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魔法使

 耳に、脳に、声がこびりついている。舌足らずの幼い子どもの声。少年を「かわいそう」だと憐れむ声。

 周囲の人間を、世界そのものを脅かすものに対抗する力を見出されてしまったために、いつ命を落としてしまうかもわからない戦いに身を投じることが、哀れだと。

(確かに俺は巻き込まれてしまった、使命を勝手に強いられてしまった)

 魔法使いとなった少年は、ほんの僅かな期間で180度変貌してしまった自分の境遇を振り返る。肝試しの時にあの化け物に遭わなければ。そもそも、くだらない意地で肝試しに幼馴染を連れ出さなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。

(だけど)

 人間界の現状を、魔族らの侵入を知ってしまったからにはもうもとには戻れないと、分かっていた。理解させられてしまった。こんな取り柄のない自分に、小学生に縋るほどひっ迫しているのだと。

 それに、強いられたのは事実だが、少年の心にはそれだけでない戦いの動機が芽生え始めていた。

(人を守るとか、世界を救うとか、そんな大層なことがしたいんじゃない。そのために犠牲になりたいわけじゃない)

 自分は平和のための生贄ではない、哀れな存在ではない。幼い声を払うように、少年は強く念じた。


「俺は……!」


 上体を起こして叫ぼうとした少年の眼に、朝の陽射しが飛び込んできた。桜緒は清潔な病院のベッドの上で目を覚ました。

「……あれ?」

 もう頭にとり憑いたあの声は聞こえなくなっていた。夜の闇が過ぎ去ったせいなのか、強く精神で抵抗したせいなのかはわからないが、ともかく【羊飼い】の呪いの影響は消え失せたようだ。

「俺は、どうしたの?」

 すぐ横から眉をひそめた看護師がのぞき込んできた。どうやら少年を起こしにきたらしい。

「あ、いや、寝ぼけてた、だけ……」

「そう? うなされていたみたいだったから」

 体温はかりましょうね、と体温計を取り出す看護師を見ながら、桜緒はふと思った。全部、恐怖からくる悪夢だったのではないかと。しかし、看護師の口から出た言葉で現実に引き戻される。

「昨日は病棟の子たちが集団で病室から抜け出してしまったから、心配だったの。桜緒くんはちゃんと寝ていてくれたみたいで安心したわ」

 やはり、昨夜の出来事は本当に起きたことだった。少年はほっとしたような、がっかりしたような、複雑な心境だった。

 検温と簡単な会話をした後、看護師は病室を出ていく。その背中を見送ると、少年は腕組みをしてしばらく思索にふけった。

 綻びを修復する、とは言ったが、昼間は監視の目が多いため病院から抜け出すことは難しいだろう。幻術を用いて見つからないように移動しても、もぬけのからとなった病室に気づかれれば後で面倒なことになる。となると、行動しやすいのは夜。暗い部屋なら、見回りが来ても多少の工作をすれば気づかれる可能性も減るはずだ。

 しかし、夜は魔界からの流入者が活発になる時間帯でもある。元凶である綻びの周辺ともなれば間違いなく封印対象との戦闘になるだろう。

 少年はハア、とため息を吐いた。【羊飼い】の封印のあと、すぐ幻術が解除されてしまったのを思い出す。ヴィオラス曰く「魔力切れ」だったのだが、はたして敵を封印した後に綻びを直せるだけの魔力の余裕はあるのだろうか。

(そういえば、魔力ってどうやって回復するんだ?)

 使ったら使っただけ量が減ったまま、ということはないとは思う。もともと魔力を保有していなかった桜緒が杖から魔力を得たように、補充するか回復させることができるはずだ。

 少年は、なかば無理矢理注ぎ込まれた杖からの魔法知識を掘り起こした。

(えー、あー、魔力を回復するには、『他の生物から命を得る』、『精神を休め安定させる』……? これ、つまり……よく食べて、よく寝ろってことか?)

 魔力の主な回復方法は、「充分な食事と睡眠」をただ言い換えただけのことであった。まるで風邪の予防法である。

(生贄とか儀式とかが要らないなら、まあいいか)

 そうとわかれば来るべき戦いに向けてしっかり魔力を溜めておかなくては。桜緒はとりあえず、出された食事は残さず食べようと誓ったのだった。



『準備はいいか』

 杖とともに夕方の病室に現れたヴィオラスが桜緒に問いかける。

「うん、まあ、準備らしい準備もなかったけど」

 桜緒がしたことといえば、朝昼夕の三食を残さず食べたことと、しっかり昼寝をとったことぐらいだった。しかし、誰にも精神に介入されず、呪いの影響のない睡眠がこんなにも快適だったのか、とその重要性に気付けたのはよかったのかもしれない。

「幻術ってさ、自分自身にかけるだけじゃないんだよな?」

 少年は確認するように使い魔に尋ねた。

『ああ、術者自身以外の生物や物体にも有効だが……』

「そっか、やっぱり。じゃあ……」

 桜緒の手に杖が吸い寄せられるように移動した。

「幻装開始、術式転写」

 戦闘着に身を包むと、桜緒は杖を自分が寝ていたベッドに向ける。すると、魔法陣がシーツに浮かび上がり、薄赤色の光を放ったかと思うとスッと染み込むように消えた。

『桜緒、今の術式は……』

 狼は不思議そうに耳を上下に動かしている。それを見た少年は杖を持ち直しながら言った。

「術者以外にも幻術はかけられるんだってさっき教えてくれたのはお前だろ。ベッドに幻術をかけたんだ。『何事もなく俺が寝ている』って見回りに来た人が錯覚するようにさ」

 幻術は人の認識や知覚を惑わす魔法。術者自身が”幻装”することで術者が「いるはずなのに存在しない」ように見せかけることができる。それならば、逆に「存在しないはずのものがそこにある」ように見せることも可能ではないか、と少年は踏んだのだ。そしてそれは可能であった。魔法とはつくづく便利なものだ。

『ふむ、そうか』

 狼の耳がまた何か考えているふうに動くのを見て、使い魔であるヴィオラスに人間の入院事情はわからないのかもしれない、と桜緒は思った。これでも一応少年は患者である。消灯後の見回りで異常があればどこぞに通報されてしまうかもわからない。ただでさえ肝試しの件や昨日の【羊飼い】の件で大人たちの緊張と警戒が強まっているのに、なにもせずのこのこと抜け出すわけにはいかなかった。

 だが、狼の不思議そうな仕草の理由は少年の考えていたこととは違ったようだ。

『杖が与えるのは最低限の魔法知識だけだ。その知識を用い、行使するのは術者の管轄。もう幻術の応用までできるとは、やはりお前は筋が良い』

 さすが始祖の後継者だけある、と感心したようにヴィオラスが頷いた。

 確かに杖から送られてくる情報は今までの知識を上書きするような濃密なものだが、何から何まで手当たり次第に与えてくれているわけではないようだった。敵を捕縛したい時には捕縛する術を、身を隠したい時には身を隠す術を、といったように。膨大な術や知識の中から適したものを呼び起こし、実際に魔法を使っているのは紛れもなく少年自身である。

「……行こう」

 なぜだか照れくさくなった桜緒は、早足で病室を出た。

 向かうは人の世を歪める”綻び”。一人と一匹は日が沈みかけた街を駆けていった。

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