす。

 誰もいなくてよかったよ。

 用足し真っ最中の男がいたら、あたしもう線路に飛び込むしかないし。

 なんかケータイ捜索も一気にどうでもよくなって、あたしは手洗い場の前の鏡を見た。鏡の自分に向かって、大きく溜め息をつく。

 今日のおまえ、超絶最悪だよ。

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