病院・1
町内会の肝試しで死者1人行方不明者2人、男女児童2人が軽傷――少年はそのテレビニュースを病院のベッドの上でぼんやりと眺めていた。肝試しの晩の翌朝、桜緒が目を覚ますや否や両親や医師に囲まれて痛みは無いか、犯人の顔を覚えていないのか……などと散々尋問された。どうやらあの夜の一件は通り魔による誘拐殺人事件として扱われているようだった。正直に生首の化け物に襲われたのだと話したところで信じてはもらえないだろうと判断した少年は、終始大人たちに対して「覚えていない」と答え続けた。昼を過ぎてようやく周囲が落ち着き、両親も桜緒の無事を確認して仕事に向かった。しばらく安静を命じられた少年がベッド脇に備え付けられていたテレビを何となしにつけてみると、中々大きな騒ぎになっているようだと気付く。どこか他人事のような感覚があるのは現実離れした体験をしてしまったからだろう。
「男女児童2人が軽傷ってことは……あおばも無事なんだ」
あおばは同じ病院に入院しているのか、別の病院にいるのか、それとももう退院して家に帰っているのか。そこまでは知らされていないもののとりあえずは無事であることがわかり、胸を撫で下ろす。
ニュースで報じられている男女児童2人は自分とあおばのことだろうと予測はできたが、死者や行方不明者まで出ている所を見るとあの化け物が襲撃したのは自分たちだけではなかったようだ。子どもたちを脅かすために隠れていた仕掛け人か連絡係のボランティアかはわからないが、実際に身近な人々が「あれ」の犠牲になったのだと思うと安堵から一転し身震いした。
夢の中で感じていた身体の痺れはもうない。桜緒はテレビを消してベッドから降り、病室の窓に歩み寄る。
「……”綻び”の修復をしないとまた怪物が出てくる、そしてまた犠牲が」
3人部屋のベッドは桜緒の使っているものを除いてどれも空いており、他の患者はいない。よって彼の呟きは独り言であるのだが、それは誰かに語りかけるような口調だった。自分自身に語りかけて落ち着こうとしているのか、それとも決意のための心の整理をしているのか。3階に位置する病室の窓からはちょうど病院の入口が見える。診察を受けにくる人や見舞人に混じって、大きなカメラや撮影機器を持った一団や記者らしき人物が数人集まっていた。死者まで出た事件に関わる児童が入院しているのだから当然と言えば当然かもしれない。
桜緒はしばらく外を見ながら考えに耽っていたが、誰かがこちらを見ているような居心地の悪さを感じてカーテンを閉めベッドに戻った。
――……テイイ……ツジ……――
「? 今何か」
突然雑音のようなものが少年の耳に入り込んだ。外の音が反射して妙な効果になってしまったのかもしれないが、確かに聞こえた。
「まさか」
嫌な予感が桜緒を襲った。これは昨日の夜のあの化け物の「声」と似ている気がする。しかし音はそれきり聞こえず、辺りに変化もみられなかった。今あのオオカミはいないし、杖もない。ふと不安を感じた少年はまたテレビの電源を入れた。
「あれ……映らない? さっきまでちゃんと」
テレビ画面は砂嵐を映しだすだけで、チャンネルを変えても入力を確かめても同じだった。まるでよくあるホラー映画の演出のようだ、と砂嵐を映し続ける画面を見つめながら少年は思う。
いつまでも砂嵐と睨めあっていても仕方がない。不具合か何かだろうと決めつけてテレビの電源を切る。
画面が光を失うその瞬間、何か白い影のようなものが映り込んだ。
「なっ!?」
白いぼんやりとした輪郭をもつものは画面に焼き付いたように残っていたが、しばらくすると煙のように薄れて消えた。思わず桜緒がテレビから退くと、今度はカーテン越しの窓の向こう側にはっきりと子どもぐらいの大きさの人影が横切った。
「ここ3階……っ」
ここまでくるとオカルトに慣れた少年にはドッキリか何かに思えてくる。実際、充分ドッキリしているのだが。
――……シンオ……イイヒツ……――
追い打ちをかけるようにまた雑音がどこからか聞こえてくる。
「……もしかしなくてもこれは」
いる。昨日と同じか、あるいは似たような化け物が近くにいるのだ。桜緒は確信した。
「なんだ、選択する猶予なんて、最初から無かったんじゃないか」
呆れたように笑いながら、少年は勢いよくベッドの上に仰向けになった。
――……イテオイデ……アン……ンオシ……サア――
聞こえてくる音はもうはっきりと「声」と認識できるようになった。子どものように高く、ささやくような声。
病院には弱っている人間が大勢いる。そのうえこんな昼間に化け物が現れたら一体どうなってしまうのか。早急にあのオオカミを呼び寄せて手を打たなくては。しかし、どうやって呼べばよいものか。街に出て行って探して歩くわけにもいかないだろう。
「そういえば夢を通して話してたよな、あいつ」
こんなときに悠長かもしれないが、他に方法が浮かばないのだから仕方がない。桜緒は仰向けになったまま雑音を無視して無理やり目を閉じたのだった。
『早かったじゃないか』
「お前最初から選ばせる気ないだろ……」
少年の狙い通り、浅い眠りについた途端ヴィオラスが意識の闇の奥から姿を現した。その口にはあの杖が咥えられている。
『選んでもらって構わないのだが、ただ本当に状況が悪化しているというだけだ』
確かにこれほどの頻度で化け物が現れている状況で”綻び”の修復が可能な人材が見つかれば誘わざるを得ないだろう。身を持って緊急事態を把握することとなった桜緒は、クラス会の係決めで誰も整頓係をやりたがらず会が終了できないときの学級委員の縋るような目を思い出した。そんなときは早く帰りたいからという理由で手を挙げるヒーローが現れるのを待つか、くじ引きで決めてしまうことになるのだが、まさか自分が前者のような立場になるとは今まで係に当たらぬよう気配を消してきた少年にとっては驚くべきことだった。
(学級会と化け物退治を同列に見るのはどうかとおもうけど)
心の中で苦笑しながら、桜緒はヴィオラスに手を差し伸べる。
「魔界の化け物を封印し、”綻び”を修復する。俺にそれができるならやってやるよ」
『感謝する……少年よ、杖に名を告げてくれ。それが完了すればお前は正式な杖の使い手、”始祖の魔女の後継者”となる』
オオカミが咥えていた杖を放すと、待っていましたとばかりに杖は空中を移動し桜緒の手に収まった。両手で杖を握り締めると、またあの晩のように熱の波が身体に伝わって来た。
少年は杖を構えて背筋を伸ばし、高らかに声をあげた。
「”亜和桜緒”! 根久呑幌東小学校5年3組出席番号1番! 今からヴァルボルグの使い手だ!」
杖の先端から鋭い光が溢れだす。何もかもが黒かった夢の中の空間を光は深紅に染め上げた。杖から桜緒に伝わる熱の温度が急速に高まり、様々な文字列や映像が流れ込んでくる感覚があった。
「う、あ、あ、あ、あああ……」
光が収まり辺りが再び闇に戻ると、少年は呻きながら膝をついた。
『杖がお前に最低限の魔法知識を与えた。しばらくは混乱するかも知らないがすぐに慣れる』
寄り添うようにヴィオラスが少年の隣に腰を下ろす。ふんふんと鼻をならし、額に汗を浮かべる少年の顔を覗き込む。
「しばらく混乱って……それじゃ、だめだろ、化け物は、もう……」
『魔界の住人は人間界で行動するための魔力が少ない昼間は”狩り”を行わない。姿を潜めて月の魔力が満ちる夜まで力を温存するはずだ』
「姿を潜める、だって? 俺、は……病院で影を見たんだぞ?」
『魔力が強い者には日中でも気配や影は捉えられる。昨夜杖に触れてお前にも多少なり魔力が備わったのだろう。だが影だけ見えていても本体が姿を現さない限り封印は無理だ』
オオカミはそう説明すると、立ちあがって少年に向き合った。
『杖と私を召喚する方法は知識として既にお前に与えられたはずだ。病院のヤツの気配が濃くなり始めたら呼んでくれ。頼んだぞ』
「ちょ、ちょっとま」
「待てよっ!!」
少年が身体を起こすと、目の前にはあのオオカミではなく、白衣を着た若い看護師が立っていた。
「あら驚いた。桜緒君、寝るならちゃんと布団をかけなくてはだめよ」
そう言って笑顔で掛け布団を整える看護師をよそに、桜緒はある事実のせいで気が気ではなかった。
――……ヒツ……フフ……オイデ……――
(やっぱり)
耳に入って来る声を聞きながら、桜緒は落胆した。
(夜になるまでこの声ずっと聞いてなきゃならないのかよ!)
少しでも雑音を誤魔化すためにテレビをつけようとリモコンに手を伸ばしたが、それに気がついた看護師が体温計を取り出しながら言った。
「桜緒君ごめんね、テレビ映らないのよ。アンテナの調子がわるいみたいで病棟のテレビみんな砂嵐しか映さなくて……」
――マ……ワナ……イコウ……――
看護師の声と雑音が重なる。時計はちょうど14時を指していた。




